第112話 救助されました
「おい! 大丈夫か!」
「エリオット……様……」
エリオットに水中から引き揚げられたフィーラは、大きく咳き込んだ。新鮮な空気を吸ったフィーラの気道と肺が、入り込んだ水を追い出しにかかったのだ。
咳き込むフィーラをじっと見ていたエリオットは次第に落ち着いてきたフィーラの様子に大きく息をはいた。
「あんた……何で急にいなくなるんだ!」
「も、申し訳ありません……」
――うう。本当はわたくしのせいではないのに……。
それについてはさきほど魔が自分のせいだと言っていたのだ。フィーラはきっと悪くない。
「しかもやっと見つけたと思ったら水路に落ちてるし……」
「も、申し開きのしようもございません……」
――それは完全にわたくしの落ち度だわ……。
「無事でよかった……」
「はい……」
本当に無事に戻れるとは思わなかった。あの魔は結局フィーラの後を追ってこなかったのだろうか。怖くて一度も後ろを振り返らないまま逃げていたので真相はわからない。
――けれどあの魔が本気を出したとしたら、わたくしが逃げ切れるわけはないと思うのよね。あの魔の言うことを信じるのなら、彼は精霊に相対させれば上級精霊に値するのでしょうし。
「殿下たちもあんたを探している。合流するぞ」
「は、はい」
「来い。運んでやる」
「え⁉ いえ、大丈夫です!」
「無理をするな。あんた溺れたばかりだぞ」
「いえ、でも……本当に、本当に大丈夫です!」
――この世界に体重計はないけれど……わたくし結構身長があるから!
「服も濡れている。いいから大人しくしていろ」
固辞するフィーラを無視しエリオットはフィーラを抱き上げる。
「ちょ、ちょっと……」
「……何でこんなに軽いんだ。しかも服が水を吸っているのに……」
「え?」
「身長は僕とそこまで変わらないだろう?」
「いえ……エリオット様の方が拳一つ分は大きいですわ」
それに女性と男性ではたとえ身長が同じだとしても筋肉量が全く違うため、体重もそれ相応に差が出るのだ。
「……エリオットでいい」
「え?」
「テッドのことは呼び捨てにしているだろう。護衛なのに僕だけ様を付けられると、周りが訝しむんだよ」
――確かに……言われてみればそうかしら? でも皆そこまで気にしないと思うのだけれど。
二人がフィーラの護衛をするのはフォルディオスに滞在している間だけなのだからそれほど困らないとは思う。
「……では、お言葉に甘えさせていただきますわ。……エリオット」
けれど、せっかくそう言ってくれるのだから、ここは余計なことはいわないでおいたほうがいいだろう。
「……そうしろ」
ふてくされたように横を向くエリオットがフィーラの目には微笑ましく映った。
「フィーラ嬢!」
水路からあがるとジークフリートがフィーラたちのもとにかけて来た。
「フィーラ嬢! 水路に落ちたのか!」
エリオットに抱えられたフィーラの姿を見たジークフリートが驚きの声をあげる。
「大丈夫ですわジークフリート様。すぐにエリオットに助けていただきました」
フィーラの言葉にジークフリートが目を瞠ったが、それも一瞬のことだった。
「そうか……。助かったよエリオット君。よく彼女を助けてくれた」
「いえ。元はと言えば、俺たちが彼女を見失ったのが原因です」
「いや、国の護衛もいたんだ。君たちだけのせいではない。本来であれば護衛対象を見失うなどありえないのだが……」
――あ、それは……。
「違いますわジークフリート様。皆さまがわたくしを見失ったのは魔が関係しているのです」
「魔が! どういうことだ」
フィーラの言葉にエリオットの表情が強張る。
「またあの魔が出たのですわ。どうやら、わたくしを皆様からひき離すために人の行動を操ったらしいのです」
「あの魔? あの魔とはもしや、デュ・リエールのときの魔か⁉」
「はい……」
