癒しなき休息
隼人が水を汲んで戻ると、自室の前には人だかりができていた。
「だから聖女様は今、お祈りの最中なんだよ! 治療が必要なら俺が治してやるからそれで我慢してくれよ!」
扉の前でいがぐり頭の “東方坊主” が困惑しきりに、襤褸をまとったみすぼらしい住人たちを押し止めている。
月照のセリフと表情、先程の枝葉瑞穂の行いを思えば、状況は一目瞭然だった。
聖女による癒やしを求めて、住人たちが集まってきたのだ。
「なんだい、なんだい、いったいなんの騒ぎだい」
隼人が言葉を発するより早く、ラーラ・ララが頓狂な声を上げて月照と群衆の間に割って入った。部下から報告を受けて駆けつけたのだろう。
ホッとした表情で、猫人族のリーダーの耳元で囁く月照。
耳打ちされたマスターくノ一の眉根が僅かに寄ったが、それは一瞬のことだった。
「まったく、あんたたちちょっとは落ち着きな。なんのために救護所があるんだい。なんでもかんでも聖女様の手を煩わせるんじゃないよ。彼女は今あんたたちのために女神様に祈ってくれてるんだよ。それを邪魔してどうするってんだい」
肩を竦めて呆れ顔を左右に振るラーラ。
リーダーに必要とされる能力は数多あるが、内ひとつは演技力で、自分にはそれが欠けているのだと、隼人はどこか遠いところで思った。
「仕方のない連中だよ。でもあんたたちをこのまま手ぶらで帰すのも聖女様としては本意じゃないだろう。だからあたしの一存で、とっておきを話してあげるよ。ああ、とっておきのとっておきさ」
ラーラは芝居がかった表情でニヤリと笑った。
そして隼人たちのパーティが第五層で発見した “奇跡の泉” について語った。
“死” どこから “灰” からでも完全に復活できる、まさに奇跡の――神威の泉について、話して聞かせるラーラ。
だが住人たちの表情は、一様に鈍かった。
それはそうだろう。
あまりにも奇跡が過ぎて、想像が追いつかない。
もっと言えば、打ち続く過酷な生活で住人たちの精神は古びたゴムのように弾力を失っている。
希望を渇望しながら、その到来を信じて受け入れる心を無くしてしまっている。
「なんだい、その間の抜けた面は? つまりね、これからは死んだとしても必ず生き返れるんだよ。あんたたちの親、兄弟、亭主に女房、もちろん子供――大切な人間をこれからは二度と失わずに済むんだ」
住人たちは呆けた表情のまま、口の中でリーダーの言葉を反芻した。
やがて互いに顔を見合わせ、ひとり、またひとりと去っていった。
最後まで喜びの声は上がらず、歓喜の渦は巻き起こらなかった。
「やれやれ、話のスケールが大きすぎて、ちょっと外しちまったかね」
ラーラは頭を掻きながら、嘆息した。
それでも噂は瞬く間に拠点に広がるだろう。
時間を置いて、混乱にも似た衝撃が走るはずだ。
くノ一の表情が引き締まった。
「――それで、聖女様の様子はどうなんだい?」
「早乙女くんの “神癒” で眠ってるわ。熱も下がったし、状態に問題ないはず。ただ精神的な疲労は魔法だけじゃ抜けないから……」
恋が説明し、月照が横でうんうんとうなずく。
「無理もないさね……あの華奢な肩に、どんだけ重い荷物を背負い込んでるのか。――聖女様にはしばらく休んでもらおうじゃないか」
ラーラの決断は早かった。
「あんたたち、しばらくあたしの代わりにこの拠点を守っておくれでないかい」
「守るって、あんたどっかに行くのか?」
月照が、“ふぇ?” な顔をする。
「何人か連れて泉を確認してくる。その間の留守を頼みたいのさ。いずれ行かなきゃとは思ってたんだ。聖女様が寝込んぢまったんならよい機会さね――それでいいね、勇者様」
ラーラが回廊の先を見やる。
そこでようやく月照たちは、水を汲みに出ていた自分たちのリーダーが戻ってきていたことに気づいた。
「ここにはドッジを残していく。面倒事はまとめて任せちまえばいいから、あたしが戻るまでの間あんたたちは聖女様と一緒に羽でも伸ばしておいとくれ」
隼人は黙ってうなずいた。
話はまとまり、ラーラは準備のために立ち去り、パーティは自室に戻った。
部屋に戻るなり隼人は水瓶に水を注ぎ、寝台に四肢を投げ出した。
住人たち同様、隼人もまた精神の柔軟性を失っていた。
不協和音を奏で始めたパーティを率いてとって返すように探索に赴くのは、倦怠だった。
誰も彼も疲れ切っていた。
休息が――それも長い休息が必要だと思った。
◆◇◆
わたしが目を覚ましたとき、ラーラさんはジーナさんら信頼できる古強者の同志と一緒に拠点を出たあとでした。
隼人くんから、ラーラさんたちが留守のあいだ拠点を守ると告げられて、わたしはうなずくしかありませんでした。
本心では、ステッチちゃんを救うべくすぐにでも第六層に潜りたかったのですが、こうなってはどうしようもありません。
早乙女くんが施してくれた “神癒” のお陰で、体調は戻っていました。
ただ、やはり早乙女くんが遠慮がちに指摘してくれたように、精神の疲労は確かにありました。
体力は回復したはずなのに身体が重く、何をするにしても普段の倍の気力と馬力が必要でした。
わたしは早乙女くんと交代で、拠点の救護所に詰めることにしました。
本来はジーナさんの仕事で、彼女の代わりというわけです。
手が足りないときは隼人くんも来て手伝ってくれました。
隼人くんは……何か言いたそうな顔をしていました。
おおよそ見当はつきますが、わたしから水を向けるような真似はしませんでした。
それはわたしがするべきことではありませんし……なにより彼とその話題について話すのは、とても物憂げだったのです。
「――はい、これでもう大丈夫」
「ありがとうございます、聖女様!」
「剣の稽古もいいですけど、あまり無理はしないようにしてくださいね」
「エヘへ、これくらいヘッチャラだよ! あたい、早く大きくなってラーラみたいに拠点のみんなを守りたいんだ! ララに賞賛あれ!」
手のマメを潰して救護所に飛び込んできたホビット族の女の子が、つぶらな双眸をクリクリと動かしました。
褐色の巻き毛が、嫌でも彼女を思い起こさせます。
「わかりました。ではあなたにとっておきの “口上” を教えてあげましょう」
「コウジョウ???」
「戦うときの “気合い” みたいなものですね。勇気がモリモリ湧いてくる言葉です。あなたこれから大きくなって大切な人を守りたいと思ったとき、こう叫ぶのです。『召しませ、ホビット伝説の一太刀ここにあり!』――と」
「なにそれ、カッコイイ!」
ホビットの女の子が大きな茶色の瞳を輝かせたときでした。
開け放たれた扉を通して、回廊に響き渡る半鐘の音が届きました。
「せ、聖女様!」
「どうやら魔物が入り込んだようですね――あなたはここで怪我をしている人たちを守ってください」
ホビットの女の子は、決意に満ちた表情で力強くうなずきました。
緊張の色はありましたが、怯えやひるみはありません。
乱世の子供です。
立てかけてあった戦棍と盾を取ったとき、早乙女くんが駆け込んできました。
「枝葉、魔族だ! “雨樋石像” だの “黄銅色の悪魔” だのの羽つきが、基点を飛び越えて入り込みやがったっ!」
わたしは口元を引き締め、答えます。
「探索者機動迎撃戦です」







