金貨一〇万枚★
パーシャはの燭台の明かりに照らし出される男に、剣呑な眼差しを向けていた。
蜜蝋の先で揺らぐ炎はか細く、慣れてしまえば玄室は薄暗かった。
「ようこそ、偉大なる冒険者よ! たった金貨一〇万枚でそなた達の望む答えが語られよう!」
“林檎の迷宮” 第二層の暗黒回廊に棲みついている謎の男は、再び繰り返した。
前日の探索で、スカーレット・アストラ率いる “緋色の矢” が偶然、遭遇・発見した自称 “賢人” である。
普通の人間が熟練者のフルパーティでも容易に全滅しかねない迷宮で、隠棲などできるわけがない。
十中八九、迷宮支配者の息が掛かった人外だろう。
それが迷宮金貨一〇万枚で、情報の提供を申し出ているのだ。
もちろんスカーレットたちは、即答することなくその場を離れた。
うさん臭さ爆発の人外に、いきなり一〇万枚もの金貨を差し出す馬鹿はいない。
そもそも探索者は迷宮に、多額の金を持ち込んだりはしないものだ。
紛失する危険が高く、場合によっては全滅したパーティともども、その回収・蘇生費用まで失ってしまう。
必要最低限だけを持参し、残りは宿屋で待機している信頼できる人間に預けているのが大概だ。
スカーレットらはヴァルレハの “転移” で地上に帰還すると、すぐに部隊の指揮官であるアッシュロードに状況を告げた。
アッシュロードは決して吝嗇な男ではないが、眉をひそめずにはいられなかった。
迷宮に現れる人外が協力と引き換えに金品を要求してくることは、これまでにもあった。
だが金貨一〇万枚は、法外にもほどがある。
行方不明になっているエバ・ライスライトや志摩隼人らが聞いたら、目を剥いていただろう。
その金額は彼女たちが生まれ育った国の貨幣価値で、一億円にも達するのであるから。
それでもアッシュロードは、間を置かなかった。
すぐにハンナ・バレンタインを王城に走らせ、女王の援助を請うた。
自身、熟練の迷宮探索者でもあったマグダラの決断は早かった。
その日の夜には探索者たちの定宿である “神竜亭” に、厳重な警備の元、大粒の宝石が詰められた皮袋が届けられた。
持つべきものは、豊かで気前のよい出資者である。
咄嗟の判断と、部隊の今後を見据えた決断を迫られる可能性もあったため、人外との取引はアッシュロードが行うことになった。
黒衣の指揮官は “緋色の矢” と交代した “フレンドシップ7” と迷宮に潜ると、ヴァルレハの記憶と測量を元に記された地図を頼りに、人外が潜む暗黒回廊内の玄室を目指した。
美貌の魔術師 の地図は正確であり、アッシュロードたちは迷宮の真の闇の中でも迷うことなく、強欲な自称 “賢人” の元に辿り着くことができた。
「ようこそ、偉大なる冒険者よ! たった金貨一〇万枚でそなた達の望む答えが語られよう!」
人外の賢人がもう一度、高らかに呼ばわった。
アッシュロードは無言で腰の雑嚢から、宝石の詰まった皮袋を引っ張り出した。
雑嚢は皮袋の容積でパンパンに膨らんでいて、取り出すだけで一苦労だ。
すでに取引に応じることは決めている。
ここで貧乏たらしく躊躇していても時間の無駄でしかないので、アッシュロードは賢人に、掌にずしりと重い皮袋を差し出した。
賢人は袋の中身を改めると、びっしりと詰まった大粒の宝石の輝きに、満足げにうなずいた。
「この強欲者! 守銭奴! なにが賢人だい! あんたの来世はきっと金貨の詰まった深鍋かなんかだよ!」
我慢し切れず、パーシャが口汚く罵った。
彼女の価値観からすれば、例え相手が人の理の外にある存在でも、この非常時に金勘定ばかりしている奴は罵られて当然であった。
しかし賢人はホビットの少女の非難など何処吹く風で、玄室の南を指さした。
先ほどまでただの壁だったそこに、扉が出現していた。
賢人はパーティに先立ち、その扉を潜った。
探索者たちが警戒しながら続くと、そこは一×一区画の玄室で、部屋中に不思議な本が山積みにされた豪華な書斎だった。
「賢人というのも、あながち嘘じゃないかもな」
「どうだか。本を枕に昼寝をしてるだけかもしれないじゃない」
盗賊の呟きに対するパーシャの言葉は、まだまだ辛辣だった。
賢人は埃に塗れた書棚から巨大な書物を取り出し、本に埋もれた書斎机に着いた。
そして分厚い革表紙を開くと大仰な声で言った。
「星々が告げている。世界に大いなる変化が訪れるだろう。まずは名乗れ。そして自身を語れ。しかるのちに問いを発すれば、我が知識の泉に触れられよう」
黒衣の指揮官は進み出、名乗り、自分を取り巻く状況を語った。
それから自身の一番知りたいことを訊ねた。
自称 “賢人” の人外は宙空に手を伸ばし、何事かを唱えた。
全員が警戒に身構える中、視線の先で空間が歪む。
そして、アッシュロードは見た。
◆◇◆
「――」
「? どうしたの、枝葉さん?」
わたしが立ち止まった気配を感じ、安西さんが振り返りました。
他の四人も歩みを止めて、わたしを見ます。
「今、誰かに見られたような気がしたので……」
「……敵か?」
五代くんが腰の後ろの鞘から短剣を半ば引き抜き、辺りを警戒します。
「いえ、そういう感じではなく、なんというかもっとこう優しい眼差しというか」
「優しい?」
自分でも要領を得ない表現に、早乙女くんが頓狂な表情になりました。
「それはあれか? 『大佐があたしの心を触った感じなんです』 的なやつか?」
「なにそれ、気持ち悪い」
田宮さんが間髪入れず容赦の無い視線を、早乙女くんに突き立てます。
「……そこは『そういう冗談はやめてくれないか』だろ。わかってねえな」
ブツブツと不満を零す早乙女くんにわたしは、
「でも、それに近いかもしれません――ごめんなさい、きっと気のせいでしょう」
と微苦笑を向けました。
「この階層だ。無理もない」
隼人くんがわたしを見て気遣ってくれました。
「そうですね」
わたしは表情を引き締めてうなずき、周囲を見渡します。
幾何学模様が描き込まれた浅紫と翡翠色の壁や床、天井は、ともすれば催眠効果や魔術的・呪術的な呪いが秘められているようにすら感じます。
「こんな人為的な階層は初めてです。とても嫌な感じがします」
わたしたちは今、“一〇〇年後の迷宮” の第三層の直中にいました。







