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前世を思い出したわがまま姫に精霊姫は荷が重い  作者: 星河雷雨


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第121話 澱んだ水



「トーランド先生。ご機嫌うるわしゅう」


 研究室に入ろうとしたトーランドは、背後から声をかけられた。振り返った先にいたのは、トーランドの生国、カラビナの第三王女だ。


「フロレンシア様……国には帰られなかったのですか?」


「ええまあ。帰ってもお兄様たちが煩いだけだしね。それよりもトーランド。ちょっと相談があるのだけれど」


 光に透ける薄い茶色の髪を揺らし、フロレンシアが小首をかしげる。


「相談ですか? それは珍しい」


 この王女が自分のところに来るときは愚痴を言いに来くことがほとんどだ。甘えられているといえば聞こえはいいが、ようするにトーランドは体よくはけ口にされているのだ。


 トーランドは研究室の扉をあけ、中に異変がないことを確認してからフロレンシアを招き入れる。


「恋の相談なのよ」


 応接用の長椅子に腰を下ろし、フロレンシアが言った。


「……恋ですか。申し訳ありませんがそれは私の不得手とするところでして……」


「知ってるわ。冗談よ。本題は別。フェスタ家のことよ」


「……フェスタ家がどうしましたか」


 本家の名が出たことで、紅茶を用意していたトーランドの動きが一瞬止まる。


「フェスタ家は昔からテナトア派の急先鋒だったけれど、最近は特に精霊教会に対する影響力が増しているのよ。不自然なほどに」


「それは……ルディウス様が精教司となりましたし、マークスも大聖堂付きの精霊士です。影響力はそれなりに増してもおかしくはないのでは?」


 トーランドの生家、ローグ家の本家であるフェスタ家は、代々優れた精霊士を輩出している歴史のある家系だったが、今は特に、現当主であるルディウスが精霊教会の最高位である精教司となり、その息子であるマークスも大聖堂付きの精霊士となっている。閉鎖的な精霊教会において影響力があるのは当然だろう。


「最初はそうかと思ったんだけどね……。どうもそれだけではないようなの。関係していないわけではないけれど、それだけであそこまでの影響力は持てないと思うのよね」


「……マークスは人心を惹きつけるすべを心得ていますから」


「それはそうかも知れないけれど……でもそうじゃないのよ」


「フロレンシア様……それはどなたのご意見ですか?」


「……私よ?」


 トーランドの問いにフロレンシアは一瞬視線を泳がせ、誤魔化すようにトーランドに向けて微笑んだ。

 

 カラビナ国において有数の精霊士の家系であるフェスタ家の分家であるトーランドの生家ローグ家は、本家ともども王家とも親交が深い。


 名のある家の分家とはいえ、ローグ家は男爵位だ。それでもこうやってフロレンシアが重要な案件をトーランドに話すのにはまた別の理由があった。


 トーランドの父親がフロレンシアが幼い頃にフロレンシアの家庭教師を務めていたことで、トーランドは幼い頃からフロレンシアとは親しかったのだ。


 だから、トーランドはこの意見がフロレンシアのものと聞いたときに違和感を持ったのだ。

 フロレンシアは決して頭が悪いわけではない。しかし常なら些細な違和程度、気のせいだと放っておく大雑把な気質をしているのだ。それをここまで不透明な違和に拘るのはフロレンシアらしくない。


