第128話 どうにもならないこの世界 1
リディアスが廊下を歩くフィーラを見つけたのは偶然だった。
ここは特別クラスではなく普通科の教室の前だ。リディアスはウォルクに会いによく来るが、普段この場所でフィーラに会うことはない。
どうやらフィーラは普通科の生徒と話をしているようだ。数人の令嬢の中に、フィーラ同様、目立つ髪色の令嬢がいた。
深紅の髪に、同色の瞳。あれはゴールディ公爵家のサルディナだ。
リディアスが見つけたときには、すでに話は終盤に差し掛かっていたらしく、すぐにフィーラはサルディナたちと別れてリディアスの前を歩き出した。
リディアスは白金色の髪を揺らし廊下を歩くフィーラに背後から声をかける。リディアスの声に反応し振り返ったフィーラが、わすかに目を見開いた。
「やあ、フィーラ嬢。こんなところで会うのは珍しいね」
リディアスはステラの手前、学園でフィーラに声をかけることは極力避けている。まだステラと親しくなる以前、フィーラとクレメンスと一緒に行動したことがあったがそれ以来だ。フォルディオスでは久しぶりにともに行動したが、それは単なる成り行きに過ぎない。
「リディアス殿下…」
「普通科に友人がいるんだね。さっきの令嬢は、ゴールディ家の令嬢だね。君と親しいとは知らなかったな」
サルディナは本来なら精霊姫候補となるはずだった少女だ。だが今はその席にはリーディアがついている。ステラの記憶ではサルディナはフィーラの取り巻きのような存在だったらしいので、元から相性は良いのだろう。
「はい。以前から知り合いではありましたが、親しくなったのは学園に入学してからですわ」
嬉しそうに微笑むフィーラに、リディアスは虚を突かれた。この少女は本当に感情が顔に出やすい。ステラもそうだが、これはいわゆる転生者という者の特徴なのだろうか。
「そうか。やっぱり学園という存在は有意義だね。家のしがらみとは完全には縁は切れないけれど、ここでは素に近い個人として人脈を作ることが出来る」
「そうですわね。それに……ここにこなかったら出会えなかった方たちは沢山おります。感謝しておりますわ」
フィーラはサルディナが去った方向を見つめる。首を動かした際に、フィーラの白金の髪がふわりと揺れた。ゆるやかに波打つ艶やかな髪が、窓から入る光を反射して輝きを放つ。
「……君の髪はやっぱりとても綺麗だね」
心のままに、思ったことを口に出してしまったリディアスをフィーラが驚きを込めた瞳で見つめる。
自分のこの銀色の髪がリディアスは嫌いだった。これは不幸の象徴の色。父に愛されない原因とも言える色だ。
リディアスの白に近い銀色の髪と、フィーラの白金の髪は色味が似ているが、しかし、フィーラの白金の髪を、リディアスは心の底から美しいと思う。
フィーラの髪にはわずかに金色の輝きが見て取れるため、どちらかと言えばフィーラの髪の方が華やかだ。クレメンスのリディアスより色の濃い、まるで鏡のような光沢の銀色も好ましい。
二人は仲が良く、一緒に行動していることが多い。そんな二人を見ていると、ふと、なぜ自分はその中にいないのだろうと思うときがあった。
「まあ、ありがとうございます。ですが、リディアス殿下の髪もとても綺麗ですわ」
「……そうかな?」
「ええ。白に近い銀色は、とても優しい印象を受けます。まるで雪のように清浄で、汚れのない色ですわ」
白は汚れのない色。確かにそう言われることはある。だが、自分の心と比較をすれば、とてもこの白銀を汚れないとは言い難い。
「優しい印象? 雪って冷たいのに?」
冷たさに焦点を当てれば、なるほど自分に当てはまっているのだろうと思う。リディアスを取り巻く世界が暖かかったことなど、これまでなかったのだから。
「確かに雪は冷たいのですけれど……。なんと言いますか、世界が白銀に染まるとわくわくしませんか? まるで世界のすべてが清められたように思えて、神聖な気持ちになるといいますか……」
