起死回生ではない
起死回生。
そんな起死回生な言葉ではない。
イタチの最後っ屁か、末期に振るった蟷螂の斧。
その類いの破れかぶれがたまたま気管に入ったか、あるいは当たり所がよかっただけだ。
暴竜と化した “真龍” は寄生していた無数の “妖獣” ともども消え失せていた。
あとに残ったのは粉々に破砕された内壁と、巨龍の体当たりによって大きくえぐられた外壁だけである。
人造の煉瓦造りの内壁はともかく、岩山の一部である分厚い岩盤の外壁までがクレーターのように陥没しており、巨龍の苦しみの激しさがわかる。
(……蛇め、最後に気張ったか)
アッシュロードは精根尽き果てた頭の片隅で、ぼんやりと思った。
“転移” の呪文は、転移させる対象の質量が大きければ大きいほど、制御が困難になる。
通常なら一パーティー六人を飛ばすのが精々であり、“アレクサンデル・タグマン” の事件では、宝箱に仕掛けられた罠がアッシュロードとタグマンを含めた八人を飛ばしきれずに、迷宮内で二手に散してしまった。
紫衣の魔女に命じられた罠制作者が、費用対効果を優先したせいだろう。
フルパーティを超える人数を飛ばすほどの“転移” を、罠として仕込む必要性を感じなかったのだ。
四層での食料調達を担当している “緋色の矢” の魔術師ヴァルレハも、獲物が大猟のときは拠点に持ち帰るのに苦労し、帰還後は著しく消耗している。
丸々太った “コカトリス” を何羽も飛ばせるのは、“大天使“などの高次元生命体ぐらいのものだ。
アッシュロードの行動は破れかぶれであり、“真龍” との間に意思の疎通があったわけではない。
“転移” の呪文が発動して自身を包み込んだとき、蛇がアドリブで魔法を制御したのだ。
意識を乗っ取られつつありながら、自身の大質量を量子に分解し、次元通路に送り込んだのである。
一〇〇〇人からの人間を迷宮に召喚してみせた、世界蛇だからこその芸当かもしれない。
(……蛇にしておくには惜しい根性だな)
だが――。
「――この馬鹿犬っ!!! 駄犬っ!!! なにやってんだいっ!!!」
事情を知らぬドーラが、命綱である魔道具を無駄にしてしまったアッシュロードに怒濤の罵声を浴びせた。
「あんた、自分が何をしたかわかってるのかいっ!!?」
「……そう言うなって……こっちにも……事情ってもんがあるんだからよ……」
「それじゃ、こっちの事情はどうなんだい!!? あたしたちは “妖獣” に囲まれちまってるんだよ!!!」
「……こっちとこっちの……ぶつかり合いだな」
弱々しく笑うアッシュロードは、もう言葉を発するのも大儀そうだ。
ドーラはもはやこの老犬が物の役に立たないと察し、自力でこの窮地を脱しなければならないと悟った。
「アッシュ! もし生きて還れたら一生あたしに恩を着な!」
ドーラは背に斜めにしていた杖をスチャッと構えると、柄頭をカマキリ、食人植物、火蜥蜴、類人猿――この階層に生息するありとあらゆる生物と、それに寄生している遊星からの物体に向けた。
轟っ!
