救出★
ラーラ・ララの仄暗い執務室に、乾いた叩扉の音が響いた。
「入りな」
執務机の書類から顔を上げずに、ラーラが招き入れる。
失礼します――と扉が開き、腹心のドッジが入ってきた。
鼻梁に横一文字の傷を持つ疵面の戦士だ。
「どうした?」
やはり書類から顔を上げずにラーラが訊ねた。
“悪魔王” よって文明が滅ぼされたこの時代、あらゆる物資が貴重品だ。
紙の類いも例外ではない。
羊皮や樹皮、植物の茎などは疾う昔に失われ、今彼女が目を通しているのは、彼女自身が頸を刎ねた “黄銅色の悪魔” の皮に記した報告だった。
丈夫で長持ちするがかさばる上に、何度匂い抜きをしても臭うので、鋭敏な嗅覚を持つ猫人のラーラには苦手な品だ。
正直自警団のリーダーをしていなければ、近づきたくもなかった。
「第二禁区で異変です」
ここでようやくラーラが、魔皮の書類から顔を上げた。
「第二? 第一じゃなくてかい?」
「はい、第二です」
一〇〇年前には “呪いの大穴” と呼ばれ、今は滅びた世界に残った人類唯一の拠点とされる迷宮の第一層には、ふたつの立ち入り禁止区域があった。
どちらも大昔に落盤によって他の区域と断絶され、さらなる崩落の危険があるのでここ数十年立ち入りが禁止されている。
ただ “第一” と彼女たちが呼ぶ区域の先には下層への昇降機 があるとされていて、現在自警団が突貫工事で復旧工事に当たっていた。
異変があったのはその “第一” ではなく、手つかずで放置されたままの “第二” だというのだ。
「埋もれた回廊の先から微かな音が聞こえると、警邏の隊から報告がありました」
「魔物か?」
迷宮では時として魔物が自然発生する。
何者かが召喚や創造したわけでもないのに、ある時ある瞬間生まれ出ずるのだ。
多くが屍に低級の霊が取り憑いた不死属の類いだったが、魔素を触れ続けて凶暴化した動植物だったりもした。
「わかりません。これから確かめにいくところですがその前に、一応お耳に」
「なら、あたしも行くよ」
ラーラは自身の身体に比して大きめの椅子から、しゃなりと立ち上がった。
書類仕事に飽き飽きしていた自分を気遣って、報告を入れてくれたのである。
心遣いを無駄にしては “猫が廃る” というのもだ。
机に置かれていた母の形見のナイフを腰に差すと、猫人のマスターくノ一は腹心の戦士を伴って執務室を出た。
猫人は小柄だがその足はしなやかで敏速だ。
大柄で歩幅も広いドッジが置いていかれそうな速さでラーラは、異変の報告された第二の立ち入り禁止区域に辿り着いた。
「ララに賞賛あれ!」
見張りに張り付いていた自警団の分隊が敬礼し、彼女のために場所を空ける。
縦横一〇メートルの回廊を塞ぐ大量の岩塊と土砂が、ラーラの視界を圧した。
「この土砂の奧から微かな音が聞こえるんです。ただ隊のうちの三人には聞こえて、もう三人には聞き取れないんです。それで判断に迷っちまって……」
分隊を率いる自警団の戦士がそういって、困った顔をラーラに向けた。
どうやらこの戦士自身は聞き取れなかった口らしい。
「いや、上出来だよ。確かに聞こえる。カーン……カーン……カーン……と、誰かが土砂の向こうで壁を叩いてる」
猫人の聴力は人族を遙かに上回る。
小さな三角形をしたラーラの耳は確かに、崩れた天井の先の打音を捉えていた。
「――人手を集めな! ありったけだ! 誰かがこの奧で助けを求めてる!」
「“第一” で作業中の連中を全員こっちに回せ! それからジーナを呼んでこい!」
ラーラの指示をドッジがより明確にし、伝令を走らせる。
もし土砂の向こうの人間が危機に瀕しているのなら、事態は一刻を争う。
いや、その可能性は高い。
高いからこその救助要請なのだ。
過酷な環境で長い年月を生き抜いてきた “ララの自警団” は迅速だった。
魔物との戦いを含むあらゆる修羅場を潜ってきた彼らは瞬く間に、階層の各所から集まってきた。
その中でも一際小柄な少女が、指揮官の前に進み出る。
「ラーラ、どうしたの?」
「ジーナかい、ちょっくら “探霊” を頼むよ。この奧に、おそらくだけど聖女さまたちがいる。確かめとくれ」
ラーラの声が張り詰めた。
この土砂の奧に何者かがいるとするなら、過去から来たというあの六人の可能性が誰よりも高い。
「あい!」
快活に応えたジーナはノームの僧侶で、レベルは11。
幼げな容姿・言葉遣いとは裏腹に、自警団随一の高僧だ。
ジーナはすぐに加護を嘆願し、崩落した回廊の先の魂を探った。
「あい、完了! やっぱり聖女さまたちだよ。ただし五人しかいない」
「なんてこったい――欠けているのは誰だい?」
「盗賊 」
ラーラは舌打ちした。
どういう経緯があったかは知らないが、四層の探索に向かったエバ・ライスライトたちは、何十年も放置されている区域に出てしまったらしい。
しかも仲間をひとり失っている。
帰路に迷っているのも確かだろう。
引き返して別のルートを探す余力もないのだ。
「二交代だ! 昼夜を問わず掘り続けるよ!」
ラーラはすぐさま陣頭に立ち、救出作業の指揮を執った。
地上との出入り口を固めている人員以外すべてかき集めての、突貫工事である。
魔族の襲撃がないことを祈るばかりだ。
作業は困難を極めた。
崩落から長い年月を経ているにも関わらず、依然として土砂はもろく、土塊ひとつ退けるだけで不気味な鳴動を繰り返した。
ジーナをはじめとする聖職者たちが障壁の加護で土砂を固め、少しずつ慎重に除去していくしかなかった。
安否確認のために鳴らし合う合図が、徐々に小さくなっていく。
疲労は重なり、それ以上に焦りが募る。
時間は明らかに敵だった。
それでも三日三晩に及ぶ苦闘の末、自警団は堆積した瓦礫との戦いに勝利した。
膨大な土砂を除き、突破口を切り拓くことに成功した。
だが確保した救出路の先にあった光景は、古強者の彼女たちをして慄然とさせた。
ライスライトたちは全員が脱水で死にかけていた。
倒れ伏す五人の傍らには、遙か下層に続く深い穴が口を開けていた。
聖女たちが登ってきた穴。
その淵で何年も何十年も手入れがされていなかった縄梯子が千切れていた。
戻ることもできない苦境に陥り、エバ・ライスライトたちはただひたすらに助けを待つしかなかったのである。
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荘厳な静寂の中を、わたしは静々と進んで行きます。
光量を落とした “永光”が古い礼拝堂の壁と、参列するわずかな人たちの緊張した面持ちを浮かび上がらせています。
沐浴で清めた身体は探索の消耗と儀式に備える断食のため、薄くなっていました。
ですがそのおかげでわたしの精神は、水鏡のように静逸でした。
奉られている “女神の杖” を通し、今までにないほど女神の存在を感じられます。
純白の灰が広げられた祭壇まで進み出るとわたしは振り返り、厳かに宣言します。
「これより “還魂の儀式” を執り行います」







