3・4・C・6★
“緋色の矢-1” の五人は、仲間を呑み込んだ “破滅蛙” を追って走った。
存外に速い。
生体活動を止めた不死属である。身体を厭う必要がなく筋や組織を痛める動きが、追跡者たちの想定を超える逃げ足に繋がっていた。
「待て!」
腐った体皮から腐汁を飛ばしながら逃げる “破滅蛙” に、スカーレットが怒鳴る。
相手は腐った蛙だ。
怒鳴ったところでなんの意味もないことは解っているが、それでも怒声を浴びせるぐらいしかできない。
「エレン、足を切り飛ばせないのか!?」
「あんなに激しく動いてちゃ無理!」
併走するスカーレットに叩き付けるように訊ねられ、エレンも同様に答える。
彼女が手にする “退魔の聖剣” には ”烈風” の加護と同等の力が宿っているが、走りながらでは正確な真空波など呼び起こせるわけがない。
詠唱いらずの魔道具なら追走しながらでも使えたが、逃げる魔物の一部位だけを切り飛ばすような、細心な用法は不可能だった。
ノエルやヴァルレハに至っては、立ち止まって詠唱を始めた途端に、“破滅蛙” は魔法の射程外に出てしまう。
「“棘の指輪” があれば!」
エレンの顔が悔しげに歪んだ。
“棘の指輪” はその名の通り、“棘縛” の加護が封じられた魔法の指輪だ。
永久品ではなく一〇パーセントの確率で壊れてしまうが、魔道具だけあって祈祷を必要とせず、こういった状況でも魔物足を止めることができる。
できるが――。
「指輪は、ミーナと一緒に蛙の胃の中だ!」
憤懣も込めて、スカーレットが言葉を返す。
魔法の使えないミーナを戦力化するため、魔道具の類いは彼女が所持している。
前衛の戦士が三人いるこのパーティでは、盗賊のミーナは魔道具を使って後衛的に立ち回りつつ、魔法使いのノエルとヴァルレハを守るのが役目だった。
同じく足止めに仕える “昏睡” の呪文が封じられた “夢見の石” もまた、ミーナと共に蛙の腹の中だった。
(そもそも奴は不死属だ、眠りの魔法は――)
スカーレットが内心で舌を打ったとき、彼女の背中をノエルの鋭声が追い越した。
「お願い、効いて!」
甲冑の鳴る音に紛れて、微かに蜜蝋の封が解かれる音がした。
開封された魔力が、遁走する腐った蛙を包み込む。
ガクン!
とつんのめるように、“破滅蛙” の動きが止まった。
「眠った!?」
スカーレットが咄嗟に振り返ると、記された秘文字が炎となって燃え尽きていく巻物を拡げた僧侶の、安堵の表情が見えた。
魔道具はほぼミーナに持たせていたが、かさばらない “眠りの巻物” を一巻だけ、保険の保険としてノエルに持たせていたのである。
売り払って金に換えてもよかった品だが、彼女らは熟練者のパーティで財布には余裕がある。物持ちがいい。
「生体時の本能が残っていてよかったわ」
ヴァルレハが声を弾ませた。
どういうわけかこの個体は、半デッドだったようだ。
生体活動を止めながら、食欲や睡眠欲などの欲求の記憶が残っていた。
だからミーナを飲み込み、眠りの魔法で眠った。
「とにかく起きないうちに解呪だ、ノエル!」
「はい!」
不死の呪いを解いて清浄無垢な塵に還し、中のミーナをだけを残す。
「スカーレット!」
エレンが叫んだときには、スカーレットは剣を構え後衛を庇っていた。
「次から次へと! 今度はなんだ!」
救出まであと一歩ところで、またしても徘徊する魔物、遭遇 。
現れたのは、まさしく『次から次への代名詞』だった。
◆◇◆
「どうする?」
レットがアッシュロードに訊ねた。
パーティ単位の戦術レベルでの判断はリーダーである彼の領分だ。
だがこれは一時的にとはいえアライアンスを組む、他のパーティの問題である。
となればこの作戦の指揮官である女王マグダラの名代であり、作戦立案者でもあるアッシュロードが判断を下さなければならない。
このまま地上を目指すのか、それとも――。
「助けにいくのは無理だ」
アッシュロードは言下に答えた。
今から “伝説の兜” を打ち倒した玄室まで戻ったとして、その先に待っているのは未踏破階層の第五層だ。
この四層でさえ “高位悪魔” が出現する迷宮である。
例えガブリエルの探知によって最下層への縄梯子の位置が判明しているにしても、 一回の探索で辿り着けるとは到底思えない。
アッシュロードの言葉に、全員が安堵の表情を浮かべた。
「探索者は自存自衛が鉄則だ。奴らだって俺たちが助けにくるなんて微塵も思っちゃねえだろう」
「そりゃ、まあね」
パーシャが納得して、頭の後ろで手を組む。
「むしろ、あたいたちが行ったら『あ゛? なにきてんだよ?』っていうよ。絶対」
そういって笑ったのは、笑うしか手がないからだ。
