第130話 もうひとりの精霊王
誤字報告ありがとうございましたm(__)m
リディアスがあの精霊王の存在を知ったのは本当に偶然だった。ステラの前世の記憶の中に、あの精霊王のことが出て来たのだ。
リディアスは光の精霊の力を使い、ステラの奥底に眠っている記憶を引き出した。記憶へ干渉する性質を持つのは闇の精霊だったが、光の精霊も使い方によっては記憶への干渉を可能とする。
闇の精霊と光の精霊は表裏一体。
闇が人の記憶を隠すものならば、光は人の記憶を照らし出す。
想いや感情にも記憶はつきものだ。むしろ人が心の中に抱えているそれらは、何らかの事象によって瞬間的に引き出されたものでない限り、記憶と繋がっていることがほとんどだからだ。
反対に、闇の精霊の力も感情や想いに作用する。人は感情を抑えることを常としている場合が多いため気づかれにくいが、闇の精霊の力によって感情や想いを抑制されてしまうこともあるのだ。
このことにどれだけの人間が気づいているのかを、リディアスは知らない。そして興味もない。リディアスは気づいた。ただそれだけだ。そしてそれを利用した。
ステラの前世の記憶については、最初は余計なことを思い出したものだと思っていた。恋愛のことしか覚えていないことに落胆もした。
ステラに会う以前にリディアスが得ていた情報も詳細なものではなかったため、ステラの記憶に期待していたのだ。
しかしもっと深く記憶をさぐっていくうちに、ある情報をつきとめたのだ。
この世界に存在する、もう一人の精霊王の存在。
よもや、この世界に精霊王が二人いるなどとは誰も思わないだろう。その情報だけでも世界を変えるほどの力を持っていた。
その情報はステラにとっては些細なことだったらしく、覚えていたのはその精霊王がどこにいるのかという情報だけだった。その情報についても、ステラの記憶の奥底に眠っていたものでありステラ本人はその情報を認識してもいなかった。よほど興味がなかったのだろう。
「それにしても……私たちすべてに精霊を与えてくださるなんて、精霊王様も随分と気前がよろしいわ」
リーディアは椅子に横たわり眠るステラの髪を撫でている。精霊姫候補であるリーディアをこちら側に引き込めたのは幸運だった。
リーディアに対する周囲からの信頼は厚い。ステラもリーディアのことは信頼しているようだった。
リーディアはティアベルトの公爵家の生まれであり、精霊姫候補。そして現在はサミュエルの婚約者候補でもある。
肩書だけならフィーラと大して変わらない。だが決定的に違うことがひとつだけある。それは、リーディアは精霊姫候補の座を、金品で購入したということだ。
実際に候補の座を金品で買ったのは、リーディアの父親だ。だが、それが世間に知られればリーディアとて無事では済まない。否、セルトナー公爵家そのものが存続の危機となりうる。
それほど世間においての精霊姫選定とは、神聖で犯しがたいものなのだ。たとえその内情がどれほど爛れていようとも、そんなことは関係ない。
リディアスはマークスを使者に立て、秘密の保持と引き換えに、必要な情報を提供することをリーディアに要求した。
そしてマークス曰く、その要求に笑顔で応えたというリーディアに、リディアスは己に近いものを感じた。
「元精霊だけどね」
元精霊――世間ではそれを魔と呼んでいる。
元精霊だった魔は精霊だった時よりも気性が荒くなる。それは人と関わることによって発達した感情と記憶を排除した結果なのだという。
魔を動かす望みはたった一つ。生と死の体験だ。精霊に死は存在しない。生すらも、個の体験足り得ない。
生と死の体験を望む魔は、生物に憑く。だが世間に知られているような魔に憑かれたことによる被害は、実は滅多にないことなのだ。
ほとんどの魔は、何もせずにこの世界で過ごすか、あるいは人や動物、植物に憑き、何事もなくその一生を憑いた生物とともに生き、死んでいく。稀に暴走する魔の存在は、精霊から魔になったばかりの、未熟な魔によって起こされることなのだ。
精霊が感情に触れることで成長することを望むように、魔は生と死を体験することによりこの世の理を知ることを望む。
