第124話 秘密の恋文
誤字報告ありがとうございましたm(__)m
夏季休暇も残すところ一週間を切ったある日、フィーラはゴールディ公爵家主催のパーティへと馬車で向かっていた。
「あの……お嬢様。本当に俺で良いんでしょうか……?」
おずおずとフィーラに確認してくるのは正装をして隣に座るテッドだ。
「もちろんよ。急に頼んだりしてごめんなさい」
「い、いえ! 光栄です!」
テッドがぴんと姿勢を正し、膝の上においた拳を握り締める。緊張しているのがありありとわかり、フィーラは少々申し訳なく思った。
二週間前、ゴールディ家からの使いが屋敷を訪ねてきて、フィーラはサルディナからの招待状を受け取った。
サルディナとはデュ・リエールのあと、特に親しくしていたわけではなかったが、学園内で出会うたびにはにかんだような笑顔を見せてくれるようになった。
サルディナがそれ以上踏み込んでこないので、フィーラとしても適切な距離を保って接していた。
今回のパーティはフィーラにとってはデュ・リエール以来となるパーティだ。しかも自身が友人と思う相手からの誘いとあれば、心が浮き立つのも無理なからぬこと。サルディナからの招待に浮かれたフィーラは、その場で参加する旨の手紙を使者に手渡した。
しかしその日の夕方、ゲオルグとともに帰宅したロイドにフィーラは予定を確認したが、残念なことに最近ゲオルグに付いて勉強しているロイドは予定に空きがなかった。
パーティへの参加は男女一組が基本だ。既婚者ならパートナーの都合が悪い場合は、一人での参加も許される。しかし未婚の男女の場合は、誰かしらパートナーを見繕って参加することが望ましい。絶対ではないが暗黙の了解のようなものだ。
それを踏まえてなお一人で行くと言うのなら、壁の花になる覚悟はしていかないといけない。
どうしたものかと悩んでいたフィーラだったが、問題はすぐに解決した。ロイドからパーティへの参加を断られた翌日、テッドがたまたま古巣である護衛団へと顔を出すためにメルディア家に挨拶に現れたのだ。
最初は固辞していたテッドだったが、護衛団の者たちが皆フィーラに協力してくれ、しぶるテッドを説得してくれた。フォルディオス土産を渡したことが功を奏したのかもしれない。
――本当に、タイミングよくテッドが帰ってきてくれて助かったわ。聖騎士候補であるテッドならパートナーとして不足はないもの。
フィーラとしてもサルディナからの招待は嬉しかったのだ。出来れば断りたくはなかったので、本当にテッドには感謝しかない。
サルディナから受け取った招待状には、ぜひロイドとともに来て欲しいと書かれていた。
公爵家の令息であるロイドと釣り合う相手となると、誘える相手も限られてくる。だが、聖騎士候補なら元がどのような身分であれ、ロイドの代わりをするのに不足はない。
――サルディナ様はわたくしに婚約者がいないことを考えて、兄と一緒にと書いてくれたのかもしれないわね。
テッドに参加してもらうことをロイドに告げると、ロイドはすぐさま仕立て屋を呼んでテッドの服をその場で注文してしまった。テッドはとても恐縮していたが、フィーラに釣り合う恰好をしろとロイドに一喝されて押し黙った。
急ごしらえだったので、テッドの着ている服はフィーラがどのようなドレスを着ても合わせられるように、無難な色と作りにしてある。しかし一目で良いものとわかる素材を使っていた。
フィーラはサルディナがよく着ている赤と水色のドレスを避け、フィーラの瞳と同系色の、ピーコックグリーンのドレスを着ていた。
馬車がゴールディ公爵家へと着き、馬車が止まる。
馬車から降り公爵邸に入ったフィーラは、笑顔のサルディナに出迎えられた。
「フィーラ様!」
満面の笑顔でサルディナがフィーラに向かって駆けてくる。今日のサルディナは髪や瞳の深紅を引き立てる濃い水色のドレスを着ている。
「サルディナ様。お招きありがとうございます」
