第119話 波立つ心
「ひどいね。ステラは泣いていたよ?」
王宮の廊下を歩きながら、リディアスがディランを非難する。リディアスの言葉にもディランの表情は崩れない。微かな笑みを唇に浮かべながら、相変わらず目は冷めたままだ。
先ほどはせっかくなら二人だけにしてあげようと、リディアスは二人を残しその場を退場したが、精霊による監視は怠っていなかった。
しかし気づかれないように細心の注意は払ったはずが、この男には気づかれてしまった。そのことがリディアスの心を苛つかせていた。
「なら、あなたが慰めればいい」
まるで興味がなさそうにディランがリディアスに提案した。
「……本当にひどいね、君。僕じゃ駄目だってわかっていて言っているだろう」
ステラはリディアスの優しさを求めてはいるが、それはあくまで友情の域をでることはない。
「なぜ無理なのですか? 彼女はあなたのことを信頼しているように見えましたが」
ディランの言葉を、リディアスは考えてみる。ステラは本当に自分を信頼しているのだろうかと。
答えは否だ。ステラのリディアスに対するそれは信頼ではない。信頼とは似て非なるもの。ステラは、リディアスを信頼しているのではない。ステラ自身を信頼していないのだ。
だからリディアスの言葉に心から納得はしていなくとも、それが決定的な間違いとは思わない限り、リディアスの言うことに従うのだろう。
「……ステラは君のことが好きなんだよ。少しは優しくしようという気にはならないの?」
「好きですか? 初めて会ったのに? それに、私は優しくしましたよ。彼女はまだ子どもだ。怒っても仕方ない」
「怒る以上に、酷い言葉をかけていたけれどね……」
「そうですか? 私は本心を言ったまでです。彼女には精霊姫は無理だ」
「なぜ、無理だと思うのかな? 確かにさきほどのあれはいただけないが……」
「彼女は流されやすい。人の意見、あるいは状況に。あまり自分の意思がないように見受けられますね」
ディランに見つめられたリディアスの表情が消える。
「そういえば……確か、あなたの守護精霊は光の精霊でしたね。光も闇も絶対数が少ない。そのうえ相性の良い者も少ないから、精霊士においても光や闇の精霊と契約している者は少ない。王族へと付けられる守護精霊もしかりです」
「……そうだね。僕の守護精霊は光だ」
「光と闇の精霊の特性はいまだはっきりとはわかっていません。光の精霊の特性が何なのか、ぜひあなたに教えていただきたいですね」
「……僕にもよくわからないんだ。そもそも僕には精霊士としての資質はないからね」
「そうですか? 精霊は煌めくもの、美しいもの、珍しいものを好む性質を持ちます。髪、瞳、精霊の気を引く色や輝きを持っているものは精霊との相性が良い傾向がある。もちろんそれだけではありませんがね」
「へえ……それは初めて聞いたな。煌めく髪や瞳か。たとえば君の黄金の髪や僕の銀色の髪とかかな? でもそれでは意図的に家系に精霊士や聖騎士を増やすための政略結婚が行われてしまいそうだね。もしかしてそれを避けるためにあまり広めないようにしているのかな? そうだとしたら、それを僕に言ってしまっても良いの?」
「特に秘匿するほどのことでもないですよ。あくまで好む傾向なので、それさえあれば精霊と契約できるかと言えば、そういうわけでもありませんからね」
「なぜなら精霊は純粋な者、清廉な者を好むから」
ディランの言葉に対する一般的な答えを、リディアスが述べる。
精霊は純粋な者、清廉な者を好むとされているが、リディアスはそれだけではない、と思っている。どんな人間が精霊に好まれるか。それは良くも悪くも、精霊の興味をひいた人間だ。
「そうです」
「でもそれも一概には言えないよね? 精霊は興味があるものなら、たとえ純粋でも清廉でもない者を選ぶ場合もある」
「まあ、そうですね。今の精霊教会の現状を見ればそれは明白です。あるいは契約時には純粋だったものが、成長するにつれ捻じ曲がってしまったのかもしれません。それでも精霊は一度契約をした者からは死ぬまで離れないですからね」
「うん、そうだね。それで? 結局君は何が言いたいのかな?」
「特に。単なる話題です。しいて言うなら、あなたが精霊士の資質がないなどとおっしゃるから、それは謙遜だとお伝えしたかったからですかね」
「僕に精霊士としての資質ねえ……。そう思うのは僕が煌めく銀色の髪を持っているから? それともこの琥珀の瞳かな? ああ、それとも純粋だと褒めてくれている? あるいはそのどちらでもないけれど、ただたんに物珍しいから精霊の興味も惹くだろうってこと?」
父を飛び越え王太子となったリディアス。リディアスは父の家系の色も母の家系の色も受け継がなかった。巷では王家の血を引いていないのではないかと噂する者もいる。
しかし、今のリディアスの顔は父であるローランドにそっくりなのだ。長じるにつれローランドに似て来たリディアスに対し、公にそのことを口にするものは少なくなった。
「それは曲解というものですよ」
ディランが口の端をあげて笑う。今のリディアスの言葉に反応するということは、テレンスの王家の事情を知っていると言うことだ。
「……不愉快だな、君。本当に不愉快だ」
「ご機嫌を損ねてしまいましたか? いまだに貴族社会には慣れないものでしてね。申し訳ありません」
「……ああ、君は平民だったか」
「ええ、私は平民出の聖騎士です。ご不快でしたか? それにしても、あなたといい先ほどの精霊姫候補といい、私のことを良くご存じのようで」
