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迷宮保険  作者: 井上啓二
第五章 一〇〇〇年王国の怪人
627/669

続3・4・6★

 その扉を開けても、迷宮に変化はなかった。

 階層(フロア)の半分の面積を占める広間を抜けて、二×一区画(ブロック)の狭い玄室が現れただけだ。

 しかしパーティ “緋色の矢” は、確かに緊張の一部を解いた。

 リーダーのスカーレットが、地図係(マッパー)のヴァルレハを見やる。


「地図に狂いはないわ。未踏破区域(ヴァージンエリア)は抜けた」


「しゃっ!」


 盗賊(シーフ) のミーナが、拳を握って肘を脇の下に引いた。


「気を抜くな。こういうときが一番危険なんだ」


 スカーレットが弛緩しかかった空気を引き締め直す。

 既存の地図が使えるようになっただけで、巣くっている魔物が弱くなったわけでも消え去ったわけでもない。

 しかし生還の難易度が大幅に下がったことも、また確かだ。

 手探りで帰路を探す精神を削る作業は終わり、迷子の心許なさからは解放された。


「スカーレットの言う通りよ。帰路が判ったとはいえ道のりは長いわ」


 ヴァルレハは丸められていた羊皮紙を拡げた。

 繊細な筆致で描かれた地図が現れる。


「この階の構造は()()()()()()()よ。目指す縄梯子までは何度も階層の端にある次元連結(ループ)を越えなければならない」


 しなやかな女性らしい指先で、ヴァルレハが地図の上に帰路を浮かび上がらせる。


「こりゃ確かに頭がこんがらがりそうだ」


 ミーナが顔を引きつらせた。

 上層への縄梯子に辿り着くには、迂回に迂回を重ねて、まったく関係のない方角に行ったり来たりしなければならない。

 回転床(ターンテーブル)暗黒回廊(ダークゾーン)はなく、ただ内壁の隔たりだけで遠路を強要してくる。

 ()()()()()()()な階層だった。


「だが帰路は確認できている。それよりも怖いのは魔物の群れだ。この階ですでに “紫衣の魔女(アンドリーナ)の迷宮” の九階程度の手強さだからな」


 何よりも怖いのは、多数で出現する竜息(ブレス)持ちの敵だ。

 驚かされ先制攻撃を受ければ、一瞬で全滅しかねない。

 しかしこればかりは、運にも左右される。

 どんなに慎重に歩を進めようと、奇襲を防ぎきることはできないのだ。

 対策があるとすれば……。


生命力(ヒットポイント)は常に最大値を保て。幸いにして ”伝説(K.O.D.s)の盾(シールド)” の加護があるから、精神力(マジックポイント)は気にする必要はない」


 スカーレットはそういうと、最後に力強く付け加えた。


「とにかくこの階だ。二階に上がれれば、すぐにまた一階に登れる」


 第二階層は下層に垂れる縄梯子に辿りくまでは難所の連続だが、上層へ戻る分には一方通行の扉を抜けることで大幅なショートカットが可能だった。

 パーティは進発した。

 ミーナを先頭に据えた、一列縦隊である。

 前列の三人を戦士で固めたいところだが、魔物の気配を察知し ”奇襲(Monster )攻撃(surprised)( you)” を防ぐには、ミーナの斥候(スカウト) としての能力が必要だった。

 ミーナはすべての感覚に神経を集中させて進む。

 視覚・聴覚・嗅覚はいうに及ばず、肌に触れる微細な空気の流れから、()()()()()吟味しながらパーティを導いた。


(この階層で出る竜息持ちといえば、“羽虫群(ノーシーアム)” “緑皮魔牛(ゴーゴン)” “魔界犬(ヘルハウンド)” ――か。

 “羽虫群” はあの独特の低い羽音ですぐにわかる。“緑皮魔牛” はガチャチャガチャうるさい上に、この迷宮だと最大で八頭も出てくるから一〇〇メートル先からだって聴取れる。

 あとは毒息を吐く “破滅蛙(ドゥームトード)” がいるけど、これは多くても二匹しか出てこないし。

 ……となると、やっぱり “いぬ” ……か)


 ミーナは最も警戒すべき魔物を正確に認識していた。


 “いぬ” ―― “魔界犬(ヘルハウンド)


 この迷宮がまだ “呪いの大穴” と呼ばれていた時代から、忌み嫌われていた魔物。

 冥府(アビス)の門番として聖典にも記される三頭の魔獣 “地獄犬(ケルベロス)” の眷属であり、炎を吐き散らすうえに最大八頭で出現するため、驚かされると一瞬でパーティは壊滅する。

