第123話 二人の精霊姫
夏季休暇も残すところあと十日あまり。
フィーラは遅い昼食を取るために、食堂へ向かう屋敷内の廊下を歩いていた。
広く長い廊下には深紅の絨毯が敷いてあり、その両脇の壁には代々の当主とその夫人たちの肖像画が掛かっている。
一番手前側に掛かっているのは、父ゲオルグと母ネフィリアの肖像画だ。
――こうして改めてみると、わたくしってお母様に似ているわね。
母と違うのは髪の色だけだ。それでも最近は父に似ているロイドとも似ていると言われることがあるから、当たり前だが、両親ともにどこかしら似ている部分は受け継いでいるのだろう。
――お父様は白金の髪に薄紫の瞳。お母様がストロベリーブロンドに青緑の瞳。お母様のストロベリーブロンドって王家の色じゃないわよね。どこから来たのかしら。
ティアベルトの王家は金髪が多い。フィーラが知る限りでは、ストロベリーブロンドは母ネフィリアしかいないはずだ。
――お母様と陛下は異母兄妹……お母様のお母様の生家の色かしら? それにしても、まさかお母様とカラビナの王弟殿下が元婚約者だったなんて驚いたわね。
最初にネフィリアがゲオルグと別の人間と婚約していたことを教えてくれたのはマルクだ。マルクは以前のフィーラにも良くしてくれた。父や兄が忙しいときなどは、よく食堂へ行きマルクと話をしたものだ。
――話というか……一方的にわたくしが喋っていただけのような気もするわ。マルクが作ってくれた料理に関してもよく文句を言っていたわね。
フィーラは廊下を進み、食堂へと入る。ゲオルグとロイドは王宮にいるので、昼はいつもフィーラ一人だ。
「御機嫌よう、マルク。今日の昼食は何かしら?」
「おお、お嬢様! ちょうど準備終わったところです! 今日はスープとサンドイッチです! スープはまる一日かけて鳥肉と一緒に煮込んでいますからね。滋養がたっぷりですよ」
「まあ美味しそう」
フィーラはゲオルグとロイドがいない日は、できるだけ質素なメニューにしてもらえるようお願いしている。以前は食べきれない量がテーブルに並べられていたので、マルクも最初は本当にそれでいいのか何度も確認してきたが、いまではその少ない品数に手をかけてくれるようになっている。
昼食を食べ終えたフィーラは、頃合いを見て食堂にいるマルクに話しかけた。
「ねえ、マルク。マルクは以前、お母様がお父様以外の方と婚約していたと教えてくれたでしょう?」
フィーラの言葉を聞いたマルクが少しだけバツの悪そうな顔をしたのをフィーラは見逃さなかった。
その話を聞いたのはフィーラがほんの小さな頃のことだ。きっとマルクは子どもだったから話してくれたのだろう。
――わたくしも良く覚えていたものだと思うわ。心に残ることは結構覚えているのね。
「いいのよ。わたくしもう真相を知っているの。お母様はカラビナの王弟殿下と婚約していたのでしょう?」
「……いやぁ。知ってしまわれましたか」
「別に隠すようなことではないのではない? そりゃ、普通は破談となった婚約のことをあまり吹聴することはないけれど」
しかもマルクはメルディア家の使用人。いくら事情を知っていてもあれこれ話を持ち出すのは気が引けるのかもしれない。
「確かに破談にはなりましたが、ネフィリア様は何一つ悪くありませんからな」
「王命だと聞いたわ」
「そうですな。カラビナとの繋がりが欲しかった当時の王家が、ネフィリア様を嫁に出すことを無理やり決めたんです」
「無理やり?」
「ネフィリア様はゲオルグ様のことを好いておられましたからな」
「それも聞いたわ。公爵家のお父様よりも、カラビナの王族に嫁ぐ方が確かに利はあるかもしれないものね」
だがそれも一概には言えない。結婚相手に何を望むかによって、変わってくる。
「それもありますが、カラビナはネフィリア様のお母上の生国ですからな」
「え? そうなの?」
それは初耳だ。ネフィリアの母は第二妃であり、視察に出た先で、先王が見初めたとは聞いていた。しかしそれがカラビナだったとは知らなかった。
