岐路に立つ
「それじゃ、達者でな」
“竜の大瓶亭” の扉の前で “ダック・オブ・ショート” さんが、わたしに法衣の裾からのぞく翼端を差し出しました。
「何から何まで、本当にありがとうございました」
わたしは微笑み、繊細な力加減で白い翼の端を握ります。
「いいってことよ。袖すり合うもなんとやらだ――オイラが案内してやれればいいんだが、これからちっとばかし片付けなきゃなんねえ仕事があるからよ。迷宮の拝み屋に寧日はねえってことで勘弁してくれ」
ショートさんは霊媒師を生業としているらしく、迷宮に取り憑いた哀れな霊魂たちに安息を与えるのが仕事なのだそうです。
「除霊は大切な仕事ですから、仕方ありませんよ」
「そういってもらえると、こっちも気が楽だぜ」
ガァ、ガァ、ガァ、と瞳を閉じて愉快そうに笑うショートさん。
そしてもう一度つぶらな瞳を開けると、真摯な眼差しでわたしを見つめました。
「昔会ったサムレエが言ってたよ。こういうのを……なんだっけな、苺一個とかいうんだっけか?」
「一期一会です」
「そう、それだ。オイラ、良い言葉だと思ったぜ」
わたしは穏やかにうなずき同意します。
この迷宮についてショートさんから聞ける限りの話を訊いたわたしたちは、これから一階にあるかつての “礼拝堂” を目指して出発します。
そこは今 “兄弟愛の自警団” と呼ばれる荒くれ者たちの根城になっているらしいのですが、元の時間軸に戻る手がかりが他にないのです。
「なんか湿っぽくなっちまったな――こいつは餞別だ。持ってきな」
ショートさんは気恥ずかしげに笑うと、翼の端に引っかけた皮製水袋を渡してくれました。
「ラム酒だ。けど、あとで必要になるから飲むんじゃねえぜ」
「? それってどういう――」
「ガァ、ガァ、ガァ、まあすぐにわかるさ」
茶目っ気たっぷりな表情。
本当に人間以上に、義理人情に篤いアヒルさんです。
「それじゃ、達者でな」
「はい、ショートさんも」
「おめえさんたちの頭に、いい閃きが散るよう祈ってるぜ」
隼人くんたちも口々にお礼を言い、それを最後にわたしたちは竜属が大きな陶杯を掲げる看板から離れました。
「なんだかホッコリしちゃった」
「うん。いいアヒルさんだったね」
「人柄のいいアヒルだったよな――ん? アヒル柄か?」
回廊を歩きながら田宮さんが微笑み、安西さんや早乙女くんもほころんだ顔を見せています。
「気持ちを切り替えろ。今はもう探索中だ」
思いがけず弛緩してしまった空気を、隼人くんが引き締めます。
「もう少し進むと分岐路があります。そこでキャンプを張ってこれからの方針を確認しましょう。それまで気を引き締めてください」
酒場でショートさんから話を聞いた流れのままにここまできてしまい、パーティだけで話し合ってはいません。
今一度わたしたちのみで、意識のすり合わせを行うべきです。
幸いなことに徘徊する魔物に遭遇することなく、岐路に達しました。
聖水を用いて魔物を退ける魔方陣を描くと、その中に車座に座り込みます。
皆の口から一様に大きな息が零れました。
「……大変なことになってしまったわね」
「……うん」
先ほどの朗らかさも消え失せて、田宮さんと安西さんが沈鬱に呟き合います。
「ああ、もう、意味わかんねえよ! 異世界転移したと思ったら、今度はその世界でタイムスリップだなんて!」
いがぐり頭を掻きむしる早乙女くんから、隼人くんが視線をわたしに移します。
「どう思う?」
「わかりません。わたしもこんなことは初めてです」
正直に頭を振ります。
この世界にきて以来、わたしは死を経験し、そこからの蘇生を経験しました。
そして……あの心の旅。
さらには世界蛇による召喚さえも。
不可思議が当然の迷宮探索者でも耳目を疑う経験を重ねてきました。
でもタイムスリップは初めてです。
「いずれにせよ、このままではわたしたちのいた “アカシニア” が、いずれ “悪魔王” と呼ばれる強大な魔族に滅ぼされることになります。なんとしてでも戻って、マグダラ陛下やトリニティさんに伝えなければなりません」
「……なるほど」
うなずきつつも、隼人くんの表情は冴えません。
それは他の四人も同じでした。
彼らにしてみれば、アカシニアはわけもわからず連れてこられた異世界。
愛着があるわけでもなく、滅びると言われても実感が湧かないのです。
ですが、
「エルミナーゼ様と “女神の試練” の件もあります。試練を突破して女神の宣託が受けられなければ、元の世界に還ることはできません」
隼人くんたちは隼人くんたちで、元のアカシニアに戻らなければならない理由があるのです。
「元の世界に還るためには、元の時間に戻らなければならない。そのためには一階の “礼拝堂” に向かわなければならない……か」
「はい」
「そもそも……ここは本当に一〇〇年後のアカシニアなのか? 全部あのアヒルが言ったことだろ?」
五代くんが疑わしげな眼差しをわたしに向けました。
口調には、ショートさんに対する明らかな疑念が籠もっています。
「それも一階に行き、地上に出てみればわかることです。今がいつの時代にしろ、ここは迷宮です。生き抜くためには確固たる決意が必要なのです。ぼやけた気持ちのままでは――死にます」
揺るぎない瞳でわたしは五代くんと、その向こうにいる四人を見ました。
五人のために、そしてわたし自身のために、覚悟を決めてもらわなければならないのです。
「ここは分岐路です。北は酒場に。東はショートさんとわたしが出会った温泉に。残る西が一階に到る広大で複雑な地下迷宮に続いています――どちらに進みますか?」
やがて五代くんが視線をそらし、代わりに隼人くんが答えました。
「俺たちは西に向かう。一階に上り、礼拝堂に行き、地上の状況を確かめる」
五代くんを除く三人がうなずき、五代くんは短剣 の具合を確かめています。
「では行きましょう」
決意と覚悟を固めた探索者の顔で、全員が立ち上がります。
「瑞穂」
「はい」
「おまえがいてくれて……よかった」
「殿は任せてください」
隼人くんは首肯し、一列縦隊の二番手に就きました。
わたしは最後尾を任されていることを幸運に思いました。
細かく震えていることを気づかれずに済んだのですから。







