少女時代
「おめえ……本当は何か話があるんじゃねえのか?」
意識体のトリニティが見守る中で、若かりし日のアッシュロードが過去の自分にたずねた。
(そうだ……この男はこの男なりに、水を向けてくれたのだった。だがわたしは……)
「あ、ああ……じ、実は……実は……」
(ほら、どうした。アッシュの気づかいを無駄にするな。勇気を出せ。未来を変えてみせろ)
だが、
「お、おまえに礼が言いたかったのだ、アッシュ! わたしを生き返らせてくれてありがとう! 本当に感謝している!」
まさか未来の自分に応援されているとは露ほども思わずに、少女のトリニティは仲間の男に向かって深々と、ほぼ直角の最敬礼をした。
アッシュロードは呆気に取られ、ついで戸惑ったような表情を浮かべた。
(……あの時は見えなかったが、アッシュの奴はこんな顔をしていたのか。少なくともわたしは笑われてはいなかったのだな)
「何を水臭せえことを。俺たちはパーティの仲間だ。死んじまったら生き返らせるのが冒険者の不文律ってもんだろが」
「わかっている! わかっているが、それではわたしの気が済まんのだ!」
「……律儀な奴だな。そんじゃ俺が死んだときには生き返らせてくれ。それでチャラだ」
「ああ、当然だ! わたしの命に代えても必ず生き返らせよう! 必ずだ!」
「ああ、おめえなら安心だ」
「よし! よし! 安心したならもう寝てくれ! 邪魔して悪かった! おやすみなさい、良い夢を!」
過去のトリニティが最敬礼をしたまま拝み倒すように叫ぶ。
追い立てられた格好のアッシュロードは苦笑し、踵を返して馬小屋に消えた。
「………………っ」
絶好の機会を逸したトリニティは、しばらくそのまま身体を起こせない。
せっかくアッシュの方から話を振ってくれたのに、この体たらくである。
自分の不甲斐なさに、涙が零れた。
(……これまで恋なんてしたことがなかったのだ。そういうこともあるさ)
それでも意識体のトリニティは、まだ少女だった頃の自分を慰めた。
結局この夜が最初で最後の機会だった。
初恋は果たせないまま盟友への友愛に昇華し、今も男を見守り続けている。
意識体のトリニティは、“転移” の呪文を唱え始めた。
呪文が完成して再び量子の隧道に吸い込まれる瞬間、
(でも、おまえの男を見る目は確かだったよ)
大人の女性となったトリニティは、未だ少女の自分に優しく言い残した。
・
・
・
トリニティの意識は、光の奔流となって次元回廊を行く。
縦軸・横軸・高さ軸・時間軸。
すべてを調整しての再転移である。
彼女が遡行したいのは、自分の少女時代ではない。
彼女が遡行、たどり着きたいのは――。
量子の隧道が終わり、トリニティは次元回廊を抜けた。
(……ここは)
呆然とするトリニティの意識。
光の洪水が治まり視界が開けると、そこはまたしても見覚えのある場所だった。
白を基調とした瀟洒だが決して華美ではない部屋。
主の質素な性格が見て取れる、貴族的……王族的な私室。
その部屋の中央に主である少女と、彼女の遠縁に当たる幼馴染みのやはり少女がいた。
部屋の主の名は、マグダラ・リーンガミル。
幼馴染みの名は、トリニティ・レイン。
「本当に行ってしまうのですか、トリニティ」
「その方が良いのだよ、従姉妹殿。今のこの国に “賢者” はふたりも必要ない。むしろ害悪だ。災いの芽は早めに摘み取る――今回の騒乱で得られた教訓があるとすれば、まさにそれではないか」
「わたしはそうは思いません。あなたは “僭称者” ではありません。わたしはあなたにこそ側にいて支えてほしいのです。この国を建て直す手伝いをしてほしいのです。わたしはあなたを王国宰相に任じて――」
「女王陛下。あなたにはすでに大勢の信頼できる優れた家臣がいる。国婿は “勇者” だし、王国騎士を束ねるのは陛下と共に “呪いの大穴” を制覇し “運命の騎士” の称号を得た者たちだ。彼らは陛下に心酔し、陛下にこそ忠誠を誓っている。探索に加わらなかったわたしが政治の権を握れば、彼らは不満を抱き、いずれ衝突することになるだろう。今は親政をすべき時なのだよ」
「……こうしてわたしは信頼する人々を失ってゆくのですね……彼に続いてあなたまで……」
(……マグダラ)
トリニティの意識は、うつむいた若き日のリーンガミル女王の悲痛を思った。
父母を失い、双子の弟を失い、誰よりも信頼していた “真の運命の騎士” を失い、今また唯一対等の友人として心を許せる幼馴染みを失おうとしている。
(……自分の判断は本当に正しかったのだろうか)
意識体のトリニティは、再び目にした女王マグダラ・リーンガミルの悲しみを見て思わずにはいられなかった。
自分はこの時、故国に残るべきだったのではないか。
幼馴染みであり、親友でもある女王の片腕として、彼女を支えるべきだったのではないか。
もしそうしていたら、世界はどう変わっていただろうか。
“リーンガミル聖王国” は、自分の予期しとおり政治的な内紛を迎えただろうか。
それともそれは杞憂で、より発展していただろうか。
代わりに、“大アカシニア神聖統一帝国” は混乱しただろうか。
自分がいなければ “紫衣の魔女” の討伐は遅れただろうか。
アンドリーナを討滅し近衛騎士に任じられた自分が上帝トレバーンの制動役を務めなければ、あるいはリーンガミルと戦争になっていたかもしれない。
可能性は数多あったが、ふたつの大国が最悪の状況を迎えずに済む未来は、上出来と思うべきなのだろう……。
「彼には……ドーラを付けてあるのだったな」
嘆息した意識体の前で、過去の彼女が従姉妹に訊ねた。
「……ええ、今は “大アカシニア” に向かっているようです」
「では、わたしもそこに向かおうと思う」
「……え?」
「それで陛下の心の重荷が軽くなるとも思えないが、わたしもドーラと共に彼を見守ろう。それがこの国のために過去から未来……すべてを捧げてくれたあの男への、せめてもの償いだろう」
「トリニティ……あなたが羨ましいです。わたしも出来ることなら……」
「陛下に代わって、力の及ぶ限り彼を守ろう」
万が一の保険として “呪いの大穴” には潜れなかったトリニティだ。
リーンガミル王家の血筋に連なる者として、せめてそれぐらいはしなければと思っていた。
そして純粋に興味もあった。
女王と婚約を結んでいた “勇者” を守るため影武者となって迷宮に潜り続け、使命を果たしたのちは政治的理由で闇に葬られた救国の英雄。
まさに悲劇の英雄である。
しかも “転移者” にして “持たざるもの” という変わり種と来ていた。
最弱の “持たざるもの” が、最強の “全能者” にして “運命の騎士” になり国――世界を救ったのである。
王城ではやはり政治的な理由で近しくできなかったが、だからこそ少女の旺盛な知的好奇心を強く刺激した。
それが実らぬ初恋の萌芽となり、やがて目を掛けることになる隣国の大貴族の令嬢へと受けつがれていくのだが、少女時代のトリニティ・レインには知るよしもなかった。







