第149話 精霊祭10
――……納得だわ。
「確かに、ステラ様はヒロインの名に恥じない儚げな美少女です」
「……まあ、そうね。……そしてね、フィーラちゃん。そのゲームにはいわゆる悪役令嬢と呼ばれる役もあるの。それがね、その。……あなたなのよ」
言いにくそうに告げられたオリヴィアの言葉に衝撃を受けつつも、フィーラは意外にもすんなりとその事実を受け入れていた。
――ああ、悪役令嬢。聞いた覚えがあるわ……。それにも納得ね。以前のわたくしは癇癪持ちで我儘。何となくだけど、悪役令嬢にふさわしそうじゃない?
「あ……だから」
だから、ステラはフィーラのことを避けていたのだ。
「わたくし、何となくステラ様に避けられていると感じていたのです。……以前のわたくしの噂を知っていたからだと思っていたのですが、そうではなく、ステラ様はわたくしが悪役令嬢だと分かっていたからなのですね」
「そうでしょうね。まあ悪役令嬢とは言ってもそこまで酷いことをするわけじゃないのよ。話を盛り上げる程度の役割ね。でもゲームでのフィーラちゃんの外見とキャラからプレイヤーの間ではそう呼ばれていたのよね。ちょうど世間で悪役令嬢という言葉がはやり出した頃だったし」
――なるほど……さっきのわたくしが悪者である世界という意味がようやく分かったわ。
「……ですが、すごいですわね。本当に、ここがゲームの中の世界だなんて。一体どういった仕組みになっているのかしら?」
「それね……。私も転生に気づいた当初は、相当思い悩んだものよ……。なぜ自分が作ったゲームの世界に転生なんてしなければならなかったのかしらってね」
「え? 自分が作った?」
「ふふ。この世界の元になった『精霊姫と七人の騎士』はね……。実は、私の会社が作ったものだったのよ~」
「え? え……すごい! オリヴィア様! 社長だったのですか⁉」
「ふふ。まあね。小さな会社だったのだけどね。少人数で仲良くやっていたのよ。ところがあるとき、この『精霊姫と七人の騎士』が当たっちゃってね~」
オリヴィアが頬に手を添え、物憂げにため息をついた。
「良いことでは?」
「それがね~、実はそれまで乙女ゲームなんて作ったことのない会社だったから、思いもかけず売れちゃって、結構天手古舞だったのよ。とにかく費用を安く抑えるために、原作・原画もキャラクターの作画も、ゲーム音楽も、皆、アマチュアの知り合いに頼んだからね、作画担当の人にも私生活が忙しすぎてこれ以上は関われないって言われちゃって、どれだけ人気がでてもグッズも作れないし……。結構クレームが来たのよねぇ。まあ、それでも売れに売れたから、嬉しい悲鳴ではあったんだけど」
「……何だか大変そうですね」
「まあ、私は一応社長だし? そんなに苦労はしなかったけれど……いいえ。嘘。結構苦労したわ~! 小さい会社の社長は社員も兼ねるのよ……毎日毎日残業で、終電で帰れれば良い方だったわよ。本当にあの頃は生きながら死んでたわ。私が死んだのだって、急ブレーキをかけた電車の中ですっころんで頭を打ったからなのよね。眠くて眠くて、うとうとしていたもんだから、踏ん張れなかったのよね」
「何てこと……。ご苦労なさったのですね……オリヴィア様」
フィーラは自分がどういった死に方をしたのか覚えていないが、実は覚えていなくて良かったのかもしれない。自分が死ぬ瞬間などやっぱり詳細に思い出したくはないだろう。
「……ふふ。でも忙しくてもいい思い出だったわ。そんな思い出深いゲームだったからかしら? 私がこの世界に転生したのって」
「ご縁は誰よりもあったでしょうしね。けれど、そうなるとわたくしとステラ様はどうしてこの世界に来たのかしら?」
「そうねえ。ステラちゃんの方は、予想がつくのよ。きっとあの子はこのゲームのファンだったのでしょうね。でなければ、裏ルートのことなんて知るわけがないもの。でもフィーラちゃんはねぇ。このゲームのことを知らなかったし、なぜなのかわからないのよね」