「違いますね」


「ちょっと! なぜ私ではないと思うのよ!」


「……そこは重要ではありません。どなたのご意見ですか?」


「……お兄様」


「王太子殿下ですか?」


「いいえ?」


「それでは第二王子殿下?」


「いいえ?」


「……フロレンシア様には兄上はお二人しかおられなかったと記憶しておりますが」


「実はね……」


「聞きたくありません」


 フロレンシアが言いきらぬうちに、トーランドはその言葉を遮る。


「ちょっと!」


「そういった機密事項をむやみやたらに他人に話さないでください」


「いいじゃない。もう話しちゃったし」


「……誰にですか?」


「ロイド様」


「ロイド君ですか? メルディア家の?」


「そうよ。あとジークフリート殿下と、フィーラ様にも」


「フィーラ嬢?」


「あら? 知ってるの」


「……ええ、まあ。それよりも、いくら王家と公爵家の人間といえども、他国の者である彼らにカラビナ王家の醜聞を教えたのですか?」


「何よ、醜聞て!」


「表に出せない王子など王家の醜聞以外の何物でもないでしょう」


「醜聞なんて言ったらお兄様が可哀想よ!」


「もちろん。そのお方は何も悪くはありませんし、自らの存在に何も恥じ入ることはありません。ですが、王の女好きには王を敬愛する民とて匙を投げているくらいなのです。四人の王子に五人の姫ですよ? そのうちの半数がすべて母親の違う庶子です。側妃のお子ですらないのです。ここにきてまた庶子が見つかったなどと言ったら……民の心が王家から離れる事態になるやもしれません」


「お父様はもうしょうがないわよ。そういうものと思っていなければ疲れてしまうわ。……それでもほかの子たちは王族と認められているのに……お兄様が可哀想だわ」


 フロレンシアが眉根を寄せ、俯く。その様子を見たトーランドが仕方ないというようにため息をついた。


「……どなたなのですか? そのお兄様とおっしゃるのは」


 トーランドの言葉に、フロレンシアが途端に笑顔になる。


「ふふ。すごいのよ。聖騎士になっているの」


「聖騎士? 平民から聖騎士になったのですか?」


「そうみたい。酔っぱらった宰相から私には兄がいるという情報を得たから探してみたのよ。そしたら聖騎士になっているじゃない? 驚いたわ」


「……またお酒を混ぜた紅茶を出したのですか……いつか痛い目にあいますよ?」


「大丈夫よ。次の日には記憶がなくなっているのだもの」


 悪びれもせず言い放つフロレンシアに、トーランドは頭を抱える。


「……確証はあるのですか? そのお方があなたの兄上だという確証は」


「もちろんよ。ちゃんとお兄様の母親とお父様の関係も調べたし、精霊による精査を行ったわ」


「……わかりました。それで、その方は具体的には何とおっしゃったのです」


「ここ最近の精霊教会の常にないほどに早い腐敗の進行度には、フェスタ家が絡んでいるのではないかと。もっと言えばマークス個人ね。あなたたちはほとんど同じ時期に精霊士になっているでしょう? マークスはその頃から何か変わっていない?」


「ほとんどとは言っても二年ほどの差がありますし、マークスが精霊教会に入ったときには、私はすでに精霊教会から離れていましたが……そのことが何か関係が?」


「協会内部での話を聞いてみたのよ。そしたら、マークスが突然変わった時期があったそうよ。それから両派閥の対立が激化したらしいし、汚職も進んだらしいの」


「……確かに、今のマークスは昔と変わりました。私ににこやかに話しかけるなど、以前の彼では考えられません」


「ふうん。じゃあ、やっぱりお兄様の言っていることは合っているのかしら? ……ねえ、トーランド。あなた精霊教会に戻るつもりはない?」


「……私は今でも精霊教会所属の精霊士です」


「そういうことじゃないわ。精霊教会の本部に戻らないかと言っているの」


「私が戻ったところで、何が出来るというわけではありませんよ」


「それでもよ。これから大聖堂は精霊教会の膿を出すつもりよ。教会の立て直しには優秀な人材が必要なのよ。あなたに戻って欲しいの」


「……あそこに戻るつもりはありません」


 トーランドが入った当時の精霊教会はテナトア派とルドア派の対立が激しさを増してきた頃だった。

 汚職が横行し、地位と名誉に縋りつき精霊士としての誇りを失くした彼らに失望したことは確かだ。だが、そう思っていてもそれを切り捨てることが出来ない自分にもまた、トーランドは失望していた。