何かを思い出しているのだろう、フィーラはどこか遠くを見るように微笑んでいる。リディアスにはその微笑みこそが神聖なものであるかのように感じた。
「……世界が白銀に染まるか。ティアベルトではそこまで雪は降らないけれど……どこかで見たことあるの?」
リディアスの問いに、フィーラが一瞬固まり、そしてまごつきながら言い訳をはじめた。
「え? ……ええと、見たことはありません。……想像しました。世界を埋め尽くすように雪が積もったら、きっと美しいだろうと……」
「想像で言ったの? はは。やっぱり君っておかしいね」
きっと想像したのではない。その雪の光景はこことは違う世界で見たのだろう。
フィーラがステラと同じ、こことは別の世界から来た魂を持っていることは、フォルディオスで確信したことだ。
「え、ええ。ふふふ……」
「……僕はね、フィーラ嬢。君と話していると何だかとても安心するんだ」
髪の色が似ているからだろうか。フィーラと話しているとまるで家族と話しているかのようにリディアスは安心するのだ。
しかし実際のリディアスは家族と話すことで安心などしない。王である祖父のことは慕っているが、やはり王としての印象が強い。フィーラに感じるこの感覚は、それこそリディアスの想像だ。家族との会話とは、きっとこのようなものなのだろうと。
「まあ……。それはありがとうございます」
フィーラは礼を言いながらも、きっとリディアスの言葉を理解はしていない。そんな心理も顔に現れている。
精霊の力を使うまでもない。フィーラは心の内を隠そうとしないのだ。貴族としては致命的だが、野心を持たないその心は貴重だ。
他愛もない話をしてフィーラと別れたあと、リディアスは瞬時に切り替わる己の心に気が付いていた。
リディアスは常に気を張っている。それは王宮でも学園でも変わらない。そしてそれはステラの前でも同じだった。
ステラがディランに心を傾けることを面白くないと思うのに、フィーラと話していると誰にも感じたことがないほどに心が落ち着く自分がいる。
「こんなに気が多かったのかな、僕は……。これでは父のことを言えないな」
長年支え合って来た婚約者である母ではなく、街で出会った女性を選んだ父。
ステラはリディアスの婚約者ではないし、フィーラたちには婚姻を申し込むつもりだと言いながらも、いまだその言葉を本人には伝えていない。今のリディアスとステラの関係は傍から見たら少々密接なものと映るかもしれないが、本人たちはいたって健全な付き合いをしていると言える。
もとよりリディアスは本気でステラを望んでいたわけではなく、リディアスたちが精霊姫という地位につけようとしている存在だったから、手元に置いておこうとしたまでだ。
「いや……父よりも最低か」
リディアスはステラに心を捧げるつもりもないのに、ステラの心を縛ろうとした。別の女を愛し母を捨てた父よりも、愛してもいない女を騙して利用しようとしているリディアスの方がよっぽど卑劣だ。
「それとも……僕は本当はステラを愛しているのかな」
フィーラに心惹かれていると言うのに、ステラを手放す気にもならないのは、そういうことなのだろうか。
考え事をしながら廊下を歩くリディアスに、すれ違う人々の視線が集まる。リディアスは自身が人目を惹く容貌をしていることは自覚していた。
リディアスが視線をあげ目があった令嬢たちの集団に微笑むと、とたんに令嬢たちは喜色を表し、控えめながらも各々挨拶の言葉を口にする。
その挨拶に応え、令嬢たちの横を笑顔で通り過ぎ、リディアスは特別クラスを目指す。すると目指す扉の前で佇むステラを見つけ、リディアスは気を引き締めた。最近ステラの情緒が不安定だ。記憶に混乱が生じているのだ。
それは常にステラの傍を離れない精霊がステラの苦しみや悲しみを随時消し去っているからだが、ステラはそのことを自覚していない。それどころか、自分に付き従う精霊のことさえ今は忘れている始末だ。
