生粋のワル
“神竜亭” の空気は沈殿していた。
昼間。
それも午前も早い時間の酒場は大概、昨晩の喧噪の反動で倦怠感に包まれている。
それが冒険者の宿の酒場ともなれば、なおのことだ。
元気な者は迷宮に潜っているし、そうでない者は娼婦の帰ったあとのベッドで未だに眠りこけている。
階下に下りてきたとしても、二日酔いで生ける屍と化しているのが関の山だ。
そして “涙の倉庫番” と揶揄されるパーティの荷物番たちが、生気のない虚ろな表情で、その気怠い空気をさらに沈殿させているのだ。
だが今の “神竜亭” はそんな冒険者の宿の常態とは、違う意味で沈んでいた。
客がまったくいない。
二日酔いでゾンビ顔をしている探索者も、濁った目をした荷物番も、姿がない。
“僭称者” の帰還後、迷宮は一変した。
“呪いの大穴” は “林檎の迷宮” へと変容し、大幅に強化された魔物にそれまで迷宮に挑んでいたパーティの半数が還らず、半数が這々の体で逃げ帰った。
運良く地上に戻れたにしても無傷の者は皆無に近く、重い傷や精神的なダメージを負って探索者を廃業する者が続出した。
迷宮探索を続ける者も、実入りは悪いが危険度の低い “龍の文鎮” に稼ぎの場を移し、利便性のよい外郭城門に近い宿屋へと去った。
“神竜亭” は城塞都市の中心部に近く、郊外の迷宮に潜る拠点には適さないのだ。
「……なんか気が滅入っちゃうよね」
最高級の “豪華” な革鎧に身を包んだ少女が、六人掛けの円卓のひとつで呟いた。
少女―― “緋色の矢” の盗賊ミーナは両手で頬杖を突き、つまらなそうに形の良い顎を乗せている。
「そう? 静かで読書がはかどるわ」
卓に着いてるのはミーナを含めて三人で、そのうちのひとり魔術師 のヴァルレハが、分厚い書物から視線を上げずに答えた。
手元に置かれている香草茶の茶碗からは薄く湯気が昇っていて、知的なヴァルレハの美貌や仕草と合わさり、冒険者の酒場に不似合いな優美さを醸し出している。
もうひとりのメンバー僧侶のノエルは、祈りの真っ最中だ。
女神ニルダニスに帰依する者がほとんどのリーンガミルでは、彼女のように男神カドルトスに祈りを捧げる者は珍しい。
残るスカーレット、ゼブラ、エレンの女戦士たちは、陰気な酒場などごめんこうむるとばかりに、宿の裏庭で稽古に汗を流している。
「こういのは “静か” って言うんじゃないと思うけどなぁ……なんて言ったっけ? なんかもっとそれっぽいのがあった気がする」
「ガラガラの、スカスカの、閑古鳥が啼く、閑散とした、寂れた、廃れた、うらぶれた」
ヴァルレハがつらつらと、思いつくままに類語を上げる。
「~ご丁寧に韻まで踏んでくれてありがとう」
彼女たちの円卓は “善” の戒律の者が集まる一画にあったが、同じ “善” はおろかフロアの反対側の “ 悪” の席にも、他の探索者の姿は数えるほどしかない。
まさに閑散としている。
「こんなんじゃ、迷宮に潜ってる方がまだ気が晴れるよね」
「今日のわたしたちの仕事は、緊急時に備えてここで待機することよ。わたしたちがこうして無聊をかこっているからこそ、グレイたちは安心して探索ができるの」
「グレイね。ヴァルレハって、ほんとあのオッサンに優しいよね。ヴァルレハだけでなく、ハンナやフェルや――」
そこまでいって、ミーナは口を閉ざした。
「彼はレットたちと上手くやれるかしら?」
ノエルが胸の前で組んでいた掌を解き、閉じていた目蓋を上げた。
現在 “悪” の君主であるグレイ・アッシュロードは、“善” のパーティ “フレンドシップ7” に参加して迷宮に潜っている。
善悪の戒律の違いは、日常でさえ『気に入らない奴』という潜在的な反感となって現れる。
まして灰と隣り合わせの迷宮では、容易に剣の柄に手を掛けた対立へと発展する。
これまでアッシュロードと “フレンドシップ7” は突発的事態に遭遇して臨時の協力体制を組んだことはあったが、探索目的でパーティを組んだことはない。
なによりかすがい役となる彼女がいないのだ。
ノエルが心配するのも無理はなかった。
「フェリリルとパーシャは以前にグレイと “紫衣の魔女の迷宮” の八階から生還したことがあるわ。お互いの機微はわかっているはず。なにより――」
「なにより?」
「彼は生粋の “悪” よ。目的のためなら戒律を破るくらい屁とも思ってない」
ヴァルレハの言葉にミーナとノエルが、キョトンとした顔になる。
「え~と、それってつまり、根っからのワルであるおっさんは目的のためなら “善” な振る舞いだって平気にする……ってこと?」
「ええ」
目をぱちくりさせるふたりの仲間にうなずくと、ヴァルレハが続ける。
「グレイの目的はあの迷宮を踏破して、エルミナーゼ王女を助け出すこと。そして行方の知れないエバ・ライスライトたちを見つけ出すこと。そのために必要なら “善” のパーティに加わって友好的な魔物を見逃すぐらい何ほどのこともないわ――これはドーラにも言えることよ」
「で、でもそれって “悪” って言えるの?」
「あくまで自分の欲望・欲求に利己的に振る舞うのが “悪” の属性よ。そういった意味では、あのふたりこそまさに “悪” の人格だわ」
「「……」」
説得力のあるような、ないような説明に、押し黙るミーナとノエル。
先に納得したのは、ノエルだった。
「確かに彼の方から折れてくれるのなら、対立が起こることもないわね。大人だわ」
「つまり、なんかインチキされてるみたいに感じるわたしは、まだ子供ってこと?」
パーティ最年少。
一六才のミーナが、ふてくされて見せた。
「――そういえば、そのドーラの姿が見えないみたいだけど」
ひとしきり笑ったあと思い出したようにノエルが顔を上げ、“悪” の円卓が並んでいる一画を見た。
しなやかな肢体を持つ猫人のくノ一の姿はない。
部隊の副指揮官であるドーラ・ドラは、アッシュロードが迷宮に潜っている間はバックアップのパーティと宿に常駐し、不測の事態が起こればより大所高所から判断・指示を出すのが役目である。
万が一の場合、救出部隊を送るか否かの最終的な判断を下すのも彼女だ。
「彼女ならすぐに戻るといって、ボルザッグに行ってるわ」
「買い物?」
「いいえ、新しく入荷した商品を確認しにいったの」
◆◇◆
「――店主。ここ最近入荷した品の中に剣+1、戦棍+1、鎖帷子+1、盾+1、それに東夷風の造りに似た曲剣があるなら見せとくれでないかい」
「忍者にしちゃ、ずいぶんと妙な取り合わせだな」
「あたしが使うんじゃないよ。迷宮から還らない仲間の物かもしれないんでね、確かめたいのさ」
次回、迷宮探索







