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迷宮保険  作者: 井上啓二
第五章 一〇〇〇年王国の怪人
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エルミナーゼ2★

「……なぜ迷宮に潜っているのですか?」


 エルミナーゼが沈黙を破った。


「……あなたほどの偉業を成した方が、なぜ迷宮に潜り続けているのです?」


 光蘚(ヒカリゴケ)がおぼろに浮かび上がらせる線画迷宮(ワイヤーフレーム)の片隅で、男が少しだけ驚いた風に、娘のような年頃の少女に顔を向けた。


「…… “紫衣の魔女(アンドリーナ)の迷宮” でのあなたの武勲は聞き及んでいます。その功によって上帝トレバーンの筆頭騎士に序されたことも。ですが今は下野しているのでしょう? 宮仕えを厭う人間の気持ちはわかるつもりです。王城は……時として息の詰まる場所ですから」


 一瞬エルミナーゼは王女の表情になって、言葉を途切れさせた。


「……ですが……だからといって、なぜまた危険な迷宮に潜り続けているのです? 一生を安穏に過ごせるだけの富と栄誉は得たでしょうに」


 男は少女の問いが終わったのを見て、疲れ切った身体を再び壁に預けた。

 ややあってから、ボソリと……。


「……そんなの決まってる。他に能がないからだ」


「そ、それでは答えになっていません」


 不満げに(なじ)るエルミナーゼの視線が、アッシュロードの頬に突き刺さった。


「……」


 くたびれた迷宮保険屋は思う……。

 話したところで、この娘には理解できまい。

 この娘は “向こう側” の人間だ。

 血と死と灰に塗れながらも、迷宮に取り憑かれて抜け出せなくなる人間ではない。

 だが本人は決して認めないだろうがグレイ・アッシュロードはクソ真面目な男だ。

 特に年若の者には態度はどうあれ、誠実に対応する。

 だからこの時もアッシュロードは、自分の内側を探った。

 そして……。


「……もしかしたら……探しているのかもしれねえな……」


「……探している? 何をです?」


「……いつか、どこかの迷宮でなくしちまった、大切な何かを……」


 それがなんなのか、もう思い出すことすらできない何か……。

 でも完全に忘れることもできない何か……。

 きっとそれは自分にとって、大切なものだったのだろう……。

 その残滓……残り香が自分を迷宮に(いざな)い、縛り付けているのだ……。


「……やっぱ他に能がねえからだろう……ヤクザもんに普通の人生は歩めん……」


 結局上手く言葉にすることができず、そう締め括るしかなかった。

 男はクソ真面目で誠実だったが、同じくらい不器用だった。


 少女にはやはり理解できなかった。

 それでも目の前の男が、ただ無頼なだけでないのは分かった。

 過去がないことで幸福な人生を送れたわけではないのは、確かなように思えた。

 自分が考えていたよりも男の人生は遙かに過酷で、複雑だったのだろう。

 それは少女に――エルミナーゼにとって救済であり、新たな葛藤の始まりだった。


 理不尽を憤る心の捌け口は、軽蔑に価するほど良い。

 憎しみの対象は侮蔑の対象でなければならない。

 だがそれは同時に、自身への拭えぬ嫌悪感に繋がる。

 憤りは毒となって己を蝕み、腐らせる。


 今エルミナーゼの内側から、その毒が消えていた。

 一五年にわたって自分を苛んできた腐敗が消えていた。

 エルミナーゼは戸惑い、狼狽えた。

 憎むことも軽蔑することもできない。

 かといって――かといって――。


 少女の中で再びの憤りが湧く。

 しかしその色は明るい。


「あなたはもう少し()()()()すべきです!」


「……あ?」


「身なりを整え、言葉遣いや態度に気を遣い、騎士として恥ずかしくない振る舞いをすべきです! そうすれば、そうすれば――あなたを尊敬したいと思っている()()も納得するとは思いませんか!?」


 地下迷宮の最下層。

 絶体絶命の窮地にあって唐突に()()()を始めたエルミナーゼに、アッシュロードは面食らった。それは……そうだろう。


「いきなり、どうした?」


「どうもしません! ただ、あなたのそういうところが許せないのです! そういう――そういう――」


「おい、泣くなよ!」


「泣いてなどいません!」


 ボロボロと泣きながら否定するエルミナーゼ。

 これではあんまりではないか。

 憎しみの対象にも軽蔑の対象にもならないのなら、せめて尊敬できる存在であってほしい。

 純粋な尊敬の対象にするには、この男は――グレイ・アッシュロードは――()()()()()()


