第107話 王太子殿下はお悩みです
「そうか。エルザは最初からあの恰好ではなかったのか」
「ええ。最初はちゃんと女性用の制服を着ておりましたわ」
ジークフリートとエルザ。二人がいなくなった席で、フィーラはエドワードとお茶を楽しんでいた。
最初はやや神経質な印象を受けたが、やはりエドワードはジークフリートと血がつながっているだけあり、とても話しやすかった。
「なるほど。君に会ってエルザは自由になったというわけか。……ジークもエルザも揃ってメルディア家の兄妹と仲が良いとは、フォルディオスの王家はメルディア家に縁があるね。というよりは縁があるのはロスタット家かな?」
――ロスタット……。ロスタットはエルとジークフリート様のお母様の生家の名なのよね。
ロスタットはジークフリートの姓でもある。すべての国でそうとは限らないが、フィーラの知っている限り、少なくとも聖五か国では王太子以外は国の名前を名乗らない。
ジークフリートは第二王子であるからフォルディオスの姓を名乗っていない。ジークフリート・ロスタット。それがジークフリートの名前だ。
カラビナの第三王女であるフロレンシアも、カラビナの名を名乗ってはいない。そのため、名前に国の名前が入る王族は、次の王であると高い確率で推測できるのだ。
「ロイド君のことは知っていたけれど君の事は噂でしか聞いたことがなかったから、エルザが友人になったと聞いた時は驚いたよ」
「……エドワード様もわたくしの噂をご存じで?」
「もちろん。その噂は聞いたことはあるよ。けれど、今日ほど噂は当てにならないと実感したことはないよ」
「いいえ、噂は本当ですわ。わたくしが変わったのです」
「そうなのかい? でもそれはそれですごいじゃないか。自分を変えるのは大変なことだ。……私も変わりたいと思っているけれど、なかなか上手くはいっていないよ」
――そう、なのかしら? そういえば、ジークフリート様は他人に与える印象を変えるのは簡単だとおっしゃったけれど、それはあくまで他人から見た際のわたくしであって、わたくし自身が本当に変わったことの証明にはならないのかもしれないわ。……わたくしは本当に以前のわたくしから変わったかしら?
「……エドワード様。わたくし先ほど自分は変わったと言いましたけれど、本当に変わったかどうかはわからないことに気が付きました。わたくしが変わったと思っているだけかもしれませんわ……」
「……君は……もしかして私を慰めてくれているのかな?」
「え? いえ! そんなことは……」
――ああ、今の言い方だとエドワード様に気を使って発言を変えたと思われたのかしら。そうではないのだけれど……。
「ああ、ごめん。嫌味を言ったわけじゃないんだ。……そうか。皆努力をしているんだね」
「エドワード様……」
「ねえ、フィーラ嬢。君はジークのことをどう思う?」
エドワードが唐突に話を切り替えた。
「ジークフリート様ですか?」
「そう」
エドワードが何かを期待するように真剣な表情でフィーラを見つめる。だが何を期待されているのかフィーラにはまったくわからない。
どのみち忖度ができるたちではないないため、正直に述べるしかないだろう。
「そうですわね……。わたくしから見たジークフリート様は、大人で、面倒見が良くて、意外にいたずら好きで、でも情に厚い、器の大きな方かしら」
「……へえ。君から見たジークはそんな感じか」
「エドワード様から見たジークフリート様は違いますか?」
「……僕から見たジークは、いつも僕に遠慮をしていて、周囲には自分の能力を実際よりも低く見せていて、僕よりも優秀に見えないように周囲に気を配っている、そんな道化の役回りを好んでしている男だ。……まあ、そうは言っても、ジークが僕より優秀なことなんて皆すでに知っているけどね」
――これは……。意外だけれど、エドワード様はジークフリート様に対して鬱屈した感情をお持ちのようね……。
「……尊敬するお兄様であるエドワード様を、立てていらっしゃるのね。ジークフリート様は」
「ふ……。そう思う?」
エドワードの瞳が遠くを見る様に細められる。
「ええ。わたくしはそう思います」
「僕はそうは思わない。いや、ジークはそう思っているのかもしれないが、実際、そのような扱いを受けたと知った僕がどう思うかまでは考えていないんだ。……あるいは、そんなことには気が付かないほど僕は無能だと思われているのかもね」
「エドワード様……ジークフリート様はそんな意地の悪いことを思う方ではありませんわ」
「うん。そうだね。きっとジークは無意識なんだろう。僕に対しては、どうも甘えているところがあるから」
さきほどの陰りのある表情は鳴りを潜め、エドワードは口元に淡い笑みを浮かべている。その様子だけをみれば、弟を可愛がっている兄にしか見えないだろう。
――いえ……きっとそうなのよね。
実際、兄弟仲が悪いわけでも、ジークフリートを嫌っているわけでもないのだろう。ジークフリートやエルザのエドワードに対する態度を見ていてもそれはわかる。きっと普段から可愛がられているから、彼らもエドワードを慕っているのだ。
だが、きっとエドワードは、優秀な弟に対して少なからず卑屈な想いを抱いている。