感情か、体験か。望むものが違うだけで、精霊も魔も、人とは相いれない存在であることに変わりはない。精霊の方がより人間の都合にあった存在だったというだけだ。
精霊王と接触することによって精霊と魔の神秘の一つを解き明かしたリディアス達だったが、他の者は知らないが、リディアス本人はそのことについてはとくに感動することもなかった。
重要なのは、今まで制御不能と思われていた魔の力を自由に使えるようになったこと。そして感謝すべきは、精霊王が光と闇の特性を持つ魔を、一人ひとりに与えてくれたことだ。
現在、リディアスは守護精霊とは別に精霊王から賜った闇の上級精霊に相当する魔を持っている。
最初はさすがに魔を傍に置くことに躊躇した。しかし精霊王により、精霊と魔は元は同じ存在だと聞いてから、ためらいは無くなった。むしろ親しみを覚えたくらいだ。
しかしさすがに他の者たちには上級を与えることはしなかったようだ。実質魔は精霊よりも扱いが難しいのだから仕方ない。しかしそれとて破格の待遇だ。精霊士の素質もない者が、精霊同様、否、この世界においては精霊よりも使い勝手が良いだろう魔を自在に操ることを許されたのだから。
だが今リディアスたちに与えられている魔は、精霊王の力により強制的に付けられている状態だ。
契約をしていない精霊の力を駆使することは、力を使う人間にも害を及ぼす。契約していない火の精霊の力を使ったジルベルトが火傷を負ったように、光と闇の元精霊である魔の力を強制的に使わせているリディアスたちにも、同じように害がでているはずだ。ただ、それが目に見える形ではないだけだ。
「光と闇の精霊は扱いづらいんだ。魔になった精霊なんて特にだよ。精霊士としての資質を持っていない人間にも与えているから、皆好き勝手するおかげで統率がとれていない。しかも、学園の時も、この間も、精霊王自らフィーラ嬢の前に姿を現しているじゃないか。僕は聞いていないぞ」
「わたくしに言われても困りますわ。精霊王様の行動を、ただの人間であるわたくしたちに制御できるとお思いなの?」
そう。リーディアの言う通り、別の問題もあった。あの精霊王は最初に出会ったときから比べ、どんどん扱いづらくなっている。成長していると言っても良い。
精霊は人間と関わることで成長するのだから、精霊を束ねる存在である精霊王とて成長してもおかしくはないのだろう。
学園に魔が出た際も、精霊王自ら来るとは思わなかった。むしろ精霊王が来たせいで、学生たちは魔に憑かれたのだと言ってもいいくらいだ。
同じく、フォルディオスで魔が出たと聞いたときもだ。ジークフリートは隠そうとしていたが、記憶を覗き見ればその魔の特徴は精霊王と重なった。本人に聞いたらあっけなく白状するのだから、たまったものではない。
ティアベルトの王宮に姿を現したことも、リディアスが意図していたことではない。精霊王が勝手にしたことだ。むしろ、その頃はまだリディアスは精霊王の存在さえ知らなかった。知ったのはその後だ。
ステラの記憶の中には、デュ・リエールに魔が出現するという出来事はなかった。ならばなぜデュ・リエールに魔は出たのか。
デュ・リエールに魔が出たと聞いた後、リディアスはステラの記憶を底からさらい直した。ステラの記憶の中にあった精霊王の情報と、デュ・リエールに出た魔の類似点を検証した結果、あの魔がもうひとりの精霊王の分身だったと気づいたのだ。
そして恐らく、デュ・リエールに出た精霊王の分身である魔は、本来ならフィーラに憑くはずだったのだろう。
ステラの記憶の中で、フィーラは最後、魔に憑かれて死んでしまう。そのときフィーラに憑いた魔が、精霊王の分身だったのだ。正確に言えば、死の間際に憑いたのではなく、デュ・リエールのときからだ。
しかし、今フィーラに魔は憑いていない。フィーラに憑くはずだった魔はサルディナに憑き、離れた。そしてその魔が精霊王の分身だとリディアスが知ったことで、今後もフィーラが魔に憑かれることはなくなった。
あの分身はすでに精霊王自身に戻っている。分身を動かしていた精霊王は、今自ら動き、その望みを叶えようとしている。
精霊王の望みが何なのか、リディアスは知らない。精霊王も話さないし、リディアスも知ろうとはしない。互いに利用し合うだけの関係だ。
