定点観測★
戦略は立った。
マグダラの示した方針に従い探索者たちは、詳細な計画の立案にかかる。
まずなにより、最下層までの経路を切り拓かねばならない。
現在まで探索が進んでいる第三層の半ばから、最下層にいたる経路を。
途上には残る “女神の試練” が待ち構えているだろう。
残る三体の 生命を吹き込まれた物を打ち倒し、伝説の武具を回収しつつ、血路を拓くのだ。
平行して “不幸の石” を集める必要がある。
数は多ければ多いほどよいが発見率は決して高くなく、むしろ低い。
さらに迷宮の上層で見つかるとはいえ、その上層に出現する魔物が軒並み手強く、並みの迷宮無頼漢では容易に返り討ちにあってしまう。
現在義勇探索者は冒険者ギルドと提携し、迷宮で得た情報をすべて提供している。
階層の構造。仕掛け。罠。生息・出現する魔物の種類、数、強さ、能力。
それらの情報を無償で開示することでギルドは、迷宮に潜る冒険者の生還率を高めようとしていた。
その施策が実り始め “林檎の迷宮” に変容し、一時大幅に数を減じていた冒険者が戻り始めている。
王女救出の勇士を募る布令が国の内外に出されたことも手伝って、迷宮に挑む者は日に日に増していた。
だが当てにはできない。
聖都を訪れる冒険者は増え迷宮に潜る者が多くなったとはいえ、生還率・生存率は依然として五割に届いていない。
計算が立つ熟練者である義勇探索者から戦力を裂いて強襲&強奪する他はなく、別途王城を通じて “ボルザッグ商店” に手を回し、“不幸の石” の売買を禁止させる。
そうして市場での売り買いが不可能になる代わりに王城が、それまでの三倍の値で買い取る手はずを整える。
一攫千金の欲で釣るのだ。
この措置は他に “夢見の石” や “転生の金貨”、“叙勲の指輪” などにも適用する。
三層の以降の探索は “緋色の矢”
“不幸の石” のハクスラは “フレンドシップ7” が担当することになった。
担当は適宜交代し、迷宮の知識と経験が偏らないようにする。
アッシュロードの穴はドーラが埋める。
“K.O.D.s” は、探索担当のパーティが所持する。
作業は並行して行なわれ、二組のパーティは同時に潜る。
拠点である宿屋 “神竜亭” に予備戦力は残さない――残せない。
戦略は立った。
救出作戦ではなく回収作戦の。
慌ただしく詳細が煮詰められると探索者は “円卓の間” を出て、迷宮に向かう。
休む暇はなく、その気もない。
誰も彼もが思っていた。
女王の言は正しい。
まったく正しい。
だがそれでも思うのだ。思わずにはいられないのだ。
それでもあの男――グレイ・アッシュロードなら結露を舐め、魔物の肉を喰らって生き延びるのではないかと。
三月では分からない。
二月でも厳しいだろう。
でも一月、一ヶ月ならあるいは生き延びているのではないかと。
だから探索者たちは休むことなく、迷宮に向かった。
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「………………あれ、食えねえかな」
遠ざかっていく巨大な影を見送る男の呟きを、エルミナーゼは聞き逃さなかった。
「……あれって……魔物ですよ?」
「……ああ、だがデカい蟹でもある」
エルミナーゼは小さく吐息した。
呆れたわけではない。
感心したのとも違う。
その両方であった。
「……蟹は嫌れえか?」
男が振り返った。
意外なものを見た……といった表情だ。
やはりこの男はどこか “破れて” いる。
「……好物ですが、今は遠慮しておきます」
エルミナーゼ・リーンガミルは己に忍耐を課していた。
この男――グレイ・アッシュロードを自分の尺度・常識で測ってはならない。
測れば自身の理解の外にある実在に混乱し、情緒を乱される。
そして自分たちが置かれる絶体絶命の苦境から抜け出すにはなによりも、この男のそういう “破れた” 部分が必要だった。
「……わたしたちの今の生命力で漁をするのは危険でしょう」
努めて論理的にエルミナーゼが諫言する。
幼少期から抱える精神的な傷が開いていないかぎり、彼女は聡明で賢しい少女だ。
この窮地にあってエルミナーゼは母親ゆずりの理性的な思考で、自分を男の臨時の補佐役に任じていた。
今彼女たちがやり過ごした “巨大蟹” は迷宮の最下層に生息するだけあって、大きさはちょっとした箱馬車ほどもあり、両の鋏は板金鎧に守られた戦士を容易に両断する。
耐久力に至っては迷宮を傷つけないように制御した “対滅” の直撃にも耐えるほどだ。
いくら食料が必要とはいえ “骸骨百足” との戦闘で傷つき、生命力が二割に満たぬふたりで相手にするには危険すぎた。
「……そうだな」
アッシュロードは納得し、エルミナーゼは安堵した。
「……もう少し小せえ奴にしよう」
エルミナーゼは脱力した。
それでも必死に踏みとどまり、話題を切り替えた。
少しでも男の頭を “蟹” から引き剥がさなければならない。
「……それよりも “転移” は上手くいったのでしょうか?」
あくまでも届くか届かないかの小声で、エルミナーゼは訊ねた。
「……この最下層は二重構造だ。“表” なら誰でも入れるが “裏” は女神に認められた “運命の騎士” か、さもなくば “強制転移” の罠を引いた間抜けしか入れない」
自身が確認するように語るアッシュロード。
「……階層に占める表と裏の面積はほぼ等分。“強制転移” で任意の側に飛ばされる確率は二分の一……ここはおそらく表だ」
周囲の情景と記憶にある最下層の地図を照らし合わせ、アッシュロードは答えた。
裏側から脱出するためにあえて “強制転移” を蹴り開けた大蛮勇は、間抜けな結果にならずに済んだようである。
「……そうですか」
エルミナーゼは今度こそ本当に安堵した。
ひとまずではあるが一歩生還に近づけたのだ。
地上までの道程が遼遠なのは変わらないが、一歩は一歩。前進は前進だ。
ここが表側なら始点である五層への縄梯子まで辿り着けるし、そこに飛ばされる転移地点もある。
それはさておき……。
「……少し、休みませんか?」
エルミナーゼは休息を提案した。
休んでいる時間などないのは重々承知だが、さりとて休み休みでなければ今の自分たちでは一〇区画も進めない。
ふたりとも立っているのがやっとの状態である。
「……そうだな」
反対するかと思ったアッシュロードが、あっけなく同意した。
「……だが気は抜くな。もう聖水がねえ」
結界を描くのに必要な聖水は “骸骨百足” に浴びた “対滅” で、他の所持品ともども燃え尽きてしまった。
今はもうキャンプを張ることすらできない。
ふたりは玄室と思しき空間の隅まで重い足を引きずり。壁に背を預けてズルズルと座り込んだ。
無言が心地よかった。
短い会話すらも現在のふたりには重い作業だった。
辺りに静寂が満ちれば、それだけ聴力も研ぎ澄まされるだろう。
危険を察知するのも容易になるはずだ。
だが……。
「……なぜ迷宮に潜っているのですか?」
エルミナーゼが沈黙を破った。
「……あなたほどの偉業を成した方が、なぜ迷宮に潜り続けているのです?」







