激発
「……テメエ、なんのつもりだ?」
突き付けられた切っ先と剣呑な視線に、アッシュロードの声にもドスが籠もった。
「まことに勝手ながら、わたしとここで立合っていただきたい。アッシュロード卿」
有無を言わさぬ口調で迫るエルミナーゼ。
(やはり操られてやがったか?)
アッシュロードは、怒りと失望のないまぜになった苛立ちに駆られた。
“僭称者” の呪縛は、まだ断ち切れてなかったか。
ここに来て奴に施された “魅了” が甦ったか?
だが向けられる瞳は悽愴に思い詰められてはいたが、正気を保っていた。
「“望むがままに”」
「なに?」
「幼き頃にあなたの名前を聞いたときから……あなたという存在を知ったときから、わたしの願いはいつかあなたをこの手で打ち倒すことだった」
エルミナーゼの双眸はアッシュロードに向けられていたが、そこに映っていたのはやさぐれた迷宮無頼漢ではなく、言い争うまだ若き日の両親だった。
「その願いを――望みを叶えぬまま、ここで屍を晒し骸となるなど耐えられない。勝手を言っているのはわかっています。我が儘だということも。ですがどうかわたしの本懐を遂げさせてほしい」
血涙が零れるようなエルミナーゼの嘆願に、アッシュロードは押し黙るしかない。
「卿、ご返答を!」
「……立合うにしても何もこんな場所でするこたぁねえだろ。ここまで見てきたが、この階層の構造は “林檎の迷宮” になってからも変わりがねえみてえだ。ってことはここで待ってりゃ、いつかはおめえの親父が助けにくる。ここは親父の庭みてえなもんだろ?」
説得を試みるアッシュロード。
エルミナーゼの父ドーンロアはかつて “運命の騎士” として単身この階層に挑み、
迷宮支配者である “魔太公” の討伐を果たしている。
アッシュロードたちが再出現した “玉座の間” 付近の構造は、記録に残されている構造と寸分も違わなかった。
最下層の構造が “呪いの大穴” が “林檎の迷宮” となったあとも変化がないなら、ドーンロアが必ず救出にくる。
だがアッシュロードの言葉は逆効果だった。
「あの方は、この階層のことなど何も知らない!」
「なに?」
激発するエルミナーゼの言葉に、呆気にとられるアッシュロード。
「……やはり、何も覚えていないのですね……」
エルミナーゼが、悲しげに微笑む。
母親似の黒い瞳から、涙が零れた。
そして次の瞬間、
「グレイ・アッシュロード卿! いざ尋常に勝負!」
エルミナーゼが両手で剣を握り、叫んだ。
「せめて訳を言え! なんでそこまで俺を憎む!?」
「言えない!」
「なんだそりゃ!?」
「言えるわけがない!」
すべては母の――女王マグダラ・リーンガミルの名誉に関わること!
一〇〇〇年王国リーンガミルの安定に関わること!
誰かに言えれば、誰かに打ち明けられれば、こんなに苦しむことはなかった!
諍う父母の話を聞いてしまったときから、自分は呪われてしまったのだ!
自分は生まれてきてはいけない子供だったのだ!
「おい」
向けられる剣先を手の甲であしらい、ツカツカと歩み寄るアッシュロード。
憐憫に浸るエルミナーゼがハッとした直後、
パンッ!
乾いた音が玄室に響いた。
「……あ」
頬を張られてよろめいたエルミナーゼの胸ぐらを、アッシュロードが引き寄せる。
「王女だか姫騎士だか知らねえが、地下迷宮の底の底でいつまでもガキみてえなこと言ってんじゃねえぞ。ここじゃおめえの命なんざ灰の一握りより軽いんだ。これ以上ぐだぐだ抜かしやがると、その小さな尻を蹴り飛ばすぞ」
鼻先が触れ合うほどの距離で、迷宮に人生を捧げてきた男の気迫が、少女の甘えを打ち砕いた。
「わ、わたしは……」
「俺たちは死ぬかもしれねえ。消失するかもしれねえ。だが最後には必ず回収されて蘇生される。それがたとえ、おめえの親父じゃなくてもだ」
エルミナーゼは戸惑った。
消失したのに回収されて蘇生させられる?