 異変がアッシュロードを救った。

 泣きじゃくるエルミナーゼの口を塞ぎ、背後を振り返る。

 エルミナーゼとて古強者(ネームド)の冒険者だ。

 すぐに感情を抑制して冷静になった。

 視線の先には闇しか見えない。

 だが玄室の澱んだ空気が、微かに揺らいでいる。

 ふたりは音もなく立ち上がり、武器を構えた。


 次の瞬間!


 ドガシャンッ!!! ドガシャンッ!!! ドガシャンッ!!!


 唐突に玄室を震わすほどの地響と、爆発するような金属音が接近してきた!

 聞き慣れた完全装備の騎士が立てる甲冑の音だが、その騒々しさは桁が違った!

 数が多いのではない!

 一体の響かせる音が、文字どおり桁違いなのだ!


RUN(逃げろ)!」


 アッシュロードはエルミナーゼの手を引き、走った!


「何事ですか!?」


「“鉄巨人(アイアン・ゴーレム)” だ!」


挿絵(By みてみん)


 叫ぶや否やそれまでふたりがいた空間に、灼熱に煮えたぎるドロドロに溶けた鉄がぶちまけられた!


「溶鉄の竜息(ブレス)!」


「ああ、世界七不思議のひとつだ!」


 エルミナーゼが走りながら戦慄する!

 答えるアッシュロードの声も、引きつりに引きつっていた!


 大きい! まるで巨人(ジャイアンツ)並みの大きさの重騎士!

 しかしその巨大で分厚い全身鎧(スーツアーマー)の内側に肉体はなく、詰まっているのはたった今ふたりを焼き殺しかけた大量の溶鉄と、高圧の蒸気だけだ!

 土塊(ノーマル)死体(フレッシュ)(ストーン)の個体よりも遙かに危険でやっかいな魔導人形(ゴーレム)である!


「まるで動き回る高炉だ!」


 走りながら激しく罵るアッシュロード!


 “鉄巨人” のモンスターレベルは15!

 生命力(ヒットポイント)は100!

 装甲値は1!

 呪文無効化率も高く数が多ければ、状態(ステータス)が良好な熟練者(マスタークラス)のフルパーティでも壊滅させかねない難物だ!

 まして今の吹けば飛ぶようなアッシュロードとエルミナーゼでは何をか言わんや、戦って撃退するなど狂気の沙汰である!

 逃げの一手だ! 逃げるしかない!


 破城槌のように重いだけあって “鉄巨人” の動きは鈍重だ!

 だが巨体故の歩幅は、その鈍さを補って余り有る!

 引き離せない!

 むしろ差を詰められている!

 アッシュロードもエルミナーゼも限界を振り絞って駆けているが、全身を覆う疲労と負傷が常時の動きを許さない!


「グ、グレイ!!」


「走れ! 扉に飛び込むんだ!」


 アッシュロードは叫んだ!

 扉に飛び込み、残るありったけの “神璧(グレイト・ウォール)” で施錠(ロック)するしかない!

 しかしアッシュロードには、それが絶望的だとわかっていた!

 目指す扉は遠く背後に迫る “鉄巨人” は、後ろ髪を掴まれるほどに近い!

 打開策を――悪巧みを――!


 ヒュゴォゥゥ……ゴポゴポゴポッ!!!


 すぐ背中で、大量の湯が沸騰するような不吉な音がした!

 竜息!

 しかも先ほど浴びせかけられた溶鉄のそれではなく、より広範囲に高速で及ぶ高圧蒸気の息だ!


(万事、休す!!!)


 アッシュロードは最後の最後まで生を諦めない男だった!

 どんな過酷な状況にあっても命ある限り最後の一秒まで、生存への悪巧みを続ける男だった!

 だが今は出がらしだった!

 生き残るための策が、企みが――出てこない!


「生きろぉぉぉっっっっ!!!」


 それが誰に向けての絶叫だったのか!

 アッシュロード自身も分からなかった!