だがあの精霊王がフィーラに執着していることは明らかだ。それがステラの記憶にあるように、もともと最後にはフィーラとともに死を体験するはずだったからなのか、あるいはもっと別の理由があるからなのかはわからない。
しかし都合三度もフィーラの目の前に姿を現したことを考えれば、あの精霊王にとって、フィーラはよほど重要な人物であると考えざるを得なかった。
そしてリディアスが見る限り、今のフィーラは魔に憑かれ、魔を死に誘うような人間ではなくなっている。
だからこそ、フィーラへの気持ちを自覚した今でも、リディアスは泰然としていられるのだ。すでにフィーラには、魔に憑かれたことで死に至るような未来は訪れないだろうと。
「……精霊王に関しては、確かにそうかもしれない。でも君は違うだろう? リーディア」
「ふふ。確かにわたくしは精霊王様とは違います。ですが、わたくしは……いえ、わたくしたちはあなたに手を貸してはいますが、あなたに服従しているわけではありませんわ。皆精霊王様と同じく、それぞれの望みがあったから、あなたに手を貸しているのですわ」
「それぞれの望みね……。アーノルドを使ったことも、君の望みのために必要なことかい?」
アーノルドとニコラスは、現在リディアスの元にいる。しかしアーノルドの武力は使えるが、ニコラスに利用価値はない。それでもリーディアに頼まれたから仕方なしに匿っているのだ。
「ええ。もちろんですわ。ご心配いりませんわ。あの男はフィーラに危害は加えません。わたくしはただ見てみたいのです。人の持つ、強く、美しい想いを」
見てみたい。それは今のリディアスの行動原理でもあった。もうひとつの世界を見てみたい。そのために、リディアスはステラを利用することを決めたのだ。
そしてステラには現在光と闇、二つの特性を持つ精霊が常に干渉しあっている。リディアスの光の精霊と、ステラ自身の傍にいる闇の精霊。そのほか、リーディアも勝手にステラの記憶をいじっているらしいことにリディアスは気が付いていた。
すでにステラの精神は前世の記憶、本来の記憶、干渉された記憶の三つの間で揺れ動き、崩壊しかかっている。
それでも、リディアスは自分のやっていることを止める気はない。その執着がどこから来るのか、何を求めているのか。リディアス自身はっきりとその答えを知らぬまま、このまま最後まで突き進むしかないのだ。
「んん……」
ステラの起きる気配を感じて、リディアスは気を引き締める。リーディアはステラの髪を撫でていた手をとめ、ステラの瞼が開くのを、じっと見守っていた。
「あれ……私……どうしてここに?」
「ステラ様、覚えておりませんこと? わたくしとリディアス殿下と話をしていた最中、眠ってしまわれたのですわ」
「え? ……ご、ごめんなさい! 私、最近ちょっと寝不足だったから……」
「あら? 何か悩み事でも?」
リーディアが眉を下げ、様子を伺うようにステラの瞳を覗き込む。
「え……? あ、あれ? 悩みって……何だっけ?」
「まあ、ステラ様ったら」
リーディアの笑いにつられるように、ステラがぎこちない笑顔をつくった。
「やだ、私ったら……」
「ふふ。きっとぐっすりと眠ったおかげで、悩みを忘れられたのではないかしら?」
「そう、かも……。うん。そうよね。私って単純だから」
「ステラ」
自らの名を呼んだリディアスを、ステラが大きな瞳で見つめる。よくよく見れば、その瞳はわずかに焦点が合っていない。
「……リディアス」
「もうじき精霊祭だね。僕は見に行くことはできないけれど……君のことを想っているよ」
「リディアス……」
リディアスの言葉に、ステラがわずかに頬を染める。
「まあ、殿下。この場にはわたくしもいますのよ?」
「あ……あの、リーディア、その……」
「ふふ。まあ、ステラ様、お可愛らしい」
リーディアがしなやかな指で、ステラの頬をつつく。するとステラはさらに顔全体を赤く染めた。
このなごやかな時間が仮初のものだとはわかっていた。それでも、それがずっと続くことを願ってしまうほどに、リディアスは己の見てきた夢から覚めつつあった。




