閑話休題『夜のピクニック ふもっふ?⑤』
瑞穂たち、私立『星城高等学校』。
道行たち、都立『新宿北高等学校』。
二校併せて二〇〇〇人近い『合同歩行祭』の参加者がスタートしたのは、府中市にある是政運動広場から少し外れた河川敷だった。
多摩川沿いには親水事業で造られた運動公園が多い。
是政運動広場もそのひとつだが、さすがにグラウンドやピッチを踏み荒らすことはできないので、野球場やサッカー場を集合場所には借りられなかった。
目的地は、奥多摩湖。
六〇キロメートル近い道のりだ。
最初はクラスごとの『団体歩行』で、しばらくは多摩川沿いの遊歩道兼サイクリングロード『府中多摩川かぜのみち』を男女二列縦隊で歩く。
付き合っている相手がいても同じクラスでなければ『夜間歩行』の半分は離れ離れになるので、これはアンラッキーだった。
もっともそれはどのカップルも織り込み済みの話であって、本番は後半に行われる『自由歩行』だ。
大概は前もって打ち合わせてあり『団体歩行』のあとの休憩時間に一緒になって、そのまま『自由歩行』に移るのだ。
まぁ、これはカップルに限らず、仲のよい友人同士でも同じなのだが。
恋人も友人もいないいわゆるボッチに、こういう行事はキツい。
いや、学校行事のすべてが――か。
『団体歩行』は秩父山地の入り口である青梅市の『青梅市立第二中学校』まで。
ここで休憩・仮眠して、『自由歩行』に備える。
ただこの『自由歩行』というのが実はいやらしくて、普通に歩いては確実にタイムオーバーでゴール出来ない。
完歩するには途中、何キロメートルかを走る必要がある。
奥多摩湖への道は高低差があり、すでに三〇キロを歩いた足には過酷の一言だ。
『自由歩行』でいつ走るかは、参加者各自の判断に任されている。
最初に走って時間と距離を稼いでもいいし、最後にラストスパートしてもいい。
前述のように個人優勝を狙っている者は、最初からRUN、RUN、RUNだ。
◆◇◆
「ふふんのふんふん、ふんふんふふん♪ ふふんのふんふん、ふんふんふふん♪」
瑞穂は鼻歌を口ずさみながら夕焼け鮮やかな土手を、ご機嫌に歩いて行く。
スタート直後で、今回が初めての歩行祭でその過酷さを知らないことも手伝って、まだまだピクニック気分だ。
「おっ、枝葉! ガルパンだな! プラウダ戦!」
耳ざとく瑞穂の鼻歌を聞きつけた大門勇大が破顔した。
大門はクラスの所在を示す幟を掲げている。
幟には学校と学年とクラスを示す “S1A” の文字が書かれていて、体格と体力に恵まれたラグビー部員の大門が、他の男子と交代で掲げることになっていた。
「あはは、カチューシャも歌いますか?」
「うわ、無理っ! 難易度高すぎ!」
気は優しくて力持ち。
誰からも好かれ信頼される大門は、陽キャのアニオタだった。
「でもイメージしてたのは映画の方だろ?」
志摩隼人が苦笑しながら、会話に混ざる。
「ですです。欣也さんの方です」
「欣也さん?」
隼人が混じれば当然、林田 鈴も加わる。
「『八甲田山』――昔の邦画だよ」
「なにそれ? 面白いの?」
「雪中行軍の訓練に出かけた軍隊が遭難して、二〇〇人凍死する話」
「……縁起でもねえ」
隼人の端的な説明に、作画崩壊を起こすリンダ。
彼女のメンタリティはとても常識的なのだ。
「なんというかこの情景を見ていたら、自然と口ずさんでしまいまして」
エヘ、っと瑞穂が照れてみせた。
確かに背嚢を背負った二〇〇〇人が整然と歩く姿は、軍隊の行軍を彷彿とさせる。
……かもしれない。
「天は我々を見放したぁ! ――ね」
「……なんか怖そうな映画」
田宮佐那子が可笑しげに有名な劇中のセリフを口にし、安西 恋が声を潜めた。
快活で社交的な佐那子と、引っ込み思案な恋。
対照的なふたりだが、仲は良い。
「~あたしは今時の女子高生がそんな映画を知ってる方が、よっぽど怖いわ」
「あ、でも今年で満六三才になるわたしのお爺さんは、小学生の頃に学校の体育館で見せられたそうですよ」
「はぁ? なんで学校でそんなもの見せるのよ?」
「情操教育でしょうか? 自然の怖ろしさと人間の傲慢さを教える……みたいな?」
「小学生にそんな映画見せたらトラウマだっつーの」
「あははは……確かにそれはあるかも」
小学生の頃に父親に見せられた瑞穂が、にんともかんともな顔になる。
「……『聖職の碑』よりはましだろう」
ボソッと五代 忍が言った。
「そ、それも怖い映画?」
恐る恐る恋が訊ねた。
「……同じ新田次郎原作。橋本 忍制作。同じ山岳遭難を題材にした映画。ただし、こっちで遭難するのは中学生――昔はこれも学校で見せられたらしい」
「……日本の教育って狂ってる」
大人しいが時として胸に突き刺さる言葉を吐くのが、恋という少女だった。
いずれにしてもスタート直後のまだ元気があるうちの歩行祭は会話も弾み、和気藹々とした遠足気分を味わえる。
(自由歩行も、このまま楽しいといいな)
瑞穂は思った。
(貴理子さんって、どういう人なんだろう?)