フィーラがサルディナに向かって挨拶をする。
「フィーラ様。こちらこそ、ご参加くださりありがとうございます」
サルディナに促され、フィーラとテッドは会場の中央へと導かれた。
人が集まる中央には、サルディナと同じく深紅の髪と、同じ色の顎鬚をたたえた壮年の男性がいた。サルディナの父、ゴールディ公爵だ。
フィーラたちに気づいた公爵は、大げさに表情を動かし、大股で近づいてきた。
「これは、メルディア公爵家の……ようこそお越しいただきました」
「お招きいただきありがとうございます。公爵様」
フィーラは公爵に向かって深く礼をする。その姿を見た公爵が笑みを深くした。
「噂に違わぬ大層な美しさですな。こちらは……?」
公爵はテッドに値踏みをするような視線を向ける。
「兄のロイドの代わりにわたくしのパートナーとなってくださった。聖騎士候補のテッド・バーク様ですわ」
フィーラの紹介に、公爵の目に先ほどまで浮かんでいた嘲りの色が消えた。
「おお……! 聖騎士候補ですか! それはそれは……」
「ロイド様の代わりにはなれませんが、フィーラ様のお相手を努めさせていただきます。テッド・バークと申します」
堂々とした態度で公爵に挨拶をするテッドは、まるでいつもとは別人のようだ。
――まあテッド……。見違えたわ。
テッドの方が年上だったが、フィーラはテッドに対し、まるで姉のような心境を持っている。公爵相手に立派に挨拶をするテッドを見たフィーラは、感動で胸が熱くなった。
「精霊姫候補と聖騎士候補に参加いただくなど、大変名誉なことだ! ゆっくりと楽しんでいってくだされ」
公爵は周囲に聞かせるようにひと際大きな声を出した。どうもこの公爵は言葉も態度も芝居がかっている人物のようだ。
「父は他人に対し見栄を張る癖があるのですわ。精霊姫候補と聖騎士候補がパーティに参加してくれたことが、相当嬉しかったのでしょうね」
公爵が去った後、サルディナが呆れ半分、嫌悪半分と言った様子で囁く。
――テッドは別として、わたくしは候補とはいえ補欠なのよね。まあ、それをわざわざ伝えたりはしないけれど。
「フィーラ様。父の言う通り、どうぞパーティを楽しんでくださいませ。わたくしは挨拶周りをしなければなりませんが、何かございましたらすぐにお呼びください」
また後程ご挨拶に伺います、そういって去っていくサルディナの後ろ姿が見えなくなるまで、フィーラはその場に呆けて立ち尽くしていた。
――サルディナ様……以前とはまるで別人だわ。あんなに穏やかに微笑む人だったかしら?
学園で会うサルディナを見て、変わったとは思っていたが、今日のサルディナはまた一段と以前との違いが顕著だ。
何がそんなに違うのだろうと考えていたフィーラは、公爵に対するサルディナの態度が、以前とは変わっていることに気が付いた。
以前のサルディナは、恐らく公爵に対して怯えていた。もちろん、表面的にそのような態度を取っていたわけではない。しかし緊張というものは見ている相手にも伝わるものだ。
サルディナは以前、確かに公爵に対して身構え、緊張していた。しかし今日のサルディナは公爵の前でも自然体だったのだ。
――サルディナ様……本当に、良い方へと変わられたのね。
「サルディナ様、変わられましたね……」
まるでフィーラの心を読んだかのような言葉を、テッドが発した。驚いてテッドを見上げるフィーラに、テッドが言葉を付け加える。
「ロイド様の護衛で、公爵とサルディナ様のお姿を何度か拝見したことがあります。その時のサルディナ様は、もっと緊張していました」
――テッドもわたくしと全く同じことを思っていたのね……。
しかもテッドはフィーラよりも格段にサルディナと会う機会は少なかっただろう。それなのにサルディナの変化を恐らく正確に感じ取っている。
――それにしても……公爵、テッドと会ったことがあるんじゃない。まあ、ほとんどの人間はパーティに来る人間の護衛の顔までは覚えないけれど。
