第139話 面会
「ディランさん。ちょっと良いですか?」
呼び止められたディランが後ろを振り向くと、書類を手に持ったクリードが眠りから目覚めたばかりのような瞳でこちらを見ていた。
いつも眠そうな瞳をしているが、クリードは若くして聖騎士となった優秀な人間だ。水を操る精度は高く、医師であるメリンダに追従するほどに治癒にも人体の精査にも通じている。
「何だ?」
「フォルディオスのジークフリート殿下から面会要請があったようです。急で申し訳ないが、これからすぐに面会ができないかと」
聖騎士に対しての面会要請を取り仕切っているクリードが書類のページをめくり、面会希望者と申請者の欄に書き込みをしている。
呼び止められたということは、ジークフリートはディランに対して面会希望をだしたということだ。あるいはクリード、ヘンドリックスあたりだろうか。
しかし、すぐにとはまたどうしたことか。確かに大聖堂は昼夜問わず開かれているが、さすがに夜中近くの訪問者は滅多にいない。
通常大聖堂への面会は申請してから数日、ないしは一週間以上かかることもある。しかも、明日には精霊祭の本祭を控えているのだ。聖五か国の王族であるジークフリートがそこに配慮しないとは思えないため、よほど切羽詰まった末の行動なのだろう。
「何の用だ?」
当たりはついたが、それでも念のために聞いておくことにした。
「王宮と学園に出没した魔について……あとはリディアス殿下についてということですが……」
「ふうん。自分でそこまで辿り着いたのか」
王宮と学園に出た魔については、すぐに思い至るだろう。ジークフリートは二つの現場にいたのだから。しかしリディアスのことにまで気づいたのは、さすが王太子を超える優秀さと言われていただけはある。
「王太子のことがあるでしょうからね。リディアス殿下が滞在した直後にお兄様が王太子の座を降りるなどと言い出したら、それは勘繰りたくもなるでしょう」
フォルディオスの王太子がその座を降りたことはまだ世間には公表されていない。だが大聖堂は独自の諜報機関を持っているため、すでにその情報は掴んでいた。
大聖堂だけではない。フォルディオスの王太子が交代するという事実を掴んでいる国や機関はほかにもあるだろう。あるいは個人でさえも、その情報をすでに入手している者は少なからずいるはずだ。
「……実は申請にはご本人が来ているんですよ。影に護衛はいるようですが、先ほどまでティアベルトの前夜祭に出ていたそうで、お一人で」
クリードが手に持った書類をディランに見せる。そこには希望者、申請者ともに、ジークフリートの名が記されていた。
記された名はジークフリート・ロスタット。
以前のままの名だ。となれば、まだ立太子をしていないのだろう。聖五か国の王太子の名前には必ず国の名が入る。
ジークフリートの兄であるエドワードの名が、エドワード・イル・フォルディオスであるため、ジークフリートも立太子をした後は、同じ姓を名乗ることになるだろう。
「ティアベルトの? 自国の前夜祭に出なかったのか……」
「そのようですね。明日は精霊祭の本祭です。そのことを理由に断っても良かったのですが……彼には借りがありますので、少々断りづらく」
「借りか……」
フィーラが次の精霊姫だと言うことを、ジークフリートには口止めしてある。精霊姫に関することは機密事項として扱われるため、王子であるジークフリートにも強制的に口止めすることは可能だ。
しかし機密事項はあくまで現精霊姫に関して発動するものなので、今回のことはジークフリートの好意に甘えていると言っても良い。
「それと、フォルディオスでもまたあの魔がでたのですよね?」
「そうらしいな」
あの魔の存在についての詳細はまだわかっていない。だが精霊姫であるオリヴィアには、何か心当たりがあるらしかった。
それでも精霊教会はおろか聖騎士たちにさえも何も告げないところを見ると、あの魔にはよほど重大な事実が隠されているのかもしれない。
「何事もなかったとは聞いていますが……彼女が狙われているのでしょうか? いざとなったら精霊王が護られるのでしょうが」
「本当に害をなそうと狙っているのだとしたら暢気すぎる。それにお前の言う通り、精霊王が護っているかぎり大怪我をしたり命を落とすようなことにはならないだろう。問題はあの殿下のほうだな。これから面会するぶんには構わないが……」
