第127話 もしや修羅場ですか?
昼休み、いつものように図書館へ行こうとしていたフィーラは、建物の物陰に潜む数人の人影に気が付いた。
図書館へ行く道筋は何通りかあり、フィーラはいつも気分によって通る道を選んでいた。
――普段と違う行動をとることって、脳を活性化させるって言われているのよね。
今日選んだ道は、普通科の教室の近くを通る道だ。
建物の陰に複数の人の影。あまり近寄りたくはなかったが、この物陰を通らなくては図書館には行けない。今から引き返し別のルートで行くことも出来たが、こちらは何も悪いことをしているわけではないのに引かなければならないのも、何だか癪だ。
――そっと通り過ぎれば大丈夫よね?
治安の悪い場所だったらすぐに引き返していたかもしれないが、ここは天下のティルフォニア学園。悪質な事件に巻き込まれるようなこともないだろうと、自身が以前薬を盛られたことも忘れ、フィーラはなるべく物音を立てないように、静かにその物陰の横を通り過ぎようと歩みを進めた。
しかし、近づくにつれだんだんはっきりと聞こえてくる会話に、フィーラは歩みを遅くする。
――なんだか……痴話喧嘩? のような感じね。でも複数人いるわ。四人……いえ三人ね。
男性一人に女性二人。男性を壁際に追い詰めるような形で、女性二人が取り囲んでいる。
――もしや、二股をして修羅場……なんてことはさすがにないわよね? わたくしたちまだ学生よ?
しかしたまたまフィーラの周囲でそういったことが起っていないだけで、社交デビューした貴族の間ではそういった男女間のトラブルは意外と頻繁に発生しているのだ。
――もし本当に二股をかけていたのなら責められている男性は自業自得だわ。
しかしそんな修羅場には遭遇したくはない。やはり引き返そうかとフィーラが思案していると、ふいに取り囲まれている男性と目が合った。
赤味の強い紅茶色の瞳。クリーム色の柔らかそうな髪はどこかで見たことがある。
――あら? もしかして、ウォルク様?
取り囲まれていた相手はウォルク・マクラウド。精霊姫の甥と言っていた、柔和な笑顔が印象的な青年だ。
ウォルクはフィーラと目が合うと、わずかに目を見開き、そしてなんとフィーラに声をかけて来た。
「やあ、メルディア嬢。この間はありがとう。ちょうど良かった。話したいことがあったんだ」
にこやかな笑顔でフィーラに手を振るウォルクに、フィーラはあっけにとられ固まる。
――ええ? わたくしに話したいこと? 絶対嘘ですわよね!
フィーラはウォルクに礼を言われるようなことは何もしていないし、ウォルクがフィーラに話すことだってないだろう。女性二人から逃れたいがための嘘にしか思えない。
しかしウォルクに詰め寄っていた女性二人の姿を確認したフィーラは、なんとなく事情を察した。
ウォルクに詰め寄っていた二人はテレンスの精霊姫候補の二人だ。ウォルクもテレンス出身、精霊姫の甥ということから、おそらくリディアスとも顔見知りだろう。
――この間のことを、リディアス殿下の代わりに問い詰められているのかしら?
