魔軍参謀★
“地獄公爵”!
“蒼氷色の悪魔”!
そして、それら高位悪魔を束ねる骸骨のような姿―― “魔軍参謀” !
自分たちを取り囲んだ強大な悪魔の軍団にアッシュロードは絶句し、気力を粉々に打ち砕かれた。
「“魔太公” 直轄の三つの護衛団……!」
無意識だからこそ漏れた戦慄だけが、唯一発することのできた言葉だった。
かつてこの迷宮の最奥 “玉座の間” で主に付き従い、“運命の騎士” と死闘を演じた魔王の近衛軍が、アッシュロードとエルミナーゼを睥睨している。
エルミナーゼは悲鳴すらあげられずガクガクと震えながら、アッシュロードの背にすがりついていた。
圧倒的な戦力差。
圧倒的な無力感。
圧倒的な恐怖。
(落ち着け……冷静に……冷静になれ)
アッシュロードは必死に己を叱咤する。
冷静でいる限り悪巧みの資源は無限だ。
そのはずだ。そうでなければならない。
だが思考はぼやけ、考えはまとまらない。
さしものアッシュロードも恐怖の状態異常に陥っては、為す術がない。
無理だ。
“運命の騎士” も “K.O.D.s” の加護があったればこそ渡り合うことができたのだ。
生身の人間にこの化け物どもを相手取れるわけがない。
絶望がアッシュロードを圧殺する。
救いの手は意外にも、悪魔の側からもたらされた。
“その必要はありませぬ”
“魔軍参謀” の口から、カサカサに乾いた声が漏れた。
骸骨のような姿だが不死属ではない。
れっきとした生命体であり、悪魔であり、さらに元々は人間だった存在だ。
遙かな過去、世界でも並ぶ者がなかった大賢者はさらなる叡智を求めて、魔王に魂を売り渡した。
魔王はその見返りに賢者を魔族にし、竜属を超える長命を与えた。
大賢者は寿命を気にすることなく知識の探求に没頭し、やがてその深遠な知識故に魔王の参謀となった。
「なに……?」
“我らは主命にて交渉に罷り越し者。“K.O.D.s” を呼び寄せる必要はありませぬ”
「主命? 交渉だと?」
“然り”
髑髏然とした顔が首肯し、身に纏う古びたトーガがわずかに波打つ。
“我が主は常に礼節を重んじる方。故にまずは交渉ありき。故に闘争は最後の手段とお考えです”
元が賢者だか哲学者だかのせいか、やけに持って回った言い回しだ。
「おめえらの主ってのは “僭称者” でいいんだな?」
“それは礼を失した蔑称でございますが――然り。我が主はあなた方がその名で呼ぶお方で相違ありませぬ”
「なら、ぬけぬけとどの口が言いやがる。ここにいるエルミナーゼを拐かしたのがどこのどいつか、知らねえとは言わさねえぞ」
“恐怖” の影響下にあるため普段よりよほど鈍い舌鋒だったが、アッシュロードは指弾せずにはいられない。
“王女殿下はかねがね願い望んでおられました。主はその求めに応じたまでのこと。これは交渉による契約と同義と思われます”
「詭弁にもなってねえな。契約ってのは相手の同意があってはじめて成立するんだ」
「そ、そのとおりです……わ、わたしはおぞましい魔術師と共に行くなどと同意した覚えはありません」
名誉を傷つけられたエルミナーゼも “恐怖” に竦みながら否定する。
“果たして左様ですかな。人の心とは常に言葉と裏腹なもの。迷宮はすべての望みが叶う場所。あながた何を望まれ、ここで何を得たか――殿下自身がご存じのはず”
まるで己の心を洞観するような “魔軍参謀” の言葉に、エルミナーゼは狼狽えた。
「おい、惑わされるな! 一を語るのに一〇も二〇も言葉を重ねるのが哲学者だ! 迂闊に問答に乗ると引き摺り込まれるぞ!」
「は、はい!」
アッシュロードの叱咤にエルミナーゼが、ハッと我に返る。
“さすがは一〇〇〇年王国の王女。エルミナーゼ殿下はよい騎士をお持ちだ。当代の “運命の騎士” に守られるなど贅沢の極み。女神の寵愛を受けるリーンガミルの王女だからこそ許される特権ですな”
「また訳の分からねえことを。“運命の騎士” は俺じゃなくて、こいつの親父だ」
またもやエルミナーゼの動揺を誘う “魔軍参謀” に、アッシュロードがピシャリと反論する。
“人の心と同様、真実とは往々にして世俗の認識とは裏腹なもの。世に言われている英雄が英雄でなく、勇者が勇者でなくとも、何の不思議がありましょう”
「なに!?」
(いけない!)
エルミナーゼは唐突に悟った。
これは罠だ。
自分ではなく、アッシュロードを陥れるための。
“魔軍参謀” は巧みに会話をアッシュロードの過去に誘導している。
自身の知らない過去に話題が及べば、いくら弁口に優れたアッシュロードといえど戸惑いと動揺は隠せない。
まして今は “恐怖” の影響下にある。
そこまで思い至ったとき、エルミナーゼの内で炎が燃え上がった。
(こんな状況で向き合わせてはいけない!)