話にだけは聞いていた道行の幼馴染みと、ようやく会える。
とてもとても楽しみだ。
瑞穂はなんの気負いもなく、素直に思っていた。
「ふふんのふんふん、ふんふんふふん♪ ふふんのふんふん、ふんふんふふん♪」
◆◇◆
(……令和のインパール作戦だな、こりゃ)
胸の内で道行が呟いた。
リュックを背負った二〇〇〇人が歩く姿はどうしても、軍隊を想起してしまう。
ネガティブで、慎重で、心配性。
幼少期に病弱だった弟の面倒を見てきた影響で、常に最悪の事態を想定してしまう道行である。
はるか遠方の目的地を目指して、峻険な道のりに大軍を送り込む今回の行事が、太平洋戦争最大の愚挙と重なってならない。
それはいい。
それは実行委員の対処すべき問題だ。
道行が対処すべき問題は……。
「おい、今からそんなに緊張すんなよ」
道行は隣を歩く貴理子に言った。
豊かで艶やかなポニーテールが、夕日の残滓を浴びて燃えるようだ。
ダサいと不評の赤いスクールジャージも少女の魅力をいささかも減じてはいない。
いないのだが……。
整いすぎるくらいに整った横顔は硬さに満ちている。
「……べつに緊張なんてしてない」
ブスッと不機嫌な声が返ってきた。
「大丈夫だって。枝葉さんも林さんも話しやすい娘だから……志摩って奴は俺も良く知らねえけど」
道行は、まるで果たし合いに臨むような幼馴染みをリラックスさせようとするが、言葉のチョイスがどうにもよろしくない。
実は貴理子は人見知りというほどではないが、初対面の人間が苦手だ。
社交的で誰とでもすぐに仲良くなれるタイプではない。
周囲からの信頼は篤いが、友人関係は狭く深くだ。
突発的といってもいい展開で、瑞穂とその幼馴染みふたりと自由歩行を歩くことになったわけだが、貴理子には想像以上のストレスになってしまったらしい。
(これは非常に……よろしくない)
道行は思った。
せっかくの夜間歩行祭である。
高校生活で三回しかない行事である。
楽しめなければ、貴理子が可哀想だ。
今さら瑞穂たちとの約束はキャンセルできない。
お義理だったにせよ、スタート前にはLINEでスタンプも送っている。
ならばここは貴理子が歩行祭を楽しめるよう、自分がなんとかするしかない。
道行にしては珍しく、秘めたる決意を固めた。
普段と(あくまで道行の中では)立場が逆転した。
なので盛り上げようと、話題を振った。
最近読んでる本や、最近観た映画や、最近……最近……。
とにかく懸命に話題を振った。
貴理子は貴理子で、
(なに必死になってるのよ。この鈍感)
と、プンスカしている。
道行がこうまで気を遣ってくれることが腹立たしく、同時に新鮮で、こそばゆく、嬉しくもあり……。
しかしここで素直に笑顔を向けられないのが、貴理子という少女だ。
貴理子は今、六時間後に控えたライバルとの対面に備えてコンセントレーションを高め、闘志を最高潮に持っていこうとしているのである。
邪魔をしないで――と言いたい。
言いたいのだが……。
それでもやっぱり必死に気を遣う道行が嬉しくて、いじましくて、愛おしくて……。
仕方ないので貴理子は、キットカットを道行に差し出した。
(え? なに? これで『口を塞げ』ってことか?)
道行は戸惑った。
うるさかったのだろうか?
鬱陶しかったのだろうか?
確かにそうだったかもしれない。
しかしそうでないことは、貴理子が自分もチョコ菓子を口にしたことでわかった。
どうやら、
『不機嫌な顔してすまんかった。わしも悪かった。これで手打ちにしてくれや』
という意味らしい。
ふたりはモソモソと、子供のころよりも随分と小さくなってしまったチョコレート菓子を食べながら歩いた。
不器用で気持ちを素直に伝えられないという点において、ふたりは重なっていた。
「……これ、小さくなっちまったなぁ」
「……うん」
そんな道行と貴理子から少し遅れて、空高が黙々と続く。
やがて夕焼けは暗さを増し、辺りにはナイトブルーの帳が下りた。
夜のピクニックは始まったばかりだ。







