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前世を思い出したわがまま姫に精霊姫は荷が重い  作者: 星河雷雨


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第142話 精霊祭3



 屋上へと至る長い螺旋階段を、ドレスの裾を踏まないように注意しながらフィーラは駆け上がる。


 フォルディオスから帰ってからなるべく身体を動かすようにしていたため、フィーラは何とかばてずに最上階まで辿り着くことができた。息が上がっているのはもうしょうがないことだ。


 ぜえぜえと荒い息を吐きながらフィーラははやる気持ちを抑え、慎重に扉に手をかけた。

 

 ゆっくりと扉を押し、誰もいないことを確認してから、勢いよく開き、いっきに屋上の端まで駆けつける。

 自身の胸付近まである塀からつま先立ちで身を乗り出し、先ほど見た女性のいるであろう場所を確認する。

 

 するとフィーラが身を乗り出したすぐ隣に、淡い橙色のドレスを着た女性を見つけた。


――いたわ! え……もしかしてサーシャ様?


 壁の出っ張りに手をかけぶら下がっていたのは、カスタード色の髪の女性――サーシャだった。


「サーシャ様!」


 フィーラの声に反応したサーシャが上を向いた。フィーラの姿を認め、一瞬驚いた顔をしたあと、すぐに顔を緩ませた。


「メルディア様! 助けてください! 誰か連れてきてくれたのですよね?」


 サーシャの期待をこめた喜びの声に、フィーラは視線を逸らしながら答える


「……申し訳ありません。……わたくし一人です。近くに誰もいなくて……」


 そう答えたフィーラの目に、愕然とした表情のサーシャが映った。とてもいたたまれない。

 

 何かサーシャがつかまれるものはないか。そう思いフィーラは一旦身を引こうとしたが、


「サーシャ様!」


 サーシャの片手が縁から外れてしまった。いつからぶら下がっていたのかは分からないが、もう限界なのだろう。

 そしてもう一本の手が離れる瞬間、フィーラは急いでその手首をつかんだ。


「ちょっと! あなたまで落ちるわよ! 手を離しなさい!」


 サーシャの言葉遣いは図書館で会ったときよりもかなり砕けている。すでに言葉を取り繕っている余裕はないのだろう。


「離したらサーシャ様が落ちます!」


「離さなかったら二人とも落ちるって言ってるのよ! 馬鹿なの⁉」

 

 二人で大声をあげあうたびに腕に振動が伝わってきて、その分、力が緩みそうになる。


 だが、手を握りなおすことも出来ない。一瞬でも手を離したら、サーシャは塔の上から真っ逆さまだ。


「……離す、のは、無理です!」


「何でよ⁉」


「何でも、です!」


「いい加減にしなさいよ! 感情で行動しないで! このままだと二人とも助からないの! でもあなたが手を離せば、落ちるのは一人だけ……私だけで済むのよ!」


「うるさいですわよ……! 腕に振動がくるんです……少し黙って」


「……っ離せばいいでしょ! ……ねえ、ちゃんと考えて。私のせいであなたまで落ちたら、私は精霊姫候補でもある公爵家のご令嬢を道づれにした女と言われるのよ? たとえ私が死んだとしても、私の家族がその誹りを受けることになるの。そんなの、私は耐えられないわ」


 らちが明かないと思ったのか、サーシャが急に口調を変えて、まるでフィーラを諭すかのように情に訴えて来た。こんなときでも冷静に頭が回るらしい。


「……そうかしら? むしろわたくしの美談が広まるのではなくて?」


「はっ? 本気で言ってるの?」


 サーシャが鼻に皺をよせる。フィーラもあまり人のことは言えないが、生粋のご令嬢がこんな顔をしても良いのだろうか。あんた、馬鹿なの、とでも言い出しかねない表情だ。


――いえ……もうさっき言われたわね……。


「……冗談です。ですが、この手は離しません。……それだけは譲れませんわ」


「……ねえ。本当に落ちるのよ? 私の精霊の力じゃあ、この高さから落ちたら助からない。……手を離すのは罪悪感があるでしょうけど、私は恨んだりしないわよ?」


「ふふ……そんなことは……知っていますわ」


 サーシャが普段猫を被っているだろうことは、フィーラも何となくだが気が付いていた。普段の言動がどことなく芝居がかっているかのように大仰なのだ。図書館でわずかに見せたあの素直なサーシャと、今のサーシャが、きっと本来のサーシャなのだろう。


 勉強熱心で、物怖じせず、意志が強く、ハキハキとした性格で、そしてとても優しい。今もどうにかフィーラを巻き込まないようにと、苦心してくれている。


「……でも、手を離したことを後悔しながら生きていくのは嫌ですの。申し訳ないけれど、わたくしが死んだあとのことまでは存じ上げませんわ」


「……ちょっと。あなた公爵令嬢でしょ? 無責任すぎない?」


「……父も兄も、きっとわたくしの気持ちを優先してくださいますわ。それに、あなたの精霊は、わたくしの言葉を聞いているのでしょう? あなたのご家族が裁きを受けるようなことにはならないのでは?」


 精霊士候補であるサーシャには、精霊がついている。精霊に聞けば、たとえフィーラが死んだとしても、それがフィーラの意思の末に起こったことだとわかるはずだ。

 