フィーラとて誰かの護衛としてついてきた人間の顔を、覚えているかと問われれば、否と答えるだろう。しかしその扱いをテッドが受けたとなると、それはそれで面白くなかった。
――いえ、さすがに自分のことを棚に上げて公爵のことを言うのは駄目よね。わたくしも今度からはちゃんと護衛の顔を覚えておきましょう。
とはいえ、フィーラの記憶力では限界というものがある。ならばこれから出会うすべての人間に対して、誠心誠意つくそうではないか。そうしておけば、相手が例え忘れられていたと気づいたとしても、そこまで嫌な気分にはならないはずだ。
――そもそもテッドもそのことを気にしている様子はないものね。
むしろ気にしているのはフィーラのほうだ。
フィーラとテッドが話をしていると、突然誰かが声をかけて来た。
「テッド・バーク。偶然だな。君も参加していたのか」
フィーラたちに声をかけてきたのは、黒髪に青い瞳の青年だ。隣には同じく黒髪に青い瞳をした年上の女性を連れている。
――この方……確か……。
「ヴァルターさん」
テッドが青年の名を呼ぶ。学園に魔が出た際、サミュエルの護衛としてルーカスとともに魔と闘った青年だ。
「こちらの令嬢は……もしやメルディア家の?」
ヴァルターが青い瞳でフィーラを見つめる。まるで南国の海のごとく、目の覚めるような青色だ。
――ああ、綺麗……。なんて美しい青なのかしら。
「お嬢様、こちらはジルベルトのお兄さんのヴァルターさんです」
テッドから紹介されたヴァルターは、やはりどことなくジルベルトに似ていた。
「フィーラ・デル・メルディアと申します。ジルベルト様にはいつも良くしていただいております」
フィーラの挨拶に、ヴァルターがわずかに目を見開く。
「……こちらこそ、弟が世話になっている。こちらは俺の母だ。今日は父の代わりに俺がパートナーを務めている」
「まあ……ジルベルト様のお母様でしたか」
「はじめまして、メルディア様。ジルベルトの母のクラリッサと申します」
「クラリッサ様、どうぞフィーラとお呼びください」
「まあ、そんな恐れ多いわ」
「友人のお母様ですもの。何もおかしなことはございませんわ」
「それでは……お言葉に甘えて、フィーラ様と呼ばせていただきます」
クラリッサが上品な笑みを浮かべながらフィーラを見つめる。フィーラもクラリッサに微笑み返した。
ヴァルターとテッドを後目に、意外にも気が合ったフィーラとクラリッサは他愛もないことをしゃべり続けた。
「まあ、ジルベルトが? あの子無愛想なのに、よく怖くなかったわね」
クラリッサはすでに最初の遠慮などどこ吹く風で、フィーラに対し砕けた口調になっている。
「確かに最初は少々不愛想とは思いましたが、すぐにジルベルトが優しいことはわかりましたわ。さりげなく、他人を気遣ってくれるのです」
「ふふ。うちの男たちはみんな不愛想で不器用なのよね」
とりとめもなく話をするうちに、いつしかメルディア家から出た精霊姫二人の話になった。
「メルディア家からはお二人も精霊姫が出ていらっしゃるでしょう? 何か精霊に好かれるような秘密とかあるのかしら?」
「……母さん」
クラリッサのともすれば不躾すぎる質問に、ヴァルターが制止をかける。
「あら、いいじゃない」
「秘密があるとは聞いていませんが……二人目の精霊姫はとにかく花が好きだったらしいのです。自然を愛する気持ちが、もしかしたら精霊の印象を良くしたとかあるかしら?」
「それは……あるかもしれないわ。精霊と自然は切っても切れないものだもの。そういえば……うちの家系からは聖騎士が一人でているのよ。花で思い出したわ」
「聖騎士ですか?」
――花で聖騎士を思い出すなんて、これまた奇妙な……。
「それは初めて聞きましたね。うちから聖騎士は出ていないと記憶していましたが」
ヴァルターがクラリッサの言葉に反応する。