「わたくしどうして知らなかったのかしら? その話は有名なの?」
「いいやぁ。それがどうやらネフィリア様のお母上はカラビナの王家の庶子らしいという話でしてね。ネフィリア様のお母上が王家に嫁がれる際にはどこかの高位貴族の養女となったらしいですが、あまり出自を広めてしまうとどこから話が漏れるかわかりませんからな。当時の関係者の間では公然の秘密というやつらしかったそうですよ」
「マルクはその話は誰から聞いたの?」
「俺は先代から聞きましたね」
「おじい様から……」
――なるほど、フロレンシア様とはわずかながら血がつながっていたのね。
「それでも、結局は破談となってしまったのね。戦争が絡んでいるのでしょう?」
「そうですな。カラビナとメルキアンテがきな臭くなりましたからなぁ。さすがの王家も戦争が始まるかもしれないというさなか、王女を嫁がせることを得策とはしなかったのでしょうな」
「そのおかげで、お父様とお母様は一緒になれたのよね」
「まあ、それからも一悶着ありましたが……」
「え? 何? 何があったの?」
「いや、まあそれは……さすがに俺の口からは」
「……そうなの。わかったわ。ごめんなさいね」
――これ以上は聞けそうにないわね。
食堂を後にしたフィーラは、腹ごなしに庭園へと向かった。庭園の散策は学園入学以前はフィーラの日課だった。
この休暇中も、ほぼ毎日のようにフィーラは庭園を散策しては緑や花々を眺めている。庭師とも随分と打ち解けたものだ。
しばらく庭を木立沿いに歩いていると、薔薇で創られたアーチが見えて来た。
――この世界の動植物って、前世の世界と同じものと、似てるけど違うもの、何もかも全く異なるものが混在しているのよね。薔薇も百合もあるけれど、桜がないのは残念だったわ。でもその代わりをしてくれるのがカナンなのよね。
フィーラは前世の世界と同じ紅色の薔薇のアーチをくぐり、噴水のある一画へ出た。
すると、そこには噴水を眺めるコンラッドがいた。
「あら? コンラッド。珍しいわね」
父ゲオルグの侍従であるコンラッドはいつも忙しく立ち回っている。このように手持無沙汰で庭園を眺めている姿は非常に珍しい。
「フィーラお嬢様」
コンラッドが軽く敬礼をする。この侍従はいつ誰に対しても礼儀正しいのだ。
「今は薔薇の花が見ごろね」
薔薇のアーチを風がくぐると、濃厚な花の香りが辺りに漂う。
「そうですね。あとはイーリスもですね」
イーリスは菖蒲に似た植物だ。薄い水色の可憐な花が、薔薇の紅の下で優雅に咲いている。
この庭園は古くからメルディア公爵家にあるものだが、四代目の当主の長女によって大々的に改装されているらしく、いつ、どの季節でも花々が咲き誇るように設計されているらしい。
この世界にも四季はあるが、ティアベルトは比較的冬も温暖な地域で雪も滅多に降らないため、植物にとって生息しやすい土地になっている。
――でも、ここより四季の差が激しいカラビナのほうが、花で有名なのよね。
フィーラはまだ一度もカラビナの地を訪れたことはない。しかし花好きのフィーラとしてはぜひ一度は訪れてみたい土地だ。
――……そういえば。
「ねえ、コンラッド。精霊姫になった方の肖像画ってうちにはないわよね」
「肖像画ですか?」
「ええ。確か七代前の当主の三女のお名前がルシェル様、四代前の当主の長女のお名前がフェリシア様だったわよね。このお二人の肖像画って、わたくし見たことあったかしらと思って」
メルディア家の庭園を眺めながら、フィーラは隣に立つコンラッドに尋ねる。
「ありますよ」
「え? あるの?」
精霊姫にまでなった人物だ。肖像画がないのは少々おかしいと思ってはいたが、そんなこともあるかもしれないくらいに思っていた。
「ええ。お二人の肖像画はゲオルグ様の私室に飾ってあります」
――お父様の私室……そういえば、執務室には入ったことは何度もあるけれど、お父様の私室には入ったことはないわね。
