第125話 身を焦がすような
ヴァルターとクラリッサ、二人と別れたフィーラとテッドは、二人ともしばらく無言だった。
「……今の話、本当だとしたらすごいですね」
「え?」
「お嬢様は精霊姫候補で、ジルベルトは聖騎士候補です。お二人の先祖がもし恋仲だったとしたら、運命的なものを感じないでしょうか?」
テッドがめずらしくも真剣な面持ちでフィーラを見つめる。
――テッド……こういう話好きなのかしら? 意外とロマンチストね。
「はっきりそうだと決まったわけではないわ。わたくしはともかく、ご先祖様のことを無理やりわたくしたちに結び付けて考えては、ジルベルトが可哀想よ」
「どこがですか! むしろ羨ましいです!」
――やっぱりテッドはこういう運命的な恋の話に憧れているのね。でも、やっぱりジルベルトの耳に入ったらあまり良い感情は抱かないんじゃないかしら?
例え相手のことを嫌ってはいなくとも、何とも思っていない相手とのことをからかわれるのは、互いに気まずい思いをするだけだ。
「テッド、今の話は誰にも内緒よ? 妙な噂になってしまっては困るわ」
「もちろんです!」
テッドは拳を握り締め、いつになく気合を入れた返事をした。
「あら? フィーラ様ではありませんか?」
突然かけられた声に、フィーラとテッドが後ろを振り返る。
「あ……リーディア様」
「ご機嫌麗しゅう。フィーラ様。そして……テッド様」
にこりとテッドに向けて微笑むリーディア。フィーラがテッドを覗き見ると、頬を染めている。
――まあ……気持ちはわかるわ。リーディア様、ご令嬢の見本のような方だものね。
リーディアは薄い紫色のドレスを着ている。金茶色の髪はアップされていて、ドレスと同じ色の大きなリボンを付けていた。
――やっぱり可憐ね、リーディア様。ステラ様と並ぶと本当にお人形のようなのよね。あ……そういえばリーディア様がいるということはサミュエルもいるのかしら?
サミュエルの婚約者候補がリーディアに決まったことはすでに知っていたが、いまだに候補とつくことに驚いてもいた。
――やっぱりステラ様のことがあるからかしら? でもリディアス殿下もステラ様に求婚するつもりだと言っていたし……そうなるとリーディア様の立場が……。
元サミュエルの婚約者候補のフィーラとしては、今のリーディアの立場には思うところがある。もしステラがリディアスではなくサミュエルを選んだとすれば、リーディアの立場は危うくなるだろう。
――いえ、はっきりとサミュエルの気持ちを聞いたわけではないのだけど……。
「フィーラ様は今日はテッド様といらしたのね?」
「ええ、急遽兄の代わりに出ていただいたの」
「そうなのね。わたくしもサミュエル殿下の都合がつかなかったから、兄と出ているのよ」
「お兄様……ルーカス様ですか?」
「いいえ。上の兄よ」
――上のお兄様……確か、ルドルフ様だったかしら?
「今は挨拶回りをしているわ。兄が公爵を継ぐ日もそう遠くないでしょうし……」
「……そうなのですか?」
――ああ、でも確かリーディア様は上のお兄様と年がだいぶ離れているのだったわ。
「ええ。フィーラ様のお姿が見えたから、わたくしだけ逃げて来たの」
「まあ、逃げて?」
「挨拶周りなど面倒ですわ」
「まあ、意外ですわ。わたくしが言うのならまだしも」
「ふふ。わたくしだってそんな気分のときもあります。ねえ、フィーラ様。サミュエル殿下の婚約者候補は大変だったのではない?」
リーディアの言葉に、フィーラはわずかに息を飲む。世間的にはフィーラなどを婚約者にしたサミュエルこそが大変だと思われていた。否、実際にそうだったのだろう。フィーラは言いたいことを言い、好き放題やっていた。サミュエルからしてみたら、とんだ厄介者だ。
「……わたくしよりも、サミュエル殿下のほうが大変でしたわ、きっと」
「あら……。ふふ。変わられましたわね、フィーラ様。今のあなたなら、わたくし良い友人になれそうだわ」
――友人……。リーディア様と? 嬉しいけれど……なんだかしっくりこないわね。
決してリーディアが嫌いなわけではない。リーディアとはいわば幼馴染のような関係だ。しかし友人かと問われれば、違うと答えざるを得ない微妙な関係だった。
――まあ、リーディア様も、「今のあなたなら」、「良い友人になれそう」、と言っているものね……。
「友人と言えば……リーディア様はステラ様と仲がよろしいのね」
「ええ。ステラ様は考え方が斬新で、とても刺激を受けていますわ」
「刺激……」
――これもまた意外ね……。刺激を求めるタイプだったなんて……。
「意外ですわ。刺激をお求めになる方ではないと思っておりました」
「ふふ。いいえ? わたくし、刺激的なことは大好きですわ。とくに美しく激しい恋物語など、とても好んでおります。……奪われる体験など、してみたいと思いませんこと?」
最後のひっそりと囁かれるように告げられたリーディアの言葉に、フィーラの心臓が跳ねる。
――まさか……サミュエルの元から奪われたい……という意味ではないわよね?
