第118話 ようやく会えた人
「陛下、お呼びでしょうか」
王である祖父フェリツィオに呼び出されたリディアスは、応接間へと来ていた。応接間には赤と薄い水色を基調とした絨毯が床全体に敷かれている。その部屋の奥、中央部分に置かれた豪奢なソファには二人の男が座っていた。
ひとりは祖父のフェリツィオだが、あと一人はリディアスの知らない男だ。
「ああ、リディアス。紹介しよう。こちらはオリヴィアの使いでやってきた聖騎士だ」
応接間に入ってきたリディアスに気づいたフェリツィオが、男を紹介する。どうやら機嫌が良いようだ。フェリツィオが男に向ける表情には親しみが込められている。
黄金色の髪に若葉色の瞳。聖騎士服を着ているこの男にリディアスは会ったことはない。会ったことはないが、知っている。ステラの記憶の中に、この男の姿があったからだ。
だが他の者たちと違い、この男の情報は少ない。知っているのはその容姿と、平民出身であることくらいだ。
だからリディアスは敵に相対したときのように、気を引き締めた。こちらの抱える弱みと強みを、この男に悟られないように。
王太子としての隙の無い笑顔を作ったリディアスに、男が先制をかけた。
「これは王太子殿下。私はディラン・コルディオと申します。オリヴィア様の使いで参りました」
低くいが柔らかい、よく通る穏やかな声で挨拶をするディランにリディアスが答える。
「これはコルディオ殿。よくおいでくださいました。精霊姫の使いとは、一体テレンスに何の御用ですか?」
「用があったのはコンスタンスの家だったのですが、テレンスは精霊姫の生国。その国の王にご挨拶するのは当然でしょう。オリヴィア様からもくれぐれもと仰せつかっておりますので」
「あやつがそんな殊勝なことをなぁ。幼い頃からしたら考えられん」
「陛下はオリヴィア様と幼馴染と伺っております」
「ああ。あやつの子どもの頃ときたら、とんでもないじゃじゃ馬だったぞ。いまだに精霊姫になれたのが不思議でしょうがないわい」
フェリツィオは年老いてなお精悍な顔に笑顔を浮かべ、懐かしそうに昔を振り返る。
にこやかにフェリツィオと話すディランを、リディアスは見つめる。その視線に気づいたディランが、リディアスに声をかけた。
「何か?」
ディランがリディアスに向ける笑顔は一見すると人の良さそうなものだったが、注意してみればそれが本心からのものではないとわかる。目が全く笑っていないのだ。
「……いいえ。そうだ、コルディオ殿。今この王宮には精霊姫候補が一人滞在しております。紹介させていただいてもよろしいでしょうか?」
「精霊姫候補ですか?」
「ええ、私の学友でもあるのです。ぜひ現役の聖騎士であるあなたに紹介したい」
「そうですな。精霊姫になるやも知れん娘です。ぜひとも」
「……そうですか。では」
フェリツィオにも進められ、ディランがステラに会うことを承諾する。だが恐らく本人は乗り気ではないのだろう。了承の返事が一瞬遅れている。
祖父もそのことには気づいただろうが、さすがに孫であるリディアスの望みを退けるほどには、ディランに気を許したわけではないらしい。
この男をステラに紹介したら、ステラはきっと喜ぶ。余計なことを考えさせないようにするためにも、時には褒美が必要だ。精霊姫を目指す励みにもなるかもしれない。だがその姿を想像したリディアスは、なぜか喜びと同時に、胸の奥に不可解な疼きを覚えた。
だがその疼きも一瞬の事。すぐにリディアスは目の前にいるステラへの褒美に意識を集中させ、同行を促す。
「さあ、コルディオ殿。参りましょう」
リディアスに呼ばれ赴いた場所には、見知らぬ男がいた。否、実際に会ったことはなかったが、ステラは確かにその男を知っていた。
リディアスと一緒にひとつのテーブルを囲み椅子に座るその男は、このゲームで一番、ステラが会いたかった相手だ。
