第148話 精霊祭9
「さて、フィーラちゃん。まずはこの世界が今どういう状況にあるか整理しましょうか」
「え? あ、はい」
不敵な笑みと積もる話という言葉から何となく身構えていたフィーラは、オリヴィアのまっとうな言葉に拍子抜けをした。
「サーシャから聞いたけれど、クリードや門番の様子がおかしかったのでしょう?」
「……はい。ですが、クリード様に関しても門番の方たちに関しても、残念ながらそこまでおかしな言動ではありませんわ。あの方たちの言うことも一理ありますもの」
「でも、門番たちはまだしも、クリードとは一度会っているでしょう?」
「ええ、ですがクリード様にお会いした時、わたくしは正に以前のわたくしに戻ったかのような態度をとっておりました。我儘を言い、声を荒げるわたくしの姿を見たクリード様があのように申したことは間違いではありませんわ」
「もう! フィーラちゃんたら物分かりが良すぎよ。それでもあなたはサルディナちゃんを助けたいからそうしたのでしょう? それがわからないクリードじゃないわ。クリードも記憶への干渉を受けているのよ」
「記憶への干渉?」
「そう。相手側は精霊を使って多くの人間の記憶に干渉しているの」
「精霊を使って? 一体なぜそんなことを……」
「フィーラちゃんの評判を落としたいのよ。落とすと言うか、一度上がってしまったフィーラちゃんの評価をなかったことにしたのね。そうすることで以前の評価に戻したの。なぜならこの世界でのあなたへの評価は、それが正解だから」
「わたくしへの……評価?」
それは先ほどのクリードの態度が、正しいフィーラへの評価の末のものだということなのだろうか。
オリヴィアの言葉を反芻し、フィーラは血の気が引いていくのを感じていた。誰だか知らないが、精霊をこんなことに使ってまでフィーラを貶めようとするなど、まるでフィーラがどれだけ変わろうと世界がそれを許さないと言っているようなものではないか。
「勘違いしないでね、フィーラちゃん! あくまで相手がこの世界において求めるあなたへの評価であって、本来のあなたに対する評価とはまったく関係がないのよ」
蒼褪めるフィーラにオリヴィアが慌てたように補足の言葉をかけてくれる。その言葉を聞いて、フィーラはほっと胸をなでおろした。
「今のこの世界は、多くの人間の記憶に干渉することによって、これまで辿ってきた道筋から強制的に外されているわ。いうなれば、この世界はあり得たはずのもう一つの世界、フィーラちゃんが悪者の世界に変わっているの。……パラレル・ワールド? と言ったところかしら」
「えっと……パラレル・ワールド……ですか?」
――でも記憶への干渉って……本当にそんなこと出来るのかしら? というよりわたくしが悪者の世界って何? それに今のこの世界が本来の道筋を外れたパラレル・ワールドと言われても……いえ、待って。パラレル・ワールド?
「……オリヴィア様。何故、パラレル・ワールドという言葉をご存じなのですか?」
「ふふ。気がついた? ……ティルフォニア学園のカレーライスってちょっと物足りなくない? 私辛党だったのよね。まあ、材料が揃わない中であれだけの味を出せるのだから本来は泣いて感謝しなくちゃならないのだけど」
学園のカレーライスは確かにフィーラもちょっと物足りないと思っていた。だが、この世界ではあれでもかなり辛い方だ。
「もしかして……。もしかして……オリヴィア様にも前世の記憶があるのですか?」
縋るような気持ちで、フィーラはオリヴィアに応えを求める。
「ええ。私たちお仲間よ。フィーラちゃん」
オリヴィアがくすくすと、いたずらが成功した子供のように無邪気に笑う。
「……」
オリヴィアの衝撃の告白に、フィーラは大きく口を開けて固まった。よもや精霊姫の口からそのような言葉を聞くことになろうとは思ってもみなかったのだ。
確かに、もしかしたらとは思っていた。メルディア家から出た精霊姫が二人とも、フィーラと同じようにある日突然性格が変わったと聞いたときから。
その変化はもしかしたら、前世を思い出したためにもたらされた可能性があるのではないかと。そう思っていたのだ。
――ああ。なんてこと……なんてことなの。
フィーラは知らず涙ぐんでいた。
自分以外にも前世の記憶を持つ人間がいる。それはステラと出会ったときから疑いはじめ、食堂のカレーライスを食べたときに確信に変わった。
だが、懐かしいとも、同胞に会いたいとも、その時には思わなかった。ステラに前世の記憶があるかもしれないと、なかば確信していたのに、それでも無理に答え合わせをしようとは思わなかった。……なのに今、オリヴィアを前にしてフィーラの胸からとめどなく溢れてくる感情は、郷愁だ。
目の前にいるオリヴィアの姿が涙でにじんだ。
フィーラはもっとよくオリヴィアの姿を見ようと、瞬きをして涙を掃う。
濃い栗色のチョコレート色をした髪に煌めく翡翠の瞳を持つオリヴィアの今の姿に、前世を思い起こさせる要素はない。
だが、それでもオリヴィアのその控えめな微笑みに懐かしさを感じ取ったフィーラの瞳からは、とめどなく涙があふれだした。
「あらあら。でも、気持ちは分かるわ~」
オリヴィアは溢れ続けるフィーラの涙を、ドレスのポケットから二枚目のハンカチを取り出し、そっと拭ってくれた。
「ふふ。やっぱりポケットは便利よね。でも普通ドレスにポケットはつかないじゃない? 特注したのよ、これ」
「オリヴィア様……」
フィーラはオリヴィアの名を呼んだきり、続きの言葉を出せないでいる。このあふれる喜びを、どのような言葉に託せばよいのかわからないのだ。
