第143話 精霊祭4
「ところで、どうしてあの屋上に?」
しばらくして落ち着いたあと、フィーラとサーシャはベンチへと場所を移動した。
「……怪しい男が塔へと入っていく姿が見えたから、追いかけてみたのよ。そしたらまかれた上に風で塔から落とされそうになったわ」
「塔から⁉ それは殺人未遂じゃないですか!」
「殺人……未遂? まあ、結局死んではいないけれどね」
「でも……!」
「まあ、それはいいわ。いえ、良くはないのだけど。……あいつのことよりも、今は別のことが重要なのよ」
サーシャはまた一人の世界に入ってしまい、ぶつぶつとつぶやいている。
「サーシャ様?」
「……うん。とりあえず、そのサーシャ様っていうのやめてくれる?」
「え?」
「もうばれていると思うけど、私ってこういう性格なのよね。様とか嬢とか付けられるとむずむずするのよ。皮膚が痒いのよ」
「……それは……大変ですわね」
貴族の世界では敬称で呼び合うのは標準だ。さぞかし日頃苦労しているに違いない。
「では……サーシャさん?」
「さん、もいらない。サーシャで良いわ」
「サーシャ……。ではわたくしのこともフィーラと」
「いいの? ありがとう。そっちの方が呼びなれているし楽だわ」
「え?」
「ごめん。何でもない」
「え、ええ」
「とりあえず、大聖堂の近くまで戻りましょう。立てる? フィーラ」
「ええ。ありがとう」
フィーラは差し出されたサーシャの手を借り、立ち上がる。サーシャの視線の方が、幾分フィーラよりも低かった。
「うっわ……。本気で美少女だわ」
「……ありがとうございます」
素直、というよりはかなりあけすけな誉め言葉に、フィーラの口からもすんなりとお礼の言葉が出てくる。
――サーシャ……エルと気が合いそうね。
思ったことをそのまま口に出す人間はフィーラの周囲には意外と多かった。これぞ類友だろうか。
――以前のわたくしでも二人とは気があったかも知れないわ。
「ま、いいわ。行きましょう」
「ええ」
フィーラはサーシャに先導される形で、庭園の中を進んでいく。しばらく無言で歩いていた二人だったが、サーシャがフィーラに話しかけてきた。
「フェリシア様」
サーシャが口にした名は、この庭園を造らせた精霊姫の名だ。
「この庭園って、確かあなたの家から出たフェリシア様が造らせたのよね?」
「ええ、そうですわ。造らせた、というよりは改装したようですけれど。……ここはメルディア家の庭園に少し、似ています」
四代前の当主の長女。フェリシア・デル・メルディア。彼女がこの庭園を改装させたと、そう聞いている。
「大層花の好きな方だったと……なかでもカナンの花は彼女の一番好きな花で、だからメルディア家の庭園には、早咲きのカナンが植えてあるのだと、父が教えてくれました」
「ふうん。綺麗よね、ここ」
「はい」
――似ているけど、規模がまるで違うわ。まるで前世で見た植物園のようなのよね。
「フェリシアとフィーラって名前、なんか似ているわよね」
「そうですわね。そういえば、お母様の名前とも似ているわ。わたくしのお母様の名はネフィリアと言うのです」
「へえ。確かに響きが似ているわ」
「……王家に多い名前なのだそうです。……王女殿下の名前も、ネフィリア様とおっしゃるのですよ」
「王太子殿下の妹ね」
「はい」
そこで一旦会話がとぎれるが、フィーラはふとサーシャがミミアと仲が良かったことを思い出した。
――ミミアのことサーシャに……言っても良いかしら? ……ミミアには了解はとっていないけれど……。
しばし逡巡したフィーラだったが、メルディア家の使用人すべてに学園を辞めることになった事情を話すと決め、実行したミミアなら、きっとサーシャに話しても怒らないだろうと思い心を決めた。
「あの……サーシャ」
「ん? 何?」
「ミミア・カダット様のことなのですが……」
「ミミア様? ああ……何?」
「実は……今、うちで使用人として働いています」
「え? ……雇ったの⁉」
サーシャの驚きを露にした顔に、フィーラが怯む。
「はい……同じ学園で学んだ同級生の方を使用人に……など、わたくしも多少思うところもありますが……」
だがミミアでなくとも、身分に開きがある場合は同級生同士で主人と使用人になることなど、さして珍しいことでもない。
それをいってしまえば、サミュエルなど同級生だけでなく、先輩や教師すら将来臣下として扱わねばならなくなるのだ。
「いえ、そうじゃなくて! あなた自分に薬を盛った相手を雇ったの⁉」
「え……サーシャ、なぜそれを……?」
「え? あっ……。あ、あの……ちょっと伝手があって……」
「伝手……ですか?」
あのときのことは学園側と関係者意外には知らせていないはずだ、だが……。
――もしかして……。カダット男爵家やソーン伯爵家と親しいか、親戚にでもなるのかしら?