ステラと仲の良い、リーディア。もしかしたら、サミュエルがステラのことを特別扱いしていることに気づいているのかもしれない。
――あるいは、二人の恋? を刺激的だとして応援していらっしゃる?
「ふふ。まあ、わたくしには夢物語ですわね。王太子の婚約者候補になど……。だからこそ、他人の恋物語に心惹かれるのかもしれませんわ」
「まあ……リーディア様……」
何と返したものかわからず、フィーラは曖昧な答えを返すにとどまった。否定も肯定もしにくい案件だ。
困ったフィーラはついテッドに助けを求めてしまった。
「そういえば……護衛騎士と令嬢の恋物語なども巷では人気があるわよね? テッドは見たことがあるかしら?」
「は……いえ! 見たことは……ありません」
「あら? そういえばテッド様は元メルディア家の護衛団出身だったかしら?」
「は、はい」
「まあ……素敵ね、美しいわ」
心なしうっとりとした表情でテッドを見つめるリーディアに、フィーラはぎくりとする。
――美しい……? テッドのこと? いえ、テッドは美しいと言うよりは可愛らしいと言うべきだけど……ああ……まさかリーディア様……テッドに奪われたいとか思ってしまったとかないわよね?
「リ、リーディア様。サミュエル殿下とて美しさは相当のものですわよ? ま……まあ、あまり情熱的ではありませんが、婚約者を無下にするようなお方ではないはずです……!」
「……フィーラ様? どうかなさいました?」
――あれ? 勘違い?
きょとんとした表情で首を傾げるリーディアに、後ろめたさは見当たらない。
「い、いえ……」
「ふふ。実際に体験したいとは思いません。わたくしは見ているだけでよいのですわ」
そういって笑ったリーディアの笑みは屈託のないもののようにフィーラの目には映った。しかし本心からの言葉かどうかはわからない。なにしろリーディアはフィーラが知る中でも一番と言ってよい淑女なのだ。自分の気持ちを隠すことくらい朝飯前だろう。
兄の元へ戻ると言い去っていったリーディアの背中を見送り、フィーラはリーディアがサミュエルと上手くいくことを祈った。
「ああ……本当に変わったのね、フィーラ。どうしましょう、結構好みだわ」
ふう、と悩ましいため息をつくリーディアに、遠巻きに見つめる紳士たちからの熱い視線が刺さる。
「迷うわね。ステラが精霊姫になった姿も美しいだろうと思ったけれど……今のフィーラもなかなかだわ」
「リーディア、ここにいたのか」
人をかき分けて近づいてきた兄、ルドルフを、リーディアは笑顔で迎える。
「あら、お兄様」
「あら、じゃない。急にいなくならないでくれ。君はサミュエル殿下の婚約者なんだぞ。一人になって何かあったらどうする」
「婚約者じゃありませんわ。まだ候補です」
目を細め、猫のように笑うリーディアに、ルドルフは少しだけ眉を下げ、小さく溜息をついた。
「……リーディア。なぜ決めないんだ。何か不満か?」
「不満? サミュエル殿下にですか? まさか、そのようなことあるはずがありませんわ」
「ならなぜ……」
「お兄様……サミュエル殿下には想い人がおられます」
「……それはあのカラビナの精霊姫候補のことを言っているのか?」
ルドルフが言っているのは言わずもがなステラのことだ。デュ・リエールのさい、ステラを伴っていたサミュエルの姿は国中の貴族の目に触れている。
「……わたくしの口からは」
瞼を伏せ視線を外すリーディアに、ルドルフは一瞬だけ次の言葉を躊躇する。しかしすぐに表情を引き締め、兄ではなく次期公爵としての顔を作った。
「……たとえ殿下に想い人がいようとも、殿下の正妻となるのはお前だ、リーディア。相手は精霊姫候補だが、お前も精霊姫候補だ。殿下がもしそのカラビナの精霊姫候補を妃にすることを望んでも、立場はお前のほうが上。お前が気後れすることはない」