 しかし次の瞬間、()()()()()()()()()()()()

 男のこれまでの不埒(ふらち)を罰して、神がこの期に及んで退路を絶ったのか!?

 竜息が吐き出される!

 すべてを灼き尽くす火砕流が、()()()()()()()()()()()()


「な、なに!?」


 振り返ったエルミナーゼが見たものは、驚愕の光景だった!

 なぜか()()()した “鉄巨人” があらん限りの勢いで、竜息をまき散らしている!


「ど、どうして!?」


「“回転床(ターン・テーブル)” か!」


 足を踏み入れた者の方向を強制的に変える、迷宮の(トラップ)

 マッピングを狂わせ探索者を惑わす悪辣な仕掛けがまさに間一髪、すんでの所でアッシュロードとエルミナーゼを救った!

 さらにふたりにとって幸運だったのは―― “鉄巨人” とっての不幸は、竜息の先に()()がいたことだった!


「GuLururururu……ッッッ!!!」


 闇から漏れる野太い唸り声と、浮かび上がるチロチロと蠢く炎!

 腹の底に響く地響き(足音)と共に、“鉄巨人” に優るとも劣らぬ巨体が現れる!

 金色(こんじき)に輝く、神々しいまでに美しい姿!

 だがその凶暴さは “紫衣の魔女の迷宮” の最下層に生息する “火竜(ファイアードラゴン)” すらも上回る、“黒竜(ブラックドラゴン)” と共に竜属(ドラゴン)の双璧をなす――。


挿絵(By みてみん)


「「“黄金竜(ゴールドドラゴン)”!」」


 絶句するふたりの眼前で、吹き付けられた竜息を己への敵対行動と捉えた金竜が、縄張り(テリトリー)を荒らした “鉄巨人” に宣戦布告の咆哮をあげる!

 ギロリ! と血玉のような双眸が小癪な魔導人形に向けられると、報復の竜息――正真正銘の猛炎の竜の息が吐きかけられた!

 内部に溶鉄を満たした鋼さえも燃え上がらせる、圧倒的な熱量!


「こ、ここは地獄です!」


 眼前で繰り広げられる巨獣同士の闘争に、エルミナーゼがおののく!

 先の “骸骨百足” といい、いくら迷宮の最深部とはいえ、この階層(フロア)は完全に常軌を逸っしている!


「ああ、同感だ!」


 熱波に顔をしかめながら同意するアッシュロード!

 だがその視線は、格闘を演じる二体の巨獣の背後に突き刺さっていた!

 アッシュロードの三白眼は、竜息に照らし出された内壁の違和を見逃さなかった!


(ありゃ、隠し扉(シークレット・ドア)か!?)


 生き残るには、もはやあそこに飛び込むしかなかった!

 躊躇(ちゅうちょ)していれば猛炎か溶鉄に巻き込まれるだけだ!


 生きるのだ!

 生きるのだ!!

 生きるのだ!!!

 なんとして生き延びるのだ!!!


「来いっ、エルミナーゼ!」


「はいっ!」


 堅くエルミナーゼの手を握り、アッシュロードが走り出す!

 少女は恐かった!

 でも冷静だった!

 ずっと求めていた背中がそこにあったから!


 ふたりは咆哮をあげて(もつ)れ合う二体の足下をすり抜け、吹き零れる炎を掻い潜り、駆けた!

 金属の鎧と金属質の鱗が擦れ降らせる火花の雨の中をふたりは、アッシュロードとエルミナーゼは駆け抜けた!

 肩から体当たりし、アッシュロードが隠し扉をこじ開ける!


 中に飛び込んだ瞬間、狂乱する巨獣たちの騒音がピタリと止んだ。

 (かえ)ってギョッとするふたり。

 迷宮特有の時空の歪み故か、それとも……。


 そこは一×一区画(ブロック)の最少の玄室だった。

 もう何年も外気に触れていない肺を病むような空気が、重く沈殿している。

 ふたりの視線は玄室の真ん中にぽつんと建つ “苔むした墓” に注がれていた。

 刻まれた文字が光蘚の仄かな光に、おぼろに浮かんでいる。

 墓碑銘はこう読めた。

 

“役立たず ここに眠る”


 ……と。 



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― 新着の感想 ―
[一言] 尊敬する人物がだらしないってのは結構キツイですよね。
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