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迷宮保険  作者: 井上啓二
第五章 一〇〇〇年王国の怪人
638/669

3⇒3・6★

「よせ、やめろぉぉぉぉぉおおおおっ!」


 知った声が悲鳴を上げた。

 通常の精神状態であれば、熟練者(マスタークラス)盗賊(シーフ) の反応速度なら刃を止めることができたかもしれない。

 だが眼前の “腐った蛙” の腹に浮かんだ()()()が、ジグの心をかき乱していた。


(今の声は誰だ……? この顔は誰だ……?)


 聞き覚えのある声だった。

 見覚えのある顔だった。

 特に顔。

 “破滅蛙(ドゥームトード)” の腹に浮かび上がった顔。

 おぞましいデスマスクのようなその顔を、若き盗賊は確かに知っている気がした。

 しかし意識が記憶に繋がるよりも、鍛え上げた無意識の攻撃動作の方が速かった。

 魔法の短剣(ショートソード) が “破滅蛙” の腹に突き刺さり、グズグズの腐肉を掻っ捌く。

 この時、ジグの無意識は判断を強いられていた。

 すなわち――


『“破滅蛙” の腹の人面瘡に、刃を突き立てるべきか否か?』


 浮かび上がった人面は弱点と見なせる。

 呪われた存在である不死属(アンデッド)に相応しいウィークポイントだ。

 ()()()()()()()()()()()

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 これは異常事態だ。

 ジグの無意識は逡巡した。

 この異常事態に “乗る” か、それともここは慎重に “静観” すべきか。

 盗賊の本能ともいえる慎重さが、後者を選択させた。

 魔剣が人面を避けて、“腐った蛙” のボール腹を斬り裂く。


「ミーナ!」


 全身に腐汁を浴びながら、ジグが叫ぶ。


(ミーナ? 俺は今、ミーナって叫んだか?)


(――ああ、そうだ! あの顔はミーナだ! あの生意気な年下の先輩盗賊だ!)


 一瞬の出来事に “フレッドシップ7” の仲間たちは、誰も動けなかった。

 そして蛙を追ってきた “緋色の矢” も。

 呪縛が解けたのは、意識と記憶が繋がったジグが短剣を投げ捨て、腐肉の中に手を突っ込んだあとだった。


「ミーナ!」

「ミーナだって?」

「スカーレット、無事だったか!」

「レット! お前なのか!?」

「ちょっと、ミーナってどういうことよ!?!?」

「あの蛙がミーナを呑み込んでしまったのよ!」

「ミーナは、ミーナは無事なの!?」


 探索者たちの声が錯綜する。


「おい、ミーナ! しっかりしろ!」


 ジグが腐汁塗れになりながら、蛙の腹からミーナを引きずり出す。

 少女の顔面にまとわりついている腐肉を拭い捨てると、頬を叩いて気付けする。


(息をしてねえ! 気管に()()()()やがる!)


 華奢な上半身を起こすと、ジグは革鎧越しにその背を叩いた。

 駄目だ、吐き出さない。

 最高級の豪華な革鎧が衝撃を吸収してしまっている。

 ジグはミーナの唇に自分のそれを重ねると、肺腑の限りを尽くして吸引した。

 通常とは真逆の心肺蘇生だ。


 ――べっ!