そうだとしたら、サーシャが知っていることはあり得ることだ。そうでなくても、人の口に戸は立てられない。ミミアのしたことを知っている者は、フィーラが思っているよりも結構いるのかもしれない。
「そうですか……ですが、間違いは誰にでもあります。ミミア様はとても反省しているのです。公爵家でも大変良く働くと評判なのですよ?」
ミミアは一生懸命頑張っている。最初は忌避する使用人たちもいたが、心の内はどうあれ、今では使用人のほとんどがミミアに対し普通に接しているのだ。
「……そうね。やり直しが出来るのなら、良かったわ。ほとんど食堂でしか話さなかったけれど、確かに良い子だったわ。ちょっとおどおどしてたけど」
「……はい」
「……あの子、食堂であなたにお菓子を渡すほど憧れていると言っていたわりに、あなたがお礼をしたいから名前を聞きたいと言ったときに逃げようとするから、何かおかしいと思ったのよね。……私がもっと早くあの子のしようとしていることに気づけていれば、あの子も間違いを犯さずに済んだのかもしれないわ」
「サーシャ……」
何ということだろう。サーシャもフィーラと同じような後悔をしていたのだ。止められたかもしれない、ミミアの行動。フィーラもまったく同じことを思っていた。もっと早くに自分が気が付いていたらと。
「……わたくしも、同じことを思いましたわ」
「……そう。でも、起こってしまったことはもう仕方ないわ」
「はい……」
「と、……あら? 人が戻っているわ」
サーシャの言葉に、フィーラもあわてて周囲を見渡した。
「本当……」
気付いたら周囲に人が戻っていた。場所を移動したから目についたのだろうか。やはり皆大聖堂の方角へ向かい歩いている。
「……私の精霊も今は移動ができるわ。……結界が消えたのかしら?」
サーシャが眉を寄せ押し黙る。考え事をしているのだろう。
「ねえ、サーシャ様……」
「サーシャだってば」
「……そうでした。えっと、サーシャ。先ほども結界のせいで精霊の移動が出来ないと言っていましたけれど、王宮や学園ならまだしも、ここは大聖堂です。さすがに精霊姫がいる場所に、魔が結界を張ることなどできるのかしら?」
「……そうなのよね。私も結界とは言ったけど……普通はあり得ないわよね。……大聖堂へ向かいましょう。おば……精霊姫も心配だし、ちゃんと確認したいわ」
「ええ、そうですわね」
フィーラはサーシャと顔を見合わせ、頷いた。
庭園を進んだ先に大聖堂が見えて来た。
精霊姫がおわす大聖堂は、城ほどの大きさを誇っている。大聖堂の正面中央に祈りを捧げる場所があり、人々が大聖堂へと訪れ祈りを捧げる際は、ここを使用する。一般の者に開かれているのは主にこの祈りの場のことを言っているのだ。そして、この場所は今日、精霊姫候補が集まり、祈りを捧げる場所でもあった。
それ以外の大聖堂内部にも申請すれば入ることはできるが、入るときには正門で審査を受けなければならない。
正門へと行く途中、サーシャが一人の男性を見つけて話しかけた。
「クリード!」
顔に覚えがある。デュ・リエールのときに会った男性だ。
「サーシャ様?」
サーシャの声に振り返ったクリードは、サーシャの姿を認め微笑む、しかし、隣にいるフィーラを目にしたとたん、顔を顰めた。
「サーシャ様……なぜそのような者とご一緒に?」
「は? 何を言っているのよ」
「あの……クリード様だったかしら、その節は……」
「あなたのことですよ、メルディア嬢。サーシャ様、あなたのことです、きっと興味本位から近づいたのでしょうが、感心しませんね」
フィーラの言葉を遮り、クリードが冷たい視線を向ける。
「ちょっと……どうしたの? クリード。あなたもフィーラのことは知っているでしょう?」