自分たちはドーンロアを見捨てるのでない。
助けに行く手段がなかっただけだ。
「よし、方針の変更は無しだ。地上を目指すぞ」
レッドが進発を指示した。
(……どう頭を捻っても算段が浮かばねえ。テメエが選んだ道だ。テメエでなんとかするしかねえぜ、ソラタカ)
アッシュロードはパーティの最後尾につきながら述懐した。
救出も救援も支援も援護もできない。
その方法がない。
だから自分たちは地上を目指すしかない。
その一方で、こうも思った。
『もし算段があるなら、自分は連中を救いに最下層を目指しただろうか?』
――と。
◆◇◆
算段が浮かばずにいたのは、地上でも同様だった。
「陛下」
フェリリルが呼び落とした神雷を王城のバルコニーから見上げていたマグダラを、
ドーラ・ドラがうながした。
「戻りましょう」
女王はうなずき、踵を返して玉座に戻る。
マグダラの前には、彼女の信頼すべき家臣や義勇探索者が並んでいた。
筆頭近衛騎士にして近衛騎士団長の、ロンドラッド。
ロンドラッド以外の、各騎士団の団長。
傍らでは祐筆のマイスンが、すべての発言を流麗な筆致で記録し、女王専属の侍女であるメリッサが玉座の影に潜むように付き従う。熟練者の忍者でもある彼女は、侍女であると同時にマグダラの身辺警護役でもある。
他にも後方支援、情報収集や輜重を担当する多数の武官および文官。
前線部隊からは部隊の副指揮官である、ドーラ・ドラ。
前線と後方の連絡・調整役である、ハンナ・バレンタイン。
ハンナの副官であり彼女を崇拝する若手騎士、オルソン・ハーグ。
これがミッション “海王神の三つ叉矛” の大本営の陣容である。
大本営では定期的に “探霊” の加護を嘆願し、三つのパーティの安否を確認していた。
そして一向に探索者たちが帰還しないことから状況を分析し、迷宮が何らかの力で閉ざされ、“転移” が封じられたことをつかんだ。
「今 “探霊” を嘆願しました。“緋色の矢” と “フレッドシップ7” は、それぞれ三層と四層にて健在。ドーンロア公の一党は最下層にあって……一名が死亡しています」
そうしてマグダラは翳りの浮いた表情で、その者の名を告げた。
騎士たちの表情が強ばった。
命を落としたのは王配ドーンロアの配下の中でも、剛勇を謳われた重騎士だ。
“力あるもの” の銘を持つ+2相当の強化が施された魔法の戦棍を得物にし、戦場では甲冑ごと敵を挽肉にした。
「あれほどの剛の者が不覚を取るとは……最下層、恐るべし」
騎士団長のひとりが、唸るように呟いた。
「カウンターマジックはまだ成功しないのですか? 迷宮を包み込んでいる空間閉鎖さえ解ければ、彼らは “転移” の呪文で脱出できる」
「魔術師ギルドが総力を結集していますが、芳しくはありません」
別の騎士団長の言葉に、マグダラが頭を振った。
「ギルドからの報告では、空間を閉鎖している魔力は、まるで “ニルダニスの杖” の如き強さであるそうです」
「しかし、それは考えらぬこと。“K.O.D.s” と “杖” は同時に存在しえないのが世界の理。“K.O.D.s” がひとつでも我らの手中にある以上、如何に “僭称者” といえど、かの杖を手に入れることはできません」
マグダラは沈思していた。
あの運命の舞踏会の夜。
王城に現れた “僭称者” は、絶対物理防御に匹敵する障壁で身を守っていた。
あの力こそ、杖の加護そのものではなかったか。
そうであるなら、“僭称者” は女神の杖を手に入れていることになる。
杖を使えば、迷宮を空間ごと閉ざすことなど児戯に等しい。
杖は、迷宮どころかこのリーンガミル全体を魔物の侵入から守っているのだから。
(そもそも “僭称者” が杖を奪っているのなら、王都を守る結界が現在も有効なのはおかしな話です。女神の杖が手中にあるなら結界を消して、二〇年前のように魔物を召喚して地上に攻め上がっているはず)
女王は胸の内で、頭を振った。
(“僭称者” は杖を入手していない。あの老醜の魔術師が行使しているのは女神とは別の力。ならば、人智を持って突破できるはず)
「ギルドには引き続き空間閉鎖の打破を命じます」
騎士たちがうなずく。
「そればそれはそれとして、救助隊の派遣は如何いたしましょう? “龍の文鎮” で演習を積んだ、迷宮有事の即応小隊がいつでも出せますが?」
今度こそ、マグダラは顔を左右に振った。
「“龍の文鎮” と “林檎の迷宮” では難度が違いすぎます。大丈夫です。“緋色の矢” と “フレッドシップ7” は必ず生還します。彼らの帰還を待ち、報告を分析したうえでドーンロア公の救出部隊を編成します」
誰もが女王の判断に心底からうなずいた。