――しょうがないことだわ。誰だって、自分と誰かと比べて落ち込むことはあるもの。
「ごめんね……。馬鹿なことを言ったな。君には何でも話してしまいそうで怖いな……」
「お気になさらないで……。誰だって、弱音を吐きたいときはありますわ」
エドワードがフィーラを見つめ目を細める。
「……ジークが羨ましいよ。君みたいな子と友人だなんて」
「まあ。それはわたくしの台詞です。ジークフリート様もエルザ様も、わたくしには勿体ないような友人ですわ」
「そうか。それは嬉しいね」
そう言って微笑むエドワードの顔は、初めて会ったときの顔に戻っていた。ジークフリートとエルザの、優しい兄と従兄の顔に。そして本来あるべき王太子の顔に……。
――王太子のあるべき姿……。わたくしも無意識にエドワード様に王太子として期待をしてしまっている。王太子らしくあれという周囲のその期待が、エドワード様の重荷になっているのかもしれないわ。
フィーラは公爵家という比較的責任のある高い身分に生まれたが、王族として生まれた人間のそれには到底敵わない。
公爵令嬢たれと言われることと、王太子たれと言われることには、天と地ほどの差があるだろう。
――そうね。重いわよね。王太子ですらこれほどの重さを背負うのだから、一国の王ともなれば、いったいどれほどの重荷を背負うことになるのかしら。
王太子は次の王と決まっている。今でも十分な重責を背負っていると言うのに、それはこれからさらに重くなるのだ。自信を失っても不思議ではない。
「お待たせしました兄上、フィーラ嬢」
「ああ、お帰り」
戻ってきたジークフリートをエドワードが笑顔で迎える。すでにすっかり気持ちを切り替えたようだ。
「エルザはまだですか?」
「きっと陛下に捕まっているんじゃないかな? エルザは陛下のお気に入りだから。それより、陛下は君に何の用だったんだい?」
「明日客人が来るのでもてなせということでした」
「客人? 急だな」
「テレンスの王太子殿下ですよ。テレンスに帰る前に学友を連れてフォルディオスの遊山がしたいと申し出があったそうでしてね。私は学年が違うとはいえ、学園で多少の付き合いがありますから」
――テレンスの王太子……リディアス殿下ね。
「テレンスの王太子が学友を連れて他国を訪問かい?」
「……ステラ・マーチという名の少女です。カラビナの精霊姫候補ですよ」
――ステラ様? ステラ様がなぜリディアス殿下とフォルディオスに……?
「ああ、なるほど。精霊姫候補では無下にはできないか。しかしテレンスの精霊姫候補ではなくて、なぜカラビナの精霊姫候補なのだろうね」
――そうよね。自国の精霊姫を差し置いて他国の精霊姫であるステラ様を連れての訪問なんて……。どうなのかしら、それって。テレンスの精霊姫たちは面白くないのでは?
これではまるで、ステラがリディアスにとって特別だと言っているようなものだ。
「さあ。私にはわかりかねます。ですが、そういうわけでして、フィーラ嬢、明日は私は君たちには付き合えないんだ」
「お気になさらないで、ジークフリート様」
そこまで話したところで、今度はエルザが帰ってきた。
「ああ、遅くなっちゃってごめん。陛下は話が長いから。で、明日ジークが私たちに付き合えないって聞こえたけど……何話してたの?」
「明日、テレンスの王太子が精霊姫候補を連れてうちを訪問するそうだよ? ジークが陛下からもてなしを仰せつかったらしい。エルザはステラ・マーチという子を知っているかい?」
エドワードがエルザに事情を説明する。
「ステラ・マーチ? ああ、カラビナの精霊姫候補だっけ?」
「そうだ」
「ふうん。ステラって子、模擬戦の時にいた子だよね? ねえ、フィー。私たちも二人を出迎えない? 私、君とアリシア以外のほかの候補ってあまり知らないんだ。聖騎士を目指すんだから、一応は候補生の人となりを知っていたほうがいいかもしれないと思うんだよね」
「え? でも……」
「……そうだな。君もどうだい? フィーラ嬢。その子も同じ精霊姫候補がいた方が心強いかもしれないしね」
エドワードが言うことは普通に考えればその通りなのかもしれない。だが、ステラに関してはそれが当てはまるかどうかはわからなかった。
――どうしましょう。わたくしは別に構わないのだけれど、ステラ様が嫌がったりはしないかしら? わたくしのこと苦手みたいだし。でもそんなことは言えないわ……。
「無理にとは言わないよ?」
「……いえ。わたくしも出迎えますわ」
――そうよね。わたくしの考えすぎかもしれないもの。
なんとなく、ステラの態度からフィーラが勝手にそう思っているだけなのだ。ステラに確認したわけではない。
「ジーク。彼らはいつこちらへ?」
「昼過ぎだと聞いています。昼食の用意はいらないそうですよ」
「昼過ぎか……。それでは僕は会議でいないな。リディアス殿下には戻ってきてから挨拶するとして……明日は皆、昼は早めに王宮で食べないかい?」
「いいですね」
「じゃ、私たちは昼前に来るよ」
三人の楽しそうな声に、沈んでいたフィーラの気分は上昇した。
――気にしても仕方ないわね。わたくしも明日の昼食を楽しみましょう……。




