望み2
転移の際に生じる魔法風と閃光が、失せた。
迷宮に混乱前の静寂が戻る。
誰もが息を呑み、時を奪われていた。
「お、おっちゃんをどこにやったの!?」
真っ先に我に返ったのはやはり、精神的動揺に種族的耐性を持つパーシャだった。
アッシュロードとエルミナーゼを何処かへと転移させた、老醜の魔術師に叫ぶ。
「……彼の娘の望むがままに」
膨大な魔力を要する対転移呪文を使った直後だというのに魔術師―― “僭称者” の声には、いささかの動揺もなかった。
掠れしゃがれた、命の潤いの潤いの一滴も感じられない、カサカサに乾いた声。
まさしく半デッドの声だった。
「どういう意味「――問答は無用」」
パーシャのさらなる詰問を、純白の鎧をまとう偉丈夫が遮った。
北山の切り立った岩壁を鑿で粗削りに削り出したような、低く、冷たく、堅い声。
ホビットの少女はゾッとした。
“僭称者” が半分死人なら、この偉丈夫――ドーンロアは人形だ。
どちらも人としての感情が欠落している。
「その首を落として、しかる後にエルミナーゼを探す」
聖なる鎧 “君主の聖衣” の力で蒼白い聖光を立ち昇らせる長剣を手に、ドーンロアが前に出る。
鎧と剣だけでなく盾も兜も籠手も、現存する最高の武具で固めた “勇者” の圧が、場を支配した。
ただひとりを除いて――。
「……騙りに用はなし」
“僭称者” の侮蔑がドーンロアの顔面をまともに打った。
激情がドーンロアを再び白い電光と化し、襲撃に転じさせる。
魔剣 “貪るもの” が雷速で頭頂部から股下まで振り抜かれ、“僭称者” の干からびた身体を一刀両断にした。
「やったか!?」
ジグが叫ぶ。
だがドーンロアには手応えはなかった。
霞のように消え去る迷宮支配者。
“……迷宮はいかなる望みも叶う場所。また会おう……”
妖気は去り、後には静寂と、魂を抜かれた探索者たちが残された。
・
・
・
・
・
・
・
・
・
「こいつが――こいつが悪いんだ!」
謁見の間にパーシャの糾弾が響く。
巌のように硬く無表情な偉丈夫を小さな指で示し、非と責を問う。
「下郎が! 王配殿下に無礼であろう!」
偉丈夫のかたわらに侍る女騎士が激高の眼差しをホビットの少女に向け返す。
「あたいのオッパイじゃないやい!」
「控えよ。女王陛下の御前であるぞ」
女王マグダラに側に控える近衛騎士のロンドラッドが見苦しい振る舞いを見かね、厳しい声で制した。
魔術師と騎士。
ふたりの少女が歯ぎしりをしつつも黙り込む。
「ドーンロア公、これはいったいどういうことなのですか?」
発言が途切れたところで玉座に着くマグダラが、自らの配偶者に訊ねた。
配偶者ではあるが、公の場では家臣と同様に扱わねばならない。
ドーンロアも当然、答えなければならない。
しかし女王の問いは沈黙を以て応じられた。
非礼の度が過ぎていた。
「ドーンロア公!」
たまらずにロンドラッドが質した。
「事は王家の行く末に関わること。他国の者の前で語ることなど出来ぬ」
パーシャだけでなく彼女を含む参集された探索者全員が、ザワッと殺気立った。
当然だ。
彼らはリーンガミル王国の家臣でもなければ国民でもない。
女王にその義心と赤心を認められ正式に王女救出の任に就く、義勇探索者なのだ。
言うなればドーンロアは女王マグダラの命令と指揮に介入し、妨害したに等しい。
「公とふたりにしてください」
マグダラは為政者としての表情を崩さないまま、忸怩たる思いで命じた。
公正な判断と処罰を下すには、公正に事情を聴く必要だ。
しかしこの様子では、ドーンロアの口が開かれることはないだろう。
表情同様、巌のように頑ななドーンロアの心は、もはや主君と妻、どちらの言葉をもってしても開くことはできない。
ドーンロア麾下の騎士たちは粛々と探索者たちは渋々と、謁見の間を出ていった。
ロンドラッドやその他の家臣たちも一礼の後に退出する。
「ソラタカ……いったいなにがあったのです? なぜ、このような真似を」
マグダラは声音を私的なものに切り替えた。
彼女のせめても譲歩だ。
「自分の娘を下賎の手から救い出すのに理由がいるのか?」
