九岐大蛇★
ドーラが “問題のなし” のサインを出すと、アッシュロードが扉を蹴り開けた。
蝶番には魔法が施されているのか極低温の環境でも凍結してはおらず、両開きの扉は軋んだ音を立てて開いた。
途端に吹き込んでくる凍てついた刃のような突風。
さらに寒さに痛んだ鼓膜を引き裂くごとき大咆哮。
「……あら?」
扉の奥の気配を探ったはずのドーラが虚を衝かれて、その咆哮の主を見上げた。
濃い紫水晶のような色をした巨大な塊が、ふたりの頭上でうねっている。
九つの首を持つ竜の変種―― “九岐大蛇” だ。
「なにが『……あら?』だ! 猫人自慢の五感はどうした!」
いきなりとんでもない化物を引いてしまった斥候 に、アッシュロードが怒鳴った。
ご自慢の目や耳や鼻や髭はどうした!?
「そんなこと言われても、この寒さじゃねぇ」
ドーラは悪びれもせず、黒い拵えの曲剣を逆手に構えた。
迷宮の闇を見通す目も扉越しでは役に立たず、耳も鼻も髭も空気まで凍りついているこの状況では、どうにも感度が落ちているようだった。
「きっと運が悪い誰かさんのせいだよ」
クスクスと笑ってはいるが、ドーラの瞳は獲物を前にした肉食獣のそれである。
「言ってろ!」
やはり黒い拵えの大小の剣を構えながら、アッシュロードが吐き捨てた。
あっさり責任転嫁されたが、否定はできない。
先に進むと決めた途端にこれである。
「――おめえは下がってろ」
両手に双剣を握った黒衣の君主が、くノ一の前に出た。
“九岐大蛇” は初めて遭遇する魔物だが、生態は怪物百科で知っている。
竜属に分類されてはいるが、竜息を持たないため “翼竜” 同様に亜種の扱いで直系には連なっていない。
代わりに牙に麻痺性の毒があり、九つの長大な首から繰り出される連続攻撃は、対峙した前衛職を容易に行動不能に陥れる。
そして相手が麻痺持ちなら、アッシュロードの出番だ。
「ほいじゃ、あたしは子分の相手をしようかね」
転じたドーラの視線の先には “双頭蛇” が六匹、“九岐大蛇” の巨体に隠れるように這いずっている。
「あっちは麻痺はねえが毒がある。いざとなったら指輪を使え」
“双頭蛇” も “九岐大蛇” ほどではないが連続攻撃があり、出現数が多いこともあって、あっという間に前衛の戦士を毒塗れにしてしまう。
レベルがネームド未満なので、精神力に余裕があるときは “滅消” で消し去ってしまうのが、一番安全で手っ取り早かった。
「いざという時があったらね――」
それが戦闘開始の合図だった。
ドーラが跳躍し、“九岐大蛇” を上回る一二本の首の直中に着地した。
剣光一閃。一二本の首が一〇本になる。
猫は蛇を見れば狩らずにはいられないのだ。
血の臭いに刺激され、“九岐大蛇” の九つの首が再び咆哮する。
「手下をやられて怒ったか。やっぱり竜じゃなくて蛇だな――テメエの相手は俺だ!」
小賢しい矮小な人間に挑発されたのがわかったのか、うねっていた “九岐大蛇” の首が四本急角度で向きを変えると、正面と左右、そして上方から濁流の如き勢いでアッシュロードに襲い掛かった。
アッシュロードは唯一残っていた後方へと飛び退り、回避する。
“九岐大蛇” の誘導だった。
獲物の着地の瞬間を見計らって、残りのさらに四本が襲い掛かる。
“保険屋” の誘導だった。
攻撃を察知し、飛び退り、着地した刹那の間に口の中で祝詞が唱えられていた。
轟っ!!!
氷結した迷宮の床を解かして、無数の炎が立ち上った。
アッシュロードの十八番、“焔柱” の加護だ。
九本の炎が狙い違わず、“九岐大蛇” の九つの頭を真下から直撃する。
“小賢しい!”
竜のように呪文が使えるほどの知能はないが、それでも爬虫類にしては特大の “九岐大蛇” の脳が猛った。
“小賢しい!”
“小賢しい!”
“小賢しい!”
“小賢しい!”
“小賢しい!”
“小賢しい!”
“小賢しい!”
“小賢しい!”
そして、嘲った。
“この程度の炎で、我を焼き尽くすことなど叶わぬ”
――と。
“この程度の炎で、我を焼き尽くすことなど叶わぬ”
“この程度の炎で、我を焼き尽くすことなど叶わぬ”
“この程度の炎で、我を焼き尽くすことなど叶わぬ”
“この程度の炎で、我を焼き尽くすことなど叶わぬ”
“この程度の炎で、我を焼き尽くすことなど叶わぬ”
“この程度の炎で、我を焼き尽くすことなど叶わぬ”
“この程度の炎で、我を焼き尽くすことなど叶わぬ”
“この程度の炎で、我を焼き尽くすことなど叶わぬ”
そして、狼狽えた。
見えなかったのだ。
小賢しい人間の姿が、どこにも見えなかったのだ。
「寒いところじゃ、さぞかし人肌の “赤”は見やすかっただろうな――サイドワインダーを撹乱するには、炎を焚くのが一番だ」
蛇の王者たる “九岐大蛇” をガラガラヘビ呼ばわりする声が響く。
しかし姿は見えない。
獲物の体温を感知する、“九岐大蛇” の器官が、燃えさかる焔の柱によって惑わされていたのだ。
加えて致命傷には至っていないが、九つの頭にそれぞれダメージも負っている。
攻撃と撹乱を、この人間は同時に行っていたのだ。
“九岐大蛇” の首が一本落ちた。