「……ディラン?」
ステラの呼びかけに、ディランはピクリと方眉をあげる。
「私の名前を知っているのですか?」
低く、柔らかく、耳に心地よい声。なのに、なぜかステラの心音は不穏に速まった。
なぜだろうとステラは思ったが、すぐに原因に思い当たった。ディランの声は、確かにゲームで聞いたことがある。だがこの世界の彼らの声がゲームの声と全く同じかといえば、恐らく、としかステラには応えられなかった。
聴覚は視覚よりも記憶が褪せてしまいやすいことを、ステラは転生してからはじめて自覚していた。きっとそのことが、不安を誘った原因だったのだろう。
「え、ええ。あの、カーティス先生から聞いて……」
「……そうですか」
口元は笑っているが、眼は笑っていない。値踏みをするような、けれど何の興味も持ち合わせていないような感情の読めない瞳で、ディランがステラを見つめる。
「さあ、ステラ。座って」
リディアスに促され、ステラはリディアスとディランの間にある椅子に腰を下ろす。座るときにスカートが広がり、ステラはあわてて自分の太ももに寄せた。自分でも驚くほどに緊張している。
席についたステラは、隣に座る男を不躾にならぬよう気を付けながら見つめた。
慇懃無礼というほどではない。だが言葉遣いは丁寧なのに、視線は如実にこの男の本心を物語っている。きっと一般的な貴族の令嬢ならば不躾な視線だと怒るだろう。だが、ステラにとってはその視線もとても魅力的に感じた。
キラキラとした黄金色をした髪はゲームで見たよりもずっと触り心地が良さそうで、ペリドットのような瞳はゲームで見るよりも、もっとずっと綺麗だ。
突然目の前に現れた憧れの相手に、一度は冷めかけていた情熱が再び燃え上がってくるのを、ステラは感じていた。
気付いたらステラはディランに手を伸ばしていた。夢ではないと確認したかったのかもしれない。
視界の端にリディアスの驚いた顔が映ったが、今のステラにはそのことを気に留める余裕はなかった。
まだ精霊姫になってもいない今、会えるとは思っていなかった相手。ゲームの中では話すことさえできなかったけれど、今はこうして触ることもできる。その興奮が、ステラの行動を積極的にさせていた。
だが、指先が腕に触れる寸前、ステラの指先から逃れるようにディランは腕をひいた。
「貴族の女性はむやみやたらに男性に触れないほうがいい」
「え……そ、そうね。そう……よね」
突き放すようなディランの言葉にどう返事をしていいのかわからなくなり、ステラはおずおずと伸ばした指先を引っ込める。
ディランの言う通り、何の目的もなく貴族の女性は自ら男性に触れたりはしない。わかってはいても、ステラはディランにそのことを理由に拒絶された気がした。
「ステラ。お茶が冷めてしまうよ」
リディアスの言葉で、場が仕切り直されたことに、ステラは胸をなでおろした。
ディランと二人でいては舞い上がるあまり何かをしでかしてしまいそうだ。だがリディアスがそばにいてくれれば、もしステラが失礼な態度をとってしまっても助け舟を出してくれるだろう。
「え、ええ。そうね」
「僕は陛下に用あるから、接待はステラに任せるよ」
「えっ!」
「悪いけれど、聖騎士殿。少しの時間でいいからステラの相手をお願いできますか?」
「……私も暇ではないのですがね」
ディランの言葉に、ステラの胸が軋む。ディランの言葉からは一緒に過ごすことを喜ばれてはいないことがわかるからだ。ステラも嬉しいと思う反面不安だった。一体二人きりで何を話せばいいのか。
「……すぐですよ。未来の精霊姫になるかもしれない相手ですよ? 今から親交を結んでおいても損はないでしょう」
「未来の精霊姫ですか……。なるほど。確かにどういった人物かを知ることは大切かもしれませんね」
「そうでしょう? ではお願いします」
「あっ……リディアス!」