王宮に魔が出た際、確かに駆けつけた聖騎士の中にはクリードもいたはずだ。そのときにフィーラとは会っているはず。
「名前で呼んでいるのですか?……ええまあ、知っていますよ? あの悪名高いメルディア家のご令嬢のことは。なぜ彼女が精霊姫候補になど選ばれたのか、まったく理解できません」
「はあ⁉ いつのことを言っているのよ! どうしたのクリード。頭でも打ったの?」
「……サーシャ様。さすがに冗談が過ぎますよ?」
「冗談が過ぎるのはそっちでしょ⁉」
クリードはサーシャの剣幕に軽く目を瞠ったが、すぐに表情を戻した。
「申し訳ありません、サーシャ様。私はこれでも忙しいんです。いくら精霊祭といえど、オイタはほどほどになさっておいてくださいね」
そういって、クリードは人混みの中へと去っていってしまった。残されたフィーラたちは顔を見合わせ呆然とするばかりだ。
「……どういうこと?」
「……さあ」
「あなた、デュ・リエールでクリードを怒らせるようなこと、何かしたの?」
「……覚えがありません」
怒らせるというよりは、どちらかと言えば迷惑はかけている。だが、さきほどのクリードの瞳には見覚えがあった。
あの瞳は久々に見た。記憶が戻る以前のフィーラには、あのような視線がいつも投げかけられていたのではなかっただろうか。侮蔑、哀れみ、嘲りの感情が垣間見える、その視線。今までずっと忘れていたが……。
「……久々に見ると、なかなかきついですわね」
「……フィーラ」
前世を思い出してからずっと忘れていたから油断していた。
「フィーラ、気にすることはないわ。今のあなたは、以前のあなたとは違うもの」
「ええ。大丈夫ですわ。そう簡単に、以前の評価が覆るとは思っていません。……少々、そのことを忘れてしまっていただけです」
「……まったく、何なのよクリードは! 確かに以前はそんな噂はあったけど、聖騎士ともあろうものが噂の真相も確かめずにあんなこと言うなんて! ちゃんと調べれば今のあなたが噂とは違うことくらい、ちゃんとわかるのに」
「そう、ですわね。クリード様とは出会いが出会いでしたから、一対一での会話は確かにしておりませんが……」
しかも、やはりその時のフィーラは、大層な我儘を叫んでは聖騎士を困らせたあげく、しまいには気絶してしまっている。クリードから見たら、以前の噂とは何も変わっていないと思っても不思議ではない。
「ちょっと……出会いが悪かったかも知れません……」
「……身に覚えがあるの?」
「いえ、決して! 何か悪さをしたとか言うことではないのですが……、我儘と言えば我儘なことをしてしまったかも知れません。世間知らずというか……甘ちゃんというか」
「甘ちゃん……」
「……」
言っているうちにどんどんクリードの先ほどの態度は、デュ・リエールに起因しているような気がして来た。
顔色の悪くなったフィーラを見て、サーシャがぽん、とフィーラの肩を叩いた。
「大丈夫よ。誤解なら、すぐ解けるわ」
「だと良いのですが……」
「大丈夫。クリードはああ見えてけっこう懐が深いのよ。誤解だとわかったら、すぐに打ち解けてくれるわ」
「サーシャ様……クリード様とはどういったお知り合いで?」
フィーラとしては何気なく聞いただけだったのだが、サーシャは目に見えて焦り始めた。
「え? いえ、あの。ちょっと……親戚のお兄さんのような……感じ?」
「縁戚の方でしたか」
「そ、そうね。似たようなものね。それよりも、大聖堂へと急ぎましょう」
「はい……そうですね」
――サーシャの精霊が動けなかったことも、ちゃんとした理由が分かれば、それで安心できるわ。
落ち込んでしまった気分を無理やり浮上させ、フィーラはサーシャとともに歩き出した。




