第113話 求婚するって本当ですか?
あの日皆にさんざん心配をかけてしまったフィーラは、結局馬車に辿り着く前に気を失い、さらに熱を出し丸一日寝込んでしまった。
――ああ、もう。本当にさんざんね。でも水路に落ちたのは自業自得だから何とも言えないわ……。
熱の引いた身体を起こし、フィーラは王宮の使用人に手伝ってもらい着替えをすることにした。着替えをするフィーラのそばでは、エルザが椅子に腰かけて紅茶を飲んでいる。
「フィー。熱が下がって良かった。水路で溺れたって聞いたときは本当驚いたよ」
「お、溺れてはいないわ」
フィーラは前世では泳げたので、今世でも膨らんだスカートが邪魔しなかったら泳げたはずなのだ。
「でも、エリオットに助けられたんでしょ?」
「……スカートが重くて」
「フィーも私のような恰好をする? 結構似合っていると思うんだけど」
「エルの? そうねえ……考えてみるわ」
前世では普通にズボンを履いていたのだから、この世界でズボンを履くことにフィーラも特に抵抗はない。しかしこの世界の服装がフィーラに似合うかはまた別だ。
「しかも、またあのときの魔が出たって聞いたよ? あいつ本当にフィーに執着しているよね。これで会うの三回目でしょ?」
「そうなのよね……。何を考えているのかしら?」
「魔の考えていることを推測する日が来るとは思わなかったよね、本当」
エルザが足を組み替えながらやれやれといった体で頭を振る。
「ねえフィー。着替えが終わったならテッドさんたちも部屋に入れてもいい? 二人ともすごく心配していたんだよ」
「ええ、大丈夫よ」
――そうよね。結局わたくしがはぐれて水路に落ちてしまったせいで、皆に心配をかけてしまったし、二人の護衛としての任務に瑕疵がついたことになってしまったわ。まあ、事情を話せばお父様もお兄様もわかってくださるでしょうけれど。
「入っていいよ、二人とも」
エルザの声に応え、扉が叩かれた。
「失礼いたします。お嬢様」
扉を開けて入ってきた二人は対照的な顔をしていた。テッドは心配そうにしているがエリオットは機嫌が悪そうだ。
だがフィーラの顔を見たエリオットの表情がわずかに緩んだ。
「ごめんなさい。心配をかけてしまって……」
「お嬢様のせいではありませんよ。本当に……無事でよかった」
「ありがとう。テッド、エリオット」
「エ、エリオット?」
「どうしたのテッド?」
「あの、お嬢様……いつからエリオットのことを名前で……?」
「ああ……助けて貰ったあとよ。同じ護衛なのにエリオットだけ様付けで呼ぶのはおかしいと言われて……」
テッドがものすごい勢いで隣にいるエリオットの顔を見る。
「別にいいだろう? お前だって名前で呼ばれているだろうが」
「そうだけど……そうだけどっ!」
「? それよりもテッド、今回のこと本当にごめんなさい。お父様とお兄様にはちゃんとわたくしから話すから安心して?」
フィーラの言葉にテッドの顔色が悪くなる。
ゲオルグもロイドも話せばわからない二人ではないが、それでもフィーラのことになるとあの二人は感情的になる傾向がある。テッドもそのことは知っているため、ちゃんと確約しておいたほうが安心だろう。
「お、お願いします……」
「フィー、ジークもあとで見舞いにくると言っていたよ。あとリディアス殿下とステラ様も」
「お二人も?」
――まあ、同じ王宮にいるのだから見舞いに来ないと言うのも変よね。
「うん。今エドに挨拶しているよ。もう今日の午後にはテレンスへ帰るんだって。その前にフィーに会いたいってさ。私はもう挨拶をしたし、彼らが来る前に一度家に帰るけど夜にはまた来るから。それまで大人しくしていてよ?」
「まあ、わたくしが暴れたことがあって?」
「すぐに魔を呼び寄せるじゃないか」
「わたくしが呼んでいるわけじゃないわ!」
わかって言っているだろうエルザが声をあげて笑っている。しかしこうして笑い話にすることが出来たことが、本当に幸運だったのだろう。
――本当に……呼んでもいないのに来ないで欲しいわ……。
エルザが帰ってから小一時間ほどたった頃、ジークフリートがリディアスとステラ、二人を連れてやってきた。
「皆様、ご迷惑をおかけしました」
見舞いに来てくれた三人にフィーラは謝罪をする。ジークフリートにはちゃんと謝罪をしているが、リディアスとステラには会う前に気を失ってしまったため、ちゃんと謝罪が出来ていなかったのだ。
「あれだけの人の波だ。転倒して怪我などしなくて良かったよ」
君のせいではないよ、とリディアスが微笑む。
「無事でよかったです。水路に落ちたと聞いたから……」
フィーラを見つめるステラの瞳が揺れている。本当に心配してくれたようだ。
「……ええ。本当にお騒がせを」
「それにしても……どうして水路になんて落ちたんだい?」
「ええ、と……」
――どうしましょう。話してもいいのかしら?