リディアスはステラの呼びかけに答えることなく背を向けて去っていった。残されたステラは恐る恐る隣に座る男を見上げる。
待っていたのは柔らかな微笑みに何の感情も映していない瞳。
「……では、紅茶でもいただきましょうか?」
ディランがすでに手にもっているカップをほんの少し高くあげ、ステラに示す。ステラにさえ、社交辞令で言われたのだと理解させるような、おざなりな声と態度だった。
「あ……はい」
「ステラ様、とおっしゃいましたか? 学園ではどのような授業を?」
「え、あの……精霊学とか、普通の勉強……です、かね……」
答えながらも、ステラの声はどんどんと小さくなる。
彼はステラの知っているディランではない。もっともステラが知っているのはゲームの中のディランだ。もしかしたらこの世界のディランはこういう性格なのかもしれない。
ディランとカーティスは元平民だ。ゲームの中では小さい頃にオリヴィアに助けられ、剣の修行をし、そのまま聖騎士となったとカーティスが話していた。
誰でも相手によって言葉遣いを変えることはままあるが、それがステラに適用されていると思うと、ステラではディランの懐に入ることは出来ないのだと思い知らされているような気がしてしまい悲しくなった。
「あの……普段通りに喋ってもらっても構いませんよ?」
機嫌を伺うように、少し上目がちに見上げたステラに、ディランが首を傾げる。
「普段通り? 私の普段の話し方を知っているのですか?」
しまった、とステラは思う。
ディランの言う通り、ステラは普段のディランを知らない。だが、もし彼がゲームの通りの生い立ちだとしたら、もっと砕けだ喋り方をするはずなのだ。
だがそれをステラが知っているのは、この世界においては不自然だ。
「え、いえ……あの、思っていた感じと違っていたから?」
誤魔化すようにステラはぎこちない笑み浮かべる。
「思っていた感じですか? それは聖騎士全般に対して?」
「え? ええ……そう、ですね」
正直、ディランとカーティス以外のほかの聖騎士は知らないし、興味もない。最終的に、ステラが精霊姫になるエンドでは、ジルベルトやテッド、エリオットも聖騎士となり、ステラの傍にいてくれるが、他の聖騎士に対しては埋め合わせ程度にしか思っていなかった。
「あの……もっと砕けた感じでしゃべってください。私は王族じゃありませんから……」
「ですが、あなたはテレンスの王太子の客人で、精霊姫候補です」
ステラの気持ちを知ってか知らずか、ディランはすげなくステラの願いを断る。
「で、でも。わ、私はただの学生です!」
自分でも何を一生懸命になっているのかわからなかった。ステラの眼に涙が滲んだ。どうしても、ディランから突き放されているように感じてしまう。それがどうしようもなく悲しい。
「……じゃあまあ。このしゃべり方も面倒くさいからな。君の前で息抜きさせてもらうことにするよ」
涙が功を奏したのか、ディランは急に言葉と態度を変えた。
「でも、王太子が来たら元に戻すからな。あの王太子は嫉妬深そうだ」
「え? リディアスが?」
「なあ。君はなんでここいるんだ?」
「え?」
ディランのいうこことは、テレンスの王宮のことであって、決してこの世界という意味ではないだろう。しかし、ステラにはそう言っているように聞こえた。
「あの……リディアスから誘われて……。私テレンスには来たことなかったから、面白そうだなって」
「一国の王太子が精霊姫候補を……いや、候補に限らず特定の女性を連れ帰る。それは一般的には将来妃に迎えることを考えての行動だと思うけどな」
「え? リディアスが?」
確かにリディアスは攻略対象の一人だ。だがまだ早すぎる。ゲーム内でリディアスがステラに求婚するのは、ゲームも終盤になってから、ステラが精霊姫になることがほぼ確定してからだ。