 二〇年前、即位する前の王女マグダラ率いるパーティがこの “いぬ” に驚かされ、全滅寸前に陥った逸話は今も語り草になっている。


 しかも迷宮が “林檎の迷宮” に変容したことでモンスターレベルが上がり、有効な対抗手段だった “滅消(ディストラクション)” をも無効化するようになっている。

 さらに低周波の羽音を響かされる “羽虫群” や、重く分厚い装甲をガチャガチャと打ち鳴らす “緑皮魔牛” と違い、猟犬(ハウンド)だけにジッと息を潜めて獲物が近づくのを待つ嫌らし(クレバー)さを持ち、熟練者(マスタークラス)のパーティさえ容易に全滅させる。

 息を殺し、気配を消し、獲物が通りかかるのを何日だって待つ、地獄の猟犬。


(でも――臭いまでは消せないよね)


 ミーナは自分の嗅覚細胞が、“豚の王(オークロード)” の悪臭で壊されていなかったことを女神(ニルダニス)に感謝した。

 そして魔術師の高速詠唱を期待して、敢えて叫ぶ。


「“魔界犬”、遭遇(エンカウント) !」


挿絵(By みてみん)


 その声に迷宮の闇に同化していた漆黒の魔犬の群れが、橙の瞳を燃え上がらせた。

 口から洩れるのは瞳と同色の炎。

 最大出現数で待ち構えていた八頭の胸が、竜息の予備動作で膨張する。

 これあるを想定してルーンを口ずさんでいたヴァルレハが、“氷嵐(アイス・ストーム)” の詠唱を始める。

 だが竜息と呪文では、前者が有利だ。


 風が、呪文を唱える美女の横を吹き抜けた。


 竜息よりも、呪文よりも、さらに予備動作が少ない魔道具(マジックアイテム)の使用。

 ミーナと入れ替えで最後尾についていたエレンが、間髪入れずに “退魔の聖剣(エセルナード)” の刃を震わせ、“烈風(ウィンド・ブレード)” の力を解き放ったのだ。

 真空波に切り刻まれ、魔犬が甲高く鳴いた。

 膨らんでいた()()が縮まり、竜息が遅れた。

 隙を衝いて、ヴァルレハの呪文が完成した。

 迷宮の温度が急激に低下し、極低温の猛吹雪とそれに混じる無数の氷刃が、魔犬の群れに叩きつけられた。

 すでに“烈風” で半死半生の傷を負っていた “いぬ” たちに耐えられるダメージではなかった。

 裂傷によって噴き出した血を凍結させながら、バタバタと倒れる “魔界犬” たち。


「しゃっ!」


 握り閉めた拳を鋭く脇腹に引きつける、ミーナ。

 その腹に、闇から伸びてきた()()()()が巻きつき、彼女を一瞬で引き寄せた。


 ベロンッ。


 悲鳴すら上げられぬまま、ミーナは巨大な口に呑み込まれた。


◆◇◆

 

「……先陣は任せてもらおう」


 自薦した若きドワーフ戦士(ファイター)を見て、パーティの仲間たちは皆が皆、適材適所だと思った。


「そいつは、ありがてえ」


 本来なら一行の先頭に立つはずのジグが真っ先に、諸手を挙げて歓迎した。

 盗賊の斥候(スカウト) としての能力は一級だったが、この巨大な洞穴――それも魔法の力で崩れやすくされた――では、地下で生まれ育ったドワーフに一日の長がある。

 

