第133話 前夜祭2
王城の庭園は、この前夜祭のためにさまざまな飾りつけがされている。普段から昼も夜も美しい庭園だったが、今日は特に見応えがあった。
庭園の至るところ、草陰、木の根元、花壇の中央などにランプがおかれている。ランプのゆらめく光の波が周囲を照らし、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
――綺麗だわ……。前世のイルミネーションよりも雰囲気も空気も暖かいわ。本物の火を使っているから、この暖かさは火によるものかもしれないわね。
今日使われているランタンやランプの火にも、精霊の力がくわえられている。普段よりも消えにくく、長持ちするようになっているはずだ。
フィーラが周囲を見渡しながら歩いていると、前から給仕人が歩いてきた。今日の前夜祭は普段室内で行われるパーティを外でしているようなものだ。食事も用意されているため、いたるところで給仕人の姿を見かける。
――これだけ人がいたら給仕をするのも大変よね……。ご苦労様です。
心の中で礼を言い、給仕人の横を通り過ぎようとした途端、フィーラは誰かに腕を掴まれ、驚きに小さく声をあげた。
今、フィーラの姿は周囲からは別人に見えているはずだ。知り合いならまだしも、見知らぬ女性の腕を掴む紳士などいない。フィーラ本来の姿が見えているとしたら、身内の可能性が高いのだが……。
「……見つけた。フィーラ」
――え? 誰?
赤味の強い橙色の癖っ毛に、薄い青の瞳。端正と言っても良い顔立ちだったが、鼻に散るそばかすが男を親しみやすい雰囲気に見せていた。
「……綺麗だな。そのドレス、今のお前に似合っている」
「え?」
――今のお前って……もしかして、以前のわたくしと知り合い? それに、今この方、わたくしのこと褒めてくれたの?
褒められたことを自覚した途端、フィーラは顔が熱くなるのを感じた。きっと、お世辞ではなく、男が本心からそう言ったことが分かったからだ。
なぜなら、男の頬は一見してわかるほどに赤くなっていたのだから。
「あ、あの……」
――どうしましょう……。ものすごく恥ずかしいわ。
「こっちに来てくれ」
恥ずかしさに悶えるフィーラを、男は腕を掴んだままどこかへと連れて行こうとする。
「え、あの、どこへ?」
「……会わせたい人がいる」
「会わせたい人……?」
男はどんどんとフィーラを引っ張って行ってしまう。男のその強引さに少々不安になったが、不思議と抵抗する気持ちは起きなかった。この男からは悪意を感じ取れないからかもしれない。
――まあ、わたくしの印象など頼りにならないかも知れないけれど……。なんか知り合いっぽいし……。そもそも今日は害をなす者から護るまじないもかけられているはずだし……。
今日、精霊姫候補たちには精霊の守護がついている。害をなす気のある者は、基本的には候補たちを見つけることはできないのだ。
――それに……はじめて会った気がしないのよね、この方……。やっぱり前世の記憶が戻る以前の知り合いかしら?
フィーラは前を走る男の橙色の髪を見つめながら、己の記憶を探っていた。
前夜祭――。
今日という特別な日、ミミアが王城に来られたのは、優しい先輩たちのおかげだった。ゲオルグへの使いに、ミミアを寄こしてくれたのだ。
精霊祭は使用人にとっても特別な日。メルディア家の使用人も、前夜祭、本祭、後夜祭と、それぞれいずれかには出られるように仕事が采配されている。
そんな中、ミミアは三日間のすべてで仕事を請け負った。この三日間は毎年屋敷内が人手不足になることを聞いていたため、予定を聞かれたさい、まだ新人の自分は屋敷内の仕事を覚えるのに忙しい、そう言って自ら留守番を買って出たのだ。
自分には祭りを楽しむ資格がない。そう思ったことは周囲には内緒のはずだった。
だがミミアの先輩であるフィーラの専属侍女三人は、そんなミミアの心境に気づいたのだろう。ゲオルグへの使いという名目で、前夜祭に送り出してくれたのだ。ゲオルグへの使いが済んだら、あとは自由時間だと言って。本当に、このような暖かな場所を与えてくれたフィーラには、感謝してもしきれない。
王城はどこもかしこも着飾った人たちで賑わっていた。デュ・リエールに出ることのかなわなかったミミアにとって、これほど盛大な催しは久しぶりだった。
今の季節、王宮の庭には普段よりも生花が少ない。だが、女性たちが着る色とりどりのドレスが花の代わりを担っていた。
深紅に橙、薄紫に水色。そこかしこでまるで花が咲いたかのように、女性たちが笑っている。
華やかな女性たちとは違い、今ミミアが着ている服はメルディア家の侍女服だ。白と黒で統一されたその服は、とても華やかとは言えない。
そのことをほんの少しだけ残念に思ったが、参加できるだけで果報者だと思い直し、ミミアは今日の賑わいを目に焼き付けようと好奇心を持って周囲を見渡した。
すると、ミミアの目に、ふと給仕服を着た背の高い痩せた男の姿が留まった。