「……ええ、お兄様」
それきりリーディアは口を噤む。しかし、扇で隠した口元には、わずかな笑みが浮かんでいた。
ティアベルトの騎士団の宿舎からほど近い場所に、犯罪者を収容する塔が建っている。
犯罪者を収容する塔の廊下を、手に灯りを下げ歩く男がいる。文官の制服を着たその男は長い廊下を数メートル歩いた末、一人の男が収容されている部屋の前でピタリと足を止めた。
「……ニコラス・ソーン。話がある」
男の声に応えるように、部屋の小窓が開き青い目が覗く。色素の薄い青色は今は少しだけ灰色がかった彩色を見せていた。
「……何だ、あんた。俺に何の用だよ」
「なかなか肝は座っているようだな。助けてくれとは言わないのか?」
「言えばあんたは助けてくれるのか?」
ニコラスの質問に、男は微笑むだけの答えを返す。その笑みからは応か否かの判断は難しい。
「無理だろ。俺は精霊姫候補でもある公爵家の令嬢に薬を盛ったんだ。自分のしたことはちゃんと理解しているさ」
ニコラスの瞳が瞼によって隠される。
「そうか。でも、お前に悪気はなかったんだろう?」
「……あんた何言ってるんだよ。薬を盛って既成事実を作ろうとした奴に悪気がないわけないだろ?」
「世間の見方はどうでもいいんだ。お前はどうなんだ? 何故既成事実を作ろうとした。単に公爵家に取り入りたいだけなら、それは悪手だということくらいお前にだってわかるだろう」
男の言葉に、ニコラスは口を噤み俯く。
「彼女が好きだったんだろう?」
しかし、男の言葉を聞き、すぐさま顔をあげた。ニコラスは目を見開いて男を見つめる。
「何を驚いている。調書にはお前の犯行理由として、メルディア家の令嬢に一目惚れしたからと書いてある」
小窓から見えていたニコラスの青い瞳が一瞬消え、幾分奥から声が聞こえた。
「……あんた、文官か」
一歩下がったことによって、男の服装をニコラスが視認したのだ。
「これでお終いでお前は良いのか?」
「……何を」
「メルディア公爵家の令嬢は、精霊姫候補だ。お前が罪を償って世間へ出たとしても、これからは近づくことさえできなくなるだろう」
男の言葉に、ニコラスが唇を噛みしめる。
「今が最後の機会だ。俺がお前を牢から出してやろう」
「……何を言っているんだ。そんなことをしてあんたに何の得がある」
「お前はそんなことは考えなくてもいい。どうする。俺が手助けすれば、お前はこの牢から出ることができる。一か月後には精霊祭だ。そのときを狙って彼女に会え。これが最後の機会かもしれないぞ。彼女に会えるのは」
男の誘惑に、ニコラスが目を泳がせる。葛藤している様がありありと分かるが、男はそんなニコラスにさらに畳みかけた。
「服を用意してやる。給仕服だ。王宮の庭園では立食が用意されているから給仕もうようよといるはずだ。不審に思われないように注意しろ。基本、王宮内で働く者はすべて顔が割れている。長く時間は取れない。見つかるとまずいから場所は変えた方がいいな」
「……俺はやるとは言っていない……」
「やるさ。お前は。今日を逃せばもう永遠に彼女には会えないんだぞ? それでも良いのか? 惚れた女だろうが」
「たとえ話が出来たとしても、それだけだ。俺はその後どうなる。牢破りの罪まで加わってしまう。それに精霊祭まで俺はどこにいればいい。家にはもう帰れない。牢を出られたとしても、どうせすぐに捕まるさ」
「心配するな。それまで俺たちが匿ってやる。お前が目的を達成したあとはどうとでもしてやる」
「俺たち……?」
ニコラスの問いには答えずに、男は獰猛な笑みを浮かべる。
「頷け。そしたら、今からお前は自由の身だ」
男が持つ鮮やかな青色の瞳は、薄暗い廊下の灯りの下でもらんらんと輝いている。男の勢いに押されるかのように、ニコラスは気がついたら首を縦に振っていた。




