第147話 精霊祭8
次話から第152話くらいまではほぼ会話形式の説明回です。
いつのまにかフィーラたちのすぐそばに、一人の女性が立っていた。
艶のあるチョコレート色の髪を簡単に結い上げ、白を基調としたドレスを纏った優しそうな女性。
フィーラはこの女性のことを知っている。遠目でしか見たことはなかったが、目の前にたつこの女性は、この世界で唯一、そして絶対の存在だ。
「伯母様……」
「オリヴィア」
「え? 伯母様?」
「あっ……」
サーシャがしまったという顔で、気まずそうにフィーラを見つめる。フィーラはと言えば、驚いたおかげで、涙がピタリと止まってしまった。
ハンカチで涙の痕を拭おうとしたけれど、今日着ているのはドレスなので、ハンカチは出てこなかった。
「あらあら。はい。こちらを使って」
そう言ってオリヴィアがドレスのポケットからハンカチを取り出し、フィーラに渡してくれた。
「あ……ありがとうございます」
――精霊姫のドレスには、ポケットが付いているのね……。
「オリヴィア。なぜ一人だ。団長は?」
「正門を出るところまではいたわ。でもあなたの姿が見えたから。護衛交代ということでよろしくね」
「……俺は筆頭騎士じゃないぞ」
「あなたの実力ならなんの心配もないでしょ。それよりも、サーシャったら、私の姪だって言っていなかったの?」
「……友人になったのはほんのちょっと前なのよ」
――精霊姫が伯母様って……すごいわね。ああ……だから色々と情報を持っていたのね、サーシャ。……あら? 精霊姫が伯母様って……もしかしてサーシャとウォルク様って……。
精霊姫の甥だといっていたウォルク。精霊姫であるオリヴィアがサーシャの伯母だとすると、二人は従姉弟ということになる。
「フィーラ、あの。……ごめんなさい、言わなくて」
サーシャが申し訳なさげにフィーラに謝る。しかし……。
「謝ることではありませんわ。わたくしも王太子殿下の従妹だなんて、吹聴してまわりませんもの」
「それとはちょっと違う気がするが……」
ディランがフィーラを見ながら呆れたようにつぶやく。
「うふふ。サーシャの伯母のオリヴィアよ。よろしくね、フィーラちゃん」
「フィーラちゃん……」
「嫌かしら?」
「いえ……。少し懐かしくなりまして……。こちらこそよろしくお願いいたします」
この世界の貴族の人間は、“ちゃん” という敬称をあまり使わない。“君” は男女問わず用いられるが、“ちゃん” は平民が幼い子どもに対して使うくらいだろう。
「ふふ。そう」
――本当に、懐かしい。わたくしも今度誰かをちゃん付けで呼んでみようかしら? それにしても……。
オリヴィア・コンスタンス。現精霊姫。フィーラが精霊姫候補に選ばれ精霊教会に出向いた際、一度だけ、会ったことがある。
その時には遠目に見るだけだったから、はっきりと顔まではわからなかったが、オリヴィアは確か、五十を過ぎていたはずだというのに、とてもそうは見えない。
若作りと言うわけではない。皺はあるし、皮膚の張りは、やはり若いものには適わないだろう。だが、白く透明な肌は清潔感があり、髪にも艶がある。
緑色の瞳は夢見る少女のように純粋に輝いているのに、その表情からは賢者のような聡明さがうかがえる。美しく年を重ねてきたことが、一目でわかった。
何よりも、オリヴィアの放つ気配は、すべてをさらけだし、縋りつきたくなるような衝動を湧き上がらせる。
――……やっぱり、わたくしには精霊姫は無理だわ。
とてもではないが、自分が今のオリヴィアの境地に至れる気が全くしない。
歴代の精霊姫がすべてオリヴィアのような人物とは限らないだろう。だが、少なくとも、今の精霊姫を見て、自分こそ後を継ぐのに相応しいと思える人間は、そうそういるものではないのではないか。
だがフィーラは少しほっとしてもいた。さきほどははじめての想いに捕らわれ、なかなかに不遜なことを考えてしまった気もするが、心配せずともフィーラが精霊姫になることはないだろう。
――恋……なのかもしれないけれど……何が何でも成就したいという気持ちではないわ。ただ、できればこれからも時々話が出来たら……。