ステラは精霊と契約していない。なぜなのかはわからないが、そのことがステラの記憶の混乱を招く一つの原因となっていることは確かだろう。
契約をしていない精霊の力を使えば、使った本人にもその力は影響する。ましてや精霊はステラ本人にその力を使っているのだ。それはステラの無意識の望みを精霊が察知しているせいなのだが、結果的にステラを追いつめることになってしまっている。
そのことに気が付いたのはステラと話すようになってしばらくしてからだった。そしておそらくその精霊の暴走ともいえる行動には、リディアスの精霊が関わっているのだ。
リディアスの精霊は光の精霊。光の精霊は人の隠された想いや感情を増幅させる。
守護精霊との契約は、精霊教会の精霊士を通して行われるいわば仮の契約だ。精霊教会が扱いの難しい光の精霊をリディアスにつけたのは、父の希望だ。精霊教会に金品を渡し、普段は守護精霊にはあまり使わない光の精霊をつけさせたのだ。
通常精霊の力を使うときはその力は契約者以外の他者へと向かうが、契約者本人もまったく影響を受けないというわけではない。しかし精霊が契約者に影響が出ないように、力を行使すると同時に契約者を護ってもいる。だからこそ精霊との契約は大切なのだ。
そして光の精霊、闇の精霊はほかの精霊と違い、常に己の力を周囲に対し発揮している状態だ。他の精霊もそこに存在するだけでその精霊の特性の元となった物質に対し影響力を持っているが、しかし光と闇が影響を及ぼすのは人の精神だ。
リディアスは精霊士の素質があったから己に対し発揮された力にも対処できている。しかし、もしリディアスに素質のなかった場合は、いずれ精神を崩壊させていた恐れもあった。
むしろ父はそれを望んでいたのだろう。リディアスが王太子に相応しくないと判断されれば、選ばれるのは弟のカーライルだ。
しかし父のそんな企みは、リディアスに精霊士の素質があったことで失敗した。
「ごめんね、ステラ。待たせちゃった?」
「リディアス……」
縋るように己を見つめるステラに、ほんのわずかな愛しさを感じるようになったのは、いつの頃からか。
リディアスが最初にステラに会ったのは、ステラがマーチ伯爵の養子になってすぐの頃だった。
カラビナとテレンスは国が近い。祖父は父に疎まれているリディアスを案じて、よく顔つなぎをかねて他国へ連れて行ってくれた。
その日もちょうどカラビナの王宮へ来ていたリディアスは、同じく精霊姫候補として王宮に来ていたステラを見つけたのだ。
カラビナの王宮からの帰り、マーチ伯爵とともに歩くステラを見つけたリディアスは、すぐに確信した。この少女こそが、リディアスの運命を変える少女であると。
だがその時は話しかけたりはしなかった。はじめてステラに話しかけたのは、入学してしばらくたってからのことだ。
「フィーラ嬢とね、話をしていたんだ」
「……フィーラと?」
フィーラの話を出すことは、ステラの精神をよけい不安定にさせる恐れがあった。しかしステラの欲望を煽るためにもっとも効果的な存在も、またフィーラなのだ。
「そう。彼女はとても美しいね。美しくて、優しくて、純粋だ」
「そ……うね。フィーラは、私なんかよりもよっぽど、主人公に相応しいわ……」
リディアスの言葉に、眉を下げ悲しむステラ。
「でも安心して? ステラ。僕はずっと君の味方だ」
リディアスの言葉に、ステラが顔をあげる。その瞳には確かな喜びと、安堵が見て取れた。
そう。リディアスはずっとステラの味方だ。もうそれ以外を選択することなど許されない。
自分はフィーラに惹かれている。しかし同じようにステラのことも手放すのは惜しい。
一度気づいてしまったその気持ちを、もう無視することは出来ない。認めるしかない。だが今更すべてをなかったことにして舞台から降りることは出来ないのだ。
リディアスは行くところまで行くしかない。たとえその道の行きつく先が、望んだものとは違うのだとしても。