“炎の杖” が封じられていた力を解放し、噴き出した炎の奔流が妖群を包み込む。
絶叫が響き渡り、生物が生きたまま焼かれる最悪の臭いが辺りに充満した。
だが全身を焼かれながらも、次々に巨大な昆虫や類人猿が炎の壁から飛び出してくる。
その勢いは猛りこそすれ、弱まった気配はない。
杖に封じられた呪力は “焔爆” 程度であり、最上層の過酷な環境を生き延びているタフな魔物――それも異常な回復力を誇る異性の化物に寄生された――を焼殺するには、火力が足りなすぎた。
舌打ちしたドーラが得物を杖から黒い曲剣に切り替えたとき、彼女の横を猛烈な冷気が吹き抜けた。
人事不省直前のアッシュロードが、瑠璃色の護符に宿っている魔力を解放したのだ。
アッシュロードに残された、正真正銘最後の手段である。
高温からの急速冷却は、期待値以上のダメージを魔物たちに与え、怯ませた。
「――勝機っ!」
間髪入れず、寄生獣の直中にドーラが躍り込む。
魔法の曲剣が一閃二閃と煌めき、動きの鈍った寄生獣たちの首を手当たり次第に切り飛ばす。
「血路が開いたっ!」
ドーラは叫び、アッシュロードの手首をひっつかんだ。
妖群の包囲に空いた穴に飛び込み、駆け抜ける。
アッシュロードの動きはもどかしいほどに鈍かったが、それでもどうにかドーラに続いて走った。
しかし、すぐに新手の群が立ち塞がる。
いったい、どこにこれだけ潜んでいたというのか。
“真龍” による冷凍を免れた個体が少しずつ仲間を増やし、ここまで増殖したに違いない。
ドーラが手にした魔剣で血路を拓き続ける中、アッシュロードはノロノロと相棒の背中に手を伸ばし、背負われていた “炎の杖” をつかんだ。
後ろからも追っ手が来ている。
前は猫に任せて、後ろを防がなければ……。
疲労と負傷で、生命力が一桁台のアッシュロードである。
極寒によるデバフで、“|癒しの指輪《リング オブ ヒーリング》” の効きも弱い。
出血が止まらず、失神寸前だった。
鈍麻した意識と身体で出来ることと言えば、魔道具を使うことぐらいである。
“炎の杖” を火炎放射器のように、後ろから追いすがる妖群に放ち続ける。
焼き殺すほどの火力はないが、怯ませ足を遅らせる程度の効果は期待してもいいはずだ。
だが三度目の放射で魔力が突き、“邪神の神殿” の最奥で手に入れた杖は|ガラクタ《BROKEN ITEM》に変わった。
アッシュロードは躊躇なく壊れた杖を捨て去ると、瑠璃色のペンダントを握った。
“空の護符”
エバ・ライスライトが、第二層の時間の間で出会った古代の魔術師から贈られた品だ。
藍方石に封じられた “凍破”の呪文が解放され、炎に焼かれながらなおも追撃してくる寄生獣たちに叩きつけられる。
高温からの急速な冷却は、期待値以上のダメージを与えられる。
本来なら杖と護符を交互に使うべきなのだが、今のアッシュロードはその程度の智恵も巡らない。
機械的に、条件反射のように、魔道具を使い続けるだけだ。
四度 “凍破” を放ったあと、護符から色が褪せた。
美しい瑠璃色は鉛色に変わり、杖と同様にガラクタと化した。
だがアッシュロードが護符を捨て去ることはなく、だらりと下げた掌に握り続けた。
ドーラは背中に熱気も冷気も感じなくなったことで、ふたつの魔道具が失われたことを悟った。
いよいよ追い詰められた。
しかし悪い気分ではなかった。
自分の最期は、この男と一緒なのだ。
真っ直ぐに伸びていた回廊が、右に折れていた。
あの先が行き止まりなら、そこが今際だ。
期待を込めて、ドーラは回廊を駈け曲がった。
それがどちらの期待だったのか、自分でも定かではない。
自分の心を見定めるよりも早く、ドーラは眼前に現れた扉を蹴り開け、中に半ば失神しているアッシュロードを放り込んだ。
「そこで寝てな、馬鹿犬」
そして扉を閉ざすと、内側から開かないように魔剣で閂を下ろした。
奥にも手前にも両開く、迷宮によくある造りの扉。
材質はまちまちで、木製だったり鉄だったり。
重要度が高い玄室は、鉄扉が多かった。
奥には大したものはないのだろう。ドーラが背にした扉は木製だった。
頑丈であることには変わりないが、追っ手には怪力が取り得の巨大な類人猿が多数いる。
閉じ籠もったところで、扉に施す守りの加護が尽きている以上、長くは持たない。
扉の奥が出口のある玄室や続きのある回廊だったらいいが、そうでなければ袋のネズミだ。
「やれやれ、やっと身軽になれたよ」
ドーラは振り返り、追いすがってきた “妖獣” の群れに向き直った。
魔道具も失った。
得物も閂になった。
相棒は扉の奥の宝物だ。
「さ、それじゃ遊ぼうじゃないか。遠慮はいらないよ――死にたい奴からかかってきなっ!」
啖呵を切ると、無手のくノ一は軽やかに跳ねた。







