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迷宮保険  作者: 井上啓二
第五章 一〇〇〇年王国の怪人
440/669

酔いどれの墓標★

佐山アキラ氏に



挿絵(By みてみん)


「ヒック……! よぉ……一杯奢ってくれんかね……?」


 乱暴に突入してきたわたしたちに驚いた風でもなく、扉の奥にいた白髪白髯のお爺さんが緩慢な動作で振り返りました。

 ボロボロの法衣(ローブ)紅玉(ルビー)色で、あの侍女さんの瞳と同じ色です。


「一杯でいいんじゃ、一杯で……奢ってくれんなら、ここは通さんぞ」


 両手を広げて、通せんぼするお爺さん。

 赤ら顔で呂律が回っていません。

 数メートル離れているのにお酒臭いにおいがプンプンと漂ってきます。

 完全に()()()()()()いました。


「おまえは誰だ」


 三人の前衛の中央で、隼人くんが油断なく魔剣の切っ先を向けて質しました。


「わしか……? わしは……あ~~~~」


 そうして詰まってしまったお爺さんでしたが、突然――。


賢者(ウォーロック)! そう、賢者じゃ! それがわしじゃ!」


 記憶の鉱脈を掘り当てることに成功したのか、豁然(かつぜん)と叫びました。

 その時のわたしたちの気持ちを率直に言い表せば……。


((((((……また変なのが出てきた……))))))


 ……でした。

 “悪魔王” の脅威から逃れるべく住み着いた人が多いだけあって、この迷宮ではこのような遭遇が多発するのです。


「……いいとこ愚者の間違いだろ」


 ですが五代くんの辛辣な呟きは聞こえなかったようで、


「奢ってくれるのか? くれんのか? くれんのなら、ここは通さんぞ!」


 賢者……さまは、お酒臭い息を()()()ます。


「わしをどうこうしようとしても無駄じゃぞ! わしはとっておきの呪文を知っておるんじゃ! いいか、とっておきじゃぞ! ……はて、どう唱えるのじゃったかな?」


 そしてブツブツと、口の中で何かを呟き出します。


「け、賢者さま! これでよろしければどうぞ、ラム酒です!」


 わたしは不吉な予感に囚われ、大慌てでショートさんから餞別としていただいた皮袋を差し出しました。

 もしこの人が本当に高位の魔法使い(スペルキャスター)なら、酔っ払った勢いで呪文を唱えられては大変です。


「なに!? ラムじゃと! なぜそれを早く出さん――よこせ!」


 不意に生気を取り戻した賢者さまは、わたしの手から皮袋をひったくると、栓を抜くのももどかしく深々と香りを吸い込みました。


「おう、このかぐわしい芳香! まさしく暗く冷たい玄室の片隅で何十年も熟成させた迷宮産の逸品よ!」


 あとはわたしたちなど視界から失せてしまったように、ご満悦な様子でラム酒を楽しみ始めました。


「……どうやら()()()として、通りかかる人間に酒をたかってるみたいだな」


「……まったく良いご身分だぜ」


「……もういいわ、行きましょう」


 隼人くん、早乙女くん、田宮さんがそれぞれゲンナリと呟き、五代くんなどは見るのも嫌といった風に、さっさと歩き出してしまっています。


「まってください」


 わたしは立ち去ろうとした皆を引き留めました。

 そしてご機嫌な様子でラム酒を煽る賢者さまに向き直り、


「賢者さま。わたしたちは故あって第一層の礼拝堂を目指す者です。ここから礼拝堂までの迷宮の様子や “兄弟愛(ララ)の自警団” のという人たちのこと、地上の様子などご存じでしたら、なんでもよいのでお話いただけませんか?」


 師に教えを請うように丁重にお願いしました。

 今のわたしたちには何よりも情報が必要なのです。

 わずかなりとも得られる可能性があるのなら、逃すべきではありません。


「賢者さま」


「~~♪」


 しかしわたしの声など届いた気配もなく、酩酊した賢者さまは鼻歌交じりにお酒の世界に浸ったままです。


「行こう、枝葉」


「……ええ」


 隼人くんにうながされ、黙礼して紅玉の賢者さまに背を向けました。

 こちらの世界には戻ってきたくないのかもしれません。

 無理強いは出来ません。

 残念ですが諦めるほかはないでしょう。


「………………地上へは出るな……」


「えっ?」


 それは明瞭で……冷え冷えとした声でした。

 振り返ると、壁にもたれかかった賢者さまが皮袋の口に視線を落としています。

 表情は冷静で、伸び放題に伸びた髭からのぞいている幾筋もの深い皺が、長年の孤独の深さを物語っています。


「……地上には出るな……悲しみしかない場所だ……」


 若者のような口調。

 記憶が過去に戻ったのでしょうか。


「地上はどうなっているのですか?」


「……なにもない……なにも……あるのは悲しみだけ……」


 酒精の失せた瞳に(たたえ)えられた絶望は色濃く、まるで深淵の様……。


「人間は、世界は本当に……?」


「……滅びた……なにもかも……指の間から零れる砂のように……」


「……」


「……礼拝堂へは、この先の暗黒回廊(ダークゾーン)にある縄梯子から行ける……辿り着いたら動かず……終わりの時を待て……」


 絶望に打ちひしがれた年老いた賢者の助言に、誰も何も言えませんでした。

 この人はずっと以前に死んでしまっているのです。

 今ここにいるのは魂を亡くした抜け殻でしかなく……。

 魂を持った人形(マネキン)と、魂を亡くした人間。

 一〇〇年経ってもなお、迷宮は寒く冷たい場所のようでした。

 立ち去るわたしたちの背中に、酔いどれ賢者の呟きが届きます。


「……サリィ……愛しているよ」





「アンザイレンです」


「……え?」


 自分の名前を呼ばれたと思った安西さんが、きょとんと顔を向けました。


「いえ、登山用語のAnseilenです」


 玄室の西端に現れた “漆黒の正方形” を前に説明します。


「ロープでお互いの身体を結ぶのです。そうすれば暗黒回廊でバラバラになることもありません」


「だけど、もし敵と出会っちまったらどうするんだ? 身動き取れねえだろ、それじゃ?」


 早乙女くんがもっともな懸念を表明します。


「その時は躊躇するとことなく切断してしまえばよいのです。それに――」


「そ、それに?」


「暗闇で恐ろしいのは魔物よりも(ピット)です。アンザイレンをしていれば、誰かが落ちても残りの全員で支えることができます」


 古強者(ネームド)に手の届きかけている人たちです。

 すぐにわたしの言わんとすることを理解し、うなずいてくれました。

 暗黒回廊に設置された穽は、それだけでパーティが全滅しかねない非常に悪辣で危険な罠なのです。


「よし、ロープで身体を結ぼう。ここを抜ければ一階だ」


 隼人くんが指示を出し、全員が背負い袋から丈夫な縄を取り出しました。



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― 新着の感想 ―
[一言] やはり悲劇しか無いんでしょうね。 酔っ払いに安らぎあれ。 エバなら残りの5人が落ちても余裕で支えられると思いますw
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