「何を言って……」
「“不幸の石” の秘めたる力はなんだ?」
「それは……使用した者を灰にする……」
「そうだ。あの石の秘めたる力を解放した人間は状態の如何に関わらず灰になる。つまり消失からも灰に戻れるんだ」
エルミナーゼは目を見開いた。
「以前にも似たような魔道具を使ってトリニティ・レインを蘇生させた。そん時は灰から死体に戻したわけだが、今回は消失から戻せる分はるかに希望が持てる」
混乱しつつもエルミナーゼは、アッシュロードの言わんとすことが理解できた。
消失を回避できるなら、それはすなわち不死ではないか。
「あの石は上層で希に見つかる。だからここで消失したとしても、いずれ回収されて必ず甦ることができるんだ。強欲寺院で埋葬されない限りな」
胸ぐらを離すアッシュロード。
爪先立ちから解放されたエルミナーゼは、それでもしばらく言葉が出なかった。
迷宮内限定だが、消失を回避できる魔石。
それは “林檎の迷宮” と化したこの迷宮の、唯一の福音ではないだろうか。
「……では、このままここで救助を待つのですね?」
ようやく言葉を漏らしたエルミナーゼの心は複雑だった。
食料も水もアッシュロードが携帯している分だけだ。
どんなに節約しても一週間で底を突く。
壁や床の結露で渇きを癒やすにしても、餓死は免れない。
消失を回避できるとはいっても、すべては他人次第。
女王である母の愛情と力は信じてはいるが、希望とするには実感が湧かなかった。
そんなエルミナーゼの戸惑いを、アッシュロードが吹き飛ばす。
「いや、あの百足と一戦交える」
「!? なぜ?」
「三度目の運試しだ。奴を片付けて持っている 宝箱を調べる」
「“転移の冠” を見つけるのですか? でもわたしたちでは罠の解除が……」
それは “転移” の呪文が封じられた頭部用のリングだったが、そう都合良く宝箱に収められているとは思えない。
そもそも君主の自分たちでは、確実に仕掛けられている罠を解除できない。
運試しと言うには、あまりにも分が悪すぎる。
「狙いはその罠だ。“強制転移” の罠で、この二重構造区域から脱出する」
エルミナーゼは、あっと息を呑んだ!
なんという大胆な発想なのだろうか!
なんという不屈の精神なのだろうか!
この期に及んでこの男は、微塵も諦めていないのだ!
「た、確かに最下層の宝箱に仕掛けられている罠は、“強制転移” が多いと聞きます。冠を見つけるよりも、よほど期待できるでしょう」
“骸骨百足” さえ倒すことができれば、充分に運試しに――賭けになる確率だ。
そして “不幸の石” を使えば五〇パーセントの確率で、消し去ることができる。
「ここまで賭けは一勝一敗――やってみるだけだ」
そうして肩を竦め、アッシュロードは玄室の入り口に向き直り、立ち止まる。
「撲って……悪かったな」
猫背気味の背中がバツ悪げに謝る。
「……えっ」
「……おらぁ、もうキスで落ち着かせるのは駄目なんだ」
すごすごと扉に向かう男を見送りながら、エルミナーゼはカッと頬を熱くした。
キ、キスで落ち着かせる!?
なぜ落ち着かせるのにキスなの?
わたしにキスをするつもりだったの?
わたしとキスがしたかったの?
い、意味が分からない!
「なにしてやがる。おめえが要なんだ。いい加減、気ぃ入れろ」
「は、はい!」
叱咤され、エルミナーゼの背筋が伸びる。
相手は最凶最悪の “骸骨百足”
勝利を得るためには、全身全霊をもって挑むしかない。
黒衣の猫背に続く少女の背中は、紛れもない冒険者のものだった。
対決の刻。