 と口の中の腐肉と腐汁を吐き捨てる。

 最悪の味だった。

 もう一度、何度でも、繰り返す。

 気管が詰まり、呼吸が止まっている。

 もし心臓も止まっているなら、“癒しの加護” は用をなさない。


「戻ってこい、ミーナ!」


 鬼気迫るジグの行為と形相に、仲間たちは息を呑んで見守るしかない。


「戻りやがれ、この小娘!」


「ゲホッ! ゲホッ! ゲホッ!」


 次ぎの瞬間、ミーナが激しく咳き込んだ。


「だ、誰……が、小娘……だって……?」


 腐った組織と体液に塗れた見るも無惨な少女が、若き盗賊を睨み付けた。

 ジグは不意に、死にたいほどの悪臭に自分が浸りきっていることに気づいた。

 “精魂が尽き果てる” ――という言葉の意味を、ジグは生涯で初めて理解した。


「待ってろ。今楽にしてやる」


 それまで無言で事態の推移を見ていたアッシュロードが、悪臭に包まれたふたりの傍らで膝を折った。

 “解毒(キュア・ポイズン)” の加護を嘆願して、盗賊たちから腐毒を抜く。

 戦闘時以外の治療は、サブ回復役(ヒーラー)の役目だ。

 解毒が終わると、スカーレットが “伝説(K.O.D.s)の盾(シールド)” に封じれた力を解放して、ふたりの体力を回復する。

 “大癒(グレイト・キュア)” と同等の癒しの力が、無限に使える宝具である。

 異常状態以外の回復はすべて賄える。

 最後に皮袋の水で口をすすぎ、汚れと悪臭以外のリカバリーは済んだ。


「……ひでえ再会だぜ……」


「……うん……最低最悪……」


 背中合わせに座りながら、ジグとミーナがぼやいた。


「……こんなのが初めてのキスだなんて……」


「……食いつくとこ、そこじゃねーだろ……」


 ジグリッド・スタンフィードは、心底ゲンナリした……。

 吸精(エナジードレイン) を受けたような消耗の末に同業者の生命を救ってみれば、不当な非難を浴びてしまった……。

 迷宮で女探索者を助ける度に女難に見舞われるグレイ・アッシュロードの気持ちがなにやら解った気がした。


「……ニブ……馬鹿……鈍感……」


 最初と最後は同じ意味だ……とジグは思った。


「無事だったか、レット」


「君もな、レティ」


 盗賊たちを除けば、他の探索者たちは概ね安堵の表情を浮かべていた。

 ふたつのパーティのリーダーであり恋人同士が再会を喜び合えば、


「グレイ、きっとまた会えると思っていたわ」


「ヴァルレハ、わたしもあなたに会えて嬉しいわ」


 美貌の魔術師が猫背の男に歩み寄り、エルフの僧侶(プリーステス)がにこやか?に割って入る。


「こんな時ぐらい、普通に再会を喜び合いなさいよ」


 更にそれを見たホビットの少女が天を仰いだものの、合流を果たした探索者たちを希望が包んでいた。

 ふたつのパーティともに欠けているメンバーはなく、目立った消耗もない。

 なにより四つの “K.O.D.s” が揃っていた。

 複数の “伝説の武具” を携えた熟練者(マスタークラス)のパーティが協力しあえば、如何に悪魔的な “林檎の迷宮” といえど活路は拓けよう。


斥候(スカウト) の調子が戻ったら進発するぞ」


 部隊(クラン)を束ねるアッシュロードが指示を出した。


「地上に戻って仕切り直す――ドーンロアたちを救うぞ」


◆◇◆


 “僭称者(役立たず)” の墓があるとされる玄室を目指して、ドーンロア一党は進んでいた。

 アッシュロードとエルミナーゼが最下層に転移させられた際に発見した、苔むした墓がある玄室―― “魔軍参謀(ライカーガス)” 率いる “僭称者” の三つの護衛団と遭遇した――だ。

 階層(フロア)に点在する “曰く付き(イベント)の小部屋” を踏破し、老醜の迷宮支配者(ダンジョンマスター)の嘲弄染みたお使い(クエスト)を果たした一党は、ここにようやく敵の牙城を衝こうとしていた。


 騎士たちの志気は高かった。

 前衛を務める重騎士を失ったもののそれ以上の犠牲はなく、戦力の損耗は最低減に抑えられている。

 立ち塞がる魔物の大半は “伝説の(K.O.D.s)籠手(ガントレット )” に封じられた “対滅アカシック・アナイアレイター” によって灰燼に帰し、魔法に抵抗したものは、“君主の聖衣(ローズガーブ)” をまとったドーンロアの剣技で屠られた。