フィーラの言葉を聞いたジークフリートが口元を手で覆い隠す。顔色も優れない。もしかしたらジークフリートも、フィーラが狙われているのではないかと思い至ったのかもしれない。
「あんた……そういうことは早く言えよ! 水路にも魔に追われて落ちたのか?」
「そ……そうです」
直接の原因は馬車を避けようとしてよろけたからなので少々後ろめたかったが、間接的にあの魔が関わっていることは確実なので良しとした。
「人の行動を操るだと……? どういうことだ? 君がいなくなった時誰かに魔がついていたというのか? いや、誰か一人に憑いていたとしても君を見失うまでには至らないだろう。それに、魔に憑かれたような行動をしていた人間はいなかった」
「それなのですが……ジークフリート様。魔の生態についてあとでお話したいことが……」
「魔の生態?」
「はい。それが真実かどうか検討の余地はあるとは思いますが……」
「わかった。後で聞こう。……しかし、フィーラ嬢。君はもうその魔から逃げ切ったということでいいのか?」
「え、と……恐らく」
――わたくしが水路に落ちた時は捕まえる絶好のチャンスだったはず。なのにあの魔は現れなかったわ。逃げた時点でわたくしからは興味が失せたのかも。
「あんたの足でよく逃げられたな」
「……もとよりわたくしに会いに来ただけ、というようなことを言っておりました」
「……は?」
エリオットが珍しく間の抜けた表情をする。
「君に会いに……?」
「いや、あんた……魔がそう言ったのか?」
「え?」
「ああ……フィーラ嬢、あの魔については一応かん口令が敷かれているんだ」
「え? そうなのですか?」
確かに通常の魔は喋ったりしないし、もとより魔個人の意思などないと思われている。その基準からすると、あの魔は特異な存在ではあるのだ。しかしかん口令が敷かれるほどとは思わなかった。
「まあ、エリオット君は当事者でもあるから構わないだろう。……今日はもう戻ろうフィーラ嬢。そして、できれば今日からはエルザの家ではなく、王宮に滞在して欲しい」
「……あの魔がでたからですか?」
「そうだ。もしあの魔が狙っているのが君だとしたら……エルザの家では君を護り切れないかもしれない。……まあ、王宮なら護り切れるというわけではないのが痛いがな」
――ティアベルトの王宮にはすでに出ているものね。でも、もう一度あの魔は出るのかしら? わたくしに会いに来ただけだとしたら、目的は果たせたでしょうに。
「むしろ、もうティアベルトへ帰ったほうが良いのかもしれないな……。あそこなら大聖堂も近い。聖騎士を呼ぶとしてもここでは時間がかかってしまう」
精霊による移動に要する時間は、距離と比例する。その仕組みは詳しくは分かっていないが、恐らく移動先に存在するその精霊の特質と同等の物質と、契約者および契約者に付随する存在を置換することで行われていると考えられている。
――水の精霊なら空気中の水分、火の精霊なら……何かしら? 熱とか電子? そうすると距離は関係ないように思えるけれど……距離はちゃんと関係しているのよね。
普段聖騎士が駐在する大聖堂から距離が遠いほど、到着までに時間がかかる。それでも数分ないしは数十分の差だが、その僅かな時間が命取りになることもあるのだ。
しかも一般人が襲われた場合、大聖堂へと連絡を取る手段を持っていないことがほとんどだ。
緊急の場合、大聖堂への聖騎士派遣の要請は主に精霊と契約した者が行う。早馬で知らせる場合もあるが、どうやって要請を出すかは状況に応じて変わってくる。
そのため魔が出現した際、早急に大聖堂へと要請が出せない場合最初に対応するのは聖騎士ではなく各国の騎士団になるのだ。
「とりあえず、一度戻ろう。エルザ達にはすでに馬車に戻ってもらった。テッド君と他の護衛も一緒に君を探しているが、探す範囲は絞ってもらっているからその付近へ行けば見つかるだろう」