炎はまとわりつく “恐怖” を灼き尽くし、勇気をもたらす。
「回りくどい話は好みません! 交渉に来たというのなら本題に入ってください!」
ピシャリと会話をさえぎったエルミナーゼを、“魔軍参謀” の落ちくぼんだ眼窩が興味深げに見た。
(リーンガミル王家の強靱な血筋が迷宮で鍛えられ、片鱗を見せ始めたか……いや、それだけではあるまい……)
“魔軍参謀” は計画を変更した。
より主と、なにより真の主の利になるように。
“これは失礼をいたしました。寿命が延びるととかく話が長閑になるもの。どうかお許しいただきたい”
かすかな衣擦れと共に、“魔軍参謀” が丁重に頭を垂れる。
そして――。
“では本題に入りましょう――エルミナーゼ殿下、我らとご同道願いたい”
「なんだと!?」
反応したのはアッシュロードだった。
“我が主はエルミナーゼ殿下を殊の外気にかけておいでです。親しく言葉を交わし、人柄を理解し、また理解されたいと願っております”
「ふざけるな!」
「まってください、アッシュロード卿!」
エルミナーゼが激高しかけたアッシュロードを制す。
「――もし拒否すればどうなりますか?」
“地獄公爵” も “蒼氷色の悪魔” も微動だにせず足下のやりとりを睥睨していたが、交渉が決裂すればその限りではないのは火を見るよりも明らかだ。
わかりきったことだったが、それでもエルミナーゼには確認する必要があった。
“その時は止むを得ませぬ。次善の手段を用います”
「ドーガの下から鎧を出しやがったな」
吐き捨てるアッシュロード。
そして背中越しにエルミナーゼに釘を刺す。
「今さら妙な仏心を起こすんじゃねえぞ。こいつは “食人鬼の選択” だ。今日死ぬか明日死ぬかの違いしかねえ」
「今日死ぬことは確かでしょう。ですが明日死ぬかはこれからの行動次第です」
思いもよらず力に満ちたエルミナーゼの声に、アッシュロードは振り返った。
エルミナーゼはアッシュロードに微笑むと、毅然と “魔軍参謀” を問い質した。
「わたしが同道を了承したとして、その見返りはなんです? 交渉とは互いに利益があってこそ成り立つもの。わたしたちにその利がないなら、ここで討ち死にするのと変わりがありません」
“然り、然り。王女殿下の言はまことに正しい。交渉とはまさしくそのようなもの。またそうでなくてはなりませぬ”
愉快げに賞賛したあと “魔軍参謀” は居住まいを正した。
“無論その折には、エルミナーゼ殿下の望むものが与えられましょう”
「ではアッシュロード卿の地上への安全な帰還を」
“御意のままに”
「おい、勝手に話を進めんな!」
「これでふたりとも生き延びられます。今はこれが最善の “悪巧み” です」
エルミナーゼは毅然とした表情のまま、アッシュロードを窘めた。
目の前の男は常に悪ぶり、冷静で計算高く、実際に冷厳なまでの合理主義者だが、最後の最後の決断は情に左右される。
“ 悪” の属性の者なら迷わず飛びつくこの取引を、頭ではなく心で受け入れられずにいる。
そんなアッシュロードが、エルミナーゼは好ましかった。
答えは最初から出ていた。
それでも激しい逡巡と葛藤の末、アッシュロードは折れた。
折れざるを……得なかった。
「……俺がなによりも嫌いなのは自己犠牲ってやつだ」
エルミナーゼは真摯にうなずき、“魔軍参謀” に向き直った。
「アッシュロード卿が無事地上に戻れたのを確認したら共に行きます」
“魔軍参謀” は了承の意を示し、干からびた右手を差し出した。
開かれた掌に簡素な装飾の頭部用のリングが出現する。
“この “転移の冠” を使えば望みは叶いましょう”
エルミナーゼは冠を受け取ると、アッシュロードに手渡した。
「必ず迎えに行く」
「知っています」
エルミナーゼは最後にもう一度だけ満ち足りた笑顔を向けた。
「行ってください、グレイ」
そして彼から離れ、“転移” の魔法の範囲外に出る。
アッシュロードの口から真言が零れ、冠に封じられた魔力が解放される。
七色の光に包まれた身体が量子に分解され消え去るのに、数秒と掛らなかった。
アッシュロードが転移する瞬間 “魔軍参謀” が、これまでで最も恭しく敬礼した。
あとには仄暗い闇と静寂だけが残された。
「では参りましょうか」
エルミナーゼが悪魔たちに向き直る。
“魔軍参謀” は虚空に、主の元へと繋がる門を開いた。
怯むことなく王族の威厳をもって、堂々と進むエルミナーゼ。
リーンガミル聖王国の王女エルミナーゼ・リーンガミルは今こそ自己の意思で、甦った厄災 “僭称者” の元に赴く。







