第117話 テレンスの王太子
「ただいま戻りました。父上」
フォルディオスから戻ったリディアスは、父ローランドへと帰還の報告をしていた。
「ああ……良く帰った」
久しぶりに見た息子を前にしても、ローランドの表情は動かない。艶を失くした黒髪に、淡い緑の瞳。そこにリディアスの持つ色彩はいっさいない。
「精霊姫候補を連れて来たと聞いたが。どこにいる」
「……彼女は慣れない移動で疲れていましたので、別室で休ませています」
「ふん。転移門を使っておきながら挨拶も出来ぬくらい疲れていると言うか。まあ、いい。お前、その候補を妃にでもするつもりか?」
「……彼女の了承を得られたのなら、そうしたいと思っております」
「そうか。まあ、たとえ精霊姫に成れずとも候補というだけですでに箔はついている。好きにしろ」
「はい……」
ローランドはリディアスの髪を見つめ、眉を顰める。
「相変わらず無駄に主張して、鬱陶しい髪色だ。一体誰に似たのだか。お前のその髪と瞳の色は王家の誰も持っていない。そして、お前の母の生家、公爵家にもそんな色を持つ子は生まれていない」
確かに、リディアスのこの銀色の髪と琥珀の瞳は、王家にも公爵家にも存在しない。父は母の不貞を疑い、実際にそのことを理由に母との離婚を持ち出した。だが、結局、離婚はなされず、リディアスも王家から除籍されることはなかった。
「……」
「本来ならお前ではなく、私が王太子だったのだ。リザベルさえいなければ、マレーヌが王妃で、私が父上の跡を継ぎ王になれたはずだった。すべては強欲なお前の母の存在のせいだ」
「……母上は……父上の事をお慕いしておりました」
「は! そんなものはすべて演技だ。本当に私を愛していたというのなら、大人しく身を引けば良かったのだ」
ローランドの目つきは息子を見るそれではない。きっとリディアスを通して母であるリザベルを見ているのだろう。
「それでもお前が王太子であることには変わりない。残念なことにな。お前の顔が私に瓜二つでなければ、王太子はカーライルに出来たものを」
父の言葉をリディアスは笑顔で聞いているが、内心は辟易していた。
父はことあるごとに自らの置かれた境遇をリディアスの母リザベルのせいだと言う。しかし、父の言っていることは間違っている。
父と、異母弟であるカーライルが王太子になれなかったのはリザベルのせいなどではない。王太子になれないのは、父が王である祖父の命令に逆らい、平民である第二妃マレーヌとの結婚を強行したからだ。
当時父は王家に影響力のある公爵家の令嬢であるリザベルとの婚姻を控えていた。長年婚約者として支え合って来た間柄だったはずなのに、父はあっさりと街で出会ったマレーヌと恋に落ち、王宮へと連れ帰った。
父は祖父にリザベルとの婚約を破棄しマレーヌを正妃の座につけたいと掛け合った。しかしそれが許されるはずもない。祖父は決してマレーヌとの結婚を認めず、もし結婚をするのなら王籍から抜け王太子を降りろとまで言ったのだ。祖父としては諦めさせるために言った言葉だったのだろう。
しかし父は心からマレーヌを愛していたのか、あるいは意地になっていたのかは定かではないが、王の言葉どおり王太子の座を降りてまでマレーヌと結婚した。
テレンスにおいて王族の結婚は神聖なものだ。神と精霊の前で誓った結婚は覆すことはできない。祖父には子が父しかいなかったため、祖父は仕方なく父を除籍にはせず、王太子の座から降ろすだけにとどまった。そのかわり、正妃はリザベルとし、マレーヌは第二妃とすることを条件としたのだ。
さすがに父も王宮から離れて暮らしていくのは無謀だと理解していたようで、祖父からの条件を受け入れた。そして、リザベルとローランドの間に生まれたのがリディアス。マレーヌとローランドの間に生まれたのがカーライルだった。
生まれはリディアスの方が数か月早い。ローランドはたったそれだけのためにリディアスが王太子になったのだと言うが、祖父に言わせれば、もともとカーライルを王太子にするつもりはなかったようだ。
もしそのようなことをすれば、祖父が頼み込んで正妃として据え置いたリザベルの父、公爵家当主が黙ってはいないだろう。ローランドにはそれが分かっていないのだ。
「……その気色の悪い笑みをやめろ、リディアス。何を考えているかわからん」
自分の顔と同じ顔に対して、ローランドは嫌悪感を露にする。
「はい……。もうしわけありません、父上」
「もうよい。さっさと出ていけ」
「はい……」
リディアスが扉の前に立つと、護衛が扉を開けた。リディアスが出ていこうとする直前、背後からローランドの声がかかった。
「リディアス。せいぜい王太子として国のためにつくせ。お前にはそれしか価値がない」
ローランドのその言葉に、リディアスは答えることなく部屋の外へと出た。
部屋の扉が完全に閉まってから、ステラは恐る恐るリディアスに声をかけた。