「さあ。いつまでもこうして他愛もないことを話していたいけれど、今はそういうわけにも行かないのよね。とりあえず、祈りの時間まではまだ間があるわ。作戦会議といきましょう」
「作戦会議? 何のだ」
「まあ、ディラン。まだいたのね」
オリヴィアがディランを見て目を見開き、驚いたフリをする。
「おい! 護衛をしろと言っただろ」
「冗談よ。見たところ、あなたも無事なようね」
「何の話だ、さっきから……。あんたといいサーシャといい」
「こいつも無事なの⁉ え、なんで?」
「あの……話が全くわからないのですが……」
フィーラは控えめに手をあげ発言をする。まるで家族会議のような場面に割って入るのは、少々勇気がいった。
――さっきサーシャがクリード様のことを親戚の兄のようなものと言っていたのは、こういうことだったのね。
現精霊姫が伯母ということは、聖騎士に面識があっても不思議ではない。しかもオリヴィアとサーシャの関係は、実に良好のようだ。クリードもディランも当たり前のようにサーシャのことを知っていた。それにお互いの気安い態度からみても、きっと普段から付き合いがあるのだろう。
「ごめんなさいフィーラちゃん。実はね………ああ、どうしましょう。ちょっとフィーラちゃんと二人だけで話がしたいわ」
オリヴィアはなぜかフィーラを見つめながらそわそわとしている。
「えっ、わたくしと?」
現精霊姫と二人だけで話すなど恐れ多すぎる。
――いえ、今の状況がすでに恐れ多いわよね。
「私たちがいては駄目なの?」
「これは、私とフィーラちゃん以外に知られては駄目なことなの」
オリヴィアが、口の前に人差し指を持っていきサーシャとディランを見つめる。
――わたくしとオリヴィア様以外……? それでは二人とも納得できないのでは?
そもそも、フィーラが精霊姫であるオリヴィアにちゃんと会うのは、今日がはじめてだ。オリヴィアからフィーラにしか話せないことなどあるとは思えないのだが……。
「わかったわ」
「ああ。だが、あまり離れられても困るぞ」
フィーラの予想に反し、二人はすんなりと了承してしまった。
――ええ、良いの? わたくし、正門を護る聖騎士と精霊士から、精霊姫に害をなす可能性を疑われたのよ?
もちろんそんなつもりは微塵もない。だがそんな簡単に承諾してよいのか、フィーラのほうが心配してしまう。
「じゃあ、一旦中に入りましょうか」
「あ、あの、でも……わたくしは中に入れません」
「何言ってるのよ。精霊姫が一緒なのよ? 大丈夫に決まっているでしょ」
「そういえば正門の警備で止められたと言っていたわね。じゃあ、ディラン。運んでくれる?」
「ええ! 正面突破しないの⁉」
なぜか残念そうにサーシャが叫ぶ。
「だって、あの子たち普段から融通が聞かないのだもの。それに精霊祭の祈りは必ず行わなければならないから、時間の短縮も兼ねているのよ。ディラン、お願い。祈りの間へ飛んで。私が一緒なら、大丈夫だから」
「わかった」
ディランがそういうや、小さな風の渦がフィーラたちの周りに発生した。風は勢いを増し、フィーラたちを包み込む。だが、風力による影響はフィーラたちには及んでいない。
精霊による移動はこれで三度目だが、カーティスの炎で移動した際も、熱さを感じることはなかった。本当に不思議で仕方がない。
――どういう仕組みになっているのかしら? いつか解明されれば、面白いのに。
気が付くと、フィーラたちは石積みの部屋に移動していた。
「申し訳ないけれど、あなたたち二人は扉の外に出ていてちょうだい」
オリヴィアの言葉に、二人は無言で頷き、扉を開けて出て行ってしまった。
――あの扉、把手がないわ。どうやって出たのかしら?
フィーラからは二人が扉を開ける様子は見られなかった。もし、フィーラ一人でこの部屋に残されたとしたら、きっと閉じ込められてしまうことになるだろう。
「さて、フィーラちゃん。ようやく二人きりね。……積もる話をしましょうか?」
「え?」
オリヴィアが悪戯を思いついた子どものように、しかし、大人の魅力を存分に発揮した妖しい微笑みを浮かべた。