「……わたくし、前世の記憶を覚えているといっても、ぼんやりとしたものなのです。自分がどういった人間で、どんな人生を送ったのかも、はっきりとは覚えていません。オリヴィア様のように、どうやって死んだのかさえも……。もしかしたら、わたくしが覚えていないだけで、このゲームに関わっていた可能性はあるかもしれませんわ」
「まあ、そうなのね。私は割とはっきりと覚えているけれど……。まあ、とにかく。この世界が『精霊姫と七人の騎士』の世界だということを前提として話を進めるわね」
「はい」
「この『姫騎士』の世界は……ああ、『姫騎士』っていうのは『精霊姫と七人の騎士』の略称ね。『姫騎士』は攻略対象との恋愛を楽しみながら、最終的には精霊姫を目指すゲームなのね」
「精霊姫を目指す……」
この世界では精霊姫は信仰の対象でもある。それがもともとはゲームの世界の設定の一つでしかないとは。
前世の記憶を持っているフィーラでさえ、かなりの衝撃を受けたのだ。そんなことが世間に知れたら、人生が崩壊する人間もでてくるかもしれない。
――それ以前に、ここがゲームの世界だなんて誰も信じないでしょうし、そもそもゲーム自体、この世界の人間は知らないわね……。
「そして、この『姫騎士』は表ルートと裏ルートの選択が可能なのよ」
「表と裏の違いは何ですか?」
「表は、七人いる攻略対象と恋愛をしながらゲームを進めるルートで、裏はその七人に加えさらに七人を追加で攻略できるルートなの。計十四人の攻略対象となるわね」
「……多くないでしょうか?」
「多いわね……。でもね、最初は表ルートだけ、七人だけだったのよ? でも会社としては乙女ゲームを作るのははじめてで、いわば新参者だったから、大手から出ているゲームとの差をつけるための特色として何か話題になりそうな設定をつけようということになったのよ。それで、原作者に相談したら、モブキャラを裏ルート設定で攻略対象にしたらどうかと言われてね。実際、ひとつのゲームで何人ものタイプのキャラと恋愛ゲームが楽しめるからお得だって声もあったし」
「あの……今更ですが、この世界における攻略対象の方たちとはどなた方なのですか?」
フィーラが尋ねると、オリヴィアの表情が一瞬固まった。
「……知りたい?」
「え? 知らない方が良いですか?」
「う~ん。どうかしら? あなたがそれを知ることで現状が確実に好転するのなら、教えるのだけど……」
「……わたくしがそれを知ってしまうことで、何か不利益が生じる可能性が?」
「……あるかも知れないし、ないかも知れない。あなたはこれまで、この世界のことを何も知らずにここまで来たわ。そのことを考えると、あなたはこのまま、出来るだけ最小限の情報しか知らないほうがいいのかも知れないとも思うのよね」
「ですが、わたくしはすでにこの世界のことを知ってしまいました」
「……そうね。でもあなたにこの世界のことを知らせるかは、ギリギリまで悩んだのよ。あなたが前世の記憶を持っていることはあなたが変わったことからもあなたの言動からも予想はついたけれど、どうもゲームのことは知らないみたいだったから。でも、この世界を護るために、この世界の成り立ちについてあなたに知ってもらう必要が出てきてしまった」
「……この世界を護るために?」
「そう。あとは、フィーラちゃん。あなたを護るために」
「わたくしのために……?」
「攻略対象については、正直どうするのが一番良いのか分からないわ。でもフィーラちゃんが知りたいなら、私は教える用意は出来ているわ」
「……いいえ。辞めておきます。わたくしにとっても、この世界はただのゲームの中の世界ではありません。わたくしの知っている方が攻略対象だとしたら、わたくしはその人を攻略対象というフィールター越しに見てしまうかもしれません。それはきっと、わたくしに良い影響をもたらさない気がします」
「……わかったわ。でも知りたくなったらいつでも教えるから」
「はい。ありがとうございます」
「さて、では話の続きに戻りましょう」
「はい」
「今のこの世界って、ステラちゃんにとっては裏ルートの世界なのよ」