フィーラは二人に話すべきか迷う。今回のことをリディアスとステラに話して良いのかどうかの確認をジークフリートに取っていなかったからだ。フィーラが横目でジークフリートの表情を確認する。するとジークフリートがニコリと笑い、フィーラの代わりに話し出した。
「橋の上ですれ違った馬車を避けようとしてよろけたそうですよ」
「……そうなんだ」
「……ええ、本当に驚きました。体力だけではなく瞬発力もつけなくてはいけませんわね。まさか水路に落ちるとは思いもしませんでした」
本当に、この世界で水路に落ちる令嬢は一体どれほどいるのだろうか。エリオットに気を付けろと言われていたのに、あっさりとその言葉を裏切ってしまった。
「はは。護衛がいればそんなことにはならないよ。今回はきっと特別だ」
今回のことはフィーラが皆からはぐれ一人になったために起こったこと。リディアスはそう思っているのだろう。
「そう願いますわ……」
「帰る前に君の元気な顔が見られて良かった。ああ、そうだ。ごめん、ステラ。ちょっと席を外して貰ってもいいかな?」
「え……?」
――え? ステラ様がいてはダメなのかしら?
ステラの驚きはもっともだ。二人で一緒に見舞いに来てくれたと言うのに、ステラ一人だけ仲間外れなど気分が良いものではないだろう。
「すぐに済むから」
「……はい」
ステラが名残惜しそうに一度こちらを見てから扉から出て行った。
「リディアス殿下?」
「ああ、ちょっと二人に相談したいことがあったから」
「私たちにですか?」
「うん。まあ、どちらかというとフィーラ嬢になんだけど。フィーラ嬢と二人きりになりたいなんて言えないだろう? 誤解されてしまうしね」
――わたくしに相談? 何かしら?
「実は……これからステラを連れて、僕の国に行こうと思ってね」
「ステラ様を?」
エルザから聞いた話だと、リディアスたちは今日の午後に帰ると言っていた。そのままステラをテレンスへ連れて行くと言うのだろうか。
――てっきりそれぞれの国に帰るのかと思っていたわ。でもそれは、もうただの学友……ではないわよね。
「ステラに僕の生まれた国を見せたくて」
「まあ、ステラ様に……」
――やっぱり……。リディアス殿下はステラ様のことをお好きなのかしら。
自分の生まれた国を見せたい。その気持ちは、自分のことをもっと相手に知って欲しいという心のあらわれだろう。
「そう。……実はね。誰にも秘密にしてほしいんだけど……、ステラに婚姻を申し込もうと思っているんだ」
「えっ!……そ、そうなのですか」
フィーラは思わず隣のジークフリートをちらりと確認してしまった。きっとエルザとリラとの会話が頭に残っていたせいだろう。
ジークフリートはわずかに目を大きくし、驚いているようだった。
「うん。彼女にはずっと僕のそばにいてほしいからね」
「そうですか……」
――ステラ様……もしリディアス殿下と結婚ということになったら、末は王妃ということよね……。
「それでね、ステラってちょっと普通と違うところがあるだろう? でも君とは何となくわかりあえているような気がしていたんだ」
「え……わたくしとですか?」
「うん。ここにいる間の君たちを見ていて、やっぱりそう確信したよ」
「そ、そうですか……」
――わたくしとステラ様が分かり合えている? 少なくともわたくしはそうは思えないのだけれど……。
けれど、もしステラが本当に前世の記憶を持っているとしたら、リディアスの推測もあながち間違いではないのかもしれない。もしステラが前世の記憶を持っているとしたら、ステラとフィーラ、二人にしか分かり合えないことは確かにあるのだろうから。
「ステラの事が知りたいんだ。どうすれば、求婚を受けてもらえるか、君に助言をもらえないかなと思って」
――ええ⁉ それはちょっと責任重大過ぎないかしら? わたくしが的外れな助言をしたら、リディアス殿下は振られてしまう可能性もあるのでは?
「リディアス殿下……それはわたくしの責任が重すぎませんか?」
「ふふ。そんな顔しないで。ステラが喜びそうなことを教えてくれるだけで良いんだよ」
――それだったら何とかなるかしら……?
「……でしたら、花を贈ったらいかがかしら?」
「花? もちろん花は女性への贈り物の基本だけど」
「ステラ様は花がお好きなようですわ。花のお話をされるとき、とても幸せそうでしたもの……」
「へえ、そうなんだ。……それはいいことを聞いたな。うん。ありがとう。考えてみるよ」
嬉しそうに笑うリディアスはとても微笑ましい。王太子とはいえ、リディアスもちゃんと年相応の青年なのだろう。
――リディアス殿下……上手くいくといいけれど。……でもそうなるとサミュエルは振られたことになるのかしら? いえ、サミュエルが本当にステラ様を好きかどうかはわからないけれど……。
もしサミュエルがステラに本気だとしたら、ティアベルトの王太子とテレンスの王太子との間でステラは板挟みになってしまう。
――うう。ちょっと、いえかなり面倒なことになるのでは?
ステラは精霊姫候補だからこそ、相手が王太子だとしても、その想いを拒否することが出来る。しかしそれが二人となると、どうなるかはわからない。
――王太子二人に望まれるなんて、滅多にないことだもの。
「大丈夫。無理強いはしないよ。ステラの気持ちを優先する」
本当に、フィーラは考えていることがすぐ顔にでてしまうらしい。あるいは周囲の人間が鋭いだけなのだろうか。
「リディアス殿下はお優しいもの。心配しておりませんわ」
「……ありがとう」
リディアスが眼を細めフィーラに微笑んだ。