「すべてを報告するわけにはいかないですしね」
「まあ……虚実入り交ぜて適当に誤魔化すしかないな」
「……なんか申し訳ないですね」
「仕方ない。すべてを話せばあの殿下にも危険が及ぶかもしれない」
「まあ、そうですね……」
クリードが納得したように頷く姿を見てから、ディランは面会の承諾を通知するように頼んだ。
「急な訪問に応じてくださりありがとうございます」
応接室に通されてほどなく、待ち人はやってきた。黄金の髪に薄緑色の瞳。デュ・リエールの時に来た聖騎士の一人だ。
「いえ。あなたにはこちらとしても感謝しております。聖五か国の王族とはいえ、一学生であるあなたに大きすぎる秘密を抱えさせてしまった」
「すべては精霊王のお心ですから。……まあ正直、なんと間が悪いのだとは思いましたがね」
「それで……あなたが聞きたいことは王宮と学園に出た魔の話と……テレンスの王太子リディアス殿下のことでしたね」
ジークフリートは男の口から平然とリディアスの名が出たことに対し、己の勘がある程度当たっていたのだということを悟る。
通常だったら他国の王太子のことを聖騎士に聞くことに疑問を抱くはずだが、この男はそこには触れてこなかった。きっとなぜジークフリートがリディアスについて聞くのかも、すでに分かっているのだろう。
「ええ。まずは……なぜ王宮と学園の結界が作動しなかったのか、それを教えては貰えませんか」
聞いては見たものの、こちらの質問に納得できるような答えが返ってくるとは思っていなかった。結界についてはすべて精霊教会が取り仕切っているはずだ。大聖堂も多少の関りはあるのだろうが、その詳細までは感知していないだろう。
「……厳密に言えば結界に関することは大聖堂ではなく、精霊教会が取り仕切っている事柄なのですが……。まあ、私の口からは、精霊教会内部の争いが原因で結界の管理が行き届いていなかったから、としか」
「管理が行き届かないで済ませられる問題でもないと思いますが……」
「まあ、おっしゃるとおりですね。ですが、さきほども言いましたが、結界に関しては大聖堂は感知しておりません。厳密に言えば、まったく関係のないわけではありませんが、こちらから何かできることはないのですよ」
「……わかりました。それに関しては直接精霊教会に問わなければならないということですね」
「問うたところで答えないとは思いますがね」
恐らく、男の言うことは正解だろう。これまでにもそれとなく聞いては見たものの、はっきりとした答えが返ってきたことは一度もない。真正面から問いただしたところでそれは変わらないだろう。この件に関しては、やはりはっきりと真相を知ることは難しいのかもしれない。
二つの事件は両方ともティアベルトで起こったことだ。自国での出来事を、他国の者にそう簡単に漏らすわけがないのだから。
「では……フォルディオスにまたあの魔が出たことはすでにご存じですよね?」
「ええ。……メルディア家のご令嬢に会いに来たと」
「本当に彼女に会いに来たのかはわかりません。しかしあの魔が彼女の前に現れるのはすでに三度目です。何かしらの目的があると考えるのが妥当です」
「……そうですね。まあ、こちらとしてもあの魔の存在についてはまだ把握しきれてはいないのですよ。ただし、メルディア家のご令嬢が次の精霊姫であることをあの魔は知っている。そのことを考えれば、あなたの何かしらの目的があるという推測は間違ってはいないでしょう」
「では今後も彼女はあの魔に狙われることになるのですか?」
「狙われていますかね? 三度あの魔と遭遇しても彼女は何の被害も受けてはいない」
「それは……精霊王の護りがついていたからこそ無事だったのではないのですか?」
「彼女自身が特に被害を受けたわけではないと言ったのでしょう?」
「それは……」
「殿下。あなたのお気持ちはわかります。あなたは彼女の周囲でたった一人……いえ、ゴールディ家のご令嬢もでしたね。しかし彼女では盾にはなれない。あなたはたった一人で次期精霊姫のことを気にかけなければならなかったのです。いくら王太子であるからとはいえ学生の身としては大変なことでしょう」
