永劫回廊★
濃密な苔の香りの中を、泳ぐように進んでいます。
深い森に分け入ったときよりも、さらに重く纏わり付くような空気です。
初めて第四層――地下四階に下りたときに覚えた、溺れるような感覚が蘇ります。
“目玉の魔獣” が守っていた昇降機 を降りたわたしたちを待っていたのは、そんな森の臓物の匂いと、どこまでも真っ直ぐに伸びる長大な回廊でした。
回廊は昇降機の前から始まり、東に向かってどこまでも続いています。
「これ……次元連結してないか? それか転移地点で戻されてるとか」
無言の行進を止めたのは、早乙女くんでした。
こういった状況で口火を切るのが、彼の役割なのです。
「瑞穂、“示位の指輪” を」
「はい」
隼人くんにも懸念があったのでしょう。
すぐに隊列を止めて、最後尾のわたしを見ました。
「“E34、N4” です。次元連結も、転移地点による堂々巡りもしていません」
「本当に、ただの長い回廊ってわけね」
「ここまで長いとなんていうか――そう、作為的な構造だと思っちまうな」
「だがいちいち壁を蹴飛ばしてたんじゃ埒があかない。枝葉が言ったとおり、行ける場所には全部行ってみて、それで駄目なら――」
五代くんがそこまで言うと、延々と続く一区画幅の内壁を顎でしゃくりました。
この壁を一枚一枚蹴飛ばして隠し扉の有無を探っていくなんて、気の遠くなる作業です。
「また地図を継ぎ足さないと――もう、不定形の迷宮なんて大嫌い」
地図係の安西さんが雑嚢から新しい羊皮紙を取り出して零しました。
文明が崩壊したこの時代では羊皮紙はとても貴重な品で、安西さんは前の時代から持ってきた物を大事に使っていますが、それも残り僅かになっています。
「“紫衣の魔女の迷宮” にしても “呪いの大穴” にしても、随分と手加減をされていたようです」
わたしたちが苦闘してきた “紫衣の魔女の迷宮” “呪いの大穴” さらには “龍の文鎮”
どれもが二〇×二〇区画の定形の構造で、マッピングに関してはまだ楽でした。
「ここで鍛えておけば元の迷宮に戻ったときに楽ができるだろう――先に進むぞ」
隼人くんが進発を指示して、わたしたちは会話を切り上げ、再び東に伸びる回廊を進みます。
次元連結はなくとも、転移地点による堂々巡りはなくとも、迷宮には時空の歪みが存在します。
どうやらこの回廊は長大なだけでなく、その歪みに囚われているようでした。
進めども進めども、歩けども歩けども、終わりが見えません。
永劫に続く回廊。
永劫回廊。
そんな言葉が脳裏に浮かび、離れません。
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「一度引き返すべきか」
二日目の夜営の際、隼人くんが寝ているみんな起こさないように小さな声で、共に不寝番をしているわたしに訊ねました。
時空の歪みに囚われたまま際限なく歩き続ける虚無的な探索は、体力よりも精神を疲労させ、誰もが熟睡できず、浅い眠りとぼやけた覚醒を繰り返しています。
「水は苔を踏めば少しは手に入るが、食料は一週間分しかない。復路もこの調子だと行けるのはあと一日が限界だ」
「区域によっては、その苔も少なくなります」
わたしの表情が自然と厳しくなりました。
地下四階にはこの永劫回廊を含めて五つの区域が存在しますが、水分を含んだ苔が豊富なのはここと、“ジグルルー信託銀行” の一部だけです。
信託銀行の最奥にある “金塊貯蔵庫” 。その金庫に向かって隧道が掘られていた “鏡の間”。“鏡の間” と隣接する “時の賢者ルーソ” 様の研究室。
さらには “赤銅色の悪魔” と死闘を演じた迷宮樹林帯。
そして防護巡洋艦 “畝傍” の回航員である飯牟礼俊位大尉たちが漂着した “伝説の盗賊のアジト” には全くないか、あったにしても水分量の少ない湿った土埃のような苔ばかりでした。
前回の探索でパーティが、渇き死ぬ寸前にまで陥った大きな要因です。
「おまえならどうする?」
「あと一日進みます」