「……リディアスは優しいから。きっと私を喜ばせようとしてくれたんだと思うわ」
「ふうん。まあ、君は精霊姫候補だし、嫌なら王族だろうと誰だろうと拒否することはできる。ただ、あまり期待を持たせない方が良いと思うぞ」
ディランの言葉に、ステラの胸は騒がしくなる。
もし、リディアスが本当にステラのことを妃にするつもりなら、ステラはどうすればいいのだろう。
ステラが好きなのはディランだ。会ってそう再確認した。しかし、今リディアスの優しさを手放すことは出来ない。応えるつもりがないのに傍から離れるのは嫌だなんて、それはリディアスの心を弄んでいることになるのではないだろうか。
「そんな……つもりは……」
そんなつもりはなかった。ゲームでは誰かの好感度をあげるたびに、想われていることが嬉しく、誇らしく、日ごろのストレスを解消する良い手段になっていた。
しかし、現実に複数の人間から想われた場合、気持ちに応えるつもりがないのに相手の優しさに甘え続けることは、相手を蔑ろにし続けることと同じなのだ。そのことにステラは初めて思い至った。
ステラが顔を青くして考え込んでいると、リディアスが戻ってきた。
「やあ。お待たせ。話は出来たかい?」
「ええ。楽しめましたよ。では私はそろそろ戻るとしましょう」
ディランの言葉を聞いたステラは、急いで顔をあげ、ディランを見つめる。
「帰っちゃうの……?」
「ええ。私はもともと陛下にご挨拶に伺っただけですので」
「……何で。どうして戻っちゃうの?」
突如胸の奥からこみ上げた感情を、不可解に思いながらもステラはそのままディランに向けて解き放った。
「ステラ?」
リディアスが心配そうに俯いたステラを覗き込む。
「君は子どもか? 精霊姫を護るのが俺の仕事だからだ」
ディランのステラに対する言葉遣いが変わったことに気づいたのだろう、リディアスが目を瞠る。
「嫌……私のそばにいて!」
ステラが逃がすまいとディランの腕にしがみつく。
「ステラ! やめるんだ」
リディアスがディランにしがみつくステラを引き離そうとするが、ステラは離れない。
「何を言っているんだ? なぜ俺が君のそばにいなくちゃいけない」
ずっと表面だけは穏やかな笑みを浮かべていたディランが、今は突き放すような冷たさを含んだ瞳でステラを見ている。だが少なからずステラの突然の行動には動揺しているらしい。わずかだが、ディランの作られた表情が崩れていた。
「……だって! あなたは聖騎士でしょ⁉ 私は精霊姫になるんだもの……だったら、あなたは私のものじゃない!」
ステラはきっと精霊姫になれる。リディアスもウォルクもそう言ってくれたのだ。
「君が精霊姫? ……確かに聖騎士は精霊姫を護る存在だが、精霊姫の持ち物というわけじゃない。皆個人としての意思を持っている。……そんなことも分からない君が精霊姫に選ばれるわけがない」
冷たい瞳がステラを射抜く。そこにはもう先ほどまであったわずかな親しみすら微塵も感じられなかった。
「なんで……? なんでそんなこと言うの?」
なぜ、主人公であるはずのステラが、こんなことを言われなければならないのか。
なぜ、思い通りにならないのか。
ようやく会えたのに。
「私は……ステラなのに」
「そもそも……俺が仕えているのは現精霊姫であるオリヴィアだ。精霊姫候補たちじゃない」
ディランの瞳がステラの瞳を捉える。一切の甘さはないというのに、それでも眼が合っただけで、心臓の鼓動が煩い。
「それに、君に精霊姫は無理だ」
ディランの予言めいた言葉に、ステラの胸がドクリと大きく脈打つ。
『君より精霊姫に相応しい人間はいない』
リディアスはそう言ってくれたのに。なぜディランはそんな酷いことを言うのだろうか。
「……ステラ。あとで話そう」
訳も分からず茫然としているステラの手を己の腕から引きはがし、リディアスにともなわれディランは去っていった。




