第14話 ティルフォニア学園
フィーラが新生フィーラとなってから約四週間。来週からはついに学園へと通うこととなる。
ティアベルト王国にある学園―ティルフォニア学園は、貴族の令息令嬢が世界各国から集まり、三年間共に学ぶ場所だ。更に申請するとあと二年、学園に通うこともできる。とはいえ、貴族なら誰でも入れるわけではない。試験にて一定の成績を修めた者でないと、その敷居を跨ぐことはできないのだ。
当然、学園は選ばれた者のみが通える場所として、この学園の卒業生には箔が付く。そのため、各国の上位貴族は、ほとんどの者がこの学園に通うことを余儀なくされるのだ。
将来国を率いる貴族の一員として、この学園を卒業していないなどとは口が裂けても言えないからだ。
貴族の家では、自分の息子が学園に入れなかった場合、息子に爵位を継がせず、この学園を卒業した、家督を継げない者を養子に迎えて娘と結婚させて家を継がせることなどざらにあるのだ。
そして、精霊姫候補と違い、一学生としての学園入学に際しては、莫大な援助金が有効な手段となりえる。
そのため、貴族のみならず、裕福な商家の子息子女なども学園に通うことができる。
貴族と平民との間に高い壁のあるこの世界で、ティルフォニア学園は、それを取り払って交流を行える唯一の場所なのだ。
そして、ティルフォニア学園で学んだ平民は、貴族の養子として迎えられることすらあるのだ。それは、財産はあるが爵位のない裕福な平民にとって、自らの血に貴族の血を入れるための一発逆転の方法となりえている。
だが、本来学園としてはこのような貴族社会の在り方には疑問を呈している。この学園を卒業しなくとも、立派な心映えの者も、優秀な者も存在するのだ。学園側としては、学園の名前と価値が独り歩きを続けた結果、不均等な世の中を作り出してしまったことを、憂いていた。
ティルフォニア学園はメルディア公爵家から馬車で通えない距離ではないが、学園に入学する生徒は全員が寮生活となるため、フィーラの兄、ロイドも休みの時にしか戻ってこない。
そして現在、ちょうど学年の変わる時期にある、一週間ほどの休みの時期にあたるため、ロイドは家に帰って来ていた。
「フィー。もう準備は出来ているかい?」
そういって訪ねてきたロイドを、フィーラは私室の中に通していた。この年代の男女は、例え兄妹だとしても互いの私室には入らないものだそうだが、前世の感覚が優勢になっているフィーラは、躊躇うことなくロイドを招き入れた。
――別にアイドルのポスターとかも張ってないしね。それにしてもお兄様の髪の毛、これストロベリーブロンドってやつよね。いいわ~。わたくしもこっちが良かったわ。
母親譲りの赤味がかった金髪に、父親譲りの薄紫色の瞳。父と顔の作りは同じ筈なのに、その色彩と柔らかな表情で、兄であるロイドが受ける評価は父とは真逆のものだった。
春、柔和、そしてもう一つ、――微笑みの貴公子――という二つ名がロイドにはついていた。いつも微笑みを絶やさないため、そのように呼ばれているらしい。
――微笑みの貴公子……。いえ、笑っちゃだめよ、フィーラ。この世界には中二病も黒歴史という概念もないのよ。みんな大真面目なんだから、笑っちゃだめよ……。
己の考えにドツボにハマったフィーラは、腹筋に思い切り力を入れ、どうにか笑いの衝動をやり過ごし、返事をする。
「ええ、お兄様。もちろんですわ」
以前のフィーラだったら、学園に持っていく荷物を決めきれず、あれもこれもと大騒ぎをしていた筈だが、今のフィーラの荷物は、通常の令嬢が持つ荷物の半分以下となっている。
――だって、家具は備え付けだって言うし、基本学園では制服を着るし。図書館も完備だもの。持っていくものなんか、ほとんどないじゃない。
「あれ? 荷物が随分と少なくないかい?」
ロイドは、妹の荷物の少なさを見て、訝しんだ。フィーラの荷物はトランクケース2つ分しかない。
