暗闇に光を求めて
このお話は、エピソード『同胞』と『救出』の間のお話となります。
「妙法蓮華経方便品第二。爾時世尊。 従三昧。安詳而起。告舎利弗――」
早乙女くんの朗々とした読経が、玄室に響き始めました。
『少しだけ、時間をくれねえか?』
飯牟礼俊位大尉以下、巡洋艦『畝傍』の八人の日本人乗組員の魂が安息を得た後、教えられた暗黒回廊に向かおうとしたパーティを、早乙女くんが引き留めました。
『別に解呪にケチを付けるわけじゃねえんだ……ただ、この人たちの宗旨はわからねけえどよ、同じ日本人の経で送ってやりたいんだ』
実家が仏寺の早乙女くんが誠実な表情で頼んだのです。
わたしたちはうなずき彼と飯牟礼大尉たち八人のために、聖水で魔除けの魔方陣を描きました。
異世界の迷宮に張られた魔除けの六芒星の中心で唱えられる、法華経。
それは不思議で、荘厳な光景でした。
わたしにはこのお経の意味は分かりません。
好きな歴史小説に出てきて、少し調べた程度の知識です。
でもわたしの中に残っていた日本人である部分に、確かに響いたのです。
故郷から遠く離れてしまった身だからこそ、琴線を震わせるのです。
きっと飯牟礼大尉たちも同じだっただろうと思います。
やがて読経は、方便品から寿量品へ。
そして唱題へ。
それも終わり最後に題目を三唱して瞑目すると、早乙女くんが立ち上がりました。
「すまねえ。ありがとう」
「もういいのか?」
「ああ」
「それじゃ行こう」
わたしたちは今度こそ、玄室の北にある扉を慎重に開けました。
「? 暗黒回廊じゃねえな」
早乙女くんが怪訝な声を上げます。
そこは一×一区画の最少の玄室で、わたしたちが入ってきた南の扉の他に、北側にもうひとつ扉がありました。
「ねえ、ちょっと見てよ、これ」
周囲を見渡していた田宮さんが背後、南側の扉に打ち付けられた木板に気づいて、顔をしかめました。
表札とも看板とも採れるその板きれには、
“伝説の盗賊のアジト”
と仰々しく刻まれていました。
「盗賊が自分たちのアジトにこんなの掲げる、普通?」
呆れたかえったようでもあり、馬鹿にされて腹を立てたようでもあり、田宮さんが木板に毒突きます。
「迷宮一流の冗句でしょう」
わたしは手にしている羊皮紙に、その旨を書き込みました。
“一〇〇年後の呪いの大穴” の四層には、“盗賊のアジト” が拡がっているのは確かなのです。
本来マッピングは安西さんの役目なのですが、彼女は今自分よりも重い五代くんの遺灰を背負い、それどころではありません。
「北の扉を開けてみよう」
隼人くんがうながしました。
斥候 がいないので、前衛職である隼人くんと田宮さんが扉に近づき、交互に中の物音を探ります。
魔物の気配は感じられないようでした。
それでも軋み音すら立てないように細心の注意を払って、扉を開けます。
現れる “漆黒の正方形”
これが飯牟礼大尉の教えてくれた暗黒回廊でしょう。
「アンザイレンだ」
ザイルでパーティを結び合う登山用語です。
安西さんのフルネームと同じ響きなのでいつも微かな笑みが零れるのですが、今は違います。
「先頭は――」
「わたしが行くわ。盾役 の志摩くんが落ちたら、支えられないかもしれない」
田宮さんが進み出ました。
暗黒回廊内の穽陥――落し穴に重装備の隼人くんが落ちた場合に、確保が難しいと考えたのでしょう。
板金鎧を着込んでいる隼人くんと違って、田宮さんは軽量で動きやすい鎖帷子を着ています。
男女の体格差も合わせて、ザイルビレイのしやすさでは彼女の方が有利でした。
「頼む」
「任せて」
田宮さん。
隼人くん。
早乙女くん。
安西さん。
わたし。
パーティはこの一列縦隊で、お互いをロープで結びました。
「セオリーどおりにいく。まず右手を壁につけ外縁を固める。それから雑巾掛けをして中を塗りつぶす」
隼人くんの指示に全員がうなずき、わたしたちは暗闇に足を踏み入れました。
突然視力が奪われ盲目にされるのは、何度経験しても嫌な感じです。
闇中ではマッピングができないので、ここからは歩測での測量となります。
自分の歩幅から一区画の距離を割り出し、東西南北にどれだけ進んだかをメモしていきます。
測量が正確なら、これで暗黒回廊の外縁が浮かび上がります。
あとは雑巾掛けの要領で中を塗り潰せば、暗黒回廊の全体像がわかります。
(パーシャだったら、きっと鼻歌混じりの作業なのでしょうが……)
羊皮紙に進んだ区画数を闇書きしながら、今は遠く隔たれてしまった一番の友達を思いました。
牧歌的なホビットにしては珍しく、行動的で感情的で、口から先に生まれたようによく喋る女の子。
その滑舌を活かした高速詠唱は、探索者随一。
地下の快適なお家で暮らしていたことから、空間の把握力と記憶力もピカイチで、地図係としても超一流。
反面気が短く、腰を落ち着けた作業が苦手で、純粋な魔術の研究や知識の探求ではヴァルレハさんたちには一歩及ばない。
火の玉のような闘志はどんな強大な魔物相手にも怯まない、生粋の迷宮魔術師 。
彼女はあれから、どうなってしまったのでしょうか……。
マグダラ女王の指揮の下、悪魔王と最後の決戦に挑んだらしい彼女は……。
そしてレットさんたち他の人たちは……。
あの人は……。
(今のこの世界の有り様がその結果なら、絶対に変えなければなりません。なにがあろうとも元の時代に還って、未来を変えるのです)
幸いにして今回の暗黒回廊は、それほどの規模ではありませんでした。
魔物と遭遇 することもなく外縁を一周し、入口の扉まで戻ってきました。
いったん扉を出て明るい場所で、ミミズがのたくったような闇書きのメモから地図を起こします。
羊皮紙に浮かび上がった暗黒回廊から、雑巾掛けが必要な区画を確認すると……。
「わずか一区画ですね」
地図を覗き込んでいた全員で苦笑します。
暗黒回廊自体が広くなかったので、外縁を確かめる過程でそのほとんどを踏破してしまったようでした。
パーティは残り僅かになった水で口を湿らすと、最後の一区画に向かいます。
一方通行に次ぐ一方通行で、帰路を絶たれ続けてきたわたしたちです。
この区画に何もなければ生還への道筋はさらにか細く、ほとんどゼロになります。
ひとつだけ残された手段があることはあるのですが……。
ある理由で、到底今の状況では使うことはできません。
ですからこれが、最後の運試しなのです。
そしてわたしたちはその運試しに半ば勝ち、半ば負けました。
暗黒回廊の中に現れたのは、朽ちかけて今にも千切れそうな縄梯子だったのです。
★★★完結しました!★★★
スピンオフ
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