第100話 夏季休暇……の前に王女さまにお会いします
「ねえ、フィー、クレメンス。夏季休暇はうちに遊びに来ない?」
フィーラがエルザから誘いを受けたのは、授業終了後、クレメンスに相談を持ち掛けるため話しかけようとしていたところだった。
「フォルディオスに?」
――そういえば、もうじき夏季休暇ね。夏休みなんて久しぶりだわ。……うん。すごくわくわくするわね。
学園はあと三週間ほどで長期の夏季休暇へと入る。夏の暑い季節、学園は三か月まるまる休みとなるのだ。特に何の予定も入ってはいないのに、エルザの言葉にフィーラははやくも心だけは浮ついてきた。
「うん。一応ジルベルトも誘ったんだけどさ、訓練したいからって断られちゃった」
「そうね。ジルベルトは少しでも授業の遅れを取り戻したいでしょうしね」
「そうなんだよね。私も訓練には参加したいけど、一度家に帰らないとガルグさんに推薦貰えないからさ」
――そうだったわ。エルは聖騎士への推薦を伯父さんからもらうと言っていたわね。クレメンスはもともとフォルディオス出身だから、一度は帰省するでしょうし……。わたくしもフォルディオスに行ってみたいわ。
フォルディオスは水の都と呼ばれている水運都市だ。物を運ぶための運河に加え、幅の広い大きな水路が都市を縦横無尽に通っていて、その水路を船で観光するのがフォルディオスへ行く醍醐味だと言われている。
「そうね。お父様とお兄様の了承が得られたら、わたくしも行きたいわ」
「やった! クレメンスはどう?」
「……悪いが、俺は家には帰らない。学園に残って勉強したいんだ」
「一度も戻らないの?」
「……一度くらいは帰るかもしれないが数日しかいないだろう」
「そう。それでは難しいわね」
――数日しか帰省しないのなら、やはり家族水入らずで過ごしたいだろうし。
「……悪いな」
「謝んないでよ。学園ではいつも会ってるんだから。あっ、そうだフィー。ジークも一緒だけどいい?」
「もちろんよ」
――クレメンスはやっぱり忙しそうね。相談は……今はやめておきましょうか。
フィーラはさっそく許可を得るためにロイドの元へ赴いた。家長はあくまでゲオルグであるが、ゲオルグよりもロイドの許可をとる方が実質むずかしいような気がしたからだ。
それにゲオルグとはすぐには会えないが、ロイドは同じ学園にいるのだからすぐに会うことが出来る。
三学年の上位クラスの前にやってきたフィーラは通りかかった生徒を捕まえ、兄を呼びだして貰った。
「お兄様。夏季休暇にエルの家に遊びに行ってもいいかしら?」
「エルザ? ……フォルディオスか。うーん。まあ、ジークのところなら大丈夫か?」
ロイドが隣にいるジークフリートを見る。
「まあ、私のところへ来るわけじゃないだろうが、任せろ」
ロイドの視線を受けたジークフリートは快く請け負ってくれた。
「お兄様は、ジークフリート様の家には遊びに行かないのですか?」
「去年と一昨年は行ってるよ。こいつは一応王子だから、堅苦しかったけどな」
――そういえば……ジークフリート様の家ってことは王宮ってことよね。他国の王宮に滞在……。それはさすがのお兄様も気を使うわよね。
「何を言っているんだか。ずいぶんとのびのびしているように私には見えたがな」
「あれでも気を使ってたんだ。フィー。行ってもいいけど、今年は僕はついていけないから、行くときはちゃんと侍女と護衛を連れて行きなさい。あと、父様の許可も得ること」