遠い外国で同じ国の人間に会った時、それが全く知らない人間だったとしても、ただ生まれた国が同じというだけで、妙に意気投合することがある。
ただ出会えたことが嬉しくて、すれ違いざま、お互いに挨拶を交わし微笑みあうこともある。まったく違う世界に転生して、同じ世界から来た人間に出会えた喜びは、それと通じるものがあるのではないだろうか。
話したいことはきっとたくさんあるのに、何を話せばいいのかがわからない。そんなフィーラの代わりに、オリヴィアが口を開いた。
「会いたかったわ……フィーラちゃん」
「……はい。わたくしもです」
きっとフィーラは自分が思っているよりも寂しかったのだ。その気持ちを押さえつけ、あるいはどうしようもないことなのだからと、見ないふりをしていた。自分を護るために、壁をつくっていた。
だが一度自覚をしてしまえば、あっさりとその心の壁は崩れさっていく。
はしたないとはわかっていたが我慢できずに、フィーラは両手を広げ目の前のオリヴィアに抱き着いた。
それからしばらくぐずぐずと泣き崩れていたフィーラだったが、涙が枯れる頃我に返ると、急に今までの行いが恥ずかしくなってきた。
まるで幼い子どものようにオリヴィアに抱き着き泣いてしまったのだ。ちょっと顔をあげるのが恥ずかしい。
しかしオリヴィアはフィーラが泣き止んだことに気づき、優しく声をかけて来た。
「さあ。感動の再会はここまでにして……。さっきの話の続きをしましょうか」
フィーラは急いで涙を拭き、オリヴィアと向かい合う。きっと顔は泣きすぎて腫れているだろう。しかしオリヴィアは気にするそぶりさえ見せずに話はじめた。
「ちょっと話題を変えるけれど……フィーラちゃん。私たちが生まれ変わったこの世界。あなたはここがなんの世界か知っている?」
「なんの……ですか? わたくしはただ、前世とはまったく違う自然原理の世界に転生したと思っていたのですが」
「やっぱり知らないのねぇ。どういうことなのかしら? まだ思い出していないだけ? でもそれもおかしいわよね。何の縁もないのに転生ってありなのかしら?」
「あの……わたくしが知らないこととは?」
フィーラはただ単に、自分が前世とは異なる世界に転生したと思っていたのだが、どうもオリヴィアの口ぶりからすると違うようだ。
「そうねぇ。知らないとなると、ちょっと信じてもらえるか不安になるのだけど……あのね、この世界は実は、私たちが以前いた世界に存在したゲームの中の世界なの。あるいは天文学的な確率でその世界に限りなく似てしまった世界かしら」
「…………はい?」
たっぷりと時間をおき首を傾げるフィーラに、困ったようにオリヴィアが笑った。
「そうなるわよね……ねえ、フィーラちゃん。乙女ゲームって知ってる?」
「……乙女ゲーム。聞いたことは……あります」
「やったことは?」
「残念ながら……」
「じゃあ、『精霊姫と七人の騎士』という名前は?」
フィーラは前世、トランプやオセロなどのカードゲームや盤上ゲーム以外のゲームをした記憶がない。だが、オリヴィアの口から出た言葉には聞き覚えがあった。
「あっ……それ、ステラ様が入学式のときに言っていました」
「やっぱり、あの子なのね。最初は別の子かもと思っていたんだけど……」
「別の子とは……?」
「ああ……サルディナちゃんよ」
「サルディナ様?」
「そう。サルディナちゃんは本来なら精霊姫候補だったのよ。でも彼女は今精霊姫候補ではないわ。前世の記憶があったから候補になることを回避したのかと思っていたのよね」
「え? 回避ですか?」
その言い方では精霊姫候補となった暁には、何かサルディナに悪いことが起ると言っているようなものではないか。
「そうね。ゲームでのサルディナちゃんは精霊姫候補になるんだけど、とある事情でかなり年上に後妻として嫁ぐことになるのよ。それを回避したかったのかしらと思って」
――かなり年上の後妻……。それは……やっぱり嫌よね? わたくしは相手によってはやぶさかではないけれど……。
以前のフィーラだったらその未来もあり得たかもしれないとも思っていたのだ。以前のままのフィーラでは、さぞ嫁の貰い手に困っただろうから。
「え……と、ではステラ様もわたくしたちと同じ前世の記憶を持っているということですか?」
「ええ、おそらく」
「そうなのですね!」
そうだろうとは思っていたが、精霊姫であるオリヴィアの口からはっきり言われるとやはり違う。
もうひとり、同じ世界の記憶を持つ人間がいる。たとえ、それが避けられている相手であろうとも、やはり嬉しいものは嬉しい。フィーラは自然と笑みをこぼした。
オリヴィアの言っていることは、正直フィーラには理解しがたい。しかし、異なる世界への転生という信じられない現実がフィーラたちの身には実際に起きているのだ。
ここでオリヴィアの話を疑っても建設的ではないし、オリヴィアがここにきてそんな嘘をつく理由も見当たらない。
――ここは信じるしかないわよね。
「ええ……でも。あのね、フィーラちゃん。聞いたことはあると言っていたけれど、乙女ゲームがどういうものかは知らないのよね?」
「えっと……そうですね。恋愛を楽しむゲームということはわかります」
「そうね。大体の乙女ゲームは女性の主人公と、攻略対象と呼ばれるヒーローたちが出てくるものなの。そして中にはヒロインのライバル役の女の子もね」
「はい」
「そしてね。ステラちゃんは、この世界『精霊姫と七人の騎士』の主人公、いわばヒロインなのよ」
「ステラ様がヒロイン……」