そうだとしたら、少し気の毒だ。本来ならああやって問い詰められるべきはリディアスであってウォルクではない。
――まあ、もしかしたら違う事情かもしれないけれど、それ以外には考えられないわよね。
よもやウォルクが精霊姫候補二人を二股にかけているなどありえないことだろう。
仕方なしにフィーラはウォルクに手を振り返した。
すると候補者二人の間をスルリと通り抜け、ウォルクがフィーラの元へとやってきた。
「助かったよ。ありがとう」
二人に聞こえないよう小声でフィーラに礼を言うウォルク。わずかばかりフィーラと距離を詰めて行われたその行為に、二人の精霊姫候補からの冷たい視線が突き刺さった。
――うう。完全に巻き込まれてしまったわ……。
しぶしぶと帰っていく二人だったが、きっと諦めてはいないだろう。こちらに火の粉が飛ばないよう祈るしかない。
「ウォルク様……もしやリディアス殿下のことで責められていたのですか?」
「……よくわかったね。ああ……君も夏季休暇中フォルディオスへ行っていたのだったね。その通りだよ。リディアス殿下が彼女たちではなくステラ嬢を連れてフォルディオスへ行ったことで、彼女たちの機嫌を損ねてしまってね」
「それでウォルク様に文句を?」
「僕は一応リディアス殿下の学友なんだ。側近というほどではないけれど、伯母のこともあって王家とは普段から親しくしているからね」
「そうでしたか……。災難ですわね」
「仕方ないよ。彼女たちの気持ちもわかる。国の代表としてこの学園に来ている精霊姫候補である彼女たちより他国の候補を優先していたら、そりゃ面白くはないよね」
――まあ、ウォルク様。なかなか話のわかる方なのね。
今回聖五か国から二人ずつ選出されている精霊姫候補たちは、それぞれの国がバックアップすることが通常だ。なぜなら国から出た候補が精霊姫になった場合、聖五か国の中でもその国の発言権が強まるからだ。
――でも、わたくしも別に王家から特に何もバックアップは受けていないわよね? それに王太子であるサミュエルもわたくしのことは放っておいているわ。
「ですがそれはウォルク様に言うことではありませんわ。第一、一応は候補の身として言わせていただければ、今のところ国や王族からの優遇が必要と感じたことはございませんわ」
「へえ……。君はそう思うんだね。でも君みたいに考える人間は稀だよ。皆自分を特別扱いして欲しいんだ。ましてや自分が受けるべき待遇を他の人間が受けていたら、反発して当然だ」
「……厳しい意見ですわね」
微笑みながらきつい意見を言うウォルクを、フィーラは驚きを込めて見つめる。
「厳しいかな? 普通の意見だと思うけど? 僕は別に彼女たちを批判しているわけじゃないよ。言ったろう? 彼女たちの気持ちもわかるって。君は彼女たちの気持ちは間違っていると思う? 君のほうが彼女たちを厳しい目で見ているんじゃない?」
ウォルクの言葉に、フィーラは目を見開く。
フィーラとて彼女たちのことを批判しているわけじゃない。リディアスがステラを連れてフォルディオスへ来た時には、テレンスの候補者たちが面白くないだろうとも思った。
「わたくしとて、批判しているわけではありませんわ。ただ、リディアス殿下ではなくウォルク様に不満を言うのは意味がないだろうと思っただけです」
「そうでもないよ。僕に言えば殿下にも話が伝わる。もっと言えば、自分たちを悪者にすることなく僕に上手く言ってほしいと思ってのことだろうね」
ウォルクは先ほどフィーラのほうが彼女たちを厳しい目で見ているといったが、やはりウォルクの目のほうがよほど厳しい見方をしている。
あるいはウォルクは人の心の機微を捉えるのが得意なのだろうか。
「まあ、彼女たちのことはもう良いよ。殿下にはありのままを言っておく。どのみち彼女たちが精霊姫になることなどないからね」
今度こそ、フィーラはウォルクの言葉に驚きを隠せない。なぜウォルクは彼女たちが精霊姫になることはないだなどと言いきれるのか。
「……なぜ、そんなことがわかるのですか?」
「なぜ? 他人を羨むだけの人間が、本当に精霊姫になれると思う?」
「ですが……」
「その点、君はまだ見込みがあるだろうね」
「ウォルク様……」
「ありがとう、フィーラ嬢。助かったよ。今度お礼をしなくちゃね」
ウォルクは無邪気な笑顔をフィーラに残し、さっさとその場から立ち去ってしまった。お礼をするとは言ったが、きっと社交辞令だろう。