 聖王国に再び危機が訪れたとき、その暗雲を払う “破邪の剣” となるために生涯を捧げてきた騎士たちである。

 救国の英雄、王配ソラタカ・ドーンロアが手ずからに鍛えあげた王国騎士にして、迷宮騎士たち。

 “僭称者” の復活と討滅は、彼らにとってまさに己が存在理由ともいえる使命だ。

 自分たちは今この時のために生まれ、今のこの時のために修行し、今この瞬間に戦って勝利する。


 ――そう、勝利するのだ。

 

 血尿を出しながら身につけた体力、魔力、胆力、武技、知識は、まさにこの戦いに勝利するためのもの。

 “僭称者” の首を刎ねれば、主君ドーンロア同様に祖国を救った英雄となる。

 救国の騎士。

 それこそは、叙勲を受けたすべの騎士が求めてやまない栄誉であり、(いさおし)

 これまでの労苦のすべてが報われ、なおあまりある誉れ。

 渇望し続けた未来を眼前にして、ドーンロア配下の騎士たちに英傑の気概が漲る。


 やがて一党は、決戦の玄室に辿り着いた。

 不気味なほどの静寂が周囲に満ちていた。

 迷宮特有の澱んだ大気は、そよともしない。

 ドーンロアの目配せに、盗賊が扉を調べる。

 罠の有無、そして現室内で息を潜める魔物の気配。

 そのどちらもなかった。


 “さもありなん”


 と、誰もが思った。

 ここで小細工を弄するようなら、興ざめも甚だしい。

 光と闇。 

 善と悪。

 聖と魔。

 永劫に続いてきた対立の、雌雄が決せられるのだ。

 荘厳なまでの戦いこそ相応しい。


 ドーンロアは扉の前に立つと、蹴破るでもなく押し開いた。

 わずかに力を加えただけで、扉は軋み音ひとつ立てずに一党を招き入れた。

 僧侶の手にしていた “光の杖(ライトスタッフ)” が独りでに点灯し、玄室の中央に “それ” を浮かび上がらせる。


 “役立たず ここに眠る”


 歳月に苔むした墓には、グレイ・アッシュロードが報告したままの墓碑銘が刻まれていた。


挿絵(By みてみん)


 誰かが述懐を漏らすより早く、三度の大音声が一党の頭上に落ちてきた。


第一の問い。

“王たる者が求めしは力。立ち塞がる敵を討ち滅ぼし付き従える味方を隷従させる。

されどそれ故に、騎士は背を向ける”


第二の問い。

“戦い、傷つき、奪われ、喪失の痛みに打ちのめされる者。されど剣は折れず、盾は歪まず、鎧は輝きを失わず。使命を果たす、その時まで”


 ――に続く謎解き(リドル)の散文詩の第三節。


第三の問い。

“力持ちながら、力に溺れぬ者。悲しみを知りながら、悲しみに負けぬ者。優しさに傷つきながら、優しさを忘れぬ者。死の道を歩みながら、生を生きる者。女神の愛娘たる聖女の守護者にして、均衡の守護者(ゲイトキーパー)――答えよ、その者の名を”


 児戯に等しい、謎ともいえない問いかけ。

 答えは誰にとっても明らかだった。

 四人の王国騎士たちは、そのものの存在である主君を見た。

 ソラタカ・ドーンロアが厳かに口を開く。

 

「答えは、“運命の騎士” だ」


 提示されたすべてのクエストが完遂(コンプリート)され、迷宮支配者(ラスボス)である “僭称者(役立たず)” への道が拓かれる――はずであった。


“汝は “運命の騎士” に非ず! ケチな背教者め!出て行け!”


 痛烈な面罵がドーンロアの顔面を打った。

 


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― 新着の感想 ―
人工呼吸はキスの範囲外ですよ。 だからジグともう一回ファーストキスやり直すべきかと! 最後www
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