「……君の言葉から推測しただけだ」
「そうでしたか。さすがは優秀と名高い王太子殿下ですね」
微塵もそうは思っていないだろうに、ディランはあっさりとリディアスの言葉に納得した素振りを見せる。あまりにも白々しい賛辞は、いっそ清々しいほどだ。
王が待つ部屋の扉の前にたち、リディアスは深呼吸をする。
「……さあ。陛下は中におられますよ」
怒りに身を任せたら、リディアスの負けだ。
リディアスが扉の前に立つ使用人に目配せをすると、使用人は鈴を鳴らし、客人の到着を王へと知らせた。中からまた同じように鈴がなり扉が開かれる。
「では陛下にご挨拶をして大聖堂へ戻るとしましょう。精霊姫が待っておりますからね」
リディアスに微笑みかけ、ディランは部屋の中へ入る。リディアスはその後ろ姿を見つめ、苦々しい思いで唇を噛みしめた。
魔が出た個所の検分をするために、カーティスは騎士科の敷地内を歩いていた。
すでに学園側や精霊教会の人間によって調査はなされていたが、カーティスは何度も足を運び、何か魔が残した痕跡がないか調べていた。
三体出た魔のうち、カーティスが実際に自分の目で見たのは一体のみ。魔に憑かれたアーロンは助かったが、そのまま聖騎士候補を辞退し、学園も辞めてしまった。命は助かったが、失ったものも大きかった。
「騎士になることを諦めなきゃいいが………」
場所を変えようとしたちょうどその時、急にカーティスの周囲に風が巻き起こった。次いで聞きなれた、しかしいつまで経っても耳に慣れない奇妙な音を拾う。
この音は風の精霊が移動するさいの独特の音だ。カーティスの精霊はこのような音を出さない。
「ディランか。珍しいなここに来るなど」
現れた男にカーティスが声をかける。一度だけ、授業の都合がつかないときに代わりに学園の教師をしてもらったことがあったが、それ以来学園には一度も来てはいなかったはずだ。
「ああ。ちょっと頼みたいことがあってな」
「頼み?」
「今は学生は夏季休暇中だろう?」
「ああ」
「学園が再会したら、ある精霊姫候補に注意を払ってもらいたい」
「……それは、猫をお前に託した子のことを言っているのか?」
「違う。……いや、彼女もだが。ステラ・マーチという精霊姫候補を知っているか?」
「ステラ・マーチ? ……ああ、あの子か」
聞いたことがある名だと思ったカーティスは、すぐにジルベルトに付きまとっていた少女のことを思い出した。確か模擬戦の時にもいたはずだ。
「その子が何だと言うんだ」
「オリヴィアが気にしている」
「オリヴィア様が……? まさか次の精霊姫として?」
「まさか。あの子では精霊姫は務まらない」
吐き捨てるかのようなディランの言い方が気になった。どうやら直接会ったことがあるらしい。教師の代わりを頼んだ時だろうか。
「何だ? お前も知っているのか?」
「先ほどまでテレンスに行っていた。こちらもオリヴィアに頼まれてな。そこに王太子の客人としてステラ・マーチが滞在していたんだ」
「王太子……? リディアス・テレンスか。特別クラスに在籍していたな。何だ、その子を妃にでもするつもりか?」
「そうかもしれないな」
「まあ、精霊姫も職務さえ果たせば誰と結婚しようが自由だ。候補のうちから唾をつけとくつもりなのかもしれないな」
「それならいいが……オリヴィアはステラ・マーチを気にしているようだが、俺は王太子の方がより気にかかる」
「ではそのステラという子だけでなく王太子も監視するか?」
「いや、王太子はしなくていい。……むしろ無暗に近づかないほうがいいだろうな。とはいえステラ・マーチと王太子は大抵一緒にいるからそれも難しいか」
ディランの言葉にカーティスが目を見開く。
「俺は一応聖騎士なんだが……その俺でもか?」
「聖騎士だろうが精霊士だろうが関係ない。彼の守護精霊は光だ。しかも、本人は否定していたが、彼は精霊士としての資質を持っている。もし自由に精霊の力を使用できるとしたら厄介だ。光の性質は闇の裏返しだからな」
一般的に認知されている精霊士の資質とは、精霊が見えることだ。しかし精霊と契約する者の中には契約をした精霊以外の精霊の姿が見えない者もいる。
ディランが言っている精霊士としての資質とは、言い方はあまり良くないが、精霊の力を利用する能力のことだ。それは感覚の鋭さ、想像力の豊かさ、応用力の高さなどがあげられる。
「光か……まあ、お前が言うからには気を付けた方が良いんだろうな」
「しかも王太子は今のところこれまでに起きた二つの事件すべてに関わっている線が濃厚だ」
「おい……どこまで、いや何を調査しているんだ。これまでに起きた事件というのは、王宮と学園に出た魔のことだろう? 本来魔に関する調査は精霊教会の仕事のはずだ」
「精霊教会でも調べているさ。こっちは独自に動いているんだ」
「……王宮に魔が出たとき、お前も出動したよな? お前だけじゃない、隊長とクリードも」
「ああ」
「何があった。証言が食い違う。話す魔の存在など、俺は聞いていない。他のやつらも聞いていなかった。かん口令が敷かれているのか? お前らに口止めできるのはオリヴィア様しかいないだろ?」
「まあ……俺はそろそろ話してもいいとは思うんだがな。大体の目星はついたし」
「何だ目星って」
「……時間とれるか?」
「すぐにでも」
「なら、オリヴィアに直接聞け」
ディランの言葉に、カーティスが頷く。すぐさま風と炎が渦を巻き、二人の姿をかき消した。