ドーンロアの――ソラタカの声に歩み寄りの気配はない。
しかも言うに事欠いて『自分の娘』とは……。
これまで一度として目の前の男は、エルミナーゼを自身の娘と思ったことなどないというのに。
マグダラは久しく感じていなかった配偶者への憤りを思い出した。
「そのことについてはすでに彼らに委任済みです。エルミナーゼ救出の作戦は実行の最中にあり、その途中での――迷宮探索中の介入がいかに危険な行いか、分からないあなたではないでしょう」
「彼ら? あの男の間違いだろう」
ソラタカの声と視線に、あからさまな軽蔑の色が浮かんだ。
夫婦の仲はとうに冷え切っている。
否、最初から愛情などはなかった。
それを承知の上での政略結婚だった。
だが共に命がけの迷宮探索を成し遂げた同志でもある。
尊敬と尊重の気持ちは確かにあったはず。
なにより――。
「否定はしません。彼は――グレイ・アッシュロードは世界で最高の迷宮探索者ですから」
「それだけではあるまい」
「何が言いたいのです?」
「あの男の来訪に合わせて、俺を辺境の視察に出したことだ。夫の目を盗んで旧交を温めたかったのだろう?」
マグダラの深水のような黒い瞳に、勃然と怒りが灯った。
「あなたは全てを承知してわたしの夫になったはず。あなたは彼女。わたしは弟。互いの重すぎる犠牲を無駄にしないために」
「そのとおりだ。俺はそのためだけにおまえと寝台を共にした。だからこそあの男があいつの眠るこの国に、迷宮に舞い戻るのは許せん!」
「すべては女神ニルダニスの導きです。彼の意思ではありません。彼は――」
「何も覚えてはいないのだろう?」
「ええ。わたしがこの手で……記憶を封じました」
「奴自身の意思でな!」
カッと、ソラタカの双眸が見開かれた。
「それがなんだというのですっ! それが彼が――ミチユキがたったひとつわたしに求めた望みだった! そうしなければ彼は生きられなかった!」
「ならば死ねばよかった! 罪の重さに耐えかねてのた打ち回った挙げ句、己の首を刎ねればよかったのだ!」
配偶者のあまりの憎悪の激しさと浅ましさに、マグダラは息を呑んだ。
「そこまで……言うのですか」
「俺がな、マグダラ……俺が一番ゆるせんのは、奴があいつを忘れたことだ」
ソラタカが声を押し殺す。
妻であり、なにより経験を積んだ冒険者であるマグダラだから耐えられる殺気が、それでも彼女を戦慄させる。
「自分をかばって死んだあいつを、どうして忘れることができるというのだ。一生涯背負うべきだ。背負って悔いて悔いて悔いて悔いて、後悔の地獄に苛まれるべきだ」
「なんという残酷なことを……そのようなことまず誰よりも彼女が――キリコが望むはずがありません」
そしてマグダラは言うべきか迷っていた言葉を口にした。
同じ想いを知る者として、言わずにはいられなかった。
「キリコは……ミチユキを愛していたのです」
ミチユキの生を否定することは、彼を守って果てたキリコの生を否定することだ。
生の果ての彼女の死が自己犠牲であったのなら、それを否定することは彼女の生を否定することだ。
そうマグダラは思う。
「もう認めても……認めてあげてもよいでしょう」
マグダラは憐憫の籠もった声で言った。
「誰も彼も……十分過ぎるほどに苦しんだのですから」
「――誰が認めるものか!!!」
空間を、再びの怒号が切り裂いた。
「こんな結末など、誰が認めてなるものか!!!」
自分の配偶者の時間が二〇年前のあの悲劇で凍り付いたきり動いていないことを、マグダラは痛感した。
女王は説得を諦めるしかなかった。
「女王としてソラタカ・ドーンロアに命じます。今後再び、義勇探索者たちの作戦に介入することも迷宮に潜ることも許しません」
王配は応諾も拒絶も示さず、女王に背を向けた。
「あなたがどれほど頑なに否定しようともこれだけは確かです。たとえ時が巻き戻りまた同じ状況が訪れたとしても、キリコは同じ事をするでしょう」
「それはありえない」
背中越しに言下に否定するソラタカ。
「なぜそう言い切れるのです?」
「そうなる前に、俺が奴を殺すからだ」
マグダラは絶句した。