第一層からして、すでに熟練者の実力が必要とされる “林檎の迷宮” である。
その危険度は “龍の文鎮” の最上層と同程度がそれ以上。
せいぜいが “龍の文鎮” の二層から三層で演習をした騎士には、荷が勝ちすぎる。
彼らが即応できるのは “林檎の迷宮” に変容する前の “呪いの大穴” までだった。
「今は待つときです」
(そして祈るとき)
マグダラは、彼女の王配が判断を誤ったと思っていた。
その場に止まり、体力と魔力を温存しつつ、救助を待つべきだった。
そうすれば、いずれ地上に帰還したアッシュロードらが救出に現れただろう。
二〇年前の探索で “魔界犬” に驚かされ全滅寸前に陥った自分たちを、ミチユキのパーティ “ファイブ・スターズ” が助け出したように。
しかし、それが無理なことも十二分に理解していた。
あの双子の弟が、今一度兄に助けられるなど、受け入れるはずがないことも。
◆◇◆
ドーンロア一党は最下層に三室あるという “曰くのある小部屋” を目指している。
すでに第一の玄室には到達した。
轟雷のような声が、謎かけと思わしき散文詩を告げた。
“王たる者が求めしは力。立ち塞がる敵を討ち滅ぼし付き従える味方を隷従させる。されどそれ故に、騎士は背を向ける”
答えを求める問いかけすらなく、ドーンロアは謎かけではあるがその一部であると看破した。
最下層にはイベントが発生する “曰くのある” 玄室が三室ある。
おそらくはそのすべてを訪れたときに、謎かけの全容が明らかになるはずだった。
一党は、
・ドーンロア(君主)
・女騎士(戦士)
・僧侶
・魔術師
・盗賊
――の一列縦隊で進む。
本来なら鋭敏な感覚を持つ盗賊が斥候 として先頭に立つのだが、最下層は迷宮が “林檎の迷宮” に変容したあとも、構造にほとんど変化がない。
ドーンロアは二〇年前にこの階層を踏破している。
構造を熟知している主君自ら、家臣に代わって先陣を切っていた。
殿に回った盗賊は、後方からの襲撃を警戒しつつ、最後列から “伝説の籠手” で遭遇 した魔物を薙ぎ払う。
事実、“伝説の籠手” は猛威を奮った。
耐呪能力を持たない魔物は、出現するなりことごとく灰燼に帰された。
強大な生命力で生き残れたにしても瀕死の状態であり、ドーンロアらが容赦なく斬り捨てた。
蹉跌は、初戦の “大気巨人” 戦のみだった。
一党は遭遇するそばから魔物を灰にしつつ、猛進。
第二の玄室に到達した。
そこは、南北に三つ連なる一×一区画の小部屋の最奥だった。
ドーンロアの記憶でも、二〇年前に描かれた最下層の地図でも、イベントの存在が確認されている玄室で、“女神の杖” の所在を訊ねる不気味な声が響く部屋だった。
盗賊が危険の有無を調べ魔物の気配がないことを確認した一党は、それでも武器を抜いて扉を蹴破った。
「――!!?」
眩い光に目が眩んだ。
“永光” が打ち消されてから久しく暗闇に慣れていた瞳孔が、白い光線に射貫かれ、一行は盲目となった。
幸いなことに、魔物の急襲はなかった。
時が経つにつれて瞳孔が調節され、白光から鋭さがなくなった。
光は柔らかく温かなものだった。
光の根源は、母性を感じさせる白亜の女神像だった。
手には長い杖が持たれて――。
「まさか、あれは……」
女騎士が絶句した。
二〇年前には、“女神の杖” の所在を訊ねる声が響くだけだった玄室。
それが現在は――。
「先走るな。あれは “女神の杖” ではない」
鉄の肌触りがする声で、ドーンロアが家臣たちの驚愕を解いた。
““K.O.D.s” を集め “女神の杖” を授かり先の騒乱を終息せしめたのは、他の誰でもなく、このソラタカ・ドーンロアなのだ。
形状、重さ、手触り、宿っているとてつもない神威は、心身に灼き付いている。
「ではあれは……」
しかし女騎士は、それでも神像が手にする “杖” に大いなる力を感じた。
「よ、よろしいか」
震える声で、僧侶が進み出た。
「わたしは男神に帰依する僧侶で、女神の信徒とは信仰を異にしますが……これはそういった区別の外側にある品です」
「お、おい、まだ調べてねーんだから、触るな」
杖に手を伸ばす僧侶に、盗賊が警告した。
「心配はいりません……これは間違っても邪悪な品ではない」
そういって僧侶がこれ以上ない恭しい仕草で、杖を両手に取った。
白光が弱まり、徐々に杖の中に収まっていく。
やがて暗闇が戻り、ぼんやり残光を発する杖だけが残った。
「これは “光の杖” 。戒律や信仰に関係なく使える、強力な神聖属性の武器です」
二メートルを超えるクォータースタッフを手にした僧侶が、恍惚として告げた。