「ええ、もちろん。ちゃんとお父様にもお話します。ですが侍女に関してはエルのおうちの侍女がお世話してくださるそうですし、行きも帰りも学園と王宮の転移門を使わせていただくということなので護衛も不要かと」
――学園に入ってからは護衛とはご無沙汰しているから、何となく不自由かなと思っちゃうのよね。
「護衛が必要なのは道中だけじゃないだろ? フォルディオスでの護衛はどうする? それも向こうがつけてくれるのか?」
「ええと……頼めば、恐らく」
「恐らくでは駄目だ。というよりも、護衛に関しては譲れない。信用できる者でないと駄目だ。いくらジークの国とはいえ、他国に行くんだぞ。この国では君の顔は知られているからある程度自由にさせているが、向こうでは必ずしもそうとは限らない」
ロイドの言う通り、メルディア公爵家の名はこの国の者ならば誰でも知っているし、顔もある程度は知られている。
だが、他国では名は知られていても、顔まで知っている者は少数だろう。特に平民ともなればメルディア公爵家の名さえ知らない者はでてくる。
「わかりましたわ……。では護衛団の誰かに頼んでみます」
「フィーが頼むことはない。僕が見繕っておく」
「……お願いいたします」
――以前だったら何とも思わなかったのでしょうけど、遊びに行くのに護衛をしてもらうのって、何だか気が引けるわね。
しかし今回はロイドの言う通りにしたほうがいいだろう。フィーラは王家に近い血を持つ公爵家の令嬢で、なおかつ精霊姫候補だ。もしフォルディオスでフィーラの身に何かがあった場合、外交問題になってしまう恐れもある。
――それに、エルザの家の護衛がついてくれている時に何かあったとしたら、エルザの家にも迷惑がかかるものね。
「それでは、お兄様、ジークフリート様よろしくお願いいたします。わたくしはもう戻りますわ」
「ああ、ちょっと待ってフィー。これから何か用事があるかい?」
「え? いえ。何もありませんが……」
そう。悲しいほどに何もない。これから図書館に行こうかな、などと思っていたくらいだ。
――わたくし図書館しか行く場所がないみたいね……。いえ、本は好きだから良いのだけれど! あと中庭にもよく行くし!
「これから食堂へ行ってお茶をしないか? 紹介したい人がいるんだ」
「紹介したい方……ですか?」
「うん。フィーに会いたがっている人がいてね。面倒くさいから先延ばしにしてたんだけど、ちょうど良い機会だから対面を済ませてしまおう」
――どなたかしら? しかもわたくしに会いたがっているなんて。
「わたくしに会いたがっている方とは、一体どなたですか?」
「フロレンシア・ティナ・アルサレス。カラビナの第三王女だよ」
――え⁉ 王女様?
「……彼女は僕たちに縁のある人だ。一応ね」
「縁……ですか?」
メルディア家とカラビナの王家に繋がりがあるなど初めて聞いた。
「とすると、私は行かない方がいいのかな?」
「別にいいだろう。親族で集まるというわけじゃないんだ。お前がいたほうが相手も多少大人しくしているだろうしな」
――ジークフリート様は事情をご存じなのかしら?
「さあ、行こう。結構気が短いからね」
「まあ。噂に違わぬ美しさね。さすがロイド様の妹だわ」
食堂でフィーラたちを待っていたのは薄茶色の髪に緑色の虹彩が散る濃い茶色の瞳の、一人の美しい女性だった。
「フロレンシア様。お初にお目にかかります。フィーラと申します」
「ええ。知っているわ。もしかしたらわたくしの従妹になっていたかもしれない方だもの」
フロレンシアが紅茶のカップを手に持ち優雅に微笑む。
――え? 従妹?