「十四人の攻略対象がいる世界ですね」
「ええ、そう。だから、フィーラちゃんが精霊姫候補を外されたと知って、あわてて行動を起こしたのかもしれないわ。そこまでするってことは、ステラちゃんはもしかしたらあの噂を知っていたのかもしれないわね」
「あの噂?」
「ええ。『姫騎士』の裏ルートで十四人の攻略対象をすべて攻略すれば、攻略対象がさらに一人追加されるっていう噂」
「十四人もいてさらに増やそうと……。ですが、噂ということは、実際にはそんなことは出来なかったということですわね?」
「ええ。少なくとも、私たち会社側では、そんな設定は入れていなかったわ。でもいくら私たちが否定しても、その噂は一人歩きしちゃって、実際にその追加された攻略対象を攻略したなんて人も出てきてしまって……」
「それは……一体どういうことなのですか?」
「恐らくなんだけど……その追加されるという噂の攻略対象は、ただのモブキャラクターだったんだけど、人気があってね。『姫騎士』って安く上げるために企画から何から知り合いに頼んだって言ったでしょ? 実は声優も人間じゃなくてAIを使って声を作ったのよ」
「そんなことできるのですか⁉」
「ええ。AI関係に強い友人がいてね。声優さんに頼むとこれまたお金がかかるじゃない? でもAIなら人間の声のサンプルからキャラの設定なんかをプログラムして、そのキャラにあった適当な声を作り出してくれるし、収録の都合も省けるからいいこと尽くしなのよ。それでね、そのモブキャラの声が何か知らないけど人気が出ちゃったのよね。ま、それだけではないのでしょうけれど、そのモブキャラってビジュアルも攻略対象に負けないくらいだったし」
「なるほど……」
「だからね。その件に関しては攻略できる、という噂を流すことで、会社側にファンブックをつくらせようとしたのか、あるいはゲームの続編でも作らせようとしたのかも知れないって話に落ち着いたの」
「会社側をその世論に従わざるをえなくするということですか……」
「世論というほどでもないけどね。……私たちもそこに利益が見込めるのなら続編を作ったかも知れないけれど、そう何度も上手くいくかはわからないし……小さな会社だったから慎重だったのよね。ファンブックすら作れなかったんだもの。続編を作ろうにも初期の頃の制作メンバーは全員揃わなかったでしょうしね」
「もしステラ様がその噂を信じて裏ルートを望んだとして、実際にはこの世界は裏ルートではないのですよね?」
「ええそうよ。考えてみて? この世界には私たちのいた世界と違って精霊や魔という超自然的な存在がいるとはいえ、そんなに簡単に世界の裏と表を入れ替えたりできると思う? そもそも裏と表という二つの世界が存在するわけではないのよ」
「それは……」
きっとオリヴィアの言う通りだろう。いくらここが前世のゲームの世界だとしても、その設定まで同じになるとは限らない。もし本当にその選択が出来る世界だというのなら、主人公のステラ以外、何の希望もない世界になってしまう。
しかしオリヴィアは違うとはっきり言ってくれた。この世界をすべる精霊王の意思を代弁できる精霊姫であるオリヴィアが言うのだ。それは間違いないのだろう。
「この世界はもともとひとつの世界よ。でも、パラレル・ワールドという概念があるように、ある分岐点でどの道を選ぶかによって未来が変わることはあるわ。そういう意味では世界は二つどころか無数にあると言っても良いわね。この世界はたんに裏ルートに似た世界を歩んでいるだけなの。それをステラちゃんは裏ルートそのものの世界だと思っているだけ。問題はステラちゃんの望みを叶えるために動いている者たちがいるってことね」
「え……。もしかして今回のことって、ステラ様の望みを叶えるために行われていることなのですか?」
「そういうことだと思うわ。あるいはステラちゃん自身が望んだのかはわからないけど……そうでなければフィーラちゃんに関する記憶を消す意味がわからないもの」
「どうしてそんなことを……」