「コンラッドは見たことがあるのかしら?」
「はい。ゲオルグ様の私室に移される以前に」
「以前?」
「フィーラお嬢様が小さい頃はまだ応接間に飾ってありましたね」
「そうなの? 何故移したのかしら?」
「さあ? それは存じ上げませんね」
コンラッドが笑みを深くする。その意味深な笑顔は、もしかしたら真相を知っているからなのかもしれない。
「……わたくしも見てみたいわ。お父様にお願いすれば見られるかしら?」
「そうですね。お願いしてみてはいかがでしょう」
その後フィーラとコンラッドはしばらくの間噴水をながめてから、屋敷へと戻った。
「お帰りなさい。お父様、お兄様」
夕方になるとまるで魔法使いのような黒いローブを纏ったゲオルグと、色違いの灰色のローブを纏ったロイドが帰ってきた。一見すると地味だが、縁にはふんだんに金糸と銀糸で刺繍が施してあった。
「フィー! ただいま」
フィーラを見たロイドが相好を崩す。
「良い子にしていたかい? フィー」
そういって両手を広げるゲオルグに、フィーラは軽く口をとがらせた。
「お父様……わたくしもう子どもではないのですよ?」
まるで小さな子どもにちゃんと留守番ができたか尋ねるかのようなゲオルグに、拗ねるフィーラ。これはここ最近のゲオルグとフィーラのやりとりだ。毎度のことで呆れもするが、これも親孝行と思いフィーラはゲオルグにつきあっていた。
「お父様、夕食の後お聞きしたいことがあるのですが……お時間いただけますか?」
侍女にローブを手渡すゲオルグに、フィーラが訪ねる。
「うん? 何だい?」
「ルシェル様とフィリシア様のことを」
「ああ……精霊姫になった二人のことかい? いいよ。そういえば物心ついてからのフィーは肖像画を見たことがなかったかな? 夕食の後私の部屋に来なさい」
フィーラはゲオルグがあまりにも簡単に了承したことに驚く。
――意外と簡単に承諾してくれたわね。なにか理由があって見せないのだと思っていたわ。
「父様、僕も見たいんだけど」
これまた脱いだローブを侍女に手渡しながら、ロイドが言った。
「ん? ロイドも見たことがなかったかい?」
「小さい頃一度見たきりだよ」
「そうだったか……。うん。まあ、いい機会だ一緒に見よう」
夕食後、フィーラとロイドをゲオルグが私室に案内してくれた。ゲオルグの私室は無駄なものをすべて省いたかのようにすっきりとしている。そのままフィーラたちは寝室へと案内された。
「これが精霊姫となった二人の肖像画だよ」
ゲオルグが壁に掛かっている三枚の絵を見せてくれた。一人は廊下に飾ってあるのとは別のネフィリアの肖像画だ。そしてあとの二人。一人は金髪に緑玉の瞳、もう一人は白金色の髪に薄紫の瞳だ。
白金色の髪の令嬢の肖像画を見たフィーラは驚きに息を飲んだ。
「……お父様、フェリシア様はわたくしにそっくりに見えるのですが」
ネフィリアの肖像画を見たときもフィーラにそっくりだと思ったのに、なんと言うことか、フィーラはフェリシアにも似ていたのだ。
――ああでも……王家とメルディア公爵家は血が近いわ。お母様の髪色はティアベルトの王家の色ではなかったけれど、容貌には王家の血が濃く出ていたのね。
「何かさ……母様の肖像画を飾るのはわかるんだけど……何で精霊姫二人の肖像画が寝室にあるの?」
ロイドが顎を指で撫でながら三つの肖像画を眺める。
――それは……わたくしも思ったわ。どういった理由があるのかしらって。
ロイドとフィーラの胡乱とした視線を受けたゲオルグが、慌てて言い訳をする。
「そんな目で父親を見るのはやめなさい! 寝室にこの肖像画を飾ったのは小さい頃のフィーがこの絵を見て泣き出したからだよ。とても手が付けられないほどだった。一番フィーの目から隠せる場所がここだったからここに隠したまでだ」
「え? わたくしが……?」
――全然覚えていないわ……。なぜわたくしはこの絵を見て泣いたのかしら?
