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迷宮保険  作者: 井上啓二
第四章 岩山の龍
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クオックス

 世界蛇 “真龍(ラージブレス)” は、 その名の示すとおり世界最古にして最大の龍である。

 竜息(ブレス)を吐くまでもなく、咆哮(ロアー)ひとつで “亜巨人(トロル)” すら簡単に引き裂きバラバラにする。


 龍のひと吠えは凍てついた空気に瞬間的に伝播して、アッシュロードを襲った。

 音速の衝撃波(ソニック・ウェーブ)である。

 人の身では避けようも防ぎようもない。

 不可視の破城鎚で真正面から打たれたようにアッシュロードは吹き飛ばされ、氷壁に叩きつけられた。

 哀れな迷宮保険屋がバラバラにならなかったのは、ひとえに身につけていた鎧のお陰であった。

 実質+4にも及ぶ魔法強化が施された漆黒の板金鎧(プレートアーマー)は、装着者が細切れの肉片となるのをかろうじて防いだ。

 だが、装甲に伝わった衝撃をすべて吸収するまでには至らない。


「……がはっ!」


 氷の壁と熱烈な抱擁をしたアッシュロードの肺から、酸素を含んだ吸気が残らず吐き出された。

 身体が四散しなかった代償に意識が遠のき、呆気なく失神(スタン)した。

 単独行(ソロ)で意識を失うなど、致命の一撃(クリティカル)を受けたに等しい。

 しかし運が悪いわりに悪運の持ち主であるアッシュロードを、暴走した “真龍(ラージブレス)” が踏み潰すことはなかった。

 まさしく破城鎚のような頭からの一撃で内壁を突き破ると、暴れ狂いながら大広間を飛び出していく。


「……待ち……やがれ……!」


 アッシュロードは息も絶え絶え喘いだ。

 意識の消失は一瞬だった。

 しかし、もう世界などどうでもよいと思えるほど全身が痛み、(きし)み、指一本動かすことが出来ない。

 アッシュロードは全身の打撲に呻きながら、“|癒しの指輪《リング オブ ヒーリング》”の効果で身体に自由が戻るのを待った。

 もっとも身体が動いたところで、また “真龍(ラージブレス)” が広間に留まったところで、アッシュロードに打開策があるわけでもない。


 氷の壁際に、ぼろ切れのように倒れ込んだアッシュロード。

 氷結した床を通じて “真龍” が自身の迷宮を破壊する振動が伝わってくる。

 鼓膜が、破砕される回廊や玄室の悲鳴で乱打され続けた。

 アッシュロードは無言で蒼氷の天井を見つめて、魔法の指輪が痛痒を癒し、呼吸を整えるのを待った。

 どうにか動けるようになると、強引に上体を起こす。


「……ぐっっっ!!!」


 途端に、これまでに倍する激痛が爪先から頭頂部までを貫く、

 アッシュロードは左胸に右手を当て、癒やしの加護を嘆願した。

 “大癒(グレイト・キュア)” を二回唱え……それでも足りず三回目を施し、ようやく立ち上がることが出来た。

 魔剣を杖代わりによろよろと立ち上がったアッシュロードの目に、“真龍” が破壊した内壁が飛び込んできた。

 世界最大の龍が潜り抜けた巨大な穴。

 いや穴というよりも、一区画(ブロック)分の内壁が消え去った跡といった方が遙かに適切だった。

 もはや魔剣の一本二本でどうこうなる相手ではない。

 “真龍” は今や完全に “暴竜(クオックス)” と化していた。


 それでもアッシュロードは、氷と瓦礫を乗り越えて進む。

 策はない。

 頭もサッパリ回転しない。

 ただ本能のように “暴竜” を追う。

 頭か心に何かがよぎったとき、馬鹿蛇の近くにいた方が可能性が高まるだろう――その程度の思いでしかない。

 正直、世界の終わりを覚悟していた。


