誘い込まれる
重装備の前衛が追いつくとパーシャとジグ、そしてフェリリルが、開け放たれた扉の奥に拡がる “漆黒の正方形” の前で逡巡していた。
「……あいつ! この中に逃げ込んだ!」
歯ぎしりをするパーシャ。
さすがの “ファイア炎&リリィ” も、暗黒回廊に突進していくほど分別はなくしていなかったようだ。
「……この中では俺やフェルの視力も役に立たん」
カドモフがむっつりと呟いた。
ドワーフやエルフは暗闇でも生物の姿を見透す暗視能力を持つが、迷宮の真の闇はそれすらも遮る。
「どうする? 追跡はここまでか?」
「あいつ、何ヶ月も何年もお風呂に入ってないんだ! 臭いでわかるよ!」
「だが臭いはいずれ紛れてしまう。俺たちではどんな悪臭でも、それだけを頼りに暗闇で追跡はできない」
パーシャの主張に、レットが頭を振った。
人間は猟犬ではないのだ。
せめて猫人のドーラがいてくれたら……と思わずにはいられない。
「――シッ! 静かに!」
その時フェリリルが笹形の長い耳をそばだてた。
「……聞こえるわ」
「……ああ、俺にもだ」
ジグもうなずいてみせる。
……カシャン……カシャン……。
……カシャン……カシャン……。
暗黒の中から、微かな二拍子の金属音が繰り返し響いてくる。
その音は、エルフや盗賊ほど鋭敏な聴力を持たない他の探索者にさえ聞き取れた。
おそらくは角灯を揺すり出している音だ。
「……明らかに誘ってるな」
「……どうする?」
声を潜めるレットに、ジグがもう一度訊ねた。
暗闇に誘い込もうとしているのだ。
十中八九罠に決まっている。
「……情報は欲しいが」
「……ああ。だがエバたちもその心理を逆手に取られたのかもしれないぞ」
「俺が行く」
無造作に進み出たのはアッシュロードだった。
「おめえたちはここにいてくれ」
「そんなの駄目よ!」
真っ先に反対したのは、もちろんフェリリルだ。
「同じ籠に卵を盛ることはねえ。それに暗闇ではひとりの方が動きやすい」
リスクは分散した方がいい。
闇の中では一網打尽にされる危険がある。
ひとりなら自分以外は敵と見なして、存分に暴れられる。
万が一の場合も、犠牲は最少で済む。
「そういうことだ」
「駄目なものは駄目!」
頑なに拒絶されて、アッシュロードは戸惑った。
これがあの娘だったら万全の支援を条件に、思い切り渋々ながら認めてくれたはずだった。
「全員で行こう」
レットがフェリリルに賛同した。
「おい、おめえまで」
「あんたの案は、もしもの時にあんたを見捨てることを前提にしたものだ。だが俺たちは全力で回収に向かう。結局は同じことだ」
アッシュロードは反論しかけて、結局口を閉ざした。
“善” のこいつらに仲間を見捨てて撤収しろと言う方が、どだい無理な話なのである。
「Anseilenを組む。暗黒回廊ではできるだけ物音を立てず、フェリリルとジグの耳を活かせ」
息を殺しての待ち伏せには、エルフの聴力も役には立たない……とアッシュロードは思ったが、リーダーのレットが決断した以上、口には出さなかった。
全員が適度な間隔を保って身体を結びつけると、ジグを先頭に暗黒回廊に足を踏み入れた。
二番手はアッシュロード、次いでカドモフ、フェリリル、パーシャ、殿が盾役 のレットである。
フェリリルの聴力を活かすには先頭。次善の策で殿が望ましいが、彼女は回復役でもある。
危険なポジショニングはできない。
まとわりつくような濃密な闇が、アッシュロードを覆った。
経験は数え切れないほど積んでいる。
が、決して慣れることはない空間だ。
……カシャン……カシャン……。
……カシャン……カシャン……。
“墓守” が発しているだろう金属音は、途絶えることなく等間隔に響いてくる。
闇を進み、音が大きくなってきたかと思えば、再び小さくなる。
近づかれたらまた離れる、を繰り返しているのだろう。
(……いったいどこに誘い込むつもりだ?)
アッシュロードは全神経を聴力に集中しながら、怪人の思考のトレースを試みた。
魔物の巣窟だろうか?