「……あまりにも自分に似ていたからかしら?」
「いや、当時はフィーはまだ幼いだろ? そこまで似ていることはないだろう」
「そうですわよね……」
「私もフィーが何で泣いたか結局分からずじまいだったんだよ。でも肖像画が見えなくなってからは落ち着いたから、うっかりそのままになってしまったんだ」
「そうだったのですね……」
「でももう大丈夫みたいだから、元の場所に戻そうか。この二人はメルディア家の誇りだからね」
そういって肖像画を見つめるゲオルグに、フィーラは気になっていたことを尋ねる。
「このお二人って、どういう方たちだったのでしょうか?」
七代前と四代前ではすでに二人を直接知っている人間はこの世にはいない。しかし二人とも精霊姫になる以前と以後で人が変わったというような情報が伝わっていることからも、他の伝聞も何かしらあるはずだ。
「そうだね。ルシェル様はあまり情報が残ってはいないけれど、フェリシア様の情報なら多少は父上から聞いているよ。フィーもフェリシア様が花が好きだったことは知っているだろう?」
「ええ。ここの庭園と大聖堂の庭園に手を加えていらっしゃるとか」
「ここの庭に植えてある早咲きのカナンはフェリシア様のために精霊が手を加えたものだ。カナンはフェリシア様が一番好きだった花らしいね」
――品種改良のようなものかしらね。
「……わたくしもカナンの花が一番好きかもしれませんわ。そう言えばお父さまとお兄様の瞳の色に似ていますわね」
「僕たちの瞳の方がもっと濃いけれどね。確かに色調は似ているかな」
ロイドとゲオルグは顔を見合わせ互いの瞳を見つめる。二人の瞳もかなり色素は薄いが、二人の瞳を更に薄めた色が、カナンの色だ。
――わたくしもこの瞳の色が良かったわ。いえ、でもお母様の色なのよね、わたくしの瞳の色は。肖像画のお母様の瞳はとても美しいと思うのに……。
自分の瞳を美しくないと思っているわけではないのだが、色の好みというものは誰にでもある。フィーラは自分の瞳の色よりも父と兄の瞳の色の方が好きらしい。
「しかしルシェル様もフェリシア様も絶世の美女だな。フェリシア様はフィーにそっくりだし、ルシェル様はメルディア家の血が色濃く出ている。引く手あまただったろうね」
メルディア家は怜悧な美貌を誇る家系だ。ゲオルグもロイドもどちらかと言えばクールな美貌を持っている綺麗系。フィーラは可愛いと綺麗の中間あたりだろうか。
――どっちつかずね、わたくし。肖像画で見るお母様はとても可愛らしいのに、似ている容姿でもわたくしとでは印象がまるで違うわ。
「そういえば、このお二人はご結婚は?」
メルディア家の寄り子は何家かあるが、精霊姫となった二人の血が続く家系のことは聞いたことがない。
「ルシェル様はなさっていたはずだよ。ただ血筋はもう何十年も前に途絶えてしまっている。フェリシア様はご結婚はなさらなかったようだね」
「まあ……」
――この時代に結婚しないのは、かなり珍しいのではないかしら? 何か事情がおありだったとか?
「どうしてご結婚なさらなかったのでしょうか」
「それがね……身分違いの恋をしていたから、という話が伝わっているんだ」
「ええ⁉」
「へえ」
驚くフィーラとは対照的に、ロイドは口笛でも吹きそうな表情をしている。
「身分違いって、相手は平民だったとか? でも当時なら子爵や男爵でも身分違いになるか」
――そうよね。今でも公爵家の女性が嫁ぐのは伯爵家までが多いわ。今よりも封建的な時代だもの、低位の貴族が相手でも身分違いになっていたかもしれないわ。
「相手の身分は伝わっていないし、そもそもこの話自体が後世作られたものかもしれない」
「作られた?」
「結婚しなかった理由として、悲恋をでっちあげたってことか」
「そんなぁ……」
「おや? フィーはこの話に興味があったのかい?」
「そうですわね……。ちょっと興味があります。当時結婚しないことを選ぶことは、なかなかに大変だったと思うのです。それでも独り身を貫き通した理由には興味がありますわ」
「ああ……そっちかい。でも、そうだね。もしかしたら案外本当のことだったのかもしれないね」
「そうだとしたら……お相手はどんな方だったのでしょうね?」
生涯独り身を決意させるほどに、好きな相手だったのかもしれない。そう思えば、何ともロマンティックではないか。
いまだ恋をしたことのないフィーラにとって、それは未知の感情であり、ある種の恐怖にも似たものだ。
――たった一人の存在によって、己の行く末が決まってしまうこともあるのだもの。
いつか自分も誰かを恋しいと思う日が来るのだろうか。今はまだわからないその未来に、フィーラはフェリシアの肖像画を見ながら思いを馳せていた。




