スペクトラム
ギラギラと乱反射する、壁、天井、床。
“永光” は無論、角灯や松明といったあらゆる “明かり” を消してもなお、水晶の迷宮はわたしたちを苦しめ続けます。
蓄積した眼精疲労が、脳をミキサーで刻まれるような頭痛を引き起こし、集中力と忍耐力を根こそぎ奪い去るのです。
足取りは重く、会話は途絶え……進むために開けざるを得ない両眼の痛みにばかり意識が囚われる……。
シンプルなだけに強靱な、かつて経験したことのない、恐ろしい仕掛けでした。
「……小休止にしよう」
皆の限界を見て取った隼人くんが、力なく告げました。
聖水で魔除けの魔方陣を描くと、わたしは頽れるように座り込みました。
全員が土気色をした顔でへたり込み、目を閉じています。
“宵闇” や “暗黒” の呪文で周囲に暗幕を垂らしたいところでしたが、戦闘での使用を考えると望むべくもありません。
わたしたちに出来るのは、ただただ目を閉じてジッとしていることだけでした。
気配がして、誰かが顔を伏せるわたしの前に立ちました。
面を上げると、強張った表情の田宮さんが見下ろしていました。
「やっぱり納得できない」
殺気染みた声が、頭上に響きます。
「どうして彼女が死ななければならなかったの? あんな素晴らしい才能と人格を持った人が、ねえどうして?」
「わたしには答える術がありません」
緊張の漲る表情で、田宮さんを見つめ返します。
「あなた、女神の現人神なんでしょう!」
「それでもわたしは、枝葉瑞穂以上の存在ではないのです」
「都合の良いときだけ、聖女の看板を下ろさないで!」
「よせ、田宮! 迷宮で仲間割れをする気か!」
隼人くんが間に割って入りますが、却ってそれが田宮さんを激高させました。
「あなただって被害者じゃない! 女神が介入したせいで、本来結ばれるはずのない枝葉さんとあの男が結ばれたのに、片桐さんは死んで、あなたは運命を狂わされた! こんなの理不尽よ!」
憤る田宮さんに、わたしも憤ります。
ゆらり……と立ち上がり、同じ目線で彼女を見据えます。
「あの人からすれば、あなたの怒りこそ理不尽でしょう。アッシュロードさんが――灰原道行くんが歩んだ二〇年の苦難を、田宮さん、あなたは知っているのですか? 記憶を封印しなければ生きられなかった彼の辛苦を、あなたは想像できますか?」
わたしは出来ます、痛いほどに。
それはあの日、“心の迷宮” で炎に巻かれて彼を失って以来、わたしが抱えてきた悲痛そのものだから。
「あなたは得たじゃない! わたしは失ったのよ!」
血を吐くようなその言葉に、わたしはハッと思い至りました。
優れた才能を持つ者同士。
お互いを認め合い競い合う親友にしてライバル。
おそらくそれは、彼女自身も気づいていない想い。
思春期の女子なら抱いてもおかしくはない、友情と恋情のスペクトラムな感情。
(……田宮さん、あなた貴理子さんのことが……)
田宮さんが元の世界への帰還を望むのは、貴理子さんの存在が大きな動機づけとなっていたのでしょう。
ですが今、仮に帰還が叶ったとしても、そこに彼女はいない……。
貴理子さんの死は、田宮さんから迷宮探索の意義を失わせたのです。
命を懸けて迷宮を探索するモチベーションを。
これはとても危険な状態でした。
眼精疲労などよりも遙かに。
そしてわたしは、この状態から抜け出す術を知っていました。
「それならば、生きることです。元の時代に生きて還り、マグダラ陛下を初めとする貴理子さんの最期を知る人に、彼女の生き様を訊ねるべきです――死に様ではなく」
末尾に付け加えた一言が、田宮さんの顔面を朱に染めました。
「言われなくても!」
歯ぎしりをしてわたしを睨み付ける田宮さん。
「でもいいの? その時はあなたの大切な人を斬ることになるかもしれないわよ」
「その時は全力で阻止します。たとえあの人の代わりに斬られることになろうとも。死とは生の帰結でしかないのですから」
「その言葉、忘れないで」
田宮さんは踵を返してわたしから離れると壁際に座り込み、両手で抱いた膝に顔を伏せました。
まず混乱を鎮め、次に希望を示し、最後に簡単な仕事と使命感を与える。
迷宮保険屋のグリーフケア。
挑発によって混乱を鎮め、希望は怒りで代替させて、元の時代に生還し親友以上の存在だった人の最期を確認させるという、とても簡単とはいえない目的を提示する。
精魂が尽き果てた思いで、わたしもまた再び座り込みました。
わたしと田宮さんの緊張はパーティに伝播し、重い沈黙をもたらしていました。
やがてわたしたちは、なんの益にもならなかった休息を終えて、進発しました。
最後尾から見つめる田宮さんの背中に、迷いはありませんでした。
鬼気迫る背中には一分の隙も無く、後に続く者を拒絶さえしているようです。
そうして伏し目がちに進むわたしたちの前に、それは現れたのでした。
“淑女用レストルーム”