迷うことなく即答します。
探索者永遠の命題、『まだ行けるは、もう行けない』
その適切な判断を下すのが経験です。
わたしたちは、まだ行けます。
「よし、もう一日粘ろう」
吹っ切れたように決断する隼人くん。
そして、表情を和めて追従するわたしに、
「瑞穂、俺たちは……俺は成長してると思うか?」
伏し目がちに訊ねました。
「確実に」
わたしはもう一度、穏やかにうなずきます。
隼人くんは安心して押し黙り、わたしたちは交代まで静かな時間を過ごしました。
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永劫に続くかに思われた回廊に変化の兆しが現れたのは翌日、探索を再開してから三時間ほど経ったときでした。
唐突に回廊が南に折れたのです。
昇降機から、地図の上では四七区画。
距離にして四七〇メートル。
半キロメートルに満たない距離を歩くのに、丸二日以上の日数を要したのでした。
それでもパーティの表情は明るくなりました。
倦んでいた精神が深呼吸をして、集中力が蘇ります。
早乙女くんなどは大いに快活さを取り戻し、
“直線ばかりだと眠くなっちまうからな。高速道路だって適度に蛇行してるもんだし”
朗らかに笑って、みんなの賛同を得たのでした。
しかしその言葉が呼び水になったのでしょうか?
回廊はそこから表情を変えて、まるで “竜の腸” のようにのたくり始めたのです。
地下三階でも似たような回廊がいりくんでいましたが、優るとも劣りません。
“い、いい加減に玄室が恋しいぜ……”
のた打つ回廊に早乙女くんがゲンナリとぼやいたとき、不意に視界が開け、無数の扉が並んでる光景が現れました。
全員が “ジロリ” と彼を睨みます。
シュン……とうつむく早乙女くん。
無数の扉の奥はすべて一×一の玄室で、東西南北に扉がある上、それが方向感覚を失うほど連なっていました。
塒にしている魔物も当然ながらいて、先住者がいればこれと戦い、石化が脅威な “メデューサ” や “バジリスク” などを排除しつつ、一室一室調べていきました。
玄室の数は二四にもおよび、強襲&強奪 で幾ばくかの財宝を得た以外には結局、何も見つかりませんでした。
そして無数の玄室の先に待っていたのは、広大な暗黒回廊……。
「俺は何にも言ってねえぞ!」
謂れ無き非難の視線に早乙女くんが抗議の声をあげたのは、至極もっともな反応でした
わたしたちは胸の内で吐いた溜息を表情に出さないようにしながら、互いの身体をザイルで結びました。
これまでにも何度となく行なってきた、登山用語でいうところのAnseilenです。
先頭が暗中の穽陥に落ちても、他の人間が確保するのです。
迷宮探索は基本的にすべての区画に足跡を残す、虱潰しの作業です。
暗黒回廊の中に罠があっても、初見時には回避できません。
そしてその危険の矢面に立つのが、斥候 として先頭に立つ五代くんなのです。
「これが俺の仕事だ」
泣き出しそうな安西さんに短く言い残すと、五代くんは “漆黒の正方形” の直中に臆することなく足を踏み入れました。
“雑巾掛け” と呼ぶ方法で、真っ白な画布を塗りつぶすように暗中を進みます。
暗闇には二カ所に落し穴が仕掛けられていましたが、五代くんは持ち前の慎重さと鋭敏な感覚でどちらも事前に察知し、大事には至りませんでした。
そうして九×五区画にも及ぶ広大な暗黒の広間を抜け出たわたしたちはその先で、ようやくふたつの発見をしたのです。
ひとつは、古びた旅行鞄。
もうひとつは、一糸まとわぬ全裸の美女でした。
★完結! スピンオフ・第二回配信完結しました!
『推しの子の迷宮 ~迷宮保険員エバのダンジョン配信~・第二回』
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エバさんが大活躍する、ダンジョン配信物です。
本編への動線確保のため、こちらも応援お願いいたしますm(__)m