「ああ、コア家じゃないわ。私の生家よ。リヒテルの家。四代前だか、五代前だかのご先祖様の一人に、聖騎士となった人間がいるのよ」」
「その話、父さんは?」
「知っているはずよ。別にそれが理由でコア家に嫁いできたわけじゃないけれどね」
「俺たちの先祖の一人ということですが、その方のご子孫は? 聖騎士ならリヒテルの家を継いだわけではないのでしょうが、聖騎士となった者の子孫なら本家に迎え入れることもあるでしょう」
ゲオルグのように王宮での職務と当主を兼任する人間も多いが、聖騎士ではそれは少々無理がある。聖騎士は常に大聖堂へと詰めるため、実質的な当主の仕事はできないだろう。
しかし聖騎士となることはとても名誉なため、もしその聖騎士が子どもをもうけた場合、その子どもを本家に迎えることもそう珍しくはないのだ。
「そうね。でもその方、結婚はしなかったようよ」
――あら? どこかで聞いたような話ね……。
メルディア家の四代前の当主の長女も、結婚はしていない。
「なぜ、結婚しなかったんです?」
意外にもヴァルターがそこに食いついた。女性ほどではないが、やはりその当時結婚をしないということは珍しいことだったのだろう。
「ふふ。それがね……身分違いの恋をしていたからという話が、リヒテルの家には伝わっているのよ」
――……ますますどこかで聞いたような話ね……。……まさかね。
「身分違いですか?」
大人しく話を聞いていたテッドが会話に加わる。
「そうなの。相手が誰だかは伝わってはいないけれど……誰か想う相手がいたことは確からしいのよね」
「どうして確かだとわかるのですか?」
「手紙が残っているからよ」
口元に手をあて、紅を引いた唇を真横に引き、クラリッサが笑う。
「相手に出すはずだったのか、あるいは相手から貰ったものなのかわからないけれど、手紙にはカナンの君へと書かれていたわ」
うっとりと頬を染めるクラリッサ。女性ならば身分違いの恋に憧れる気持ちは理解できる。だが、フィーラにとってはそれどころではない。
――四代前か五代前……精霊姫は年期がばらばらだから一概に年代が合っているとは言えないけれど、もしかして、もしかしたら……フェリシア様のお相手って、クラリッサ様のご先祖様だったのでは……。
フェリシアの一番好きだった花はカナンだと、先日ゲオルグから聞いたばかりだ。そしてフェリシアの瞳の色はカナンの色。
「あの……クラリッサ様、身分違いとおっしゃいましたが、リヒテルの家の爵位は……?」
「うちは今は子爵家だけれど、元は男爵家よ。二代前の当主が武勲をたてたことで、男爵から子爵へと格上げになったの。そのときの武勲が元で、うちとコア家の縁ができたのよね」
当時、公爵家であるフェリシアと男爵家であるクラリッサの先祖では、確かに身分違いと言ってもおかしくはない。
「ふふ。もしかしたら、うちのご先祖様が恋していたお相手って、メルディア家のご先祖様だったりしないかしら? そしたらとても素敵よね。その子孫の二人が、今は友人だなんて」
正確には直系の子孫ではないだろうが血は繋がっている。やはりクラリッサもその可能性を考えたのだろう。
――そうなのよね……辻褄が合うのよ。というかタイムリー過ぎる……。
ひとつの物事が紐解かれると、次々に新しい事実が浮かび上がってくるのは意外とよくあることだ。
「母さん、そんなことを言われては、メルディア嬢も困ってしまいますよ」」
フィーラが戸惑っているのを見て取ったヴァルターがクラリッサを窘めた。
「いえ、そんなことは……。ただ少し意外だったもので、驚きました」
困っているわけではないのだが、困惑はしている。だがそれは先祖の秘密の恋を垣間見てしまった気まずさのようなものだ。
「まあ、そうね。まだ成人したばかりだもの。大人の恋の話はまだ先よね」
ふふふ、と笑うクラリッサに対し、フィーラは力なく微笑むことしかできなかった。