 フィーラの推察は当たっていたのだろう。サーシャはひとつ息を吐いて、フィーラを見つめた。


「……あなたね。ちょっとどうかしてると思うわよ? 私は別にあなたの友人ですらないのよ? 命をかける価値はあるの?」


「ありますわ。友人ではないかもしれませんが、同じクラスで学ぶ仲間ですし、わたくしは、あなたのことを好ましく思っております。そんなあなたの手を離してしまったら、わたくしはきっと、一生自分を許せないでしょう。うじうじと、ことあるごとに、今日のことを思い出してはため息をつくのです。そんな人生嫌ですわ」


「……じゃあ、私と心中ね」


 繋いだ手の先で、にやりと笑うサーシャにフィーラも負けじと笑い返す。


「あら? わたくし最後まで希望は捨てませんわよ」


 とはいえ、フィーラもサーシャも、どこまで体力がもつかわからない。そのうえ、周囲には人気がまるでなかった。これから助けを叫ぼうにも誰にも届かない可能性がある。

 事実、サーシャの声を聞き、ここに駆けつけたのはフィーラひとりだ。


――そうよ……精霊ってたしか契約者から離れて助けを呼べるのではなかったかしら?


「ねえ。サーシャ様。サーシャ様の精霊に助けを呼んできてもらうことは出来ないのですか?」


「それならとっくにやったわ。でもダメなの。また結界が張られているようなの。精霊がこの場所から動けない」


「……そうですか」


 唯一と言ってもいい頼みの綱だった精霊が無理だとすると、これは本当に万策尽きたかもしれない。

 

 やはりフィーラ一人で駆けつけず誰かを探してきた方が良かったのだろうか。


 だが、サーシャの体力は、フィーラが助けを呼んでくるまでは、きっと持たなかっただろう。


 だからといって、このままでは多少の時間稼ぎにしかならない。そろそろフィーラの限界も近づいてきた。胸が塀の縁で圧迫されて息苦しいし、腕の感覚もなくなってきている。そして肩が外れそうだ。


「メルディア様……そろそろ限界ではない?」


 サーシャが心配そうに、こちらを見上げている。しかし、もうフィーラを思いとどまらせようとはしないようだ。サーシャの表情は凪いでいる。運命に身を任せる覚悟を決めたのだろう。


「……そうですわね。誰かが来てくれることを願っていたのですが……」


「何か言い残すことはない? 私が死んだあと、精霊は一度精霊教会の預かりとなるわ。誰かに、何か伝えたいことがあるのなら、私の精霊を通して伝えてくれるわ」


「サーシャ様は、ございませんの?」


「私は……もう言ってあるの。もし私が死んだら、家族と大切な人たちに今までありがとうと伝えてって」


「そうですか……。わたくしも同じですわね。今までわたくしと関わった方全員に、感謝と、そして謝罪を」


「謝罪?」


「色々と迷惑かけましたから」


「ふふ。そう」


「……でもサーシャ様。最後の最後、死ぬ一瞬前まで、諦めてはいけませんわよ?」



 そう言って笑った瞬間、力が抜けたのか、フィーラの身体はずるりと塔の縁から滑り落ちた。


 そしてそのまま二人は地面に向かって急降下していく……かのように思われたのだが、フィーラが宙に投げ出されると、たちまちフィーラを中心として大きな風が巻き起こった。


「……ええ?」


「……これって」


 フィーラの白いドレスと、サーシャの淡い橙色のドレスが、夜空を背景にバタバタと音を立ててはためいた。風は二人を包み込み、ゆっくりと地面まで運んでゆく。


――風?……もしかしてこれ、サーシャ様の精霊? いえでも、それだったら塔からぶら下がっていた意味が……。


 地上まで降ろされたフィーラたちは、そのまま地面に座り込んだ。フィーラもサーシャもお互いを見つめ合って呆然としている。


「うそ……」


 座り込んだままのサーシャが、信じられないといった表情でフィーラを見つめてくる。


「今の……さっき私を落とそうとした風?」


「え⁉ 落とそうと?」


「いえ、さすがにそれはないわね……とすると、もしかして……」


「サーシャ様?」


「ねえ、メルディア様? あなた精霊の守護はついている?」


「え? いえ……。わたくしは王族ではありませんし……」


「……そうよね。え? ということは……。嘘でしょ? まだ始まったばかりなのに?」


「サーシャ様?」


 フィーラがサーシャに呼びかけるが、しかしサーシャはフィーラの声などまるで聞こえていないかのように顎に手を当てて一人ぶつぶつとつぶやいている。


「ああ……だから伯母様も……というか教えてくれたっていいのに……! でも、どうして? だってフィーラは……」


「サーシャ様? 大丈夫ですか」


 まさか先ほどのことで錯乱しているのだろうか。サーシャは先ほどからつぶやいていることは、フィーラにはまるで要領を得ない。


「サーシャ様?」


 何度目かの呼びかけに、サーシャはハッとした表情でフィーラを見つめた。

 

「メルディア様! 怪我は……怪我はない⁉」


 どうやら我に返ったらしいサーシャは、あわててフィーラの無事を確認してきた。両肩を掴まれゆさゆさと揺さぶられたフィーラは、声を震わせながらもサーシャの問いに答えた。


「え、ええ。だ、大丈夫ですわ」


「……良かった」


 サーシャは今にも泣きそうな顔でフィーラの無事を喜んだ。





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