「あの……大丈夫? リディアス」
別室で休んでいたステラだったが、部屋に一人いるのが落ち着かず、付いていた侍女たちに頼み、リディアスの元へと案内してもらっていたのだ。しかし、リディアスは王に謁見中だと聞かされたため、リディアスが出てくるまで部屋の外で待っていた。
そして扉が開いて聞こえて来た言葉に、ステラは息を飲んだ。リディアスの家族関係が良くないことは、ゲームの情報から知っていた。でも実際にその場面を目にすると、それがそのキャラの設定だからなどとは、とても思えない。
いつも笑顔を絶やさないリディアスがなぜか泣いている気がして、盗み聞きしていたことがばれるのにも構わずに、ステラはつい声をかけてしまった。
「……ステラ、聞いてたの?」
ステラを振り返ったリディアスは、いつもの笑顔に戻っていた。
「ごめんなさい……」
ステラは謝った。聞こうとして聞いたわけではないが、きっとリディアスは聞かれたくなかったのではないかと思ったのだ。
「優しいね、ステラ」
リディアスがステラの前に膝をつき、ステラを見上げる。
「純粋で、素直で、とても優しい。君ほど精霊姫に相応しい人間はいないよ。僕は君が精霊姫になった世界を見てみたい。君のその頭上に、王冠が輝く姿を」
「リディアス……でも私、本当は優しくなんてないの……」
「……どうしてそう思うの?」
リディアスの琥珀色の瞳が妖しく輝く。まるで上等な蜂蜜酒を思わせる色合いだ。
「どうして……? どうしてかしら……? でも、そう思うのよ」
「……そうか。でも、君が優しいというのは、本当のことだと僕は思うよ? 純粋で素直という点も合っている。……ただし、思っていたよりも意志は強いのかもね」
リディアスの言葉の最後のほうは、声が小さくてステラには聞こえなかった。
「え? 何?」
「いや、何でもないよ。とにかく、僕としてはぜひ君に精霊姫になってほしい。王太子である僕の意見は、国としての総意と取ってくれても構わない。テレンス国は国をあげて、君を応援しているよ」
とても優しくリディアスが笑う。だが、ステラはなぜかその笑顔が怖かった。心臓がどくどくと脈打ち、落ち着かない。
リディアスといると、いつもそうだ。急接近してきたリディアスは、一見ステラに対して優しいのに、笑顔の狭間にふと見せる表情が、とても冷たい。だが……。
「リディアス……。本当に、私は精霊姫になれると思う?」
主人公に生まれたはずのステラ。しかしゲームの中でさえステラが精霊姫になれないことはある。現状のステラの立ち位置は微妙なもので、ステラはすでに精霊姫になることは諦めていた。そのはずだった。
それなのに、ステラの口から出て来た言葉は、ステラ自身思いもよらないものだったのだ。
「もちろんだよ。何度でも言おう。君より精霊姫に相応しい人間はいないよ」
こうやって、ステラを肯定してくれるリディアスの言葉が心地よすぎて、ささいな違和感など、どうでもいいと思ってしまう。
どうか、私を見てほしい。
どうか、私を認めてほしい。
なぜか日に日に強くなっていくその想いが、頭の中で鳴り響く警告音をステラに無視させてしまう。
不安な気持ちを胸の奥に押し込め、ステラはリディアスにいびつな微笑みを返した。
「テレンスへ?」
「ええ、ちょっと気になることがあったから行ってもらったのよ」
テーブルの上には、紅茶と一緒に一口大の焼き菓子が並べられている。大聖堂の中にある庭園を望む一室、二人がこの場所でお茶を楽しむのは昔からの習慣だ。
「ふうん。そう言えば伯母様。前にも言ったけれど、フィーラはやっぱり変わったわ。伯母様の話していたような人物にはとてもじゃないけど見えないわ」
「ふふ。そう。私の語った物語はあくまで一つの可能性だもの。良い方へ変わってくれたならそれはとても喜ばしいことよ」
「そうよね。やっぱり同じクラスで一緒にすごしていると、情が湧くわ。彼女の未来が変わったのなら本当に良かった」
「まあ、随分と肩を持つじゃない?」
「……別に。そういうわけじゃないけど……。どんな人間だって幸せになって欲しいものじゃない? それが幸せになるに値する人物ならなおさらよ」
「……ええ、そうね」
「ねえ、伯母様。話は変わるけれど……。最近魔の出現が頻繁過ぎると思うの。伯母様の話してくれた物語に、何か関係あるのかしら?」
「うーん……そうねぇ。どうなのかしら? 本来ならこの物語の中ではそれほど魔は出てこないのよ。魔の存在を仄めかしてはいたけれど、あくまで学園の中での出来事を著したものだから」
「そこ詳しく」
「ごめんね。ちょっと……」
「もう! なによ。いつも詳細は教えてくれないんだから! ……でもまあ、いいわ。それにね、精霊教会の内部争いって今どうなっているの? 王宮や学園には結界が張ってあるはずなのに、それが機能しているとは思えないわ。今回魔が出たことだけじゃないわ。フィーラの時だって、本当なら薬なんて盛られる前に阻止できたはずでしょう?」