 身体は暴竜が残したばかりの破壊の爪痕を辿りながら、暇になった頭で “真龍” や “妖獣” と交わした会話を思い出すように務める。

 どこかに逆転のヒントがないかと願って。

 しかし寒さと疲労と恐怖のせいで、記憶は酷く断片的だった。

 わかっているのは、遊星に乗ってやってきた宇宙生物が、気候変動の力を持つデカい蛇に寄生して、この星から苦手な酸素を消し去ろうとしている……それだけだ。


 絶望に侵されているにもかかわらず両足が動き続けるのは、それがグレイ・アッシュロードという男の本質だからだろう。

 世界の終わりが来たとき、自室の片隅で膝を抱えているよりも、せめて世界が滅びる瞬間を目撃しようと歩き続ける。

 良い悪いの話でもなければ、正しい正しくないの話でもない。

 単にアッシュロードが、そういう男だというだけだ。


 階層を構成する内壁は分厚く頑丈な煉瓦造りで、さらに魔法と氷で強化されていたが、どこも無残に破壊されていた。

 “真龍” の物狂いは、風邪を引いた人体が高熱を出してウィルスと戦うのと同じだろう。

 出来ることなら、このまま病原菌に打ち勝ってもらい……。


 氷結迷宮を揺るがす振動と破壊音が、これ以上はないほどに近づいてきた。

 眼前に拡がる大崩壊(カタストロフ)の予兆。

 周辺の内壁を破壊し尽くした “暴竜” が、残された外壁に向かって強靱な頭をぶつけ、長大な尾を打ち付け、巨体を叩き付けている。


 その惨劇を見た瞬間、アッシュロードの胸にこれまでに感じたことのない悲しみが湧いた。

 世界が……苦しんでいる。

 これまで自分を生かしてくれた、自分という存在を許してくれた世界が、耐えがたい苦痛にのた打ち回っている。

 そして誰にも看取られずに逝こうとしている世界が、酷く不憫に思えた。

 ひとりくらい……誰かひとりくらい、これまでの礼に死に逝く世界に殉じてやっても、罰は当たらないだろう。

 世界はその役目を、アッシュロードに与えたのだ。

 それは宇宙飛行士が青い地球を見て抱く限りない優しさと、同種の感情だったかもしれない。


「――クソ喰らえだ」


 アッシュロードは冷然と言い放ち、踵を返した。

 死にたければ勝手に死ね。

 テメエの人生を他人の人生に乗っけるな。


「それだけ暴れる元気があるなら、もう少しは持つだろうよ」


 “真龍” が “暴竜” でいられるうちに、打開策を捻り出す。

 冷静でいられるうちは、悪巧みの資源(リソース)は無限なのだ。

 そしてそれこそが、なによりもグレイ・アッシュロードという男の本質だった。


 が……。


 格好が付いたのは、ほんの一瞬だった。

 エバ・ライスライトがこの場にいたら、こう言っていただろう。


『アッシュロードさんの作画が崩壊した』


 ……と。


 実際、アッシュロードの顔面は大きく歪んでいた。

 なぜならいつの間にか無数の魔物が現れ、彼を―― “真龍” を取り囲んでいたからである。

 どの魔物からも細い針管のような触手が飛び出し、ヒュンヒュンと鋭い風切り音を立ててうねっている。


 “真龍” がアッシュロードを呼び寄せたように、“真龍” に寄生している “妖獣” たちもまた、氷の封印が解けたことで 迷宮の各所に散っていた仲間を呼び集めたのである。



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― 新着の感想 ―
[一言] ある意味一網打尽のチャンスですね。 無理ゲーに近いですがw 誤字報告です。 >テメエの人生を他人の人生の乗っけるな。 他人の人生に乗っけるな、ですかね?
[良い点] こんな化け物、というか髪にも等しいものをどうやって倒すのか。 ただでさえ絶望的な状況に、さらにたたみかけてくる脅威、いったいどうなるのか、続きが気になります。
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