第115話 変化
いつの間にか駆けつけていたエルザの父、シュバルツが横から叫んだ。黒髪に茶色の瞳のシュバルツはとても人が良さそうな容姿をしている。
――正直、気の強そうなエラ様と仲が良いのが意外なのよね……。
初日にフィーラたちが挨拶をしたときも、にこにこと笑って、よく来たねと歓迎してくれた。
「誤解なものですか!」
「いいや、誤解だ! 陛下は知らないが、少なくとも私は君を雑に扱ったことなど一度もない!」
シュバルツは目じりの下がった優しそうな顔をしている。しかし今のシュバルツは必死の形相をしていた。
「何を言っているのよ! あなたはいつもリラと話をしていて、私のことなど放っておいたじゃないの」
「違うんだ! それは……あの頃の私は君を前にすると……いつも緊張して上手く話せなくなってしまっていたから……」
「何よそれ……!」
「君はいつも強くて凛々しくて、それに引き換え私は……。君は気の弱い私にいつも苛ついていただろう?」
シュバルツの言葉を聞いたエラはハッとした表情で口元に指をあてる。
「あ……違うわ! それは……あなたがいつもリラにばかり構うから……」
「ええ……ちょっと。お互い勘違いしていただけ? じゃあ、父様がリラ伯母さんに憧れていたって言うのは?」
「リラは確かに素晴らしい女性だが、エラには適わない」
わずかに頬を染め、うっとりとした表情でシュバルツがエラを見つめる。
「じゃあ、母様が自分が男勝りなせいで陛下に選ばれなかったことを今でも気にしているっていうのは?」
「陛下のことなんか知らないわよ。むしろ選ばれなくて良かったと思っているわ。陛下も王妃もたてなくてはならない第二妃など、私には無理よ」
「……なんだよもう! だったら何で私に剣を持つななんて言ったんだよ」
「当たり前でしょ! 剣は怪我をすることも、命を落とすこともあるのよ! そんな危険なことをすすんで娘にやらせたい母親などいないわよ!」
「母様……」
「あなたが私と同じように剣を持ってからはじめて、私のお母様の気持ちがわかったわ……。でも、もういいのよ。さきほども言ったけれど、私が間違っていたの。心配なことに変わりはないし、今からでも諦めてくれないかという思いはあるけれど……あなたの心を押さえつけてまで私の心の安寧を優先するのは間違っているもの」
エラが小さく溜息をつき、エルザを見つめた。
「やれるところまでやりなさい、エルザ。挫折したら、その時はまた戻ってくればいいわ」
「うん……母様。でも私結婚するかわからないけど……跡取りどうする?」
――え? 今言うの? でも合理的……かしら。問題は早くに片づけた方がいいものね。
「……そうね。そうしたらジークの子どもを養子にすればいいわ」
「……叔母様、そんな勝手に決めないで下さい」
突如割って入った聞きなれた声に、全員が声のした方向を見る。するとそこにはうんざりとした表情でエラを見つめる、ジークフリートの姿があった。
「あら、ジーク。いつ来たの?」
「たった今ですよ。少々早く来てしまいましたが、夕食をご一緒にと話していたでしょう? 叔母様も叔父様も皆こちらにいるというから来てみたら……」
「いいじゃないの、一人くらい。あなたは私の子どもも同然だもの。あなたの子どもも私の孫同然よ」
「……そのお気持ちは非常に有難いのですがね。実際王位継承権も絡んできますので……」
「じゃあ、母様たちがもう一人作りなよ」
――ちょ、エル! なんてこと……いえ、でもお二人ともまだギリギリ三十代後半よね? ……いけるかしら?
この世界では多少厳しいかも知れないが、前世ではまだまだいける年齢だ。
「……いけるかもしれないわ」
「……フィーラ嬢?」
うっかりと口に出してしまったフィーラにすかさずジークフリートが反応した。
「あ、あら? 口に出て……」
「ね? 大丈夫だよね?」
エルザが追い打ちをかける様にエラとシュバルツに笑顔を向ける。二人は照れながらも実に気まずそうだ。
――ねえ? 気まずいですわよね。しかも客人の前ですし?
次の日、エルザ曰く以前よりも数段睦まじくなったという二人に見送られ、フィーラたちは王宮へと戻ったのだが……。
「私が……王太子ですか⁉」
王に呼び出されたジークフリートは王の口から出た言葉に驚愕した。
「そうだ」
王は気だるげに目を瞑り頬杖をついている。否、眼の下にはクマが出来、髪は艶を失くしている。疲れているのだ。
「なぜ……兄上はどうなるのですか!」
「そのエドワードが王太子を辞退すると言ってきたのだ」
「それをそのまま了承したのですか!」
ジークフリートが声を荒げる。誰に対しても、ましてや王に対してなど、ジークフリートは今まで一度も感情のままに声を荒げたことなどなかった。
しかし、今回ばかりは自分の感情を自制することが出来ない。
「控えろ、ジーク。世継ぎをどうするか決めるのはお前でもエドでもない。私だ」
いつになく厳しい表情と口調の王に、ジークフリートはどうにか己を宥め口を噤んだ。
王の強い光を宿す瞳を見つめ、ジークフリートは固唾を飲む。普段は優しい父だが、それでも聖五か国の王としての厳しさは持っている。今の父からは父としての優しさは見られない。目の前にいるのは紛れもなく一国を総べる王の姿だ。
「……兄上と話をさせてください」
「ならん。エドはすでに領地へと発った」
「そんな……急に」
「それに話しても仕方あるまい。あれの決意は固い。そうでなければ、私とてそう簡単に王太子を挿げ替えたりなどせん」
「……ですが……」
それでも急すぎる。最後にエドワードと話したのは三日ほど前だが、王太子をジークフリートに譲ろうなど、そんなそぶりは露ほども見せなかった。
「……リエル様はご納得されたのですか?」
「あれも納得ずみだ。もとより、息子の頼みを断れる女ではない」
正妃であり、エドワードの生母であるリエルは、息子が王太子の座から降りたのを快く思っていないのではないか。そのことを盾にどうにか事態を収束しようと試みたが、しかし抵抗は失敗に終わった。
「すまない、ジークフリート。だがエドワードの気持ちも分かってくれ」
一体兄のどの気持ちを分かれというのか。ジークフリートは王太子を降りた理由すら、エドワードから聞かされてはいないのだ。
ジークフリートの尊敬する兄であるエドワード。ジークフリートは、そのエドワード以上にこの国の王太子に相応しい人間などいないと、そう思って生きて来た。優しく聡明な兄はジークフリートの理想とする君主像だっだのだ。
「……納得できません」
「……お前が納得しようがしまいが、事はすでに成っている。一度自ら身を引いたエドワードが、王太子に戻ることはない」
それでも納得がいかないという感情を露にするジークフリートに、王が告げた。
「これはもう決まったことだ、ジークフリート。今日からお前は王太子。このフォルディオスの未来の王だ」