「フロレンシア様? いきなり過ぎです。僕はまだ妹に話をしていません」
「あら? そうなの? 連れてきてくれたから、てっきりもう話しているかと思ったわ。あとフロレンシアと呼んでといつも言っているじゃない」
「まあ、そうですね。僕も悪かった。面倒くさいことはさっさと終わりにしたかったもので、フィーに話すのを後回しにしてしまいました」
ロイドは一応は自分の非を認める発言はしたが、フロレンシアから名前で呼ぶように言われた事はさらりと無視している。王女様にして良い態度なのか心配になる。
「お兄様……どういうことですか?」
「わたくしから話してもよろしいかしら?」
フロレンシアの言葉に、ロイドが視線だけで返事をする。その仕草を見たフロレンシアが満足そうに頷いた。
「わたくしの叔父様とあなたのお母様は、かつて婚約者同士だったのよ」
「え⁉ お母様がカラビナの王弟殿下と⁉」
――お母様がお父様と結婚する以前に別の方と婚約していたことは知っていたけれど……まさかカラビナの王族との婚約だったなんて……。
「ええ。結局は破談となってしまったけれど……叔父様はあなたたちのお母様のことを本当に愛してらしたのよ。婚約が破談になったことに衝撃を受けて失踪してしまうほどに」
「え‼ 失踪⁉」
――失踪って、どうしてそんな大事に? え? そんな悲恋だったの? 政略的なものかと思っていたのに……。
「フロレンシア様? それはカラビナ王家の機密情報では?」
「いいわよ別に。もとから自由な人だったのだもの。以前から各地を漫遊していたそうだし、失踪した当時も今も、皆どこかで自由に生きていると思っているわ。まあ、とにかく。婚約が破談とならなければ、わたくしとあなたたちは従兄妹になっていたかもしれないの。そういうわけで仲良くして頂戴?」
「え……あの」
可愛らしく小首をかしげるフロレンシアだったが、理屈が強引すぎてその効果が半減している。
――失踪の話はもういいの? ま、まあ王家が動いていないわけはないものね。居場所を掴んでいるから泰然としていられるのかもしれないわ。
フィーラとしてもフロレンシアと仲良くするのはやぶさかではないのだが、その理由がもしかしたら従兄妹になるはずだったからとは、なかなかに強引だ。
それに普通は破談となった婚約は公にはされない。フィーラが知らなかったのもそういった背景があったからだろう。おおっぴらにそのことを理由として良いのかも疑問だ。
「フィー。本気にしなくていい」
「わたくしは本気よロイド様。むしろ今度こそティアベルトの王家とカラビナの王家の血を結ぶ良い機会だわ。わたくしとロイド様が結婚するか、フィーラ様がわたくしの兄と結婚すれば良いのよ」
「え⁉」
「フィー。本気にしなくていい」
「わたくしは本気だと言ったでしょう!」
「まあまあ。落ち着いてください、フロレンシア様。紅茶のおかわりなどいかがですか?」
「……ジークフリート殿下。ええ、そうね。お願いしますわ」
ジークフリートが給仕を呼び止めて人数分の紅茶の追加を頼む。
「大丈夫かい? フィー」
「……ええ。大丈夫です。少々驚きましたが」
「ごめん。もっと早くに話しておけば良かったな」
「お母様が以前別の方と婚約していたことは知っておりましたわ」
「……そうなのかい? 誰から聞いたの?」
――ええと、確か……。
「マルクさんですわね」
「ああ……なるほど。マルクさんなら知っているか」
「カラビナの王弟殿下と婚約していたのですね。……もしかして恋仲だったのでしょうか?」
自分の母が父以外の人物と恋仲だったと聞くと、やっぱり複雑な気持ちだ。
「ああ、いや。それはないと思うけれど……。王弟殿下の方はそうではなかったみたいだね」
「叔父様はネフィリア様に一目ぼれだったそうですわ。相手にはされていなかったそうですけれど……」
「そうなのですか?」
「母様は小さな頃から父様のことが好きだったようだよ。というよりは、王弟殿下と婚約を結ぶ前は、父様との婚約話が出ていたんだ。それを先の陛下の命令でカラビナの王家に嫁がせることになったらしい」
「王命でしたのに……結局破談になりましたの?」
「状況が変わりましたの。精霊王のおかげで聖五か国同士の戦争はご法度とされておりますが、それ以外の国との戦争はその限りではありませんわ。当時、カラビナと隣国メルキアンテの間には戦争の火種がくすぶっておりました。大国ティアベルトの姫を嫁がせるには旨味がありませんわ」
「そういうことだね。しかも結局戦争は回避されている。母様にとっては昔から想っていた父様と結婚できたわけだし、ティアベルトとしても特に損はしていない」