「フィーラちゃんがゲームどおりの性格ではなかったからかしらね。でも当たり前よね。フィーラちゃんは転生者だもの。ゲームのフィーラちゃんとは性格が違って当たり前だわ。それは私にもステラちゃんにも言えることだけれどね」
オリヴィアの言う通りフィーラは転生者だ。しかしもし前世の記憶を思い出さなければ、ゲームそのままの性格だった可能性もあるということだろうか。
「ステラちゃんに関しては、最初は静観しようと思っていたわ。何らかの強制力でも働かない限り、一人の人間が出来ることなんて限られるもの。でも学園入学時からこれまで、どうにもステラちゃん一人では成しえないことが起きているとわかってから、考え方を変えたのよ。ステラちゃんとその周囲の人間たちに注意するようになったの。もしステラちゃん以外にもこの世界をゲームの通りにしようとする人間がいるとすれば、やっぱりそれは放っておけないわ。だってこの世界がゲームの世界かどうかなんて、ここで生きている人たちには何も関係ないことじゃない? 実際にこの世界は存在するし、誰かの手を握れば暖かい。私にとっても、もうこの世界はゲームの中の世界ではないの。愛する人たちがいる、現実の世界なの。誰か一人のために大勢の人が人生を狂わされる世界なんて、そんなのは許容できないわ」
「……はい」
それが先ほどオリヴィアが言っていた、この世界を護るということなのだろう。
「ねえ、フィーラちゃん。あなた最初、精霊姫の候補を外されたでしょう?」
「はい。だから、わたくしは聖堂に引き籠って、おかげで前世の記憶を思い出せましたが……」
「ゲームの表ルートでは、フィーラちゃんは精霊姫候補を外され、普通科クラスに在籍していたはずだったの」
「普通科クラス……」
フィーラもそう思っていた。精霊姫候補を外されたのなら、普通科クラスに行くのが妥当なのだろうと。だが、ふたを開けてみれば、特別クラスに案内され、今もって補欠として精霊姫候補のままだ。
「けれど、裏ルートでは、フィーラちゃんは精霊姫候補を外されず、同じ候補生としてヒロインであるステラちゃんの邪魔をするのよ」
「邪魔……」
――そうよね。悪役令嬢ですもの、悪役にふさわしい働きをしなくては……。でも、やっぱりちょっとショックね……。
「だからステラちゃんはフィーラちゃんを精霊姫候補に戻したのよ」
「ステラ様がわたくしを候補に戻したのですか?」
そんなことをいくら主人公とはいえ、一介の学生であったはずのステラにできるものなのだろうか。
「もちろん、ステラちゃんの力じゃないわ。フィーラちゃんが候補を外されたのは、一人の横暴な精霊士が勝手にしたことなの。もともとフィーラちゃんは候補に戻る予定だったのよ。たまたまステラちゃんの思惑と一致しただけ」
「そうなのですか?」
――というより、勝手に外されてたのね、わたくし。精霊教会の総意かと思っていたわ。
「でも一度外されてしまったから、仕方なく補欠という体で戻ってもらったのよ。本当に勝手なことをしてくれちゃって……。もちろん。その精霊士を精霊教会は首にしたわよ?」
「え⁉ そこまでしなくても……」
きっとフィーラを候補から外したと言うその精霊士も、フィーラの態度が腹に据えかねたのではないだろうか。だとしたら本当に申し訳ない。
「とんでもない。その精霊士のしたことは本来なら許されることではないのよ。……あのね、驚くかもしれないけれど、実は私の次の精霊姫ってもう決まっているの」
「次代の精霊姫が……! あの、どなたなのですか?」
突然話題を変えたオリヴィアを訝しみつつも、次代の精霊姫がすでに決まっているという言葉にフィーラの関心は惹きつけられる。
――わたくしが聞いてもいいのかしら? でも知りたいわ! リーディア様かしら? それともやっぱり他の方? ステラ様……とういうことはないわよね、今となっては。
フィーラがあれこれ考えていると、真剣な表情をしたオリヴィアが告げた。
「……あなたよ。フィーラちゃん。あなたが次の精霊姫なの」