「そんなことはたいしたことではありません。それに……私は何も出来てはいませんよ」
そう。たいしたことではない。実際にジークフリートが何をしたわけではないのだ。デュ・リエールのときも模擬戦のときも、フォルディオスのときも、ジークフリートは何もできなかった。
「事情を知っている人間が傍にいてくれると言うだけで、こちらとしてはありがたいんです。もちろん精霊王の護りはありますが、あなたなら彼女の心を護ることも出来るでしょう」
フィーラの心を護る。そんなことが本当に己に出来ているのかは疑わしい。いっそすべてをロイドに話してしまいたい衝動に、ジークフリートは何度も駆られているのだ。
ロイドならば、フィーラの心を護るという点ではジークフリートよりもよほど相応しい。
「リディアス殿下については……彼も王族ですからね。こちらで仕入れた情報をむやみに流すわけにはいかないのですよ。……ただ、あまり関わらない方がいいとだけ言っておきましょう」
「しかし彼の傍には精霊姫候補がいます。フィーラ嬢で決定しているとはいえ、その彼女を放っておいてもよいのですか?」
「それがその精霊姫候補の望みなら……こちらが何を言う必要もないでしょう」
「リディアス殿下は危険だと、そうそちらも理解しているのにですか?」
ジークフリートの言葉に、聖騎士は愉快そうに口の端をあげて笑った。
「聖騎士が護るのは精霊姫です。そして次の精霊姫はすでに決まっている。もちろん、その精霊姫候補とやらの身に危険が迫っているというのなら話は別ですが、あなたから見てその精霊姫候補に、殿下は何かをしようとしているように見えましたか?」
そう言われてしまえば、ジークフリートはそれ以上何も言えなくなってしまう。兄が去ったことにリディアスが関わっているということは、ジークフリートの勘が告げている。ついさきほどこの男からも関わるなとの言葉をもらったが、いうなればそれだけだ。リディアスが兄やステラに何かをしたという確証も証拠もない。
ステラにしても、リディアスは求婚を考えていると言っていたのだ。単に恋する男が少々強引になっているだけかもしれない。しかし……。
「恋を……している目ではなかった」
「リディアス殿下ですか? 慕情をわかりやすく表に出さない者もいますよ」
聖騎士の言葉にジークフリートは驚く。まさかリディアスを擁護するような言葉が出てくるとは思わなかったのだ。
「そうかもしれませんが……」
「まあ、どのみちリディアス殿下は王族です。いくら大聖堂とはいえ何の確証も得られないうちに動くことは出来ません。それはあなたもご存じでしょう」
精霊姫の、ひいては大聖堂の権威は強い。しかしいくら大聖堂といえども、一方的に権威を振りかざすことはできない。疑わしいというだけで、証拠もないのに動くことはできないという聖騎士の言うことはジークフリートもわかる。しかしやり方によっては探りを入れるくらいはできるだろう。
あるいはすでに探りは入れ終わっているが、それをジークフリートには言えないだけか。その可能性は十分にあった。
「ええ……」
「申し訳ありませんが、そちらのことはそちらでどうにかしてください。魔が出たというのなら、私たちも動きます。ですがそれ以外のことに私たちが関わることはない。次期精霊姫である彼女のことを心配しているのなら、そちらも大丈夫です。彼女のことは現精霊姫が請け負っている。真に彼女の身に危険が及ぶことはありません」
「そうですか……」
それならジークフリートに出来るのはここまでだ。聖騎士の言う通り、エドワードの王太子の辞退に仮にリディアスが関わっているとしても、それはフォルディオスで解決するべきことだ。
聖騎士に見送られジークフリートは部屋を後にする。理解していたつもりだったが、聖騎士とは本当に精霊姫を護ることを第一に考えるものなのだ。その他のことには興味がないのだろう。否、興味がないなどと言えばさすがに語弊がある。きっと今の男がそうなのだ。
丁寧な口調ではあったが、こちらのこともステラのことも真にどうにかしようとは思っていないだろう。しかしだからこそ精霊姫を護る騎士としては正解なのだ。きっと精霊姫になったフィーラはすべてから護られる。それだけが今回の訪問で掛け値なしに納得できたことだった。




