“湖岸拠点” 再び
(還ってきた。
還ってきた。
わたしが一番好きな場所に、時間に、時代に、還ってきた)
眼の前に広がる光景に、涙が止まりません。
堅牢な岩山の内部に築かれた、ささやかな営み。
それ自体で完結する、小さな小さな世界。
茫漠とした地底湖の畔を現れた、地下の街。
“湖岸拠点”
わたしの……わたしたちの迷宮街。
周りにいるのは、篤い信頼で結ばれた大好きな人たちだけ。
煩わしい社会とは隔絶された閉ざされた空間。
迷宮無頼漢たちの理想郷。
灰と隣り合わせでありながら、子宮内回帰に通じる安心感。
それは世間との軋轢のなかで生きる人からすれば、嫌悪感を催す考えでしょう。
ストレスフルな日常を必死に生きている人々が、眉をひそめ顔をしかめるような、自閉的なマインドに違いありません。
でもだからこそ、理想郷であり桃源郷なのです。
好きな人たちと好きなことだけをして過ごせる世界。
それがわたしにとっての、“湖岸拠点” …… 迷宮街なのです。
(すごく発展している)
“永光” の街灯に煌々と照らされる街並みは、“真龍の試練” を達成して、わたしたち “リーンガミル親善訪問団” が後にしたときとは、比べ物にならないほど発展していました。
地底湖の淡水域から引き込まれた用水路は拡張整備されていて、岩を削った階段と水汲み場がそこかしこに設置されています。
建物は石造りのものよりも、大小の天幕が多く目につきます。
住居に違いありません。
湿気が多く結露に悩まされる地底の湖岸では、そちらの方が快適だからです。
大きく目立つ石造りの建物は、食料庫と思われます。
冷却系の呪文で氷室にすれば、食料の保存に好都合でした。
そういった建造物がいくつも見えます。
建物の横でモクモクと煙を上げているのは汽缶でしょう。
追い焚き器の設置された公衆浴場だと思われます。
ボッシュさんが、呪われたなまくらの武具を鋳潰して造ったものが、いくつも稼働しています。
もはや地下迷宮にできた街ではなく、都市――国です。
(でも……おかしい。これは変です)
ようやく、わたしの中で違和感が広がりました。
トリニティさんの話では、魂は過去には遡れても未来には行けなかったそうです。
恐るべき童顔の稀代の賢者様曰く、
『どういう理かは不明だが、何度試してみても未来を見通すことはできなかった。未だ確定していない可能性を覗くことはできないのかもしれないな。未来を見通す――それは神々の領分なのだろう。きっとその方がいい』
確かに魔法が存在するこの世界でも、先を予見する権能は魔術師にも聖職者にも与えられていません。
未来の予知は、時として神々から宣託として与えられるだけです。
そうであるならば、今わたしの眼の前に広がっている、この光景は……。
その時、不意に複数の気配と視線を感じました。
気がつけば、わたしを遠巻きに見つめる人々。
老若男女、様々な年代の人たち。
誰もが質素な服装でしたが、決してみすぼらしくはありません。
地下での生活に適応した、機能的な服を着ています。
この迷宮街の――地下都市の住人に違いないでしょう。
(子供も……いる)
五歳くらいの小さな女の子と目が合いました。
彼女だけではありません。
他にも同年代の女の子や男の子たちが何人も、驚きの、怯えの、あるいはそれらのないまぜになった瞳で、わたしを見つめています。
「こ、こんにちは」
できるだけ親しみを込めた笑顔で声をかけてみましたが、自分でも『しまった』と思ったほど、ギコチナイ声と表情でした。
後ずさったあと、サッと大人たちの陰に隠れる子どもたち。
ファーストコンタクトは失敗してしまったようです。
ですがそんな中でも、最初に目の合った女の子――榛色の髪をお下げにした女の子だけは大人たちの背に隠れることなく、
「こ、こんにちは」
と、わたしと同じ表情で挨拶を返してくれました。
わたしはこの小さな女の子に、どこか見覚えがある気がしました。
ごく親しいはずの誰かに、確かに似ている気がしたのです。
喉まで出かかっていながら出てこない、その誰かの名前。
激しいもどかしさに身悶えするわたしに、女の子が困惑に満ちた声で訊ねました。
「あなたは……聖女様?」
「え、ええ、畏れ多いことですが、周りの人はそう呼んでくれています」
女の子の顔がパッとほころび、周囲の人々にどよめきが起こります。
「そ、それじゃ、名前はエバ様!?」
自分が巻き起こした周囲の動揺を置き去りにして、女の子が畳み掛けます。
「た、確かにわたしの名はエバですが……」
その返答に、周りのどよめきが大きくなります。
ですが群衆よりもさらに困惑……混乱していたのが、わたしがです。
自分の置かれている状況が、皆目検討がつきません。
記憶にあるよりもずっと発展している、“湖岸拠点” ――未来?の迷宮街。
なのにそこで生活する人々は、わたしを知っている。
いったい、どう解釈すればよいのでしょうか?
「やっぱり! やっぱり! すごい、すごい!」
胸の前で手を組んで、ぴょんぴょんと飛び跳ねる女の子。
そしてすぐに我に返って、
「それじゃ、わたしのママのママのママを知っているでしょ! わたしのママのママのママはあなたのお友達だったのよ! ママは、ママのママのママからあなたの話をよく聞いているの!」
「ちょっと待ってください、あなたのママのママのママ……が、わたしのお友達? ママのママのママというと、あなたの曾お祖母さま? お名前は?」
「わたし、アナベル! アナベル=アン!」
「いえ、そうじゃなくて、なく曾お祖母さまの――」
アナベル=アン? アン……?
アン!?
榛色のお下げ髪の侍女さん!
“龍の文鎮” で、わたしたち “フレッドシップ7” の世話をしてくれた!
この子に見覚えのあるはずです!
「そ、それじゃ、ここは――」
自分の置かれた状況をようやく理解し、途方もなさに言葉を失うわたし。
そのとき群衆が割れて絶句するわたしの前に、白金の甲冑に身を包んだ若い女性が進み出ました。
「ここにおいででしたか――初めて御意を得ます、聖女ライスライト様。わたしはリーンガミル聖王国筆頭近衛騎士、レ・ミリア・ファーシオン。陛下がお待ちです。どうぞこちらへ」
わたしはこのうら若き女性騎士にも、見覚えがある気がしました。