――別に本当にお礼をして欲しいわけじゃないけれど……。何だか今日は図書館に行く気が削がれてしまったわね……。
ウォルクとの会話は、何となくだがフィーラから気力を奪ってしまった。
今日は気分を変えて散策でもしようと、フィーラはいつもの中庭へ行くことにした。
途中、普通科の教室の前を通りかかったフィーラは見知った深紅の髪の令嬢を見つけ、立ち止まる。
――あれは……サルディナ様。まあ、あんなに大勢に囲まれて、ご友人が多いのね。羨ましいわ……。
友人たちに囲まれるサルディナと異なり、今現在フィーラはひとりで廊下を歩いている。
先日のパーティのこともあるし、声をかけたかったが、人に囲まれたサルディナを見てフィーラは声をかけることを躊躇してしまった。
しかしサルディナたちに近づくあと数歩というところで、サルディナがフィーラに気づき声をかけてくれた。
「フィーラ様!」
サルディナの声に、サルディナと一緒にいた令嬢たちも同時にフィーラのほうを見る。その視線の鋭さに一瞬怯んだフィーラだったが、すぐに持ち直しにっこりと笑った。気持ちで負けてはいけない。
「フィーラ様。先日は当家のパーティにお越しくださり、ありがとうございました」
「サルディナ様……こちらこそ、招待していただけて嬉しかったですわ」
フィーラが礼を言うと、サルディナが薄っすらと頬を染めてはにかんだ。サルディナの容貌は大人びていて色気がある。そのように頬を染めて笑う姿は、実に艶めかしかった。
「フィーラ様……。あの……またお誘いしてもよろしいかしら?」
「もちろんよ。次はお兄様も一緒にいければいいのだけれど」
「ロイド様はお忙しいのでしょう? 今ゲオルグ様について宰相補佐の仕事を学んでいると聞いております」
サルディナのその言葉に、一緒にいた令嬢たちが瞬時に反応したことがわかった。
――そういえばお兄様、いまだに婚約者がいないものね。これは優良物件だわ……。そうするとわたくしは小姑ということになるのかしら?
「宰相様がお歳なもので、卒業したらお兄様も補佐の一人として働くと聞いております」
ロイドは公爵家の跡取りだが、おそらく卒業後はゲオルグとともに王宮でも働くことになるだろう。ゲオルグも公爵として領地経営をしながら宰相補佐の仕事をしている。
領地に関してはコンラッドに多くのことを任せているが、そのコンラッドの後を継ぐのがクリスだ。
「わたくしに婚約者ができれば忙しいお兄様の手を煩わせることもないのですが……」
――でも、お兄様もパーティに呼ばれているときは相手がいないから一人で行っているのよね。女性よりも男性のほうがシングルで行きやすいからいいわよね。
「どなたかお相手はいらっしゃらないのですか?」
聞いてきたのはサルディナを取り囲んでいた一人、茶色の髪の令嬢だ。彼女が聞いているのは婚約者というよりは、この学園で恋人は出来なかったのかという意味合いだろう。
「残念ながら……。わたくし以前のこともありますし、難しいかもしれないわ」
フィーラがそう答えると、とたんに令嬢たちの雰囲気が変わった。
「まあ……以前のことなど、気にする必要はありませんわ。メルディア様は精霊姫候補なのですから」
「そうですわ。それに噂よりも話しやすくて驚きました。噂も意外と当てにならないものなのですね」
――あら? 何故か皆さま好意的だわ。最初は視線に怯えたけれど……。わたくしの気のせいだったのね。
「フィーラ様。フィーラ様は世界中、どこの王族へも嫁げる御身分なのです。いいお相手が見つかりますわ」
サルディナの言葉は嬉しいが、さすがに素直に受け取ることはできない。
――それは言い過ぎでは……? 王妃教育も終えていないのにどこの王族へもなんて……。ああ、もしかして、精霊姫候補だからということかしら? それなら確かにお飾りの妃としてなら成り立つかもしれないわ。あるいは第二妃とか?
「まあ、ありがとうございます。ですが見つからなかったらそれはそれで良いと思っているのです。領地にでも引き籠って暮らすのも楽しそうですし」
フィーラの言葉に令嬢たちは何といったらよいかわからないというような表情をしている。少し前衛的すぎる意見だったかもしれない。
「ほほほ……。まあ、なるようになりますわ」
フィーラは微妙な心持のままのサルディナたちと別れ、また廊下を歩き出した。