「結局損をしたのはティアベルトとの縁を繋ぎ損ねたわが国と、ネフィリア様に一目ぼれをしていた叔父様ということですわね。まあ、戦争が回避されことは喜ぶべきことですけど」
「な、なるほど」
――それは……確かにちょっと傷心旅行に出たくなる気持ちもわかるわね。でもそのおかげでわたくしとお兄様が生まれたわけなのよね。王弟殿下には申し訳ないけれど、お母様と王弟殿下が結ばれなくて良かったわ。
「カラビナの王弟殿下が失踪したというのは単なる噂だと思っていたが……本当だったのだな……」
ジークフリートが同情とも呆れともとれる表情で呟く。
「表向きは療養ということになっておりますわ。失恋した末の失踪なんて世間体が悪いったらないもの」
フロレンシアが呆れたように小さく首を横に振る。
「あの……本当に居場所はわかっておりませんの?」
「ああ……大丈夫よ。ちゃんと王家では把握しているらしいわ」
――あ、やっぱり? さすがに王族の血を持つ人間を放っておくわけにはいかないわよね。
「でもどれだけ説得を試みても帰ってこないそうよ。どうやら失踪中に出会った平民の女性と恋におちて家族を持ったらしくてね」
「ええ⁉」
「なんだそれは……」
「それは……大丈夫なのかい?」
「もちろん。王位継承権は叔父様自身にもその子どもにも放棄してもらっているわ。それに、のちのち担ぎ出されないためにそう遠くない未来に療養中の叔父様には闘病の末儚くなってもらうご予定ですって」
「……それを僕たちに言わないでくれませんかね」
ロイドが額に手を当て、ジークフリートが呆れたように首を横に振る。
「いいじゃない? あなたたちは誰にも言わないでしょう?」
「私たちは言いませんが……どこに誰の耳があるかわからないのですよ?」
――そうよね……。壁に耳あり障子に目あり。ああ……懐かしい言葉だわ……。
「大丈夫よ。私についている守護精霊は風の精霊なの。風の精霊は音に関することが得意だわ。私たちの声が聞こえる範囲に人の気配はないかちゃんと確かめてあるもの。それよりも、さっきの話を進めない?」
「先ほどの話とは?」
「わたくしとロイド様の結婚か、フィーラ様とうちの兄の結婚の話よ」
「両方とも却下です」
にべもなくロイドが切り捨てる。
「どうして⁉」
「カラビナの王女殿下など面倒くさくて迎えたくはありません。それにフィーも遠くへ嫁がせる気はありません」
――お兄様……明け透けすぎでは⁉ というか、わたくし嫁ぎ先は近場しかダメなの?
「転移門使えばすぐじゃない!」
「あなたもフィーも里帰りの度にティアベルトの王宮へ出向くおつもりですか? 大体、フィーを嫁がせるのはどの兄殿下にです? 王太子殿下と第二王子殿下にはすでに婚約者がいたはずですよね? 第三王子殿下はご婚約はまだだと記憶しておりますが、確か幼馴染みの侯爵令嬢にご執心だとあなたから伺っておりましたが?」
「実はね……」
内緒話でもするかのように、フロレンシアがロイドの方に身を寄せる。
「……もう一人兄がいるらしいのよ」
――本当に内緒話だったわ……。
「勘弁してください……。カラビナ王家の裏事情などに詳しくなりたくはありません」
ロイドはついに両手で顔を覆ってしまった。メンタルの強い兄をここまで追い詰めるとは、フロレンシアはなかなかな人物らしい。もしフロレンシアが王族でなければ、絶対にロイドは関わらなかったに違いない。
「すごいな……さきほどからどんどん機密情報がでてくるじゃないか」
呟くジークフリートの表情にはすでに諦念が現われている。
「……良いのでしょうか? わたくしたち、こんなことを知ってしまって」
通常、各国の王族に関する情報は政治的に利用される恐れもあるため、取り扱いには細心の注意が払われる。
「あまり良くはないが……仕方ない。この茶会が終わったらすべて忘れよう」
――それは……無理があるのでは……。
あまりそうは見えないが、ジークフリートもこの状況に戸惑っているらしい。
「フロレンシア様。今日のお茶会はこれで終了。いいですね? では失礼します。行こう。フィー、ジーク」
「え? え? お兄様?」
ロイドがフィーラの手をとり椅子から立ち上がらせる。ジークフリートは給仕を呼び止め、片付けを頼んでから立ち上がった。
「フロレンシア様はごゆっくり、お茶をお楽しみください」
ロイドがとても素晴らしい笑顔でフロレンシアに告げる。だがその瞳は笑ってはいない。
――ああ、お兄様……。怒っていらっしゃる。
「失礼します。フロレンシア様」
フロレンシアに向かって礼をするジークフリートは、いつも通り礼儀正しい。
ロイドに手を引かれその場を去るフィーラの瞳に、残されたフロレンシアが可愛らしく頬を膨らませている姿が映った。




