ファントムメナス
水晶で造られた迷宮を、パーティは進んでいました。
“クリスタル・ラビリンス” ……といえば聞こえはよいのですが、その実は微弱な光源であっても乱反射して探索者の視覚を痛めつける、これまでに類のない仕掛けが凝らされていました。
壁、床、天井、すべてが粗削りした水晶で築かれているので、視線を逸らしても、伏せても、あるいは見上げても、光の洪水から逃れられないのです。
蓄積する “眼精疲労” によって、わたしたちは乗り物酔いにも似た症状に苦しみ、集中力を失っていました。
「……安西、“宵闇” の呪文を俺の網膜にかけてくれ」
早乙女くんが『……うぇっぷ……』といった顔で懇願しました。
「……無茶言わないでよ。そんな繊細な魔法制御、できるわけないじゃない」
「……わかってる。言ってみただけだ」
般若になる安西さん。
これは早乙女くんが悪いです。
「ああ間違えた! もう、ただでさえマッピングがしづらいんだから、トンマなこと言わないでよ、このトンマ!」
地図を描いていた羊皮紙を引き破るような勢いで、キレる安西さん。
彼女がヒステリーを起こすのも無理はありません。
水晶のデバフに加えて区域の構造自体も、“龍の文鎮” の “毛糸玉” や、この迷宮の第三層 “巨竜の腸” に匹敵する、こんがらがりようでした。
パーティに苛立ちが募っていました。
神経がささくれ立ち、自制が効かなくなっていました。
だから気づかなかったのです。
すぐそこに危険が迫っていたことに。
「――ぎゃっ!!?」
真っ先に狙われたのは、田宮さんでした。
悲鳴に振り向くと、脇腹を押さえてうずくまっています。
鮮血が指の間から溢れて、水晶の床にボタボタと零れていました。
「襲撃か!」
「畜生、どこだ!」
「見えない!」
「落ち着け、田宮を守って防円陣を組め!」
恐慌に陥りかけた仲間に、隼人くんの叱咤が飛びます。
「すぐに治療します!」
「ご、ごめん。わけもわからないうちにやられちゃった」
駆け寄って苦痛に顔を歪ませる田宮さんの手をどけると、“蓬莱の鎧” と呼ばれる東方風のスケイルアーマーが斬り裂かれて、左の脇腹に深い傷を負っていました。
致命傷ではありませんが、この傷では満足に刀を抜くことはできないでしょう。
わたしは “大癒” の加護を嘆願して出血を止めると、さらに “小癒” を重ねがけして、完全に傷を塞ぎました。
「ありがとう。もう大丈夫」
「いったいどこから? 気配もなく、姿も見えなかった」
円陣に加わると田宮さんが刀を抜いて青眼に構えます。
密集しているので得手とする抜刀術が使いにくいのでしょう。
わたしも戦棍と盾を構えて、彼女と肩を並べました。
戦棍を振って、封じられている “神璧” の加護をパーティの周りに張ります。
「ど、どこだ……?」
「……足音はしなかった」
「……気配もな」
早乙女くん、五代くん、隼人くんが言葉の穂を接ぎます。
「……目眩ましをされている?」
「……その可能性が高いかも」
「……」
田宮さんと安西さんが緊張に強張る声で囁き合い、わたしは無言で襲撃者の正体を見極めようと思案していました。
(気配がまったく感じられない。臭いも、空気の揺らぎすらも)
そうだとするなら、恐るべき手練れです。
まるで闇潜むマスター忍者のように、わたしたちを屠ろうとしている。
しかし、ここに闇はありません。
あるのは逆に、目眩ましのような水晶の輝きです。
ですが闇に紛れるならばともかく、光に紛れるなんてことが……。
ハッと思い当たりました。
「まさか “光学透過の水薬” を使っている……!?」
わたしの言葉に、パーティに慄えが疾りました。
“光学透過の水薬” は文字どおり、光を透過させる魔法が封じられた水薬です。
光を屈折させずに素通りさせてしまうため、これを振りかけた対象は透明になり、生物の目に映らなくなるのです。
“龍の文鎮” ではこの水薬が大活躍して、幾度となくわたしやあの人を窮地から救ってくれました。
「だとするとやっかいだぞ。ただでさえ俺たちは絶賛眼精疲労中だ。心眼が使えない以上、視力が役に立たないんだから却ってラッキー、なんて言えないしな」
早乙女くんの言うとおりです。
たとえ目が眩んでいるにしても、わたしたちは視力を頼りに戦うしかありません。
「な、なにか目印を付ければ!」
「透明な壁用の顔料があるが、量が少ない上に粘りが強すぎる。ペンキをぶっかけるみたいにはいかない。水で溶ければ別だが……」
「やってくれ――全員、壁際によって作業する五代を守れ!」
安西さんと五代くんの会話に、隼人くんが即座に反応して指示を飛ばしました。
壁を背に、五代くんを囲んで半月形の陣を組みます。
わたしたちに守られながら、五代くんが水袋の水で顔料を溶き始めました。
第四層の “鏡の広間” で苦戦して以来、透明な壁に目印を付けるための顔料は彼の必需品になっているのでした。
「ぐがっ!?」
くぐもった呻き声に、全員がギョッとして振り返りました。
あろうことか顔料を溶いていたはずの五代くんが背中に深い傷を負って倒れ込んでいます。
「忍くん!」
「そんな、どこから!?」
安西さんが駆け寄り、田宮さんの声が恐怖に震えます。
「待ってろ!」
早乙女くんが五代くんの側に滑り込むように膝を突きます。
「月照は治療を! 残りは陣形を崩すな! ――安西! 今は月照に任せろ!」
「こりゃあ、枝葉が “神璧” 張っといてくれなきゃ即死だったぜ!」
額に浮いた汗を拭う早乙女くん。
立て続けに二度 “大癒” の加護を受け、ようやく五代くんの出血は止まりました。
(いったいどこから!? 天井!? 違う、そんなはずはありません! 頭上からの気配はなかった!)
わたしたちは壁を背に強固な陣形を敷いていて、五代くんはその中にいたのです。
それなのに奇襲を許してしまった。
「“光学透過の水薬” ではありません! 光ではなくまるでわたしたちや壁すら通り抜けたような――」
そこまでいったとき、今度こそわたしは襲撃者の正体に思い至りました。
そうです、聞いたことがあります、ドーラさんから。
舞台の大道具――掛割の中に自由に出入りできる強大な化け物の話を。
「わたしたちはとんでもない魔物と遭遇してしまったようです」
戦慄が背筋を貫き、震える声が喉から零れます。
「いるのでしょう! 姿を見せなさい、 “道化師” !」
シャン……!
澄んだ錫杖の音が、水晶の回廊に響きました。







