違和感と凄み
アッシュロードは玄室の、おそらくは北側にある扉を無言で見つめた。
意識を失っている間に転移その他の仕掛けで移動していなければ、あの扉は北の内壁を穿っているはずである。
試しに “示位の指輪” を使ってみたが、やはりこの階層では効果を発揮しなかった。
“転移の冠” を使って帰還しないのであれば、あの扉を開けて進むしかない。
自分たちが侵入してきた南の扉は一方通行だったらしく、今は氷の壁と化してしまっている。
契約上彼の所有物になっている黒髪の聖女とそのパーティが、この罠に引っかかって散々な目に遭ったのは記憶に新しい。
“転移の冠” を使わなければ、今度は自分と相棒が同様の目に遭うかもしれない。
相棒の猫人は、黙してアッシュロードの決断を待っている。
至近に炎が爆ぜていても、身を切るような冷気が忍び寄ってくる。
ウダウダと考えている時間はない。
アッシュロードは決断した。
「先に進む。冠を使うのはもう少し切羽詰まってからだ」
“転移の冠” は一度しか使えないうえに、拠点にひとつしかない貴重な魔道具だ。
今使ってしまってはただの使い損にしかならない。
せめてこの周辺の状況ぐらい確認してからにしなければ、無駄遣いというものである。
「今が切羽詰まってないなんて、相変わらず余裕だねぇ」
ドーラは肩をすくめて苦笑した。
予期していた答えが返ってきただけなので、驚きもしなければ呆れもしない。
「ま、ここであたしたちが使っちまったら、次に来るあの子たちは転移なしになっちまうからね。仕方ないさね」
ドーラはアッシュロードの決断の裏に年若い後輩たち――特にあの聖女への配慮があることを見抜いている。
この男は自分の命綱を、あの娘のために結ばずにおくつもりなのだ。
「でも、わかってるんだろうね? あたしらに何かあったら、一〇〇〇人からの人間がこの迷宮からでられなくなるってことを? ここでは誰も助けきちゃくれないんだよ?」
猫人のくノ一は、相棒の男に念を押した。
それは誇張でも何でもなく、厳然たる事実だった。
この最上層に登るには “世界の水晶” が必要であり、それを所持しているのは他ならない自分たちなのである。
その自分たちがここで遭難してしまったら、“善” だろうと “ 悪” だろうと誰も助けには来られない。
すなわちハマりである。
「ヒヨッコどもに任せるよりも、俺とおまえでやった方がよっぽど確かってもんだ」
アッシュロードはうそぶいたが、ドーラの目にもそれは苦しげに見えた。
錐で揉み抜くようなピンポイントの探索が大前提の少人数パーティが、帰路を探して極寒の迷宮を彷徨うのである。
携帯している燃料も少なく、生息している魔物も “紫衣の魔女の迷宮” の最下層に匹敵する手強さだろう。
遅かれ早かれ冠を使うことになる――とくノ一は思ったが、口には出さなかった。
自分でも思い出せない数奇な運命の呪縛に囚われ続けているアッシュロードである。
せめて探索ぐらい好きにさせてやりたかった。
もしかしたら灰と隣り合わせの暗い迷宮だけが、男が唯一自由を得られる場所なのかもしれないのだから。
そして自分が、この男と生きられる唯一の……。
アッシュロードは相棒の視線にバツの悪い思いをしていたが、これは自分が生きて地上に出るために一番効率的な選択なのだ――と心の内で弁解した。
この迷宮には、あきらかな違和感がある。
元々この迷宮は世界蛇 “真龍” が、自身に謁する資格がある者を選別するための試練の場だ。
伝承によると、試練の内容は時代時代によって違っていた。
“善” と “悪” に別れた階層と、それを突破するために必要な相反するふたつの属性の協調。
これらは、自分たちリーンガミル親善訪問団が召喚されるまでには見られなかった構造だ。
実際落盤で入り口が塞がる前までは最上層を含めて善悪の区別はなく、ハクスラ目当ての探索者は属性の異なる者同士でもパーティが組めていたらしい。
それなのに――だ。
“善” と “悪” の協調・協力がコンセプトなのに、最終目的地であるはずの最上層でも善悪の協力ができない。
“世界の水晶” を取得して “真龍” に証を示したあとも、“善” と “悪” は別々に最上層に挑まなければならず、さらにはドーラの言ったとおりどちらかが窮地に陥っても助けに行くことができない。
アッシュロードにとって、これは大きな違和感であった。
今回の更新には、あきらかな調整不足が見て取れた。
先ほどの “真龍” からして挙動がおかしかったではないか。
保険屋は、その原因を見極めたい。
アッシュロードは合理的ではあるが、故に利己的ではない。
あるいは目的のためには己自身すら危険に曝すことを厭わない、究極の利己主義者というべきか。
この男の凄みである。
(――見極めてやる)
ふたりの探索者は立ち上がり、炎の側を離れた。
慎重に北の扉を開ける。
グレイ・アッシュロードは確かに凄みのある男だ。
だが悲しいかな運のない男でもあった。
吹き込んでくる刃のような突風と、そして大咆哮。
扉の先でいきなり出くわしたのは、またも竜属。
それも九本の首を持つ、特異な固体だった。