「まあ……あなた本当に勘が良いわねぇ。そうなのよね……どうやら学園にいる古株のルドア派の精霊士が結界が綻んでいたのにテナトア派に色々言われるのを嫌って精霊教会に報告しなかったみたいなのよね」
「はあ? 何よそれ。馬鹿じゃないの? ということはその結界を張った人物はルドア派の人間だっていうことね」
「そういうこと。でも調べたところ確かに結界は綻んでいたみたいだけど、結界を張った精霊士のせいではなさそうなのよね」
「え? 結界が綻んだわけじゃないのなら……突破されたの?」
「ええ、恐らく。……たとえ結界に穴があいていたとして、その穴がとても小さなものだとしたら気づかれる可能性は小さくなるか、あるいは気づかれるのを大幅に遅らせることができるわ。そんな穴が一か所だけじゃなく、複数個所に開いていたようなの」
「一か所ならまだ偶然って可能性もあるけど……複数個所ならそれは故意よね?」
「ええ。そしてその結界の穴につねに力を通しておけば、いざというときにその穴と穴を繋いで大きな穴をつくることができるわ。そしてその穴がもし伸縮自在だとしたら、結界の穴を広げてもすぐ閉じてしまえば、たとえ気づかれたとしても、己の勘違いだと思わせることも出来る」
「それは……ちょっと、いえ、かなりやばいんじゃない?」
「ええ。そのルドア派の古株の精霊士は穴があいていることに気づいたらしいのよ。さすがに複数あいていることには気づかなかったようだけれど……けれど報告を怠った。穴に気づく実力はあったのに……残念だわ」
「……もちろん破門にしたのよね? その精霊士」
「そうね、さすがに精霊教会も庇えないわ」
「穴をあけた犯人はわかったの?」
「いいえ。穴が小さすぎて攻撃の残滓がわからないそうよ。よほど慎重にやったのでしょうね」
「ええ……ちょっと、犯人がわからないんじゃ不安じゃない。でもじゃあ、王宮は? まさか王宮もそうだってこと?」
「いいえ。王宮の結界に綻びはなかったわ」
「え? じゃあ、純粋に、魔が王宮の結界を破ったということ? 王宮に張る結界なんて、相当強力なものでしょ? それを正面から破る力のある魔なんて聞いたことないんだけど?」
「いいえ、破られたわけじゃないのよ」
「? どういうこと?」
「結界が反応しなかったということね」
「それが破られたってことじゃないの? 普通結界って魔に憑かれている人間も弾くようになっているわよね」
「そう。だから、普通に考えれば魔が出現する直前まで魔に憑かれている人間はいなかったということなの」
「それっておかしくない? 普通の人間は魔に憑かれてすぐに人としての正常な行動をとらなくなるわ。だからこそ魔に憑かれた人間はすぐに見て分かるものだし、魔に憑かれた状態では結界を通ることは出来ないでしょ?」
「そうなのよ。だから、答えとしては、結界の中に入ってから魔に憑かれたとしか考えられないのよね……普通はね」
「……さっきから普通は普通はって……普通ではないということ?」
「ちょっと聞いてみるわね。まあ、ちゃんとした答えが返ってくるかはわからないけど」
「何か……伯母様が精霊姫になってから精霊姫も精霊王も意外と万能ではないことがわかってきたわね……」
「そりゃそうよ。本当にこの世界において万能の存在がいるとしたら、魔による被害なんてとっくになくなっているわよ。信仰の対象を万能だと思いたいのは、どこの世界でも同じね。それに万能の存在にすべてを頼っていたら、人間の成長する余地なんてなくなってしまうわ。成長を望むのは精霊だけじゃないのよ? まあ、人間がそのことを自覚しているかどうかはわからないけれどね」
「私は向上心も学習意欲もあるわよ? それで、ねえ伯母様……魔がどうやって生まれるかについては研究者による推測の域をでないと言われているけれど、それって本当? 精霊姫なら実はわかっているんじゃないの?」
「……ごめんなさい。それって結構重要度の高い秘密なのよ」
「ええ……」
「ごめんね? でもそれを知ったところで魔の出現を押さえることができるわけじゃないから……」
「うーん。まあ。じゃあしょうがないわね。そういえば、気になることって何なの? 伯母様。わざわざあいつを行かせるなんて」
「……そうねえ。ちょっと相手側の反応が見たかったというか」
「相手側……。ねえ、大丈夫なの? 最近の傾向って、あまり良い傾向ではない気がして……。伯母様、何か私に手伝えることってある?」
「まあ、ありがとう。でもまだ良いのよ。あなたの力が必要になったときは、ちゃんとお願いするわ。何しろあなたは唯一、私と世界を共有してくれる存在なんだから」
伯母のあふれんばかりの慈愛と、ほんの少しの悲しみを宿した瞳をみて、サーシャ・エーデンは深く頷いた。
明日23時に投稿します。また二話くらいでしょうか。