 自分より若い精霊士たちが染まってゆくのを黙ってみているのは辛かった。だが保身のためにそれらを見ないふりをした。


 あるときテナトア派の重鎮である精霊士に、ルドア派の精霊士を嵌めるように命令されたことがあった。


「ローグ家に生まれた君に、断る選択肢はないだろう」


 耳元で囁かれたその言葉を聞いた時、もう何もかもがどうでも良くなった。そしてトーランドは精霊教会とは距離を置くことに決めた。


「じゃあ何? 誰かが悪党どもを一掃してくれるのを安全な場所から眺めているつもり? それで水が綺麗になったらまた戻ってくるの?」


「戻るつもりはありませんと言いました」


 トーランドはわずかに眉を顰めるが、しかし静かな口調でフロレンシアに言い返す。


「ねえ、トーランド。あなたがこれから精霊士を志す若者を想って、心を痛めているのは知っているわ。どうしたって、精霊教会に所属しないと精霊士としてちゃんとした職には就けないものね」


 トーランドの脳裏に、銀色の髪の勉強熱心な青年の顔が浮かぶ。彼は卒業後、きっと精霊教会へと身を置くだろう。


「でもね。今は絶好の機会なのよ。オリヴィア様も動いているの。今度の精霊姫選定に伴い、腐敗した精霊教会を一新しようとね」


「精霊姫が……?」


「そう。次代の精霊姫に少しでも棲みよい、澄んだ水を渡したいからって」


「次代の……精霊姫」


 柔らかく微笑む白金色の美しい髪をした少女は、精霊姫候補だ。彼女が選ばれると決まったわけではない。だがその可能性がないとは誰にも言い切ることはできないだろう。


「そうよ。今この学園で学ぶ彼女たちの誰かが、いずれ精霊姫となり大聖堂へと入る。大聖堂と精霊教会は切っても切れない関係よ。四十年ほど前、オリヴィア様が精霊姫になった頃はまだ良かった。すでに派閥はあったけれど、ここまで対立は激化していなかったわ。でも次の精霊姫はこの腐敗しきった精霊教会と付き合っていかなければならないのよ。どれほどの苦労をするか、想像がつくでしょう? 今の精霊教会は精霊姫すら自分たちの欲望を満たす道具にしか見ていないのよ」


「そんな……そこまでは……」


 いくら精霊教会とは距離を置いているとはいえ、今の教会がそこまで腐敗しているとは、さすがに思いたくはなかった。


「そうでなければ……次代の精霊姫を育てる学園の結界の不備を見て見ぬふりをするなんて真似をするわけがないわ!」


「フロレンシア様……」


 直情的で感情的なこの王女は、しかしそれだけの器ではない。正義の心が強く、助けを必要とする者がいれば、それが誰であろうと必ず手を差し伸べる。

 女好きだがそれでも皆に愛される現王に一番似ているのが、この第三王女なのだ。


「……遠い昔、精霊教会を発足したのはカラビナの王家よ。私たちにはあの組織を導く義務があるの」


 精霊教会を発足したのはカラビナの王家。そして初代の精霊教会の最高位である精教司は、フェスタ家の者だった。

 トーランドはその分家、ローグ家の出だが、精霊教会に対するカラビナ王家、ひいてはフェスタ家の重要性は幼い頃から父に聞かされてきた。そのフェスタ家が今の精霊教会の腐敗の原因になるなど、あってはならないことなのだ。


「ねえトーランド。あなたは分家であるローグ家の者だけれど……今は亡きフェスタ家の先代当主が言っていたの。マークスではなく、あなたがフェスタ家に生まれていれば、と」


 フロレンシアの瞳がまっすぐにトーランドの瞳を射抜く。


 あの場所に戻るのは今でも気が乗らない。しかし、これからの未来を背負っていく若者たちの助けになれるのなら、本当にそれが叶うと言うのなら……それを拒む理由はもうトーランドには残されていなかった。




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