暗中行路
バタンッ!
「……っっ!!?」
重く乾いた開閉音に、五代くんの声にならない悲鳴が重なりました。
シュルルルッ!
鋭い擦過音はパーティを結びつけているロープが、勢いよく床の縁をこする音です。
「ぐっ!」
闇の中、苦痛に顔を歪ませているだろう隼人くんが、くぐもった声を漏らします。
おそらく隼人くんの両手は嵌めていた分厚い手袋ともども、咄嗟に掴んだロープとの摩擦でズタズタに裂けていることでしょう。
わたし自身も以前に同じ目に遭っているので、見えなくても何が起こったかはわかります。
ですが、ここまで悪辣ではありませんでした。
五代くんは暗黒回廊の中に仕掛けられた穽――落とし穴を踏んでしまったのです。
「おい、どうした!? なにがあった!?」
「五代くん!? 志摩くん!?」
「だ、大丈夫!?」
状況がわからないために混乱が一気に伝播し、早乙女くん、田宮さん、安西さんが口々叫びます。
「落ち着いてください。五代くんが穽に落ちたのです。ですが隼人くんが確保したので大丈夫」
わたしは彼らの狼狽を鎮めるため、努めて冷静な口調で語りかけました。
騒ぎ立てて、常闇に潜んでいるかもしれない魔物を呼び寄せてしまえば、状況は今度こそ最悪になってしまいます。
「あ、ああ、確保した――五代、大丈夫か?」
「…………なんとかな」
「早乙女くん、隼人くんは掌に怪我をしています。五代くんを引き上げてください――田宮さんと安西さんは、万が一に備えてホールドを」
「了解!」「うん!」
田宮さんと安西さんがAnseilenしているロープを持って、その場で踏ん張る気配がすれば、
「よし、引っ張り上げるぞ!」
力持ちの早乙女くんが、グイグイとロープをたぐり寄せます。
「OK、穴から出た」
身軽な五代くんは自分でもロープをよじ登ったのでしょう。
すぐに穽から抜け出しました。
「皆さん、わたしがロープを引きますから、少しずつその場から後ずさってください」
何があるかわかりません。
落し穴からはできるだけ離れた方がいいでしょう。
ロープを引いて合図を送り、最後尾のわたしの所までみんなを誘導します。
「なんて性根が腐ってやがるんだ! 普通、暗黒回廊に落し穴なんて掘るか!?」
全員が一カ所に固まると、早乙女くんが激しく毒づきました。
「暗闇だからこそ罠の効果が高まるんだろうが」
「落ちたのはおめえだろう! なに冷静に話してやがる!」
「隼人くん、治療をしますから手をお願いします」
わたしはやり合う早乙女くんと五代くんを無視して、すぐ近くの隼人くんの気配に話しかけました。
「いや、これぐらいなら自分でできる」
暗闇の中 “小癒” を嘆願する祝詞が響き、ややあってから、
「すまない。もう大丈夫だ」
苦痛の癒えた声が聞こえました。
「ちゃんと治りましたか?」
「ああ、完治した」
そこでようやく周囲にいる仲間たちから、ホッとした気配が漂いました。
「まだ気を抜かないでください。こういう瞬間が一番危険なのです」
ここはまだ暗黒回廊の直中。
魔に魅入られるには、恰好のロケーションです。
わたしの言葉に弛緩しかけたパーティの空気が、再び引き締まりました。
「枝葉の言うとおりだ。キツいが集中していこう」
わたしたちは――。
これまでに経験したことのない、広大な暗黒回廊に呑み込まれていました。
目指す “ダック・オブ・ショート” さんの仕事場には、迷宮の真の闇に阻まれて未だに辿り着くことができません。
外縁を固めてからの雑巾掛け。
前回は通用したやり方も穽があるのでは、逆にその全てを踏む覚悟がいります。
「……」
五代くんは何も言わずに再び先頭に立ちましたが、緊張と消耗は普段の探索の比ではないでしょう。
かといって他に代われる人はいませんし、何より誇り高い彼が交代に応じるとも思えません。
斥候 は彼の役目であり、支えなのです。
「……梯子だ」
前方からその五代くんの声が響きました。
暗黒の広間に突如として現れた “下り” の縄梯子。
「アヒルの仕事場より先に、こっちが見つかったか」
隼人くんが床に穿たれた梯子の垂れ下がる穴に近づき、見下ろしました。
穿孔は深く暗く、階下の様子はようとしてしれません。