「ジグは殿(しんがり)にまわれ。アッシュロードは三番手だ」


「あいよ」


「……了解」


 レットの指示を受けて、ジグが最後列での後方警戒。

 チリチリになった頭髪を気にするアッシュロードが、三番手の削り役(アタッカー)に就いた。


「プッ」


 目の前の焦げ臭い()()()()()()を見て、四番手のフェリリルが噴き出した。


「笑うな」


「ごめんなさい。でも、だって」


「おっちゃんはいいよ。元から()()だったんだし。()()が燃えて却って奇麗になったぐらいだよ――あたいは女の子だよ」


 同様にチリチリ頭になってしまったホビットの少女が、焦げてしまった茶色の髪を触りながら悄気(しょげ)返った。


「おめえこそ、茶色が焦茶になっただけだろうが」


「焦茶じゃなくて、茶色が焦げたんだい!」


 アッシュロードの見事な斬り返しに、パーシャが飛び上がって憤慨する。


「……進発する」


 カドモフが歩き出した。

 レットが続き、次いでアッシュロード、フェリリル、パーシャ、ジグの一列縦隊で人為的に脆くされた鍾乳洞を進む。


「頼むよ、カドモフ。あたい、岩壁登りはもうごめんだからさ」


 ほとほと懲りた体で、パーシャがいった。

 カドモフは答えず、黙々と鍾乳洞を南西に進んでいった。

 ときおり立ち止まっては、方向を転じた。

 地盤が脆くなっていて、天然の穽陥(ピット)を成していたのだ。


「魔法で人為的に生み出された天然の穽陥ね――変なの」


 パーシャは諧謔じみた言葉の並びが可笑しくもあり、それが意味する底深い悪意が腹立たしくもあった。

 さらに足下に無数の巨大地蜂の巣があることを思えば、腹立たしさはおぞましさにまで昇華した。

 蜂蜜は大好きだが、蜂は大嫌いだ。

 ブンブンというあの羽音だけで、怖気立つ。

 パーシャは、ソロリソロリと歩いた。


「そんなにビクビクしなくても、穴でも開いてないかぎり蜂は湧いてこねえよ」


 そんなホビットの少女を見て、直後を歩くジグがニヤニヤした。


「うっさいわね、その穴を開けないように静かに歩いてるんでしょ!」


 噛みつくように振り返ったパーシャの視線の先で、盗賊の顔が凍り付いていた。


「なによ、そんなに怖がることないでしょ。噛みついたりはしないわよ。蹴っ飛ばすかもしれないけど」


「嘘だろ……ここにも出るのかよ」


 パーシャの遙か頭上を見上げて、ジグが呟いた。

 ハッと盗賊の視線を追うパーシャ。

 

 胎動する人間の頭大の青い火球。

 収縮を繰り返すごとに倍々と膨れあがっていくその火球を見て、ホビットの少女は呻いた。


「……状況(パターン)……青」


 次の瞬間、直径五メートル近くまで膨れあがった火球が弾け、中から水牛のような太くねじれた角を持った巨大な蒼氷色(ダークブルー)の魔物が現われた。


挿絵(By みてみん)


◆◇◆


 戦いが終わったとき、闇を支配していたのは噎せ返るほど強い鉄錆の臭気だった。

 出現した五体の “大気巨人(エアージャイアント)” の血液だけでも、ドーンロア一党の足首を浸すほどもあったのに、さらにパーティで最も巨漢だった重騎士の血まで加わっている。

 “大気巨人” のうち三体をドーンロアが、一体を女騎士が、残りの一体をふたりが共同で屠っていた。

 一党の犠牲者は、巨人の横殴りの一撃で挽肉(ミンチ)にされた、重騎士だけである。


 ドーンロアは、原形を留めないほどに破壊された家臣の骸を見下ろしていた。

 岩塊を(ノミ)で粗削りにしたような貌は冷厳だったが、胸中では激情が逆巻いていた。

 今のこの時に備えて、ドーンロアが長年にわたって手ずからに鍛え上げた精鋭が、最下層の初戦で散ったのである。

 裏切られたに等しく、赫怒に近い失望を覚えずにはいられない。

 他の家臣たちも主君の胸の内を察して、


(まさか、このまま捨て置かれるのでは……)

 

 苦楽を共にしてきた兄弟のような同胞のために、その怒りを怖れた。


「蘇生は一回限りだ。成功すればよし。しくじったならば灰を持ち帰り、 “不幸の石(オーメン・ストーン)” を備えたうえで、再度試みる」


 “不幸の石” の秘めたる力(スペシャルパワー)は、状態(ステータス)の如何に関わらず対象を “灰” にする。

 例え “消失(ロスト)” からでも、灰の状態まで戻せるのだ。

 石さえ手に入れば、無限に蘇生を試みることができる。


「ありがとうございます!」


 女騎士が、喜びに顔を輝かせた。

 他の騎士たちも、主君の寛容さに感謝した。

 ドーンロアにしてみれば、役に立たぬ無能な配下など打ち捨てていきたかったが、他の家臣の志気を思えば感情にまかせることはできない。

 穢らわしい “僭称者(役立たず)” の首を刎ねるには、今はまだこの者たちの力が必要だった。


 一行がいる迷宮最下層は、表と裏の二重構造になっている。

 そしてドーンロアの見立てでは、“僭称者” は表側にいるはずだった。

 裏側には五つの “K.O.D.sナイト・オブ・ディスティニー・シリーズ” を集め、女神(ニルダニス)の試練を潜り抜けた当代の “運命の騎士” しか立ち入ることができないからだ。

 他の手段では “転移の罠(テレポーター)” を使った、ランダムテレポートでしか侵入できない。

 実際に “僭称者” によって強制転移させられたアッシュロードとエルミナーゼが、最奥の “魔太公(デーモンロード)の玉座” に足を踏み入れていたが、“僭称者” が潜伏している気配はなかった。

 最下層の裏側は二〇年前から現在に至るまで、魔王の領域なのである。


 僧侶が “魂還(カドルトス)” の儀式を始めた。

 緊張が滲んでいるが、消失の懸念がないため、そこまでのプレッシャーはない。

 長い祈祷は、囁くように始まり、祈りに転じ、朗々とした詠唱に変わった。

 男神への嘆願を強く念じたとき、僧侶の意識に失敗した際の主君の怒りが過った。

 暖色の聖光が重騎士の亡骸を包み込む。

 光は徐々に弱まり、やがて暗闇が戻ったとき、そこには骸と同質量の灰があった。

 雑念の混じった嘆願を厳父足る “男神(カドルトス)” は聞き届けなかった。

 儀式は失敗に終わった。

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それぞれ苦戦してますね~。 ソラタカはもっと落ちついてほしいです。
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