なぜあの男に気を留めたのか最初はわからなかったが、すぐにその原因に思い至った。男は以前のミミアの寄り親だったソーン家の息子、ニコラスに似ているのだ。
いや、似ているどころではない。
「あれって……まさか……ニコラス様……?」
橙色の癖毛に、痩せた長身。ミミアはニコラスとの付き合いが長い。ちょっとした動作の癖も覚えてしまっている。あれはどうみてもニコラスだ。
「なんでここに……。今は牢に入っているはずじゃ……」
ミミアとしてはあれがニコラスであることは確信していたが、国の管轄である牢に入っているはずのニコラスがここにいることをどうしても常識が邪魔をして信じきることができなかった。
あれは他人の空似かもしれない。ミミアの心が見せた幻かもしれない。そう思うと、誰かにそれを知らせることにも二の足を踏んでしまう。
それとなくニコラスに似た男を観察していたミミアは、男が急に後ろを振り返り、腕を伸ばしたのを見て訝しんだ。
「……何をしているのかしら?」
ニコラスに似た男は伸ばした腕で女性の腕を掴んでいた。その女性は豊かな薄茶色の髪をしていて、ミミアとの距離では瞳の色まではわからなかったが、しかし相当な美人だということが遠目で見てもわかった。
「……ちょっと、何やっているの……」
女性に嫌がっている様子は見られないが、女性の態度はニコラスのこと知っているようにも見えない。
ミミアが二人の様子をじっと見ていると、女性の姿が揺らぎ始めた。
「え? 何?」
女性の姿はミミアの見ている前でみるみる変わっていく。淡いミントグリーンのドレスはそのままに、薄茶色の髪は白金色に。さきほどはわからなかったが、変じた青緑の瞳は遠目でもはっきりとわかるほどに鮮やかだ。そして類まれなその美貌は――。
「フィーラ様……!」
あれはフィーラだ。ミミアは今日フィーラが精霊姫候補としてまじないを受けた姿でいることを思い出した。ではあの男はやはりニコラスに違いない。ニコラスのフィーラに対する執着は、ミミアが一番良く知っている。
あわててミミアが動こうとしたその時、ニコラスがフィーラの腕を掴んだまま走り出した。
「まって……! 誰か……! その人を止めて!」
ミミアは力の限り叫んだが、しかし声量のないミミアの声は大勢の人間の声にかき消されてしまう。
あわてるあまり足をもつれさせたミミアは、つまずいてその場に跪いた。
「……ゲオルグ様……ゲオルグ様に知らせなくちゃ……」
「ゲオルグ様? ゲオルグ様に何を知らせるんだ?」
立ち上がろうと腕に力を入れたミミアに、横から手が差し伸べられる。
「大丈夫か?」
「あなたは……?」
ミミアは己に手を差し伸べた相手を見上げる。薄い茶色の髪に、紺色の瞳。人の良さようなその容姿に見覚えはない。
「ああ、君が入ったときはもういなかったもんな。メルディア家で護衛をしていたテッド・バークだ。君のことはお嬢様から聞いてるよ。君とは一応同僚ってことになるのかな? 俺、今もメルディア家の護衛団に籍を置いているし」
「テッド様……? 聖騎士候補になった?」
「一応ね。というか、様付けされるとちょっと照れるんだけど……」
肯定しつつも、テッドと名乗る男は照れ臭そうにはにかむ。ミミアはテッドと会ったことはなかったが、話に聞いていた人物像とは一致する。それにメルディア公爵家の護衛を騙るなど、ばれた時が恐ろしい。
急を要する今、ミミアは己の感覚に従いこの男を信頼することにした。
「あ、あの……フィーラ様が!」
「フィーラがどうした?」
テッドとは異なる高めだが硬質な声に、ミミアの身体が硬直する。聞き覚えのある声だった。この声を聞くと、ミミアは自分の犯した罪を否応なしに思い出してしまう。
「……ジルベルト、様」
ミミアは滲む涙を零すまいと必死に瞬きで押しとどめ、ジルベルトの顔を見上げた。
「本当にメルディア家の侍女になったんだな、ミミア・カダット」
ミミアは言葉もなく、ただ小刻みに震えながらジルベルトの顔を見つめる。そんなミミアにジルベルトが続けて声をかけたが、しかしその響きは先ほどよりも幾分柔らかい。
「……そんなに怯えなくていい」
「……え……?」
「俺も君のことを言えた義理ではないんだ」
ジルベルトの言葉にミミアは首を傾げる。だが、すぐさま重大なことを思い出し眼と口を大きく開き勢い喋り出した。
「あ、あの、それよりも! フィーラ様が、ニコラス様に連れていかれてしまって……!」
「ニコラス? ニコラス・ソーンのことか? あいつは今牢にいるはずだろう?」
「そうなんですけど……! そうなんですけど……いたんです。ここに。フィーラ様の腕を掴んで、あちらの方へ走っていきました!」
ミミアの細い指が王城の庭園の一画を指し示す。あちらは暗がりも多く、舞踏会に参加した恋人たちの逢引によく使われる場所だ。
「間違いないのか?」
ジルベルトの問いに、ミミアはこくこくと首を縦に振る。ミミアが頷く様を見て、ジルベルトはすぐさま庭園の方角へと走り出した。
「おい、ジルベルト!……まったく!……君はゲオルグ様に伝えてくれ」