「そうですか? わたくしとしては出来ればひとつにしたかったのですが、私服を含めると、どうしても多くなってしまって」
「トランクケースひとつなんて……無理だよ。僕だって三つは持って行ったのに、女性のフィーラがよく二つに収めたね」
「えっ、お兄様三つも何を持って行ったんですか?」
フィーラのトランクは二つでも、一つにはずいぶんと余裕がある。いったい兄は三つのトランクに何を詰めたというのか。
「ん? ボードゲームとか、乗馬の道具、あとはワインとかかな?」
「お兄様……学園にワインなど持って行ってもよろしいの?」
「うまく隠せたよ」
にっこりと笑う兄をフィーラは胡乱な目で見つめる。
――お兄様、ちょっとヤンチャじゃない? いくらこの世界はお酒に関する規制が無いとはいえ……。
「お兄様、お酒はほどほどにしてくださいませ」
「大丈夫だよ。僕は強いから」
「そういう問題ではありませんわ。いくら強くても飲みすぎはお体に障ります」
「ははは。気を付けるよ」
ロイドの態度に、これは気を付ける気はないなと思ったが、兄が酒に強いというように、事実、この世界の人々はお酒によって身体を壊すことはまずないのだ。
フィーラとて以前はよく就寝前にワインを飲んでいたが、前世を思い出してからはきっぱり止めている。大丈夫とは思っても、あまり若いうちから身体に馴染ませたくはなかった。
――十五歳で飲酒なんて……とんでもないわよ。さすがにお父様には内緒にしていたようだけどね。
「それよりも、フィー。本当に大丈夫かい? メルディア家としては、僕が卒業することはほぼ確実なんだから、君が無理して学園に行かなくても大丈夫だよ?」
「まあ、お兄様……。ですが、それでは将来嫁ぎ先に困るでしょう? メルディア家の人間ともあろうものが、ティルフォニア学園の卒業生ではないなどと……」
将来国を率いる男性だけでなく、妻として家に入る女性にも、男性ほどではないにしろある程度の箔は求められる。しかもフィーラは精霊姫の候補から外され、さらには王太子妃も外れているのだ。王太子妃のほうは辞退とはいえ、醜聞を好む貴族にとっては、大した差はないだろう。むしろ精霊姫候補を外されたせいで、辞退せざるを得なくなったとでも考えそうだ。
そのうえで、学園を出ていないとなれば、さすがにフィーラとて大手を振って社交界に出ることは難しくなる。
――まあ、前世を思い出した今では、結婚しないという手もあるのだけれど……。
「言いたい者には言わせておけばいいし、何なら嫁になど行かなくてもいいよ。それに…学園に実際入ってみて分かったけれど、金に飽かせて学園に入った奴等は、ティルフォニア学園の卒業生を名乗る資格なんかないような者がほとんどだ。むしろそいつらのせいで学園の名まで落とすことになりかねない。もちろん、中にはちゃんとした者もいるけれどね」
――やっぱり、裏口入学は推奨できないわよね……。それにしても驚いたのは、以前のわたくしが自力で学園に入れるほどの頭脳を持っていたってことよね。てっきり候補でなくなったのだから、裏口しかないのかと思っていたけれど、候補を外れてなお、入学を満たすだけの能力を有していたなんて……。わたくし、自分のことなのに無頓着過ぎないかしら?
「大丈夫ですわ、お兄様。わたくし、実は学園生活を楽しみにしているのです。候補から外れたとは言っても、学園での学びは、必ず後の助けとなりますでしょう? それに、学園では身分はあまり関係ないと聞きます。何者でもなくいられるのは、きっとこの三年間だけでしょうから」
――本当に……学園生活は楽しみなのよね。学生なんてやっていたのは、大分昔の話だもの。しかも、ブルジョアジーとしての生活よ? さっきお兄様がおっしゃっていた乗馬もやってみたいわね。以前のわたくしはやってみたことなどなかったもの。ふふ。楽しみだわ。
我知らず笑顔になっていたフィーラを見て、ロイドは軽く肩をすくめた。