「どうする? 下りるか?」
「いや、“時の賢者” の居場所がわからない以上、今下りても効率が悪いだけだ。まずは手がかりを見つけ出そう」
早乙女くんの問いかけに、頭を振る隼人くん。
「賛成。闇雲に探し回るよりも、まずは賢者の物置を調べましょう」
田宮さんが賛同し、他の皆も同様でした。
わたしたちは “示位の指輪” を使って縄梯子の正確な位置をメモすると、再び闇の中を進みます。
ただ歩いているだけなのに、息苦しさに目眩すら覚えます。
先日は広大な地下空間を前に “溺れ” かけましたが、今回は暗闇に溺れかけているのです。
人間にとって自位を見失うという状態が如何にストレスなのか、思い知らされます。
さらには穽や魔物の脅威。
(闇を抜けるのが先か、それともわたしたちの神経が参ってしまうのが先か……)
ですから唐突に視界が開けたときには全員が、自分たちがギリギリのところで切所を潜り抜けたことを強く実感したのでした。
真の闇に慣れきった目には、光蘚が描く線画の迷宮でさえまぶしく感じます。
暗黒回廊は “永光”の加護さえ消し去ってしまうのです。
わたしは腰砕けになりそうな自分を叱咤し、聖水で魔除けの魔方陣を描きました。
実際に他のメンバーは床に座り込んでしまっています。
唯一隼人くんだけがわたしと同じく、魔方陣を描いていました。
「前回と同じですね」
隼人くんは疲労の滲む顔で、それでも微笑んでくれました。
そしてキャンプを張り終わると、今度こそふたりしてその中にへたり込みました。
誰もが無言でした。
冷めた温泉水を回し飲みして、乾きと疲れを癒やすので精一杯です。
「この温泉水は…… “龍の文鎮” で湧いていた “聖水” に似ていますね」
水袋を再び隼人くんに手渡すと、わたしは我知らず呟いていました。
ほんの数ヶ月前のはずなのに、こんなにも懐かしい。
叶えられるのなら、今この瞬間にでも戻りたい。
同じ灰と隣り合わせの迷宮なのに、こうも抱く想いが違うなんて。
「……迷宮が好きなんだな」
五代くんがポツリと反応しました。
「おい、五代!」
「いいのです、早乙女くん」
顔色を変えた早乙女くんに微笑みます。
五代くんに侮辱する意図がないのは、毒のない口調から察せられます。
「きっとわたしは迷宮に魅入られているのでしょう。運良く生き延びられた迷宮探索者のうちの幾人かは、一線を退いたあとも迷宮から離れられずに人生を送ります。わたしも、そういう人たちと同じなのだと思います」
「そんな、まだ一年も経ってないじゃない」
田宮さんが表情を強ばらせてわたしを見ました。
「時間は関係ないのかもしれません。迷宮に惹き寄せられやすい人とそうでない人がいて、わたしは前者だったのでしょう」
「嬉しそうに……言わないでよ」
(嬉しい……?)
そうですね……ええ、嬉しいです。とても。
迷宮を受け入れられなかったら、迷宮に受け入れてもらえなかったら、あの人と生きていくことができませんから。
「わたしは迷宮が好きです。だからこれからも迷宮で生きていくことになるでしょう」
「そんな風に自分を決めつけるのはよせ。人生が迷宮だけなんて――そんなの寂しすぎるだろう」
隼人くんから硬い声が漏れました。
押し殺した怒りの籠もった声。
隼人くんは “向こう側” の人です。
わたしの述懐を不快に思っても不思議ではなく、むしろ自然かもしれません。
それは隼人くんだけでなく、他の四人も同じでした。
君は君の道を行け。
俺は俺の道を行く。
あの人ならきっとこう言ったことでしょう。
寂寥感がないといえば嘘になります。
いつの日かこの寂しさも薄らいで、かつてのクラスメートたちが変わらずにいてくれることが、安らぎになってくれるでしょうか。
「そろそろ行きませんか? おそらくこの先がショートさんの仕事場でしょう」
わたしは腰を上げました。
体力回復効果のある温泉水によって、疲労は薄れ気力も戻っています。
皆も立ち上がると埃を払い、装備や荷物を担ぎます。
出発してからすぐに、他とは明らかに造りの違う扉に行き当たりました。
どうやらわたしの予想は正しかったようです。
ショートさんの仕事場は、確かにすぐ間近にありました。