だが待ち伏せをするなら、この暗黒回廊ほど最適な場所はないはずだ。
すでに入り口からは遠く離れ、逃げ戻ることは困難である。
それなのに魔物が襲ってくる気配はない。
意図がわからなかった。
(……あるいは闇の中を引きずり回して、こちらの集中力が切れるのを待っているのか?)
地図係のパーシャには、これまでの経験からアッシュロードも絶対の信頼を置いている。
暗闇でも自位を見失うことなく、頭の中では完璧な地図が描かれているだろう。
唯一の問題は闇中に設置された転移地点だが、これは足を踏み入れれば目眩に似た感覚に襲われる。
三半規管に異常があれば即座に警戒し、襲撃がなければ “座標” の呪文で位置を確認すればいい。
限界が近づいたら諦めて、ホビットの誘導で撤収するだけだ。
だが、そうはならなかった。
考え得る限りの状況とその対策を練っていたアッシュロードの視界が、唐突に開けたのだ。
後続の仲間たちも、背後の “漆黒の正方形” から次々に姿を現す。
最後尾のレットが闇から抜け出て、全員が暗黒回廊を抜けた。
アッシュロードは、パーシャと結ばれているレットのロープに素早く視線を走らせた。
異常はなく “変身獣人” にすり替わられた様子はない。
暗闇から出た直後に確認しなければならないのは、まずそれだ。
「――あの老人はどこだ?」
アッシュロードの視線には気づかずに、レットが訊ねた。
そこは一×三区画の真っ直ぐな短い回廊で、突き当たりに扉があった。
「わからん。俺が抜けたときにはもういなかった」
「……あの扉の奥に逃げ込んだか」
カドモフが用心深く戦斧を構えながら呟く。
「まって、今 “示位の指輪” を使うから」
パーシャが左手の親指に嵌めた指輪の力を解放し、現在位置を確認する。
「“E11、N2” 西を向いてる」
「とにかくあの扉を調べてみようぜ」
「警戒を緩めるな」
ジグを先頭に、一列縦隊で進むパーティ。
アッシュロードはレットと交代して最後尾に回り、暗黒回廊からの襲撃に備える。
慎重に扉に接近しあと数歩で手が届くという距離に達したとき、不意に三半規管を異常が襲った。
((((((――転移地点!))))))
数瞬後、パーティは扉から一区画離れた場所に立っていた。
「なにが……起こった?」
ジグが目をパチクリさせながら、離れてしまった扉を見つめた。
「……後戻りさせられたの?」
手を当てた頭をふりふりフェリリルが呟く。
聴力が発達しているだけに、転移の影響が大きいのだ。
「構造が同じだけで別の場所かもしれない――パーシャ、もう一度頼む」
早計な判断を戒め、レットが指示を出す。
だがパーシャが魔法の指輪で確認すると、やはりそこは先ほどの扉の前だった。
「キーアイテムが必要なのか?」
唸るジグ。
これまでの迷宮でも、特定の座標や扉を通過するのに鍵となるアイテムが必要なことは多々あった。
ここもそうだとするなら、引き返して迷宮のどこかから見つけてこなければならない。
「……見ろ」
困惑する仲間たちに、冷静に周囲を確認していたアッシュロードが南の内壁を顎でしゃくってみせた。
そこには傷文字で……。
「“飛べ” ……へ? なによ、これ?」
「“飛べ” ……どういう意味かしら?」
パーシャが顔面に大きな疑問符を浮かべ、フェリリルは身体に比して小さめの頭を傾げた。
「“飛べ” ……そんこと言われてもな。“禿鷲男” でもない限り、人間逆立ちしたって空なんか飛べねえぞ」
「“飛べ” ……ドワーフは飛べぬ」
「“飛べ” ……そもそも助言なのかどうか」
ジグ、カドモフ、レットも、それぞれ眉根を寄せている。
アッシュロードさえも考え込んでいた。
だから気づくのが遅れた。
“漆黒の正方形” から現れた襤褸をまとった怪人が、彼らに向かって物凄まじい速度で呪文を唱え始めたことに。
―― “対転移呪文”!
黒衣の君主が呪文の正体に気づき、ハッと身構えた次の瞬間、親切な “墓守” の手によってパーティは飛ばされていた。







