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迷宮保険  作者: 井上啓二
第五章 一〇〇〇年王国の怪人
485/669

金貨一〇万枚★

 パーシャはの燭台の明かりに照らし出される男に、剣呑な眼差しを向けていた。

 蜜蝋の先で揺らぐ炎はか細く、慣れてしまえば玄室は薄暗かった。


「ようこそ、偉大なる冒険者よ! たった金貨一〇万枚でそなた達の望む答えが語られよう!」


挿絵(By みてみん)


 “林檎の迷宮” 第二層の暗黒回廊(ダークゾーン)に棲みついている謎の男は、再び繰り返した。

 前日の探索で、スカーレット・アストラ率いる “緋色の矢” が偶然、遭遇・発見した自称 “賢人” である。


 普通の人間が熟練者(マスタークラス)のフルパーティでも容易に全滅しかねない迷宮で、隠棲などできるわけがない。

 十中八九、迷宮支配者(ダンジョンマスター)の息が掛かった人外(NPC)だろう。

 それが迷宮金貨一〇万枚で、情報の提供を申し出ているのだ。


 もちろんスカーレットたちは、即答することなくその場を離れた。

 うさん臭さ爆発の人外に、いきなり一〇万枚もの金貨を差し出す馬鹿はいない。

 そもそも探索者は迷宮に、多額の金を持ち込んだりはしないものだ。

 紛失する危険が高く、場合によっては全滅したパーティともども、その回収・蘇生費用まで失ってしまう。

 必要最低限だけを持参し、残りは宿屋(酒場)で待機している信頼できる人間に預けているのが大概だ。


 スカーレットらはヴァルレハの “転移(テレポート)” で地上に帰還すると、すぐに部隊(クラン)の指揮官であるアッシュロードに状況を告げた。

 アッシュロードは決して吝嗇(りんしょく)な男ではないが、眉をひそめずにはいられなかった。

 迷宮に現れる人外が協力と引き換えに金品を要求してくることは、これまでにもあった。

 だが金貨一〇万枚は、法外にもほどがある。


 行方不明になっているエバ・ライスライトや志摩隼人らが聞いたら、目を剥いていただろう。

 その金額は彼女たちが生まれ育った国の貨幣価値で、一億円にも達するのであるから。


 それでもアッシュロードは、間を置かなかった。

 すぐにハンナ・バレンタインを王城に走らせ、女王(マグダラ)の援助を請うた。

 自身、熟練の迷宮探索者でもあったマグダラの決断は早かった。

 その日の夜には探索者たちの定宿である “神竜亭” に、厳重な警備の元、大粒の宝石が詰められた皮袋が届けられた。

 持つべきものは、豊かで気前のよい出資者(スポンサー)である。


 咄嗟の判断と、部隊の今後を見据えた決断を迫られる可能性もあったため、人外との取引はアッシュロードが行うことになった。

 黒衣の指揮官は “緋色の矢” と交代した “フレンドシップ7” と迷宮に潜ると、ヴァルレハの記憶と測量を元に記された地図を頼りに、人外が潜む暗黒回廊内の玄室を目指した。 

 美貌の魔術師(メイジ) の地図は正確であり、アッシュロードたちは迷宮の真の闇の中でも迷うことなく、強欲な自称 “賢人” の元に辿り着くことができた。


「ようこそ、偉大なる冒険者よ! たった金貨一〇万枚でそなた達の望む答えが語られよう!」


 人外(NPC)の賢人がもう一度、高らかに呼ばわった。


 アッシュロードは無言で腰の雑嚢から、宝石の詰まった皮袋を引っ張り出した。

 雑嚢は皮袋の容積でパンパンに膨らんでいて、取り出すだけで一苦労だ。

 すでに取引に応じることは決めている。

 ここで貧乏たらしく躊躇していても時間の無駄でしかないので、アッシュロードは賢人に、掌にずしりと重い皮袋を差し出した。

 賢人は袋の中身を改めると、びっしりと詰まった大粒の宝石の輝きに、満足げにうなずいた。


「この強欲者! 守銭奴! なにが賢人だい! あんたの来世はきっと金貨の詰まった深鍋(ケトル)かなんかだよ!」


挿絵(By みてみん)


 我慢し切れず、パーシャが口汚く罵った。

 彼女の価値観からすれば、例え相手が人の(ことわり)の外にある存在でも、この非常時に金勘定ばかりしている奴は罵られて当然であった。


 しかし賢人はホビットの少女の非難など何処吹く風で、玄室の南を指さした。

 先ほどまでただの壁だったそこに、扉が出現していた。

 賢人はパーティに先立ち、その扉を潜った。

 探索者たちが警戒しながら続くと、そこは一×一区画(ブロック)の玄室で、部屋中に不思議な本が山積みにされた豪華な書斎だった。


「賢人というのも、あながち嘘じゃないかもな」


「どうだか。本を枕に昼寝をしてるだけかもしれないじゃない」


 盗賊の呟きに対するパーシャの言葉は、まだまだ辛辣だった。

 賢人は埃に塗れた書棚から巨大な書物を取り出し、本に埋もれた書斎机に着いた。

 そして分厚い革表紙を開くと大仰な声で言った。


「星々が告げている。世界に大いなる変化が訪れるだろう。まずは名乗れ。そして自身を語れ。しかるのちに問いを発すれば、我が知識の泉に触れられよう」


 黒衣の指揮官は進み出、名乗り、自分を取り巻く状況を語った。

 それから自身の一番知りたいことを訊ねた。

 自称 “賢人” の人外は宙空に手を伸ばし、何事かを唱えた。

 全員が警戒に身構える中、視線の先で空間が歪む。


 そして、アッシュロードは見た。


◆◇◆


「――」


「? どうしたの、枝葉さん?」


 わたしが立ち止まった気配を感じ、安西さんが振り返りました。

 他の四人も歩みを止めて、わたしを見ます。


「今、誰かに見られたような気がしたので……」


「……敵か?」


 五代くんが腰の後ろの鞘から短剣(ショートソード)を半ば引き抜き、辺りを警戒します。


「いえ、そういう感じではなく、なんというかもっとこう優しい眼差しというか」


「優しい?」


 自分でも要領を得ない表現に、早乙女くんが頓狂(とんきょう)な表情になりました。


「それはあれか? 『大佐があたしの心を触った感じなんです』 的なやつか?」


「なにそれ、気持ち悪い」


 田宮さんが間髪入れず容赦の無い視線を、早乙女くんに突き立てます。


「……そこは『そういう冗談はやめてくれないか』だろ。わかってねえな」


 ブツブツと不満を零す早乙女くんにわたしは、


「でも、それに近いかもしれません――ごめんなさい、きっと気のせいでしょう」


 と微苦笑を向けました。


「この階層(フロア)だ。無理もない」


 隼人くんがわたしを見て気遣ってくれました。


「そうですね」


 わたしは表情を引き締めてうなずき、周囲を見渡します。

 幾何学模様が描き込まれた浅紫(あさむらさき)翡翠色(ひすいいろ)の壁や床、天井は、ともすれば催眠効果や魔術的・呪術的な呪いが秘められているようにすら感じます。


「こんな人為的な階層は初めてです。とても嫌な感じがします」


 わたしたちは今、“一〇〇年後の迷宮” の第三層の直中(ただなか)にいました。



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― 新着の感想 ―
[一言] 正直、10万枚なら安いと思います。
[良い点] うわあ、まさかこんなところで繋がってくるとは。強欲なケトルになっちゃったんですねw
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